第三十一話 私の所在
私は昂っていた。
どんな感情も昂ったら区別がつかなくなってしまう。嬉しいのか不安なのかわからない。歓迎もしている。帰巣本能があるならこんな感じだって気がする。
「આવો」
耳鳴りがしていた。
心の傷なんてないのだ。あってたまるか。そんなに劇的な何かがやってきてくれたことなんてなかった人生だよ。そうでもないとあんなに暴れたりしないよ。
だから余計に説明がつかないんだ。どうしてこんなに私だけ違うんだろうかって。
「આવવાનો અધિકાર」
うるせ。
何かが私の手を掴んだ気がした。
「અવગણવું」
もちろんだよ。
──変っていうか
は?
違うだろ。
おまえはそれを言っちゃダメだろ。
普通なことなんて言うなよ。
「……なんで、そんなに焦ってるの?」
彼は素朴に言った。
ぎゅんと引き戻された。
既に夕方だったことに気付いた。さっきまで市場で陽気に食料を集めていたはずの私は、市場どころか広場さえも後にしてどこかへ向かおうとしていた。
私が焦っていると彼は言っていた。
図星かもしれなかった。四方八方を防御していたつもりだったのに気付かない迂遠な死角から突かれた気分がして、私は一段と強く返さないといけなかた。
「そりゃあ、私たちはついに来たんだぜ! 迷宮に! ここで慌てて向かわなきゃ嘘じゃないか!」
「……ち、ちが、くて。その、楽しみって感じじゃなくて、変に焦っているように見えて」
「変に焦ってるって、そりゃあ──」
「તમે એકલા છો」
まただ、また聞こえる。
「──普通焦るだろうがよ、追手がかかってるんだぞ。路銀もない。私たちには時間がない」
「それはそうかもしれないけど、さすがに明日までに追い付かれるほどじゃ……」
「でも!」
私はいつの間にか大きな声を出していた。
「私はそうしなきゃいけないんだよ! これが私の普通なんだ! こうしてないと、私は、私はっ……」
言葉に詰まってしまった。
「હું એકલો છું」
自分でも何に駆り立てられているのかわからなかった。
「いろんな普通があるんだよ! 私は私なりに普通にしているだけだ! 誰からも咎められる筋合いなんてない! それがわからないやつらの方が変なんだ!」
何かから逃げているようで、それを認めてしまうことが腹立たしくて、より一層逃げてしまいたくなっていた。
「તમારે ક્યાં હોવું જોઈએ તે નથી」
耳鳴りがする。何かが私を呼んでいる気がする。一刻も早くそこに行って、安らぎたいと、妙に具体的に思う。
そんな私を見て、ヴィムは目を丸くしていた。
「……その……君みたいな人も、なんというか、そんなふうに、その、思うんだ」
「は? 私みたいな人って、どういうことだよ」
「……ほらっ! 君はその、とても強くて、賢くて、特別……じゃない?」
「特別? なんだ、私は普通にしてるだけって言ってるだろうが」
「それはその、それが普通なのが特別というか、その」
特別?
「やっぱり、変ってこと?」
「いや、変っていうならきっと俺もだけど……そうじゃなくて、良い意味が大きいというか。ほら、変なだけだったら、誰でもできるし」
私の剣幕と彼ののんびりと顔をぺたぺた触りながら確かめる様子の歩調が全然合わなかった。彼は自分の中で言葉を組み立てている最中で、私の様子なんてまるで目に入っていない。
だから、私は待たざるを得なかった。そうしているうちに少し落ち着いて、こいつが言いたい何かに興味を持ってみるまでに歩調を緩められた。
「うん。やっぱり君は特別な人だ」
彼はポツリとそう言い放った。
私は人の話など聞かないし、意見など受け付けていないのである。いつもの私なら即座に跳ねのけている戯言だと思う。
だけど、転換があったような気がした。
一人で育んでいた狭い狭い視界の外側から、見るべき方向を指摘されたみたいだった。
私は押し黙った。
彼はずっとあわあわしていた。あ、とか、え、とか言って取り消してを繰り返していた。
傍からみればどんなやり取りをしているんだろうかと考えた。子供の喧嘩だろうか、それとも何かのごっこ遊びだろうか。
影がちょっと動くくらいには、時間が経った。
「おいヴィム」
「……は、はい!」
「私は、特別なのか」
「えっと……違い、ますか? 言われたこと、ないですか?」
「どんなところが特別だ」
「え?」
「どこが特別なんだって聞いてる」
「えっと……それは、普通ならこんなところまで来れないし、だからその強くて……あっ、意思も、体も。すごいというか、才能というか」
「……そうかそうか」
息を吸った。
吐いた。
顔を上げて見回した。
広場を歩く人々は私なんてまるで目に入っていなかった。彼らは人混みの中と言っても差し支えのない場所に突っ立っている邪魔な子供を器用に避けて、恋人や家族や同僚の方だけを向いていた。
どうにも、私としたことが、変な手順を踏んでいたらしかった。
肩透かしな気さえした。
何が歪んでいたのかな。
私は気付かないうちに、認めてもらおうとしていたのかもしれない。あれだけ暴れて反抗しておきながら、結局のところ、自分の正しさに賛成してもらいたいとか、そんなことを思っていたのかも。
そりゃあ周りもやりにくいさ。
最初から、単純な話だったのだ。
私は──特別だったのである。
「お腹空いた。市場に戻るぞ」
「あっ……はい!」
足が石畳にぴたりと張り付いていた。フィールブロンの夜風が頬を撫でながら後ろに流れていく。
いつの間にか、耳鳴りはしなくなっていた。