本当の明けましておめでとうございますはみろくの世
大本教からみろくの世の到来の宣伝がなされました。そこには【いろは歌】が出され、続いて岡本天明師から【ひふみ歌】が説かれました。その流れは【あいうえお】による【一輪の言霊の秘密(経緯)】の紐解きにつなげてあったと言えます。それは日本語による【言葉の仕組み】を理解させる為とも言えます。
そのみろくの世には半永久的な命を保つ魂が授与されます。これまでにスピリチュアルが大好きなオーブ玉。それに希に写される魂の写真もあげましたが、今の魂は腐ったり捻れたりします。魂に【死】が存在するのです。今の魂では永遠性はありません。そこで永遠性の魂に【切り替え】が用意されるのですが、それは宇宙人とかそんな存在には出来ません。宇宙そのものを創り出した【創造神】と呼ばれる神の手によります。
新しい魂の授与は牛虎たる創造神によってなされる
魂の件は別にしても、みろくの世はどんな暮らしの世界なのかが解らないと、誰もが【不安】になります。そんな世界、本当に行っても大丈夫なのだろうか?。です。
各種の予言をしてそれが現実となった大本教から、みろくの世は石臼で引いたような均一の世界と出されました。しかし均一の世界はある意味不可能なはずです。何故ならば人の魂はロボットの様に均一に製品化されたものではないからです。人には個々にしたい【欲】が違います。個性があってこそ【人(霊止)】なのです。人は欲を否定されたら動かなくなります。全て均一化という個性の無い世界など、創ったところでそもそも意味が無いと言えます。
すると、石臼を引いたような均一世界は別の意味か?
大本教から【五六七】と出され、岡本天明師の日月(ひふみ)神示でも【五六七(みろく)】と出されたように、それは霊世界の五次元、六次元、七次元の意味が含まれていて、五次元世界と七次元世界では違っていて当然です。それを均一とはあまりにも不自然な神示と言えます。
特に日月(ひふみ)神示には、遊んでいたい者は遊んでいても食べさせる様な内容が書かれています。単純な人だと、それはいい世界だ!。だけで終わってしまいますが、天から必要な物が全てが降って来るのか?。となります。だとすればそれはいったいどこから出て来るのだとなります。
私は疑うのではなくて、その【道筋】を知りたい
イエスが見せたとされる空から食べ物が降って来た話は、霊界を見聞して来るとこの世のどこかに有った物を霊的パワーで瞬間【物質移動】をさせるです。それはインドのサイババが日本のテレビクルーの前で日本のセイコー社製の腕時計を霊界からの贈り物として取り出したことと同じです。そうしたことは稲荷神界でも見られるので、どうもそのこととは違うとなります。
全ての人が遊んでいて【みろく世】が成り立つか?
私にその意味が理解出来なかったのは、イエス神話にあったと言えます。人は空から降るそうした現ナマを受け取ると、天国とは働かなくても豊かに暮らせる社会だと、概念的な教えに嵌まってしまいます。誰もがどうして空からそうした物質が降って来たのか?。そのメカニズムまで考えないからです。
私は実際に霊界を見聞見させて貰うことで、イエスが死後に上空に飛びだった光景のメカニズムが解りましたし、ファティマの奇跡とされる太陽がグルグル回る現象を多くの人か視認した奇跡に関しても、某スピリチュアル教祖の元ではその多くの信徒がそれと同じ様な太陽経験をしていることで解って来ました。そのニセ太陽の正体とそのメカニズムです。
それは集団で太陽を見るのではなく、それ以前に自分が【霊界の太陽】を見る。その霊界の太陽は何を意味しているのか?。それを知る必要がありました。ファティマの奇跡と呼ばれる現象はそこに居た全員がその太陽を見たのではなくて、見えた人と見えなかった人が居たことは報告されています。ラップ音にしても、ラップ音が聞こえている人と聞こえていない人があります。それらは霊的に見える人は見て、霊的なことが見えない人は見ていないはずなのです。
霊的世界が見せて来るそうした奇跡的なことは、そのメカニズムが解って来ると成るほどとなります。それらは【奇跡】では無いのです。霊的世界からすると【物理】として解るものなのです。そしてスピリチュアルとは実に低い世界に関わっているかも解って来るわけです。
