前回のブログで私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【神の舞台に上がる役には善役も悪役もある。悪役も見事に演じきれば次の舞台で善役にもする。神の舞台が終わった時、悪役であった者はその化粧を落とさないと行けない。もし悪役の化粧を落とさないのであれば、次の舞台は無い。】と告げられたことを書きました。
そうしたことが岡本天明師の【日月(ひふみ)神示】に書かれる【悪も抱きまいらせそうろう】にはなるのですが、日月(ひふみ)神示は大本教神諭を超えている内容ではありません。それは【九つ花】に何も言及していないことからも解ります。大本教神諭に出された九つ花を理解していないと致命傷になります。みろく大神とウシトラ金神の連動性が解らなくなるからです。そこに有るのは単なる神示ではなく、神と呼ばれる存在のスケールの大きさが解るかどうかです。
大本教神諭を知らずして、日月(ひふみ)神示のみに走れば神の存在の大きさが解らなくなります。
日月(ひふみ)神示にはさほど重要な内容は書かれていません。大本教神諭の二番煎じの様なものです。大事なことは大本教から【いろは】が出され、岡本天明師から【ひふみ】が出されたなのです。日本語における【いろは】とか【ひふみ】が何を意味しているかなのです。次に来るのは【あいうえお】です。そこに秘められているのは【言霊】の存在なのです。
神の高山説で説かれる次元界説では、邪神や悪神も六次元界までは存在すると言われており。そこに第六天魔等も語られています。単にみろく(五六七)の次元界だけではまだ悪神達が入り込みます。スピリチュアルは四次元スピリチュアルと呼ばれているように、六次元界の邪神や悪神に懸かられば赤子同然です。そこで一度、神の舞台そのものを閉めて、新しい神の舞台の世界に向かうとなります。
次の弥勒世の舞台は、悪の演技の必要も役者も要らない
為に悪の化粧を落とさないと、次の舞台には立てない
これまでは悪を演じていた神達も、その悪役の化粧を落として貰わなければなりません。もし悪役の化粧を落とせないとなれば、この地球に留まってくださいとなります。スピリチュアルで説く【この地球が自然に五次元界に上昇してみろくの世で何の心配もいりません。】ではないのです。
この地球が五次元界に次元上昇(アセンション)しようがしまいが、悪(灰汁)を洗い流さないとみろくの世には行けないのです。人が悪に走る主たる原因は、魂が汚れから【黒】化することなのです。それは本来の【黒】色ではなく、汚れから黒く見えるの黒色なのです。黒龍神と呼ばれる存在にも二種類あり。本来の黒龍は正神ですが、ほとんどの人が見る黒龍神とは汚れから黒色に見えている存在で邪神界なのです。スピリチュアル標榜であれば、本当の黒龍神を見るはないでしょう。本来の黒龍神は次元が高いからです。
私が旧約聖書の神と称する声から告げられた、その【悪役もその化粧を落とさないと行けない】の時期が来た模様です。
通常【神】の字は「かみ」と発言します。言葉を示す申すです。また霊界エネルギーとして【火水】で「かみ」と言います。そして人間界よりも【上】の世界で「かみ」です。他に創造神たる神ではないが、この地球を守ったり、地球の環境や自然、個々の人に就けてある守護神の【守】たる「かみ」もあります。また一つの道を極めた【匠】の「かみ」もあります。さらに【紙】も「かみ」ですが、聖書に【最初に言葉は神と共にあった】とありますが、その言葉は【紙】に示さないと解りません。また創造神は全ての【氏の糸】につながるのです。そうした中で、どうして【髪】で「かみ」と言うのか?。私もそこは不思議に思っておりました。
何故坊主は髪を剃り、牧師も頭の頂点の髪を剃る?
仏は髪を剃ることで神では無いが神を汚さないか?
