人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

みろくの夜明け前-19 生あるもの必ず滅し、形あるものは必ず壊れる

 仏教の教えに【生あるもの必ず滅し、形あるものは必ず壊れる】があります。これ自体は平家物語の【諸行無常】を引き合いに出す方が多いのですが、本来は仏教の根本思想で中国の宋時代の仏教書【景徳伝灯禄】には、お釈迦様の入滅に際して沙羅双樹の下で説かれた説法の言葉とされています。

 

諸行無常は【流転(るてん)】として説かれ、類語は輪廻

 

 流転とは仏教の用語で、六道・四生の迷いの生死を繰り返すこと。生まれ変わり死に変わって迷いの世界をさすらうことを指します。

 仏教における四生とは、胎生(母などの胎内で育てられる人や哺乳類)。卵生(鳥などの様に卵から生まれる)。湿生(湿った空気によって生まれるもので、蚊、魚、蛇、蛙の類とされています。現実に見ると蛇や蛙は卵からですが、仏教では「湿生」として説いているなのです。蛇や蛙などが住む世界は湿地帯と言うことなのでしょう。そして残るは【化生(けしょう)】です。

 その【化生】とは、自分を産む母親たる存在を持たず。卵から孵らず。忽然として生まれ出て来るものとされます。仏教では仏や菩薩が人の姿をして現れることも同じ【化生】と呼んでいます。

 霊的世界に関わっていますと如来とか菩薩の姿をした方が、突然に出て来るがあります。だがそれは霊的世界の認識があれば、単に霊人たる神仏の姿を見ている。出会っているであって、存在しない物を見ているでは無いのです。

 

 私は幼少の頃から誰に教えられるではなく【神】の存在を認識しており、その神とは【宇宙創造神】と呼ばれる様な神で有り、自分自身が神霊世界の修業に入り出会って来た伊勢神宮に鎮座される御神霊とか大国主命様とか豊受姫様とかの諸々の神達。仏教における如来とか菩薩とか明王と名乗られる諸仏にも出会って来ましたが、そうした神霊達のことでもありません。私にとっての神とは、この宇宙を創造した大いなる意識体たる神のことだからです。

 

私は死後の世界や霊魂を否定する人を説得しません

 

そうした人を説得して迄、助ける必要そのものが無い

 

 大本教神諭に【人には誰にも守護神が一体は付けてある】と書かれていますが、人は死ねば終わりだと言う人達はそうした内容を絶対に信じません。そうした発言をされる人でも必ず守護神(霊)は付いています。その守護する霊の存在とは、その霊が居る霊界における段階の違いによって本守護神、正守護神、副守護神と呼ばれている霊が付いています。

 自分の肉体を守護している霊的な存在等は無い。死後の世界などは無い。そうした発言をするような人だと、その罪はその肉体を守護している霊にまで及ぶなのです。そこにはそうした霊界否定をする人に関しては、この世に生まれ出た肉体を守る仕事に就いた霊の守護の怠慢があり、それを赦して上げましょうとはならないのです。神様ありがとう。御先祖霊様ありがとうならば助けようもあるなのです。

 

肉体を守護する霊はこの世の幸せでなく、霊界を教える役

 

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声を聞いておりましたが、その名乗りが本当かどうかなどは解りません。調べようがありません。ただその霊は私に対して常に【人としての心の在り方】を説いて来ました。私が神霊世界に修業に入った後、多くの霊能者に調べて貰ったところ7~8名の霊能者から貴方の本守護神はウシトラ金神国常立尊様だと聞かされたなのです。

 私が神霊世界に修行に入った後に出て来られたのは私の家系の五代前の御先祖霊で、霊能力者の調べで日蓮聖人の御分霊であることが解りました。それは日本の新神道系の霊学の分野では【副守護神】格と呼ばれている霊的段階の存在でした。その日蓮聖人の御分霊は私の祖父が養子なので肉体の血脈は関係しませんが、その先祖霊は私を日蓮宗に導くのではなくて、大本教霊学にと導いてくれたのです。それによって日蓮聖人と国常立尊様との間には深い関わりがあるとも解りました。