スピリチュアル標榜で創造神を知るのは難しい
だか天国世界を知るならば、そうした与えられる世界では無く、天国天人達は誰もが【働く】ことに喜びを得ています。すると?となります。
世界の貧困者に対して食料援助を行っている機関からは、援助だけをしていると人々は働かない様になってしまうと、逆効果が指摘されています。昔、山田太郎さんが歌う新聞少年という歌謡曲がありました。当時は貧しい家庭の子供達は結構皆働いたのです。そうした貧しい環境の中から育った多くの人が大成されています。
ところが今は貧しい子も金持ちの子も一緒だという概念論ばかりが走っています。それはこの世が何の為にあるのか?。その根本が解っていないがあります。はっきり言って、今日まで金持ちの子で世に大成した人。偉業を為した人など僅かです。ほとんどの金持ちの子は甘やかされて育って、魂的にはダメになっているのです。犯罪に走るが多いのです。
イエスの有名な教えに、【金持ちが天国の門をくぐるのは、針の穴に駱駝を通すようなものだ】がありますが、金持ちだから天国には行けないのではなく、その人の行為の結果ですが、自分は金持ちだと貧乏人を人として見ない見下した態度、そうしたことが天国の門を閉ざすなのです。金持ちでも天国に行ける人は行けます。但し、その数は少ないなのです。
今日まで【みろくの世】が到来すると各所から宣伝されて来ました。魂にとっても一番重要な意味合いを持つのは人の身と同様に、その世界における【衣食住】の問題です。それが神社と呼ばれる様なさほど大きくない霊の集合組織体であれば問題が無いかも知れません。だが種々の考えがある広大な霊世界となると、?マークが付きます。
私は自分が【みろく世の到来】の宣伝ばかりをしていても、どう考えてもみろく世界のシステムが解らない。不思議に思っていました。それらの神諭や神示を読みますと、どんな場所でも【指導者(リーダー)】的役割を持つ人だと、【あり得ない事が書いてある。】と、逆に不安になります。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その声の主は私に一度足りともその力を見せて貰えませんでした。言われることは【私はそなたに何の力も与えない。そなたに私の力を与えるのは最後の最後の時である。】だけでした。そんな言葉は信じられるものではありません。嘘八百かも知れません。だがその声が告げた【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】で、この日本に満ちあふれている日本語の仕組みでその神の教えを知ったなのです。
私は希にみろくの世とは、共産主義とかマルクス・レーニン主義の様な世界ですかと尋ねられることがあります。資本主義は人に【貧富】の差をもたらします。それは天国天人世界の様とはかけ離れています。その時、共産主義ではなく【協賛主義】と答えていました。が、自分でそう言いながらその【協賛主義】のイメージが掴めていませんでした。だが【協賛】主義までは解っていたのです。
私は小学生の頃は旧約聖書の神と称する声からの教えは聞いておりましたが、【嬉し嬉しの新しい世】がどんな社会の仕組みかは教えてもらえませんでした。が、小学生ながら非常に引きつけられたのはロバート・オウエンが唱えるところの理論で【空想社会主義】と言われているものでした。現実には不可能な考え方と言われて【空想】だとされたものです。
空想社会主義、またはユートピア社会主義
この空想社会主義とは、マルクスやエンゲルからするとまったく【空想】の産物に等しいことを言っていると批判されたわけです。で、ロバート・オウエンは空想の社会主義者として世に知られるなのです。
しかしロバート・オウエンによって【協同組合】が成り立ったのです。この流れがソビエトの様なマルクス共産主義とは違う西洋の【社会主義】を生み出したとなります。ロバート・オウエンは【イギリス社会主義の父】と呼ばれていますが、【揺り籠から墓場まで】です。何故にその【理想郷】は失敗したのかとなります、そこには【通貨と税】の問題があったのです。これは【盲点】だったと言えます。