それは聖書に不思議な内容があるからです。【ハゲは貴方の罪では無い。】です。ハゲは女性ではなくて主に男性に頭に起きることですが、どうして神たる存在がわざわざ人の頭の【ハゲ】を語る?。それは【髪】に関してか?。です。
頭のハゲは肉体の遺伝的性質にしか過ぎません。ハゲだからと言って神に背くではありません。それは【神】と【髪】が連動した言葉だとは解りますが、しかし英語だと解らない。どうして日本語は【神と髪】は同一発音なのか?。疑問に思っても詳しい理解には至っていませんでした。
つい最近ある霊的映像が出て来て、ようやく言葉の意味の一つと解りました。
頭(かしら)たる神(髪)を選択(洗濯)しなさい
私は旧約聖書の神と称する声から、【この神を唯一神と仰ぐ者達は永遠に嬉し嬉しの世に渡すが、この私を唯一神として仰がない者達とは永遠の別れをする。】と告げられました。魂が今の地球に残る派と、新しい地球に行く派です。しかし、旧約聖書の神だけを唯一神として仰ぐことが絶対【条件】とは、これもまた意味が解らない言葉でした。
私は日本人です。この日本で西洋でいくら【旧約聖書の神は唯一神】だとされていても、イエスの教えではさっぱり読み解けません。イエスを見て、創造神を見よ?。創造神と呼ばれる神の存在を一人の人間の肉体を通して見るなど無理です。またイエスよりお釈迦様の教えの方が遙かに優れているのは一目瞭然だからです。そのお釈迦様の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する】であったと解った時、ようやく【唯一神】の意味が解けたなのです。
ただ【人に内在する】だけでは、お釈迦様の悟りは小乗の教えだと批判されて、良心神が何かを理解していなかった者達による大乗の教えに消されてしまいます。そして見事に消されてしまっていたのです。それが大乗による多種の仏の現れです。
私は如来像や菩薩像に宿った霊達ともチャンバラをして来ました。そうした偶像に宿る霊をいくら拝していても、解りようがなかったわけです。そうした偶像に宿った霊達には霊力があり。病気治しをしてくれる。現世御利益をくれる。それは悪いではないとしても、いったい【人は何の為にこの世に生まれ来たのか?】。そうした意味を見失わせるです。
旧約聖書の神は何をもって、唯一神と言われたのか?
大本教神諭には【この神が世に出ている神達を誑かして使って来た。】とあるわけですが、神の世界の舞台。自分が知らず知らずに悪神役を演じて来たがあります。その悪神役を演じて来た【頭たる神は、その汚れた役を洗い流しなさい】と言うことです。
個々の魂に神(髪)の選択(洗濯)をする時が来た
髪の漢字は【長い友】の意味と言われていますが、その友の漢字は【祓】の右側でもあるのです。秀でた霊能者はこの世は魂の刑務所で人と言う【型】に入れられたとまで言われます。地球という星の下に魂の汚れを【祓】う長い輪廻転生の旅をして来たです。私は【髪】の漢字を見ていて、どうして【長い友】なのかと首を捻っておりました。
私は伏見稲荷山で修業のお世話になりました。その稲荷山で使われる【稲荷大神祕文】を読みますと、【それ神は唯一にして、御方なし。虚にして霊在り。天地開けて国常立尊と拝し・・・・】と書いてあります。稲荷大神祕文には唯一神とは国常立尊様であると書いてあるのですが、ところがその国常立尊とは【何者?】と言っている著名な稲荷神がおられました。
この御神霊、伏見稲荷山ではトップ級の人気神で大勢の人がその元に参っておられます。非常に現世御利益の力が強くて人気なのです。配下に多くの龍神や白狐を引き連れておられます。が、豊受姫からはこの御神霊の生前は【元は法華行者のくそ坊主】と聞いております。稲荷神には過去世で人であった方や狐霊であった存在もあります。
豊受姫から【くそ坊主】と言われるぐらいですから、生前は生臭坊主だったのでしょう。が、修行で法力を積んで死後にその霊力で神霊にと進んだのでしょう。人々から現世御利益を求められて、それだけに働く。それは別に稲荷神だけではなく、多くの神社の神霊がそれに陥っておられます。ただただ自分の力を人々に見せつけるです。そこには何の【真理】も出ていないです。大衆は【真理】などは求めないと言われれば、その通りでしょう。誰も【真理】など求めてもいません。
私はヒンズー教の奥義書とされるヴェーダー典に記載される【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験して、【真理】とは何かと雲を掴むような中を来ただけです。その時にお釈迦様は【真理】を悟られていたがイエスは【真理】を悟らなかったと感じて、お釈迦様とイエスの教えの差の中に【真理】が埋没していると調べて来たなのです。
日本の神道界は、拝むが主体で神の教えが出ていない
今の神霊世界は、霊力さえあればのしあがれる
稲荷神界でも上に立つ稲荷神がその状態ですから、末端の白狐達の段階に行きますと【国常立尊】とはまったく理解が出来ていない霊が大多数となります。
私は大本教神諭の【世の立替があることはどの神もご存じなれども、肝心要のことが解っておられない】で、神々はその【肝心要】だけを知らないのかと思っておりましたが、国常立尊と呼ばれる神の存在すら、世の立替論もまったくご存じない神達に、これはどういうことだとなってしまいました。
当然そんな状態ですから、スピリチュアルから【世の立替論】など何一つ出て来ません。
これでは大本教の世の立替など、本当に起きるのか?
