霊的世界とは自分に天使や神と称する存在が自分に降りて来る。そうした事柄を言われる方が大多数でしょう。確かに霊的世界を知る切っ掛けとしては、そうした名乗りをするが霊と呼ばれる者が自分に語りかけて来る。その姿を見せて来る。その存在が予知的なことを告げて来たら、その内容が当たったがあります。それを切っ掛けとして霊的世界に足を踏み入れるは、その通りです。そうした霊的な事柄が無ければ、人は誰も霊的世界に足を踏み入れるはありません。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、大人になると神の存在などすっかり忘れていました。だが重なる不思議な出来事。そして極めつけは昭和五十五年に私の身に起きた出来事、自分の目は開いているにも関わらず、真っ暗闇の中に落とされて。地獄の底からかと惑うような実に恐ろしい霊の声に震え上がって、神霊世界に修行の足を踏み入れました。
人が霊的世界を知る切っ掛けは、自分に霊が臨んだから
最初に霊的世界に足を踏み入れると、予感とか予知能力が発生して来ます。その頃は誰しも自分が予知した出来事が当たります。そこで有頂天になるが起きます。為に自分に臨んで来た霊の正体を確かめようともせずに、その霊の言葉を鵜呑みにするです。霊界で集団で【オレオレ詐欺】に近いことをする霊達の存在は、ほとんど世に語られていないからです。
そのオレオレ詐欺の霊集団の中で、自分は天照大御神役とか天使長ミカエル役とか分担して来るのです。その集団が大きければ大きいほど霊界での力は強いとなります。今の霊界では勝てば官軍。負ければ賊軍の論理しかないからです。
何で未だ来てもいない先が解るのか?。驚きの始まりです
私が神霊界修業のお世話になった最初の師匠は、豊受姫の女性の御代としては№1とも№2の呼び声が高かった方です。未だ童女の頃から白狐達と遊んでいた方で、白狐からの【転生】組と言えました。その予知能力は群を抜いていて、多くの人がその童女に先のことを聞きに来ていたなのです。またその祖母は盲目の霊能者で、当時その地方では有名な霊能者だったなのです。
多くの白狐が【稲荷神】として小さな祠とか神社には鎮座しています。そこは単に死ねば【中有界】に入る人達とは違って、霊界での地位が高いと言えば少し高いわけです。
自分には白狐や座敷童子が就いていると言うのは、一般的な方の霊段階よりは少々高次元の霊界がその方に懸かっているということにはなります。しかしその霊段階を越えて、更に上の霊的段階を知ることは難しいとなります。何故ならば白狐達も上の霊世界に進む為の修業をしている段階だからです。未だ高次元霊世界のことを知る段階ではないからです。
白狐も座敷童子等も全て霊界修業を積んでいる段階
世の大立替を宣伝した大本教の神典の中に、【国常立尊の世の立替に白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕する。】があります。しかし私自身は稲荷神霊界で修業を積んでいて、多くの白狐が【邪神界】に存在するを知りました。そのことに対して私がお世話になった豊受姫は、【白狐の半数は邪神達の支配下にある】と言われます。大本教以後、稲荷神界は国常立尊系と思われていた節がありますが、稲荷神界の半数は既に反国常立尊系となっているなのです。
稲荷信仰をする者であれば【稲荷大神秘文】と呼ばれる祝詞を使いますが、その祝詞には【夫神(それかみ)は唯一にして。御形(みかた)なし。虚(きょ)にして。霊有り。天地開闢(あめつちひらけ)てこの方。国常立尊を拝し奉れば。天(あめ)に次玉(つくたま)。土(つち)に次玉(つくたま)。人に次玉(やどるたま)。豊受の神の流れを宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)と。生出給(なりいでたま)ふ。】とあります。稲荷大神秘文は唯一神は国常立尊ですと言ってはいるのです。
