『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』   作:  

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第三講義『留意せよ。薬剤とヒトの全てを』

 ◇◆◆◇

 

「ここまで二回の授業では、薬剤本体について少しだけ学ぶことが出来た。ならば次に学ばなきゃいけないのは、薬剤を投与される側──即ち、人間の話になる」

 

 理論上受容体にはバッチリ作用します! 

 でも人体に投与しても消化されます、なんて薬剤はどうしようもなく使えない。

 まあ、種類によって静脈を介して……つまり、注射や点滴を使って投与したりすればいいんだけれど。

 

「前回、フルアゴニストの説明をした時にリーシャが質問してくれた内容を、もうちょっと深く(・・)考えていこう」

 

 といっても、詳しい機序とかまだやらない。

 生理学的な話に本格的に踏み込むのは、次回か次々回くらいの予定。流石にGPCRから逃避し続けて薬理学を終わらせるわけにも行かないのでね。

 

「まず、じゃあ復習として──『ある薬剤Pは、受容体のもとに辿り着けば、きちんと望んだ通りに作用する』。こういう状況があるとしよう。この時、この薬剤Pは確実に有用(・・)か。ユラリア、どう?」

 

「きちんと、その受容体が存在する部位まで到達するかが確約されていません。胃液や消化液で薬剤Pの性質が変化した場合、それが機能するかはわかりません」

 

 淀みなくユラリアは解答する。

 あまりにも模範生だね。まあ、だからこそ教師から覚えられるわけだけれど。

 

「じゃあ、仮に──薬剤Pは、胃液や消化液で性質が変化しない物質であったとしよう。これならば、問題ない?」

 

 少しだけ考える様子を見せる。

 しかし、それでもすぐに解答を思い付く。

 

「胃や腸にその受容体があれば問題ありませんが……例えば、心臓に存在する受容体に効果がある場合、そこにきちんと辿り着けるかわかりません」

 

 きちんと標的箇所まで薬剤が届いてくれるのか。

 それは大事なことになる……けれど、もう一回分割(・・)を挟もう。

 

「じゃあ薬剤Pは心臓に存在する受容体を標的にするとしよう。そしてそれは腸から吸収されて──血管を通り(・・・・・)、方向としては心臓へ流れていくとしよう。これで問題はない?」

 

 腸で吸収した薬剤は、毛細血管に乗せられる。

 そして血流に乗せられて、経路的には心臓に辿り着く。

 これは当たり前のこと。心臓は全身に血液を送り届けるポンプであり、全ての血管に向かって血液を絶えず供給し続けているから。

 それは反対に、全ての血管は心臓と繋がっているということでもある。

 

 ユラリアは、しばらく考え込む。

 それから、自信なさげに発言する。

 

「血管に入った薬物全てが、心臓に行くわけじゃない……ですよね」

 

 ひねり出した解答は、正解。

 これは細かい話ではなく、真面目に必要な話だから。

 

「そう。全部が全部大人しく心臓まで送られてはくれない。考えて欲しい。仮に、毒を吸収した時に、それがそのまま心臓に送られてしまっては、とても困る(・・・・・)。そうは思わない? 何でもかんでも血流に乗せていたら、いつ異物が混ざるかわからない」

 

 腸での吸収は、厳密に毒と毒じゃないものを選別していない。取り敢えず雑に吸収してしまっている。

 まあ、実際はMDRって呼ばれる輸送体(トランスポーター)があったりして、これがある程度の毒性物質を吐き出してくれてはいるんだけれど……全然完璧じゃない。

 というかこれが完璧なら、今頃飲み薬という概念は絶滅している。

 

「その為に存在する臓器が肝臓。取り込まれた薬剤の多くは肝臓を一度経由してから、心臓へと向かう。それから肺を挟んで再度心臓、そして全身へっていう流れだね。この肝臓では『危なそうなもの』を無力化している。割と全般になんでもね」

 

 アルコールが肝臓で分解されて、みたいな話もこういうこと。腸で取り込まれたアルコールは血流に乗って肝臓で分解される。

 でも、肝臓が悪い……ちゃんと働いてくれないと、アルコールは肝臓を素通りして心臓へ。そして一度肺を経由してから再度心臓へ。そして、心臓から全身へと運搬されてしまう。そしてその全身(・・)というのは、漏れなく脳も対象範囲に存在しているわけで、というお話。