北欧三国はそのロバート・オウエンの社会民主主義の【揺り籠から墓場】までを政策としていますが、その為の【税金】は収入の半額位を持っていかれます。それは国民の一人一人がそれに納得しているから出来ることです。この日本でそれをしたら、その政権は持たないでしょう。そこに住む人達が納得しないと、その社会全体が混乱を来たします。
驚くべきは、みろくの世には通貨や税が存在しない
通貨や税が存在しない世界?。など、それは物々交換の世界かと思ってしまいますが、物々交換の世界ではないのです。だがその世界を今の世で創ろうとしてもそれは不可能です。この地球に住む人達の【意識】がそれを邪魔をするからです。私がそのシステムの概要を説いたところで、それを理解出来る人がどれほどいるかです。まず理解に至る人そのものがいないでしょう。
最近、元ZOZOの社長であった前澤さんが【税金】のない世界を創りたいと言っておられましたが、その【税金】か無いのです。税金が無ければ【公務員】を雇うことも出来ません。警察官はどうする。消防官はどうするとなります。世界には莫大な石油収入から国民に対する税が無い国家はありますが、通貨は存在して来ます。そこには外国からの【物流】の問題もあるからです。これは一国で出来るようなシステムではないのです。地球規模で実施しないと出来ません。
私はそのシステムが解らずに今日まで来ました。ここに来てようやくそのシステムが解ったなのです。なるほどこれが石臼を引いたような均一世界のことか、遊んでいたい者も好きなだけ遊んで暮らせばいいかなのです。
だがそれには何故創造神が【良心神】の組み立てをされて来られたのか?。それが理解出来ないであれば、いくら説いても理解は出来ないでしょう。これはマルクスとかエンゲルとか学んできたら逆に思いつかないものなのです。
為にその制度の世界は、今の世の改革では絶対に出来ません。大本教神諭に神が原始時代に戻すことは簡単なれどとありますが、この制度は原始時代からまたもや初めるでは無理なのです。新しいプログラムで組み立てた世界に、今の人類の一部を移行させるより方法としては無いでしょう。
人類を新しい世界に【移行】させるが神の【意向】
ただそれは創造神は全人類を救うではなく、選抜式にならざる得ないのです。それは通貨を持たない世界だからです。その世界には【我れよし。自己本位。自己中】の者を入ると、社会のシステムそのものが機能しなくなります。そうした者達が社会そのものを虫食むからです。蟻の一穴で頑強な堤防も崩れてしまいます。
蟻(義を無視した者)達は、みろく世には入れない
そうなりますと、新しい世に進む者達と今の世に残る者とに選別しなければなりません。為には【二つの地球が要る】。そこに私の様に【新地球論】を説く者達が必要ではあったなのです。
それが大本教神諭に【我れよし。自己本位。自己中】の者に対する戒めが説かれたのであり、スピリチュアルのように【神は愛だから何をしても赦されます】とか【魂磨きは辛いから捨てましょう】などを言う者は一人とて【みろくの世】には行かせないとなります。為にスピリチュアル標榜者は誰も【みろくの世】を言わないとなります。
何故にその新地球に渡る者の選抜の基準が、どうして良心神かなのかです。
自分のことよりも、世の為に人の為に働く喜びが要る
弥勒の世には我れよし自己勝手、自己中は不必要です
大本教神諭が出された時、人類は【3分】になるという神示が出されました。一般的には人類は1/3に成ると解釈された節があります。大本教の出口王仁三郎聖師はそれは3割でなく3分とされていることから、たった3パーセントなどあってたまるかと獅子奮迅の活動されたがあります。
だが出口王仁三郎聖師はこの世を去る少し前、開祖(出口直)が言われた3分とは本当に3パーセントであったのかも知れない。今やその3パーセントも危ない。2パーセントあるかないかだです。それは終戦間もない頃の話です。当然にそれは今では更に落ちているとは言えます。
