2020.05.08 (Fri)
↑天正18年(1590)陰暦6月22〜23日の八王子城合戦における、直江兼続の進軍ルートを、前川實氏の「決戦!八王子城 〜直江兼続の見た名城の最後と北条氏照〜」の記載から辿ってみました。
まず豊臣・北陸支隊勢の全容を把握。総勢約5万の構成は、以下の内容だったようです。
■前田利家・利長
加賀尾山勢・越中守山城勢(18,000人)
■上杉景勝・直江兼続
越後春日山城勢(10,000人)
■真田昌幸・信之・信繁(幸村)
信濃上田城勢(3,000人)
■松平康國
信濃小諸城勢(4,000人)
■大道寺政繁
松井田城(群馬県安中市)降参兵など(15,000人)
↑写真の場所は、高尾街道(東京都道46号八王子あきる野線)と陣馬街道(東京都道521号上野原八王子線)が交差する、東京都八王子市四谷町の通称「四谷の交差点」です。豊臣軍は四谷周辺から出陣したようですが・・・
「決戦!八王子城」には以下の記載があります。
■天正18年(1590)陰暦6月22日の夜10時頃。月夜峰(つきよみね)の大手脇軍上杉景勝勢は、北条降参兵を先頭に立て、出羽砦(出羽山砦)へ向かって出陣した。
■直江兼続勢、前田利長勢、真田信之勢は、楢原(ならはら)および甲の原(こうのはら)から搦手口へ向かって出陣した。
※ということで、越後春日山城勢(10,000人)は、上杉景勝と直江兼続の2隊に別れ、宿営地も攻撃場所も異なったわけですね。それはなぜでしょうか?
答えは、八王子在住の作家、斎藤秀夫氏が米沢日報デジタルに寄稿した「上杉景勝八王子城を攻める」の記事に以下の解説があり、納得しました。
景勝の旗本衆(五十騎組)と兼続配下の与板衆との間には対抗意識が強く、別々に出陣することが、いわば慣習化していた。
↑こちらは上杉景勝率いる大手脇軍が出撃した場所、共立女子大学八王子キャンパスが建つ月夜峰です。※上杉景勝軍の進軍ルートは、このリンクから御覧いただけます。
↑こちらは、直江兼続率いる遊撃隊が宿営した、楢原(ならはら)および甲の原(こうのはら)一帯です。ここから搦手口方面に向かって出陣したわけですね。
↑また、近くの山の中腹には、当時の兵が残した兜が祀られていた伝承が残る、甲(かぶと)神社が鎮座しています。※甲神社の探訪記は、このリンクから御覧いただけます。
「決戦!八王子城」によりますと、搦め手軍の前田利長・直江兼続・真田信之勢は「川口村の榎木(えのき)から坂を下って調井(ととのい)に出て、そこで一旦陣容を整えた」とあります。
↑こちらは、角に「セブンイレブン八王子榎木店」のある、秋川街道(東京都道32号八王子五日市線)の「榎木」交差点(八王子市川口町)で、宿営地の甲の原から2kmほど西へ進んだ場所になります。
搦め手軍の前田利長・直江兼続・真田信之勢は、ここから坂を下って調井(ととのい)に出て陣容を整えたようですね。
↑「榎木から坂を下って調井へ出て」とあるので、榎木交差点を左折すると下り坂になっていました。北浅川方面へ向かって坂を下りて行くと・・・
↑浅川稲荷神社(探訪記は、ここから御覧いただけます)が鎮座する広い平坦地に出ますが、このあたり一帯を調井(ととのい)と呼ぶのだそうです。この辺りで陣容を整えたわけですね。
ここから先は、前田利長勢8,000と真田勢1,000に北条降参兵を加えた「搦め手攻撃本隊」と、直江勢2,000の「搦め手遊撃隊」の2つに分かれて進軍したとのこと。
↑「決戦!八王子城」によりますと、前田利長勢は陰暦6月23日の午前1時頃に、北浅川(案下川:あんげがわ)沿いの元木(もとき)村に到着したとあります。
元木村は現在の町名には残っておらず、下恩方(しもおんがた)町になっています。
↑現在、元木菅原神社や元木小学校、元木保育園のある界隈が、往時の元木村ではないか?と思われます。前田利長勢は北浅川を渡り、近くの小田野城を攻撃したようです。
↑話は変わって、秋川街道(都道32号八王子五日市線)の「榎木」交差点から少し西へ進むと「川口中学校入口」という信号があります。ここから左側へ急坂を登って行くと・・・
↑調井台(ととのいだい)という名の、広い農耕地が広がる台地に出ます。写真の石碑は・・・
川口兵庫介幸季(かわぐち・ひょうごのすけ・ゆきすえ)は、中世に武蔵国で活躍した武士団、武蔵七党の西党(むさししちとう・にしとう)に属していた豪族です。
西党には、一ノ谷の戦いで有名な平山季重(ひらやま すえしげ)がいたことでも知られていますね。
↑調井台の東側を望むの図。
