私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その声は、【私はアブラハムの神であり。そなたの神である。】とは言われましたが、イエスの神であるとの発言は一言もありませんでした。逆にイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えていけでした。
私は日本人であり仏教徒です。それに日本の神社である氏神さんには手を合わせていましたが、キリスト教は私にとって無縁の存在でした。
日本の仏教も神道(八百万)の神達も、創造神とは無縁
仏教は仏道を説かれたお釈迦様の教えを学ぶです。日本神道は八百万(やおよろず)の神々を知ることです。当然そこには宇宙を創造した神の概念はありません。私は子供心に、そんな私にどうして旧約聖書の神と名乗る声が臨んできて、【人の心の在り方】に関して私に説くのか意味が解りませんでした。
私が神霊界に修業に入った間もない頃、豊受姫の御代をしていた師匠は自分の伏見稲荷大社講に所属しているその信徒さん達に、【○○(私のこと)さんは人の姿をしておられますが私達人間とは違って神その方です。神が人の姿をしてこの世に生まれて来ておられる。決して粗相がないようにしてください。】と告げたそうです。
されど、大本教の出口なお開祖、出口王仁三郎聖師は神界においては神たる立場の方でしたが、神界における罪の罰として【魂の流刑地】とされるこの世に降ろされたがあります。私自身神霊世界の見聞をして来て、数多くの神界で【天女】と呼ばれた方達が神界での罪により、この世に流されているを見て来ました。優れた霊能力者がこの世は【魂の刑務所】や【魂の流刑地】と言う意味は合っているです。そこに出て来る論理として、人としてこの世に出て来ることそのものが【罪人】だがあります。
魂に何の罪も汚れも無ければ、この世には出て来ない
この世で悟りを得たお釈迦様は、【自分は2度とこの世に出て来ない。】と言われたとされています。そのお釈迦様の悟りはお釈迦様の死後五六億七千万後に出て来る「みろく菩薩」迄解らないです。それにも関わらず、この世では【自分の前世は釈尊であった。】等と言っている方達があります。自ら自分は【ニセ者です】と言っておられるようなものです。その言葉に引っ掛かって、その方の前世が本当にお釈迦様だと思っている人達があります。何も学ばないでいると、この世ではそうした自称者に簡単に欺されてしまうです。
私自身、2番目の師匠が【自分は国常立尊の現身(うつそみ)】と名乗っていたことに欺された者ですから、人様に偉そうには言ってはおられません。私は何故にその方に欺されたのかと言いますと、その師匠が見せた【奇跡力】によって欺されたのです。人はどうしても【神=奇跡力】で判断してしまうがあります。奇跡を見せられたら、その人の背後に【龍神】や【仙人霊(天狗含む】が居る等、ほとんど世に知られていなかったのです。
神霊界が見せる奇跡を見ると、奇跡で正しい判断を失う
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神は、【私はそなたが本当は何者か。世に出ておられる神々には解らない様にしておく。働くの肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方である。肉体のそなたはバカを演じていればよい。そうであっても、そなたの背後にこの私が居ることを見抜けぬ様な神ならば、使い者にはならぬ神である。】と告げられたのです。
神界で働くのは私の魂で、肉体の私はバカで神では無い
私が旧約聖書の神と称する霊から告げられたのは、【そなたの教えを信じて、この私を唯一の神と認める者達はこの私が救う。そして永遠に嬉し嬉しの未来の世に渡す。そうではなく、この私を唯一の神と認めない者達とは永遠の別れとなる。】と告げられたなのです。
永遠の別れはインターネット上にある出所不明の文ですが【トドメのフミ】にもあります、【左様ならば、涙だ涙だでサヨウナラ】です。永遠に別れることが示唆されています。またそのフミにある【一厘ある米と一厘が無い米とでは大違い】とありますが、私は米から一厘の教えを出したのです。