新地球論者の間では新地球に渡れるのは何とか1パーセント程度には漕ぎ着けたと言われていましたが、それは新地球に行けることが既に確定した魂の数と言えます。まだこの仕組み、私達の想像外にあるからです。全てが終わってみないと、本当のところは誰も解らないなのです。
今は僅かな人数でも、やがて魂の【大洗濯】で増える
創造神による魂の大洗濯は事前に魂の【洗濯】をしていないと、大変苦しいことになります。私は【天の岩戸】に隠された光を一部垣間見て、こんな恐ろしい光が出て来たならば諸神も人も悶(もだえ)苦しむ。なんとかこの光に耐えられる道がないかと模索して来て、その光に耐えられるのが【良心神】だと解ったなのです。
それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が、【この私が筋書きを書いたこの世の終わりの舞台。全ての物語が終わったならば、そういうことだったのかと神々や人民にも解り。この私の筋書きに拍手喝采をするだろう。この神が筋書きを書いた舞台。舞台に上がる役者も筋書きを知らず。そなたも筋書きを知らずに演じることになる。】と告げられているからです。
私自身不思議であったのは、より多くの人を【みろくの世】に渡すのであれば明治時代に立替を断行した方が、遙かに多くの人を助けられたからです。世の中は科学が発展して便利な世にはなりました。だがそれに反比例して多くの人の魂が魂磨きを忘れて中有界に留まり、地獄界にと歩き出してしまったからです。
別に地獄界と言っても、鬼がその罪に対して【責め苦】をする世界ではありません。一部の霊能力者が【大都会の風景】だと言う様に、洗練された大都会的な風景が展開して来ます。
地獄は大都会の風景でも、それを【穢土】と言う
一部の方も語っているように【天国は農村の風景】であり、【地獄界は大都会の風景】です。大都会を【穢土】と言うのは、霊的に見ると全てが凄く汚れているのです。霊的な大気も汚れているのです。一方の天国界は農村で語られるのは全てが【澄み切っていて汚れがない】からです。
地獄界の特徴は、住民全員が【自己勝手、自分本位、自己中】の人ばかりなのです。為に住人同士の【争いが絶えない】世界なのです。その世界にはその時には【誠の人や義の人】は一人も存在していないのです。何故ならば誠の人や義の人は新しい天地に移っているからです。
穢土の世界は暴力に弱い人は虐げられ、暴力を振るう力の強い者が勝つ世界です。つまり暴力の【鬼】が絶対なのです。自分の暴力が弱ければ、強い者に虐げられて働かせられる【弱肉強食】の世界です。皆がブラック企業の様な会社で働かされて、その富は一部の者達が持って行くです。
スピリチュアル標榜者はその力が強い者が勝つ【弱肉強食】の世界で、愛だ!。愛だ!と叫んでいただく為に、皆さん地獄界にと向かっておられたのです。そしてあるスピリチュアル教祖は、自分は地獄界に落ちるが自分の信者を全員地獄界に連れて行き。その地獄界でその信者達を奴隷として自分の王国を創ると言っておられた意味も、自分の王国建設の為のものだったなのです。そんな人のどこに【誠】や【義】があるかとなった時、どこにも無いわけです。ただ少しばかりの奇跡に踊らされて、その人を創造神だとか救世主だと思って付いて行くです。
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達にはそうした思惑があり、【みろく世】行きを拒否されていたことの背景には、石臼で引いたような【均一】の世界は望んでいないがあったなのです。自分が上に立たないと気が済まない。皆と同じでは自分のプライドが傷が付くからです。
みろく世の地獄界は、強い者が勝つ【弱肉強食】の世界
新地球に向かわなければ、そうした力が強い物が勝つの獣の論理で走る者達に従わなければなりません。しかも【永遠】にです。私はそんな世界は永遠に遠慮したいなのです。ですから私はウシトラ金神(閻魔大王)・国常立尊(旧約聖書の神)に従って行きます。
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