 

「じゃあ、肝臓はどうやって『危なそうなもの』を判断しているのか──この世には五万と毒性物質が存在する。それら全てをきちんと判別するようなハイパーお役立ち機能が備わっているのか。どう思う?」

 

 言葉を一度区切る。

 全体の雰囲気を眺める。前回ほど複雑なことを言っていないからか、困っている人はまだそんなにいない。

 

「取り込むと本当に困る(・・)か。それをどうにかして判断している。じゃあその基準とは何か──それこそ、油に溶ける(・・・・・)か。溶ければ危なく、溶けなければ危なくない。比較的ね」

 

 親油性、疎水性と黒板に書く。

 これがあるものを肝臓は危ないと判断する。

 

「油に溶けるということは、水に溶けないということ。君達も『水と油が混ざらない』という状況を経験したことがあると思うけれど……あれと、同じ。油と馴染むものは、水とは相容れない。で、肝臓はそういう『油と馴染むもの』を危ないものと判断する」

 

 リーシャが手をあげる。

 予想範囲内だね。自分の想定能力に自惚れたくなるくらい。

 

「じゃあどうして、油に溶けるものは危ない(・・・)んですか? お肉とか、美味しいですよ!」

 

 私もお肉は美味しいと思う。

 けれど、これはそういう問題とはちょっと違う。

 

「逆に考えてみよう。油に溶けると何が困るのか。じゃあリーシャは、血液って油に溶けると思う?」

 

「思いません! 水には溶けますけれど!」

 

「ということは、油に溶けるものは血管中で血液に溶けない。だから、一つの塊になりやすい。これで何となく危なそう(・・・・)だという認識を持って貰えればいいんだけれど……ダメでも安心してもらっていい。もう一個あるからね」

 

 一つの塊になるということは、粘性が上がるということ。

 粘性が上がれば当然、血管か詰まりやすくなる。血液が全体的にネバネバし始めるからね。

 で、血管が詰まるとどう困るかなんて、考えるまでもない。

 

 まだ四肢でそれが起きてくれたらマシだけれど、脳近くや大動脈で発生しようものなら一発で大事故になりかねない。というか、なる。

 そういう理由で、『油に溶けるもの』というものは危険である可能性が高い。

 

 それとは別に、もう一つ。

 

「細胞の壁。あれは水には溶けない。というか、溶けてもらっては困る。かといって鋼鉄のような頑丈な金属で作られているわけじゃない。細胞膜の正体は、()である。つまり──」

 

「つまり、『油に溶けやすい』と細胞の中に入っちゃうかもしれないってことですか!?」

 

 リーシャが机を叩き、立ち上がる。

 

 またあの魔法陣以上に何か思い付くつもりじゃないよね……? 

 魔法史学のリードヴルム教授や、魔法陣学のソフィア教授に『何教えたの?』って、これ以上詰められたくないんだよね。

 

「リーシャが言ってくれた通り、細胞の中に入っちゃうと、人間はとても困る。要は魔法陣によくわからない異物が勝手に入って来てしまうわけだからね」

 

 一息ついてから、講義室を見渡す。

 前回の難易度から考えてもうちょっと減ると思ったんだけれど……どうして減らないんだろうか。

 いや、減らない分には嬉しくはあるけれど。

 あれかな。やっぱり、出席点に1割も配点を割り振ったからかな。

 個人的には全て試験でも良かったんだけれど。

 

「さて、そんな理由で肝臓君は雑に『油に溶けるもの』を『水に溶けやすくする』というお仕事をしている。で、このお仕事をする酵素達の総称をCYP(シップ)って呼んであげている」

 

 これは余談だけれど、そういう理由でCYP君は肝臓の中でも比較的『油と仲良しな場所』に存在する。

 油と仲良しな場所にいれば、『油と仲良しなもの』は近寄ってくるから──そこを狙い撃ち。よく出来てるね、人間。

 

 ちなみに、肝臓の中にある『油と仲良しな場所』……CYPが存在する場所は、sERと呼ばれている。

 