↑西側。御覧の通り、かなりの広さです。この調井台には「ここで豊臣軍が甲冑を整えてから八王子城に向かったので『甲冑を整えた台地』から調井台という名称が付いた」となったという伝承があるようです。
また『直江兼続は楢原(甲の原)に宿営したとあるが、その楢原とは現在の調井台を指すのだ』という説もあるようです。
さらに「八王子城に詳しい北条方の武士を、寝返って道案内させようと調略した地」という説もあるようで、興味深いです。
↑ちなみに、山岩淳氏の「乱世!八王子城」には、上杉家の家臣、藤田信吉が北条家の禄の少なさに不満を持っていた平井無辺という武士を豊臣軍に加わるように調略。平井無辺は討ち取られて牛裂き場で股裂きの刑になったと書かれています。
しかし、平井無辺を調略したのが「調井台」だったとは書かれていませんでした。
平井無辺に関しては、搦手での戦いで直江兼続軍を八王子城の小宮曲輪の裏へ道案内したと「決戦!八王子城」にも描かれています。
↑調井台の西端を、南(北浅川方面)へ進むと・・・
↑農耕地を抜け公道に出たところに「川口下げ坂」と記された看板が立っています。この「下げ坂」について、mixiユーザー(id:7184021)様のページに記述があったので、以下に引用させて頂きました。
八王子城落城の際に、落武者が首を下げて通ったところから、この名がついたともいわれています。
調井台の農地で作業している男性に伺ったところ「落武者が首をぶらさげて歩いた坂、って聞いてるよ」と仰っていました。興味深いですね。ちなみに「首下げ坂」とも呼ぶようです。
↑せっかくなので「下げ坂」を下ってみました。この調井台で軍備を整えたり敵を調略したら、八王子城へはここを通って進んだのでは?と思ったからです。往時、この道があったか分かりませんですけどね。
↑この下げ坂がある道は、秋川街道から陣馬街道へ抜ける裏道になっているようです。
↑少し先へ進むと、勾配が急になり・・・
↑下げ坂が延々と続きました。落ち武者が首をぶら下げて歩く姿を想像しました。街路灯などが無さそうで、夜に通ったら怖いかもしれませんね・・・
↑坂を降りきって平地へ出て、八王子城方面に向かって道なりに進み・・・
↑住宅地の中を通った先に・・・
↑真言宗智山派の寺院、大幡山 蓮華院 寳生寺(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)がありました。
八王子城合戦では、寳生寺(宝生寺)の頼紹僧正と西蓮寺の祐覚和尚は、本丸で怨敵退散戦勝祈願を行い、本丸が落ち北条勢が全滅するのを見届けると、自ら火中に身を投じて焼死したようです。壮絶・・・
それはさておき、直江兼続率いる搦め手遊撃隊が、どこで北浅川を渡ったか?は「決戦!八王子城」には記載がありません。
しかし、下げ坂の伝承が残るように、調井台から下げ坂を下って平地へ下りた辺りで渡河したのでは?と思いました。
↑この写真の撮影場所は、陣馬街道(東京都道521号上野原八王子線)が美山通り(都道61号山田宮の前線)と交差する「川原宿」交差点です。
この辺り一帯は、八王子城の出城として機能した浄福寺城(案下城:あんげじょう、とも)の城下町だったとのこと。
↑直江兼続率いる搦め手遊撃隊の動きは「決戦!八王子城」には以下の記述があります。
■直江兼続率いる搦め手遊撃隊が案下城の城下へ入ると、戦いを恐れてすでに逃げ去ってしまったのか、住民の姿は全くなかった。
■兼続たちは、城下一帯を思うがままに城下一帯を焼き尽くし、浄福寺城に兵がいないことを確かめると北浅川を渡り、搦手に突入した。
■その時、搦手の屋敷群は、先に前田利長隊から分かれて焦土作戦に転じた真田隊によって焼かれて火の海と化していた。
■兼続らは、燃えさかる火を避け、山際を抜けて滝の沢谷へ向かった。
↑川原宿から陣馬街道を陣馬高原方面へ少し進むと、前方に北浅川(八王子城の惣構)に架かる松竹橋が見えて来ました。
直江兼続率いる搦め手遊撃隊は橋を渡って搦手城下へ入ったようですが、往時の橋は松竹橋の少し手前に架かっていたようです。
また、浄福寺城(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)の登城口(大手口説あり)は、写真右側の山の麓にあったようです。
↑ここが搦手口の分岐で、左へ進むと八王子城。右へ進むと滝の沢谷です。ここから八王子城へ登城した模様は、このリンクから御覧いただけます。
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