しかし行者の世界で反国常立尊派で知られている稲荷神の○○大神など、世の立替を言ったら【そりゃなんじゃ。国常立尊などと言う神など知らぬ。】とまで言われます。この御神霊は伏見稲荷山では著名な神です。その神が【国常立尊】など知らないとまで言うのです。
伏見稲荷山でも国常立尊系と反国常立尊系で入り乱れています。私はこんな状態で、本当に大本教が告げた白狐は下郎の役で奉仕するの【世の立替】などあるのだろうかと疑念を持ったほどです。下郎役の白狐達を押さえきれていないからです。
そこに実際に豊受姫と呼ばれている女神を見たことも無い学者筋は、豊受=国常立尊説などを打ち出されています。祝詞だけを見れば、そこに豊受とあっても豊受姫とは書かれていないからです。だが日本の神社を回っていますと神社に掲げられる神額には豊受で無く豊受姫と書かれているものがほとんどなのです。その豊受姫の夫に豊受と名乗る男神などは存在していないなのです。私はその豊受姫と関わって、豊受姫の本来の夫神たる御神霊が誰であるかを知りました。それは驚くべき事柄でした。それはほとんどの稲荷行者と言えども知らぬことです。
この豊受姫は稲荷行者でも簡単に拝謁出来ないことは知られています。為に稲荷行者だからと言って実際に【豊受姫】を見たことも無い段階の行者であれば、豊受姫を姫としてあるにも関わらず男神だと思い込んでいる方達もあるにはあります。いくら行者でも誰もが高次元霊界に関われるではないからです。
日本における伊勢神宮の内宮は【天照大御神】。外宮を【豊受姫】とするのは、そこに神界の深い仕組が存在しています。今の伊勢神宮に鎮座されている天照大御神とは有能な霊能力者であれば【男神】だと指摘されますが、それは神の世界の【型】を示す関係からと言えます。
伊勢神宮は厳霊の天照大御神と瑞霊の豊受姫で型演じ
この型の基本は、大本教の三代教主【出口直日】さんと三代教主補であった【出口日出麿】師がその型を演じておられます。但しそれは型の演じであり、両名ともそれに該当する魂ではなかったなのです。この型の仕組が解らないと、次の【第八の世(みろくの世)】の意味が解らないようになっていたのです。
私は自分が霊媒体質者であり、大量の不浄霊に懸かられると太陽を直視出来ることを知りました。それが解ったことで大量の不浄霊に懸かられると、目を瞑って太陽の方向に自分の額に太陽の熱を受ける様にして、天津祝詞や天照大御神、惟神(かむながら)霊幸倍坐世(たまちはへませ)と唱えています。天照大御神と唱えているのは太陽そのものを神として向かっているからです。伊勢神宮に鎮座されている人霊のことを言っているのではないのです。
すると額の【第三の目】とされる場所に入る光が一段と威力を増して自己の体内に入り。自分に憑依していた不浄霊が消えて行くに従い、その額から入る太陽光線が弱くなって行きます。為に今度は太陽を直視すると自分の目の網膜が焼かれてしまいますので、顔を太陽から背けて目を開けるとなります。この術は太陽光で自分の目の網膜を焼く危険性があるので注意が必要なのです。為に祝詞や神号奉唱をしないで、ただ単に太陽に額を向けているだけでは光の熱は増しません。祝詞や神号奉唱をすることで解るのです。霊の憑依を受けて苦しむことが無い方には無縁の術と言えます。
霊の憑依で苦しい時、太陽に向かうで祝詞の意味が解る
これは夜の真っ暗闇の中で【霊界の太陽】を見るのとは違うのです。霊能力があるからで霊界の太陽とは見えるのではなく、本人自身が神霊世界の【入り口】に到達していないと霊界の太陽は見えるものではありません。自分に霊界の太陽が見えないは、未だ本人が神霊界には到達していないなのです。この霊界の太陽を大本教の出口王仁三郎聖師は【天照大御神】と残しておられます。伊勢神宮に鎮座されている人霊はそれとは関係ないのです。伊勢神宮の人霊は日本の総氏神たる立場の存在です。
また不浄霊の憑依を受けている時に神棚で拝していると、祝詞などでやはり自分の額の【第三の目】の目たる部分に光たる熱が入って来て、その不浄霊から受ける苦しみが緩和されるはありますが、太陽から受ける光と【神棚の神霊】から受ける光とでは段違いの差があるのです。
