第十九話 停留所
すべて計画通り。
追手を断ち切るには、最初の段階で移動経路の候補に入らなければいいわけだ。
簡単な話。敢えて最寄りの停留所を飛ばしてもう一つ向こうの停留所まで直接行けばいい。子供の脚でそこまで行けるなんて思わないだろうから、早々に遠出の線は打ち切って、屋敷の周辺に潜伏しているとでも思い込むに違いない。
お日様は高く昇りつつある。書置きも見つかっているだろう。
私も急がないといけない。乗り合い馬車は一日に何本も出ないらしいから、既に朝の便が出ていれば昼の便が最後かも。
屋敷は今頃大騒ぎだろうか。
……いや、どうせ聞かん坊が逃げ出した、面倒くさい、早く出てくればいいのに、ってくらいかな。
もう引き返すには少々遠い場所まで来た。
「──વો」
「ん?」
何か聞こえたので、周りを見る。
特に見当たらない。
何か動物の鳴き声だろうか?
ここまで来たことはないから、不確実なことがいっぱいだった。
計画は全部紙の上で組み立てるしかなかった。見たことない場所に、あるらしいものを想定して、聞いて、妄想にならないように必死で自分を制御した。
部屋を出て、勝手に定めていた行動範囲の一歩外に踏み出してからは、一つ一つが照らし合わされていく。
リョーリフェルドの荘園を越えて、大農家の畑になるとちょっと様子が変わる。辞典にも載っていない地図記号の意味がわかる。
馬鈴薯は特産品ということになっているけども、所詮品種改良された苗が持ち込まれて無理やり特産品にしたものである、みたいな豆知識があった。それを覚えて成長した気になれた。
でも、並んでいる菊の花の蕾を見て、その景色に合っている感じを目の当たりにすれば、知識にまるで色がつくようだ。
心臓が弾んでいる。
たどり着けるだろうか。
迷わないだろうか。
そもそも、耐えられるだろうか。
何一つ確かなことがない。我ながら根拠のないことをするものだ。
◆
背が高い。
停留所に着いたときに思ったのは、まずそれだった。
馬は日常的に見ていた。屋敷には日常的に馬車が出入りする。だけど何十頭もの馬が同時に行ったりきたりする迫力は別物だった。
全部のやり取りが、私よりずっとずっと高い水平で行われている。
そもそも停留所が想定と違った。
建物ってふうじゃなくて、水飲み場と山盛りに積まれた馬草が離れた場所に置いてある、広場みたいな感じ。風が吹けば馬場の泥が舞って、並んでいる人たちの肩に降りかかる。
だけど誰もそんなものは気にしない。
屋敷の清潔さとはまったく違う。私が山に入って好んでいたドロドロな感じも、積み重なって不衛生になればただただ不快。
人混みの中だから、やり取りは半分怒号だった。ドスの利いた大人の男の人の声が頭の上で飛び交う。私が声を出したって届くわけもないと思うくらい。
前がまったく見えない。標識も時刻表もどこにあるかわからない。
ジャンプして見えた先では馬車が呼び止める間もなく出入りしていて、私がまごついている間に大人たちは乗ったり降りたりする。
視線は感じる。こんな場所に小娘が一人というのはやはり目立つらしい。
もちろん、いい視線じゃない。目障りらしい。
場違いだと思った。
ギュッと、懐の中の小袋を握りしめる。
この袋に詰まった銅貨と金貨が、私の唯一の力だった。
金だ。金しかない。
誰が持っていても同じ力を発揮する代物。これさえあれば私だってどこへでも行ける。
──こちとら、猪にふっとばされてんだ。
息を吸う。
「あの! 乗り合い馬車ってどこですか!?」
聞こえたかな、と思って周りを見る。
「……お……さま」
だけど視線は冷たいまま。親切な人なんていやしない。
ダメだ、やっぱり声が通らない。
「あの!」
通らない。
「ぅさま、あのー……」
大人たちは私の見えない強い人の流れの中でどんどん進んでいく。その中に入ろうとしたら怖い目で見られる。
やっぱり、誰か──
──いやいや。
おいおい、おいおいおいおい。
「お嬢様、そのー……」
弱気になったか? この私が?
「聞こえてんのか、おらああああ!!!!!」
叫んだ。
周りの騒めきが止まった。私を取り巻くように大人たちは後ずさった。
なんだ、けっこう、騒げば反応するんじゃないか。
懐から袋を取り出して、わざとじゃりんと音を鳴らして掲げた。
「金ならある! 乗り合い馬車はどこですか!?」
やってやったと、勢いに任せてやってやったと、快い気がした。
瞬間に立てた算段は、こう言えば誰かが金欲しさにちょっとした世話くらいは焼いてくれるだろうと、そんな感じのことだった。
だけどそれがかなりの悪手であったことは、はっきりとわかった。
ぬるっとした感じ。
治安が良くないというのはこういうことなんだろうと。
あ、やべぇ、これ。
見定められている。誰が一番初めに手を出すか、牽制し合っているっぽい。
「あの! お嬢様!」
手を掴まれた。
払いつつ振り返る。
敵だと思った。
しかし見えたのは、私よりさらにチビのお付き、ヴィム=シュトラウスだった。
私が彼だとわかったことを、彼はわかったらしい。そこから必死な声を絞るように、言った。
「とりあえず、来てください!」
言われるがまま私は引っ張られて人混みを抜け出した。
……安堵なんて、一切していないのである。