 和訳するなら滑面(smooth-surfaced)小胞体(endoplasmic reticulum)になる。

 そしてこの小胞体、記憶が正しければ和訳が問題になっていた。

 実際の見た目がたいして胞体(・・)じゃないとかそういう感じで。だから、和訳を変えようとかそういうお話が展開されていたはず。

 

「というわけで、こうやって肝臓で水に溶けるように変換されること──言い換えると、肝臓で代謝(・・)されることを、初回通過効果(First pass effect)と呼ぶよ。だから、この初回通過効果が強い場合、きちんと標的臓器まで行ってくれないことを示すわけだ」

 

 さて、じゃあ改めて。

 

「『ある薬剤Pは心臓の受容体に作用する飲み薬であり、消化液の影響で性質が変わらず、血流に乗って心臓に向かう経路が確保されている上で、肝臓での初回通過効果の影響をほとんど受けない薬剤である』。これで使用する上での問題はないかな?」

 

 ちなみに、現実問題として初回通過効果というのは基本的に避けられるものじゃない。

 ただ、肝臓のCYPにも限界があって処理できる分量にも限界がある。だから、肝臓で代謝される減少分を見越した上で投与量を考える。

 

 ああだから、腸での吸収部分とかも勿論同じ。

 結局、どれだけ投与したらどれだけ標的部位に届くんですかっていうのを考えた上で、投与量を考えなきゃいけないよね。

 

 と、一通り思考を巡らせてから生徒達の方を見る。

 まあ無から考えるのは難しいよね。一応リーシャに聞いてみて……おっと。

 

「ユラリア、どうぞ」

 

「その後、きちんと体外に排出(・・)されないと困ります。体内に薬剤Pがどんどん貯まっていってしまいますから」

 

 ……ユラリアが答えるとは思わなかった。正直。

 でも正解は正解だし、むしろ驚くほうが本人に失礼だから、そういう感情はなるべく隠して。

 

「その通り。薬剤はきちんと排泄されないといけない。さて、これで四つ揃ったかな。薬剤の動きを考える時に重要な観点が、ここまでにあげた四つ」

 

 それぞれ吸収(Absorption)分布(Distribution)代謝(Metabolism)排泄(Excretion)

 それぞれの頭文字を取ってADMEって呼ばれたりもするくらいには、重要なこと。

 

「きちんと吸収されてくれるか。きちんと血流に乗って標的部位に分布してくれるか。きちんと肝臓での代謝で消えてしまわないのか。きちんと排泄してくれるのか。どの程度、それらが上手く行くのかを考えないと薬剤使用量を考える上で問題が発生してしまう。そして、これからは四つをまとめてADME(アドメ)って呼ぶから宜しくね」

 

 さて、これで薬物動態の基本は終了。

 というわけで応用も兼ねて、少しだけレクリエーションを。

 

「投与した量のうち、どれくらい血流に乗るか──即ち、全身循環に乗るかの割合を、バイオアベイラビリティと呼ぶんだけれど。これが1である……つまり、投与した分量と全身循環に回る分量が同一の手法ってわかる?」

 

「はい! 血液に直接混ぜてあげればいいと思います!」

 

 その通り。まあこれは聞くまでもないことだけどね。

 全身循環に乗せる為にはどうすればいいですか? という疑問に対して、全身循環中に薬剤を入れればいいじゃんっていうだけ。

 

「じゃあ次の問題。わざわざ座薬って種類が存在するのは何故だと思う? 普通にあれと同じ成分のものを経口投与しちゃいけないの?」

 

 まあこれは解答が直ぐに出てくるものではないことは、重々承知している。

 この世界ではそこまで人体解剖が盛んなわけじゃないからね。知られていない事実も沢山ある。

 

「消化管の最後の方──直腸から出ている静脈の一部は、肝臓へ向かわずに肺へと直接向かってしまう。だからこそ、肝臓での代謝……初回通過効果を受けずに心臓へと向かう。だから、あんまり代謝されないってメリットがあるからだね」

 

 普通、大腸の最後──直腸で栄養は吸収されない。

 栄養は基本的に腸管の最初のほうで吸収されて、大腸で吸収されるのは基本的に水分くらいなもの。

 だから、肝臓は通らなくてもあんまり問題ない……ことが多いとかだと思う。まあ、意思を持って生物が進化しているわけじゃないから、結果論だけども。

 

