第三十六話 目標
職員に捕縛されると、当然の如く冒険者ギルドの一室に閉じ込められた。
客室に見せかけた牢みたいな部屋だった。扉は鉄でできていたし、窓には格子が嵌められている。
身元は喋らなかった。
でもフィールブロンまでたった二人でやってきた子供だなんて目立つわけで、足取りを辿るのは簡単だろう。
そうなれば、リョーリフェルドからの追手に見つかるのも時間の問題。
最初の足取りを誤魔化すための「停留所を一つ飛ばす」という作戦も、何日も持つ類でもない。
おそらく数日以内、下手をすれば今日中に俺たちはリョーリフェルドに連れ戻されることになる。
「今回ばかりはさすがに怒られるなぁ、あーあ」
ハイデマリーはベッドに腰かけて言った。
「……怒られるだけで済む?」
「うーん、微妙。一人娘だし勘当とかいう話はないだろうけど、矯正所には送られるかも」
彼女もさすがに苦い顔をしていた。
「ヴィムはどうなの、怒られる?」
「……いや、怒られるというよりは」
「よりは?」
「殺される」
「……だよねぇ」
そう、心配なのはどう考えても俺の身柄の方である。コリンナおばさんからはもちろん、旦那様が放り出すと言ったらそれはもう即追放ものだ。
「まあ、全身全霊で庇ってはみる」
「……お願いします」
地べたに三角座りしながら、ボーっと天井を見た。
……まあいいかな、楽しかったし。
随分遠くまで来た。
夢から醒めるように迷宮から連れ戻されてなお、ありありと浮かんでいたのだ。
絵画のような光景と、両腕に生温かく打ち込んでくる現実感が。
身の回りの二、三歩どころじゃなかった。
なんという濃密さか。言われるがままに働いて、現実逃避に百科事典を読んでいた時間を百年まとめたってこの冒険には敵わなかった。
「私は来るぞ、もう一回」
沈黙の後、ハイデマリーは言った。
「今よりずっとずっと大きくなる。筋肉を付ける。魔力だってもっと増やして、ちゃんと職業を取って、そうして迷宮に潜るんだ」
彼女は壁の向こうを見つめていた。
「戦士がいい。中でも剣士かね、ばったばったとあの小鬼どもを倒してやりたい! 真正面から翼竜を叩き斬るんだ!」
その目はあんまりにも爛々と輝いて、確信に満ちていて、綺麗な以上に凄みがあって、俺なんかが並び立つことが烏滸がましくて。
何より、憧れた。
彼女は独り言みたいに言いながらも、俺に聞こえるようにしていたようだった。
何を意味するかって、それは返答を求めているということだ。横目で試すように問うように、俺を見ていた。
これはいつかの続きだった。俺が逃げてしまった返答の続きだ。
理解するとドクンと心臓が跳ねた。
緊張する。
答えを間違えたくなかった。いや間違えるってなんだ。間違いとかないって。
……いや、あるか。
発想が違った。今から答えを出すんじゃなくて、答え合わせをするのだ。
意を決して、口を開いた。
「俺も、行きたい……かも……」
彼女の耳が、ピクッと動いたみたいだった。
「ほんとに?」
「う、うん……」
「職業が要るんだぜ。魔力だよ魔力。どうするの」
「それは……なんとかする」
「んじゃ、なんの職業を取るの」
右手、左手、と膝をつきながら距離を詰められる。
「えっと、えっと……それは今から考えるというか」
「剣士かい。君の剣裁きは中々のもんだ」
「あ……いや、剣士とかは……」
「なんだ、結局好き嫌いを言うんじゃないか。君は毎度そうだな」
「うっ……」
「なんかないの。憧れてたものみたいなやつ」
憧れたもの……?
「腐るほど本を読んだろう。どんな登場人物に憧れた。聖剣を持って戦う英雄か?」
「いや、そういうのはあんまり……むしろ苦手かも」
「だろうね。じゃあなんだい、お姫様ではあるまいな」
「違う……うん、違う」
「聡明な権力者かい? 大金持ちの」
「それも……違う」
「気の良い友人的なやつか? まさかそんなわけないよな?」
「そりゃっ……うん……」
「何かあるんだな? ほれ、言ってみろ」
二分の一、三分の一とばっさばっさと選択肢を切られてしまった。
路傍の石の中に埋まった宝石を見つけるみたいに、ざっくばらんに割られて割られて、言い訳のできない勘所が露出し始めた。
覚えが見つかった。言うべきにしてはおぼろげすぎるけど、たぶんこれなんだと見当がついた。
「……笑わない?」
「もちろんさ!」
迫られて出した消極的な心当たり。だけど自覚してみれば、ここまで遠くにやってくるための踵のばねの成分には、確かにそれが含まれていた気がした。
「魔法使い……とか?」
言ってみた。
ハイデマリーは一瞬無表情になった。
「おっどろいた」
「……何が」
「君、私の役に立ってくれようとしたのかい」
……はて。
図星を突かれたような、そうでないような。
彼女はクスクスと笑い始めた。
「……笑わないって言ったのに」
「いやぁごめんごめん、しっくりくるね、うん。山奥に潜んでるね。そーだそーだ」
それから彼女は、満面の笑みで言った。
「君はあれなんだね、人の役に立ちたいんだ。けど目立ちたくもない。でもひっそりと感謝されたい」
「……馬鹿にしてない?」
「してないしてない」
「言わなきゃよかった」
「ごめんって。ちなみに情報屋とかも好きだろう? ほら、あれだよ、酒のグラス片手に憲兵のお嬢ちゃんかい? とか言うやつ」
「ほんっとうに、言わなきゃよかった!」
ああもう、恥ずかしいったらありゃしない。
顔が熱い。でもどこか快いのはどうしてか。言ったことのない自分のことを人に言うのはこんなに明け透けな感じがするのか。
一笑い終わって、彼女はぼそっと呟いた。
「……いいと思うぜ」
真剣な目に変わった。
ずっと前だけ見ていた爛々とした眼が、初めて俺の目を射抜いていた。
「目指しなよ、魔法使い的なやつ。魔法使いって職業はないからさ、魔術師とかで」
「……うん」
そのとき、何もない俺の人生に一本線が通った気がした。
身の回り二、三歩と明日のことだけしか考えてこなかった耐えるだけの日々に、一つの目標が立ったのだ。
ドタドタと扉の向こう側から足音がした。
職員さんかな、旦那様かな、それともシュトラウス家の誰かか、それならコリンナ叔母さんじゃないことを願いたい。
かくして長い、子供にしてはあまりに長い旅は終わった。
その後のことは思い出したくない。記憶に留めておくのはここまでが賢明だと思う。