私は本人が霊媒体質者で不浄霊の憑依で苦しんでいる方には、この太陽を拝む方法を薦めています。それを実践されている方達は、不浄霊の【憑依】を受けている時と憑依を受けていない時では太陽から来る熱がまるで違うことを実感されています。ただ霊媒体質者でないと、その差異は解らないでしょう。
スピリチュアルで神は愛だから何をしても赦されます等と言っている方は、何故に不浄霊が多数居て、霊媒体質者に憑依してその苦しみを除去しようとしているのか?。何も解っていないなのです。もし何をしても神の愛で赦されるのであれば、不浄霊など最初から存在して来ないなのです。
最近、私は【アレッ】と気づいたことがあります。憑依霊の浄化で太陽から来る光線が以前の光線とは違っていて、まるで突き刺すような痛みを伴っていることです。この10月頃から変化した様です。
その光線の違いは、西暦2021年の秋から変わった
それは私以外の霊媒体質者の方も気づいておられるがあります。昔の太陽光線とは明らかに違うです。それは霊界で光の裁きが入り出したのではないかの疑問を持たせるのです。それは霊が見えるとかではなく、自己の体内で不浄霊を浄化している霊媒体質が感じるのであって、スピリチュアル標榜で感じるではないのです。
太陽光線が変わるなど、誰も予言すらして来なかった
ただそれは霊を浄化する霊媒体質者だけが受ける感覚で、全ての人がそれを感じるではないでしょう。が、それは西暦2020年初頭からの地獄の釜の蓋開け(パンドラの箱開け)。それらと関連している可能性は高いと見るべきでしょう。今回のコロナ菌騒動で陽性者と一緒に密室の車の中でマスクもせず長時間居ながら、神霊に守られて居ると思われる方だけは感染せず。他の全員はコロナ菌に感染した事例がありました。
そうしたことに関して一部の霊能者の方から、もう【みろく世に入る開門】がなされたの話があります。みろく世に渡る人とそうでない人の線別(選別)は既に起きている可能性は見られるのです。だが最終の【本番】はもう少し先でしょう。未だ間に合うと言えば間に合うなのです。
私は朝鮮に残されていた予言。最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えが終わった後、天罰が降りる。その米の教えに従った者の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上に天罰が降りるとあって、【米】一字の教えとは何だろうかで、大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】からお釈迦様の悟りで五六億七千万の仕組を秘めた米教を説きました。みろく(369)大神です。だが、その米教は霊学シリーズとして最後のまとめをして名実共に終わりました。
ただ、朝鮮に残されていた予言の【米】一字の教えの後に来る天罰から人類が救われる【白十字】が何か?。それを未だ完全に知るではありません。未だ未だ解説が出来る段階ではありません。しかし【米】教は教えとしては終わりました。
私個人の教えとしての【米】教は終わりましたが、この先も個々の人が【米】の教えを学ぶことで【国常立尊】様には繋がっては行きます。それはモウ間に合わないではないのです。何故ならば大本教神諭にある【野に落ちた米粒は、一粒だに救う。】があるからです。個々に【米】粒の者になっていただければよいのです。不思議なことに【粒】は米に立つです。
そこにはトドメノフミにあります。一厘ある米と一厘が無い米とでは大違いだからです。
私自身、自分は神が敷いた線路を歩かされている者と思っています。その線路の行く先に何が見えるのか?。それはもはや大本教の予言には無い出来事に入るからです。
これから先は【白十】字にと向かわなければならない
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