 ただ、そういう理由で大腸ガンでも発生部位によって転移しやすい場所が変わったりする。

 ガンっていうのは血流に乗って転移することが結構あるから、大腸の中でも前半だと肝臓ガンに。一方、後半だと肝臓を通らず心臓経由で肺へと向かい、肺ガンとして転移する頻度が高い。そんな感じの豆知識があると嬉しいよね。

 

「教授! それなら、全部座薬でいいんじゃないですか?」

 

 理論上はね。でも、単純に私が嫌だよ。気分的に。

 確かに飲み薬より座薬のほうが同量での効き目は良い。肝臓で代謝されないから。

 でも、気分的に嫌だ。

 

「座薬、そんな毎日使いたい? 例えば『一日二回、座薬を使用してください』って表記されている薬剤を使いたい? 『一日三回、経口で摂取してください』って書いてある同効果の薬があったとして」

 

 そして、この気分的問題というのは結構重要な問題になる。

 回数が多い、とか手順が面倒とかになると、薬剤を使われる側はとてもイヤ(・・)になる。

 

 例えば『一日三回飲んでくださいと言われる薬剤で、昼飲むのを忘れた』とかは頻発する事故だし。

 物によって一日三回どころか、六回とかいうものすらあるけれど……そういうのだと、余計に飲まなくなる。そして飲まなくなるということは、治療されなくなるということ。

 

 それを一概に患者の怠慢だ、と無視してもいいんだけれど──でも事実、面倒ではある。

 そして取り除けそうな障害であれば、取り除いてあげたほうが良いにきまっている。

 

 頻度は少なければ少ないほうがいいし、注射や座薬よりは経口投与のほうがいいし、更に贅沢を言うなら経皮膚──皮膚にペタッと張るだけでいいなら、なお良い。

 

 最悪なのは、病院でベッドにくくりつけられての二十四時間点滴。

 患者は病気を治療される為に生きているわけじゃない。日常の生活をするために生きている。社会的生活を健やかに送る為に治療されに来ているわけであって、治ればいいわけじゃない。

 

 そういう流れで考えれば、薬剤の使用者側の負担は考慮に入れるべき指標である。

 まあそういう綺麗事とは別に、無駄使いとか薬剤の廃棄とかあると経済的損失が大きいからってお話もあるけれど。

 

「私はいいですよ! 効くなら嬉しいですから! それに、治る以上贅沢言ってる場合じゃありませんから!」

 

 リーシャが良くても周囲の人が良くないんだよね、残念ながら。

 事実、周囲の人は首を横に振ってるし。ユラリアとか特に強く。

 

「でも、現実問題嫌がる人は多い。だから色々気にしたほうが、上手く(・・・)行く。販売側としても沢山売れたり、無駄が減ったりっていうのも含めてね」

 

 そして、上手く行かなくなった時が一つの限界でもある。

 

 とまあ、話題が薬学っていうよりは違う方向に進んでいきそうなので軌道修正。

 

「さて、もうちょっとだけ肝臓での代謝について深掘りするよ。『油に溶けやすいもの』は肝臓に存在するCYPによって、水に溶けやすくなる。そう言ったけれど……これを逆手に取る薬剤もある。そういうのをプロドラッグと呼ぶよ」

 

 つまり、肝臓で水に溶けやすくなることを前提に調剤された薬剤。

 更に言い換えれば、肝臓で『水に溶けやすく』なるまでは薬剤としての機能を持たない──肝臓での代謝を受けることで、はじめて機能を持つようになる薬剤のことを、プロドラッグと言う。

 

「故に、プロドラッグはそうじゃない薬よりもバイオアベイラビリティが高い傾向にあり……そしてもう一つ。血中濃度が低くなりにくい。だから、効果が長続きしやすいんだね。もちろん、それが良い方向に働くことも悪い方向に働くこともあるけれど」

 

 一回毒だと判明しても、取り返しがつきにくくなるっていうことでもあるから。

 

「こんな感じで、薬剤作成側は色々と足掻いて、なるべく使用者の負担を減らそうとしている。実益と良心、どちらの観点的にもそっちのほうが良いからね」

 

 で、TS薬はどうなるかわからないんだけど。

 使用者が私だけの場合、定期的静脈注射とかになっても甘んじて受け入れるしかない。

 