 

 そうしたことから日本神道系の教団で説かれるところの正守護神(自己の前世の中で神上がりをした霊)が誰かも解りました。私は自分の肉体たる身を通して、日本の神道系の宗教で語られる本守護神・正守護神・副守護神の存在が確認出来ました。もしそうした論理が世に出ていなかったならば、私も輪廻転生の意味をよく理解出来なかったと言います。

 私は一部の霊能力者の方から貴方は【救世主ですか?】。そうした問いかけを受けますが、違いますと言います。何故ならば私は根本的に自分は死後の世界を信じないと言う人達を無理に説得して助ける必要はどこにも無いと思っているからです。その人が地獄のどん底に墜ちてから、助けてください。助けて下さいと泣こうが喚こうが、この世に出ておきながら神仏の存在を信じて来なかった貴方が悪いで終わりとするからです。

 

神仏を否定する者を、神仏が助ける必要があるのか?

 

 霊的世界に関わってると、腐った魂や破砕された魂に出会います。いくら輪廻転生が説かれていても、現実にはそうした魂の者達が居るなのです。全員が全員、輪廻転生の中に在るのではないと解ります。

 そうした魂が腐ったり捻れて破砕される段階に行くまでにしか、魂を助ける道は無いなのです。自分は死後の世界など信じません。そうした発言をする人まで救えないのです。救う必要そのものが無いのです。勝手に地獄でもどこでも墜ちて行ってくださいとなるのです。スピリチュアルで神は愛だから何をしても赦されるはあり得ないのです。

 本当の地獄界を見たならば、そこには貴方を救って上げましょうの言葉すら起きて来ないなのです。

 

 この世を冷静に見つめていれば、自分の目に死後の世界たる霊界は見えなくても、死後の世界は存在していると認識は出来ます。  ただ宗教の世界では永遠の仏陀などにほど遠い段階の人が自分は永遠の仏陀だと名乗ったり、その前世にイエスの時など無いのにも関わらず自分の前世はイエスだと名乗ったり、自分の前世は仏陀だったと名乗る者が出て来るのです。

 オーム真理教の開祖の松本智津夫は自分の前世は仏陀で弟子の上祐がみろく菩薩等と説いていましたが、きちんと調べればお釈迦様の弟子にみろく菩薩は最初から存在していなかったことは今日では調べれば解ることなのです。ルシファーの存在に関しても言葉の誤訳の間違いだと解っています。

 

 霊的世界では俗に仏の声が聞こえる者は千人に一人は有り。神の声が聞こえる者は万人に一人は有るとされます。そうした能力を持つ者が修業して、その中の千人か万人に一人程度、本物と呼ばれる者が出る。その者以外の自分には神仏が見えると言う者は、邪神の餌になるとされているのがこの世に関わる霊的世界なのです。

 為に本物と呼ばれる霊能者は極端に数が少なく。千人に一人在るとされる霊が見える大多数の段階で、何の修行も積まなかったスピリチュアル標榜では死後に天国界に渡る様な人など皆無とされているのです。その多くは【魔界】に墜ちて行くなのです。そして魔界とこの世の往復に明け暮れているです。魔界で魔術を学んでもさほど意味は無いでしょう。目指すのは魔界で無く天人界なのです。

 

魔界の魔術を学ぶのでは無く、天国天人界を目指す

 

 天国界に行くのも地獄界に行くのも、自己の魂の中の【良心神】の点数だと言われたならば誰でも納得が出来ます。誰しも自分の過去の行いを自分の良心に照らし合わせることは可能だからです。過去世の行いは【カルマ】なので、過去世の自分の罪は解らないがあります。ただこの世に生まれ出て来たことは、魂の自分は罪人なのです。未だその過去世の罪が解消出来ていないなのです。そこを仏教は【三時(過去・現在・未来)】の教えを説いてはいます。

 だがスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言っている人達は仏教の【三時】の教えも知らず。誰も良心神等言いません。言うことは【愛】のみ。何をしても神の愛で赦されるのだ!。人は誰でも愛と憎しみの相反する性格を知ります。だがスピリチュアルでは愛の反対の【憎しみ】に関して言わないなのです。

 

神仏の存在を信じない者は、死後の世界で苦しむ

 

 しかしながら神は【正義】であり、神は【嘘をつかないもの】と思っていると、その足下をすくわれるのです。世に出ている神霊は全て正神界では非ず。逆に悪神とか邪神と呼ばれる神霊が多いのです。現在の神霊界そのものは、俗に創造神とされている木星のゼウス神(盤古大神)の力が弱く、力が強い神の【勝てば官軍、負ければ賊軍】の論理が支配しているなのです。

 巷には自分が創造神です。自分が救世主です。自分の前世はイエスです。自分の前世は仏陀です。そうした名乗りをしている方達が多数居られます。が、大本教の出口王仁三郎聖師の霊的次元段階を越えている人が一人も見当たらないのが実情なのです。ましてスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。そうしたことを言っている人達はほとんどが四次元中有界の話ばかりで、高次元霊界を何も語ってくれないがあります。

 

私達がこの世に降りて来るのは帰れば高次元界に行く為

 

この世は幸せを得る場で無く、魂を磨く為の場所の認識

 

 仏教の教えに【生あるもの必ず滅し、形あるものは必ず壊れる】があります。私達が持っている魂の漢字とは【ウシトラ(牛虎)金神の鬼が云う】の漢字になっていますが、魂は肉体をいくらレントゲン写真で撮っても写らない【玉形の思惟(深い考察力)】で、霊媒系の方が撮る写真には魂が写し出されるがあります。その玉自身が【色を持った光の丸い玉】であり、霊能力者はそうした霊的玉を肉視で見るのです。自分にはそうした世界が見えないからの全面否定は、その魂が【硬直】しており捻れて破砕される方向性が強いとも言えます。

 この魂(玉思惟)とは、人の母たる存在から生まれ出るでなければ、卵から孵るでも無く、仏教で【化生】と呼ばれる如来や菩薩が人の姿として世に出て来た類いなのです。

 一部の優れた霊能力者はこの世は魂の刑務所(更生場所)と言われますが、人の魂の本質はそうした如来や菩薩や神的な魂なのです。だが天人界や神界で罪を犯して、その魂を更生させる為に人や動物などの肉体に生きることを罪として余儀なくされているなのです。魂としての命=肉体の命では無い。魂と肉体は別の命なのです。

 

この世での肉体が終われば、魂は神本来の世界に還る

 

が、魂を汚すと元の世界に還れず、この世の輪廻に入る

 

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【人はこの世の僅かな時間に刹那心(今が良ければそれだけでよい)に溺れてはならない。刹那心に溺れると、永遠性の命を持った魂を腐らせる。】と幾度も忠告を受けました。

 

 死後の世界などは無い。それは個々の考え方であり意思ですから、神とてそれに干渉は出来ないのです。だが人は死ねば終わりだと思っていた道に、死後も生き続ける道がある。その時、生きている自分に【迷い】の流離い(さすらい)の道が起きるのです。

 

自分が好きな道を行くは、創造神から流離(さすら)いの道 

 

 人の魂はこの世の物質体には非ず。この世の【生】では無いのです。為に仏教の【生あるものは必ず滅し】に該当せず。この世に形あるものではないので必ず壊れるではないのです。

 大本教から【人は霊(ひ)止(と)である。】と画期的な教えが出されましたが、この世の物質体を魂の人形として【宿り】に利用しているなのです。

 

 

 

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