私が教えを受けた二人の師匠は、どちらも世の立替がある派であり、最初の師匠は豊受姫の御代でしたからそうした話を豊受姫から直接に聞いておられました。人類は三次元世界には生き残らないです。霊界に入るです。2番目の師匠はその祭神は【国常立尊】と称している神仙界の仙人でしたので、当然に【神仙界】は立替があると見なしているとなります。
だがそこには神界の仙人と言えども本当の【国常立尊】様の姿が見当たらないことから、そうした名乗りをしたと推察出来ます。優秀な霊能力者からは大本教からは本家本元たる国常立尊様は出てはおられない。大本教は【予告の為の教団】だと言われます。
予告がされた以上、本家本元の国常立尊様は出られる
それは大本教で演じられた様な【人型】ではなく、宇宙規模の大掛かりな物と言えるでしょう。私はその表現がぴったりなのはノストラダムスの【恐怖の宇宙大王】の表現だろうと見ています。何故そうしたことを言うのかと言いますと、霊界には【映像】があり、その時は私達は見たことも聞いたことも無い恐怖の中に追い込まれるからです。
その本家本元とされる【国常立尊】が世に出られてから、私が悪うございましたは通らないのです。ですからその前に【改心】せよ。改心せよと宣伝しているなのです。
人は誰しも夢を見ます。そうした夢は【潜在意識】から来ることは知られています。潜在意識とは【霊界】なのです。その夢には【正夢と逆さ夢、予知夢】があることが知られています。その中で西洋では言われないことですが、日本の有能な霊能者からは夢は別の【日本語】に置き換えないと意味が解らないと言われるがあります。
夢の世界では、別の日本語に変換させるで意味を知る
全ての人ではないでしょうが、トイレの夢を見る方はあるでしょう。これをトイレと言っていると意味が解けません。これは【便所】とすると意味が解って来ます。人の魂を【浄化】する【人の更生場所が便所】の夢なのです。ですから霊媒体質者は他人の霊の汚れを受けて【下痢】を起こすとなります。宗教団体は型として【便所】と出て来るのですが、その宗教団体が信徒の魂を浄化する教えの団体であればそれは綺麗な便所で、単に信者を集めて金儲けをしているような団体であれば汚い便所として出て来るがあります。それも一種の【型】と呼ばれることです。
夢には【浴場】が出て来るもあります。こちらは【魂の表面の汚れを洗う場所】の意味です。これを【バス】と言っていても意味が解けなくなるのです。便所は魂の中の浄化であり。浴場は魂の表面の汚れを洗い流すです。
悪を落とすは【浴場】で、自分が【裸(ラ)】となる
浴場と欲情?。過度の欲情は魂の汚れなので洗い流す
スピリチュアルと違って行者は【谷水(浴)】に打たれたり、浸ったりします。それは別に肉体の汚れを洗っているのではなくて、自己の肉体の中に存在している魂の汚れを洗い清める為にしているのです。それを【禊ぎ】と言ったり、【滝行】と言ったりしているわけです。しかしそれは行が意味する【中身】を伴っていなければ、単なる【形骸化】した形の行に過ぎないわけです。
私も瀧行は積んで来ましたが、それで【悟り】に至るではありませんでした。
人は【欲】が無ければ働きません。欲があるから他人より頑張る。努力する。欲は不必要な物ではなくて必要なものです。魂の修業場とされるこの世で無欲であるならば、ただ生きているだけなのです。それとも遊び惚けるかです。スピリチュアルのこの世は遊ぶところです。楽しむところです。そんな言葉を真に受けていると、案内されるのは地獄界となります。
しかし、余分な【欲】を持つと【谷水】で洗えなくなるのです。【無欲】は魂を汚さないとしても、魂の【成長】が出来なくなるのです。
創造神は魂の成長の為に、【欲】の悪も許されて来た
そこに悪神の改心は、単なる善神よりも上回るがある
大本教神諭に【神も時節には敵わない】がありますが、ウシトラ金神国常立尊様でさえ、その時期を待たなければならなかったなのです。いよいよ【みろくの世】に至る夜明けが近づいて来たので、悪の元となる汚れを洗い流しなさいです。
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