「じゃあ、折角だし今日の課題(ミニレポート)は、この工夫に関することにしよう。『血中濃度がすぐに低くなる薬剤』──すぐに代謝・排泄されてしまうような薬剤があるとしよう。まともに効果を発揮させようと思ったら、一日に二十四回経口投与みたいな服用方法になってしまう薬剤があるとしよう」

 

 まあこんな薬誰が使うんだよ、って話だね。

 おちおち睡眠も出来ない。

 

「この薬剤を、何とか改善出来ないか。『経口投与のまま、何とか常識的な服用回数に抑えることは可能かどうか』──これを題材としよう」

 

 ちなみに、私が用意している解答は徐放剤。

 腸で薬の成分がゆっくりと溶け出していくタイプの薬剤のことを、徐放剤だったり徐放錠って呼ぶ。

 

「さて、じゃあ本日最後のお題。CYPについてもう少し詳しく見て行こう。明らかに薬剤を作成する際に気にかけなきゃいけない酵素だからね。肝臓にある『油に溶けやすいものを水に溶けやすくする』酵素っていうだけじゃあ、ちょっと味気ない」

 

 ちなみに、実際CYPは色々やっているし、かなり無差別に働いている。

 

「さて、私はCYPを敢えて酵素達の総称とご紹介させてもらった。これは、CYPの中にも沢山あり、それぞれ担当している物質が違うからだけれど……実のところ、五種類位で薬剤全体の75%くらいを代謝している。だから、思ったよりもCYPは非特異的に(なんでも)代謝してくれている。一種類だけでもね。後、CYPはP450とも呼ばれるから。どっちで表記してもいいけれど、どっちも同じものをさしてるよ」

 

 シトクロム(Cytochrome)P450の略称だからね。

 450は種類数とかではなく、吸収光のピークらしい。まあ気にしなくていい事項。

 

「さて、薬剤の投与量を考えるにあたって肝臓での初回通過効果を考えるのはとても重要だって話はした。それが意味するのは、CYPがどれだけ働くかっていうことを勘案することがとても重要だということ」

 

 まだそんなに難しい話はしていない。

 要は、CYPによって代謝されること前提に薬剤投与量は決められているということ。代謝されることを期待して、と言ったほうがいいかもしれないけれど。

 

「さて、じゃあようやく具体的薬剤を一つ登場させよう。ワルファリンという名前の『血液をさらさらにする薬剤』がある。どうやって血液をさらさらにするかは、そのうち止血の仕組みとかと一緒に学習することになるから後回しにさせてもらおう」

 

 一応、VKORC1という酵素に働くって話くらいはしてもいいんだけどね。ビタミンKエポキシドレダクターゼ-1。

 ワルファリンはこの酵素に働き、ビタミンKの活動を抑制する。

 そして抑制した結果、ビタミンKの働きによって作られる血液凝固因子が作られなくなって、血液凝固が起きにくくなる──即ち、血液がさらさらになる。

 

 そう。だから納豆と一緒に食べないほうがいいみたいな話に繋がってくれるわけで。

 納豆はビタミンKを沢山作る効果がある。

 だから、折角ワルファリンでビタミンKの活動を阻害しているのに、納豆でビタミンKを増やしちゃったら、わざわざワルファリンを飲む必要がなくなってしまう。

 

 まあ、だから実はワルファリンと納豆の食べ合わせは無意味なだけで毒ではないって見方も出来る。

 無意味だし、ワルファリンの処方でもお金かかるからドブに捨てている感じはするけれど。

 

「このワルファリンは主に(・・)CYP2C9と呼ばれる酵素によって、肝臓で代謝されている。つまり、CYP2C9とかによって代謝されることを前提に投与量が決められていることになる」

 

 もうちょっと詳しく話すと、ワルファリンにはS-ワルファリンとR-ワルファリンが含まれている。

 S-ワルファリンは主にCYP2C9に、R-ワルファリンは主にCYP1A2やCYP2C19と呼ばれる酵素によって代謝されている。

 ただ、S-ワルファリンの方が数倍作用が強いから、ワルファリンの効果について見る時は主にCYP2C9についてを見てあげることになる。

 

「一方、アミオダロンと呼ばれている抗不整脈薬……心臓のリズムを整える薬剤があるんだけれど。これは同時に、CYP2C9という酵素の働きを阻害をしてしまう。さて、じゃあアミオダロンとワルファリンを同時に使っている人は──ユラリア、どうなる?」

 

 情報は全部伝えた以上、ユラリアならちゃんと答えを出してくれるという信頼感があるよね。

 

「アミオダロンによって、CYP2C9の働きが阻害されるので、ワルファリンの初回通過効果……肝臓での代謝量が減少します。つまり、血中に流れるワルファリン量が増加します。習った言葉を使うなら……『ワルファリンのバイオアベイラビリティが増加する』でしょうか」

 

 もちろん、正解。

 ただそれだけじゃない……というか、ワルファリンが体に沢山流れたねって言うだけで終わってくれるなら、何の問題もない。

 

「そして、最終的には血液がさらさらになり過ぎる……とでも表現すればいいのでしょうか」

 

 その通り。何の文句もないね。

 

「つまり、怪我した時に血が全然止まらなくなるってこと。ちょっと紙で切っただけで、数十分間血が出続けたりね」

 

 ちなみに出血時間の測定方法は、一応ある。

 耳朶に小さな傷をつけて、30秒ごとに清潔な紙を押し当てて……血が付着しなくなったら終了。

 5分以内に止まっていたら、いいんじゃない? って感じ。

 Duke法だっけ。そんな名前だったはず。

 

 まあ、この雑さだからある程度の目安だけど。

 

「このワルファリンとアミオダロンのように、薬剤は飲み合わせることによって副作用が発生する場合がある。『アミオダロンは心臓のリズムを整える薬剤である』と習っても、それ以外の効果が発生する可能性はちゃんと存在する。だから、それらをちゃんと理解する為に──ちゃんと、薬剤の作用機序は理解しなくてはいけない」

 

 例えば、さっきの生徒達への説明だとワルファリンと納豆の組み合わせが無意味(・・・)になる理由がわからない。

 

「ああ、そうそう。これは薬剤同士の話に限らない。例えば、好きな人はそこそこ好きなグレープフルーツジュース。あれはCYP3A4と呼ばれる酵素を阻害してくれる」

 

 だから、と一度区切って。

 

「心臓の過剰な働きを抑制する薬剤であるベラパミル──これはCYP3A4で代謝されるが──それをグレープフルーツジュース愛好家に使ってしまえば、もしかすると過剰な心機能抑制が起きてしまうかもしれない。わからないなんて事が発生すると困るから、言い換えよう。それらの飲み合わせによって心停止(・・・)のリスクが発生してしまう」

 

 ちなみに、実際ベラパミルという薬剤の併用注意欄にはしっかりグレープフルーツジュースと書いてある。

 

 

 故に。薬剤を使用する時はよく考えなくてはいけない。

 ADMEを。そして、使用者の日常生活を。

 どんな薬剤を使用していて、どんな食生活を送っているのかを。

 

「もう一つ、話を続けよう。例えばワルファリンと、イブプロフェンという鎮痛剤を併用したと考えよう。この二つは、どちらもCYP2C9により代謝される薬剤である。即ち。同時に服用すると──どちらの薬剤も『思ったより代謝されず』、効果が過剰に出てしまう」

 

 地球ならば、まだいい。

 それらがきちんと説明書に記されていることが多いから。

 新薬の開発がニュースに流れてきた時に、作用機序や代謝機構なんて気にせずとも説明書には全てが書いてある。

 併用禁忌。併用注意。用量用法。そういったものが全て記載されている。

 

 だが、この世界は違う。

 説明書なんてない。どこにも。

 

「故に、我々はこれから学ばなくてはいけない。如何なる作用機序によって、薬剤は働くのか。如何なる代謝機構によって、薬剤は代謝されるのか。そして──如何なる『作用(・・)』が薬剤に、隠れているのかを」

 

 つまり、だ。

 

「留意せよ。薬剤とヒトの全てに」

 

 生理学や薬理学という学問は複雑である。

 人体という複雑な化学反応の集合体全てを解析しようとしたら、当然それは複雑怪奇なものになる。

 だが、それを解析しなければならない。

 

 

「──じゃあ、定刻だから。また来週」

 

 

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