自分には神社の神様が出て来られるで、【米】の教えをバカにされる霊能者の方達は多数おられます。しかし神社に鎮座している神々に【米】にある【一厘】が解る様な御神霊など、どこを探しても居ないのです。その米の一厘が最終場面では大きく物を言うのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたに何の神力も授けない。為にそなたはバカにされるであろう。私がそなたにこの神の神力を授けるのは最後の最後の時である。】と告げられました。何の神力も与えられていないのに、この神の存在を説けとは、ある意味無茶苦茶と言えます。また仮にその言葉が本当であったとしても、最後の最後の時に神力を与えられても何をする術も無いじゃないかとなります。人から見れば【あんたは欺されていますよ。】と言われても妥当です。
しかしなのです。
戦前の大本教は当時の日本政府から【邪教集団】とされ、国家から大弾圧をされました。そして多くの信徒さんが獄死されました。今日でも大本教は邪教、闇の勢力だとかオカルト等と激しく攻撃されている方達があります。が、そうした攻撃をする人達を見た時、【霊界】に対する認識がまったく無い人達ばかりと言えます。一人も天国界に向かっている様な魂を持った方が居ないなのです。ほとんどが落ちて行く先は地獄界としか見えないのです。
ひどい話になると、【大本教は富士山噴火を計画しています。】などのブログも発信されています。人工地震を起こしているのは大本教の【ウシトラ金神】だ。等です。今でも大本教は大変な濡れ衣を着せられているなのです。東日本大震災は【東北】で起きたから「ウシトラ金神国常立尊」の仕業の人工地震とか言いたい放題です。
確かに大本教系の流れを汲む各種の神示には、富士山爆発とか木曽御嶽爆発などの火山爆発とか大地震の予告がなされて来ました。しかしそれは国常立尊(ウシトラ金神)が邪神だから仕掛けているではないのです。大本教神諭に予告された【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組】の中で、モウこの地球そのものの環境が保たないのです。火山の噴火も大地震も起きて当たり前の状況が迫っているなのです。もうこの地球の将来は見通せないのです。
ただ、国常立尊様は世に出ておられる神々とは違って、未だ来ぬ先を見通すことが出来る神なので、そうした【予言】をされて来ましたが、そうした事態を自らが起こしておられるのではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師は、【広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海になる。その後に黒い雨が降る。】を予言されて、その通りになりました。
そうした事実に対して、【大本教の神は邪神だから、アメリカに原爆を造らせて、長崎や広島に新型爆弾を落とすように仕向けて、事前に予告した自作自演だ!】。そうしたことを言われる方達も世の中にはあります。
そこまで言うのであれば、伊勢神宮に鎮座している天照大御神がそれを【阻止】すれば良いのではないですかとなります。この日本を仕切っているのは大本教が予告した艮金神国常立尊様では無く、伊勢神宮に鎮座されている【天照大御神】じゃないかです。
神国日本の天照大御神が、アメリカとの戦に負けた?
私は伊勢神宮に鎮座されている男神の天照皇大御神に拝謁しましたが、有能な霊能力者ならば伊勢神宮には天照大御神として現れるのは男神と女神の両方があると言われます。一般的に伊勢神宮の祭神は日本神話に基づいて女の神様とするのですが、優秀な霊能者達は伊勢神宮の本当の神は【男神】だと言われます。豊受姫のお代をしていた私の最初の師匠も伊勢神宮の本当の天照大御神は男の神様ですと言っていましたが、私が拝見したのもその男の神様です。
が、男の様な衣冠束帯姿ではなくて女性の様な着物を着ておられて、その着物の胸には【金鶴】の刺繍が、着物の裾は金刺繍の【亀甲(きっこう)紋】だったので、それを見た私は【カゴメ歌】の鶴と亀が滑るのか?。逆に統べるのか?。籠の中の鳥とは何の意味かと探って来たのです。
通常の霊能力者やスピリチュアルだと伊勢神宮は女の神が出て来られるです。だがスピリチュアル標榜者だとその姿を見ても、誰も何故に神国日本はアメリカとの戦いに負けた?。そうした疑問を持たれないなのです。それは伊勢神宮に鎮座されている御神霊が、その程度の神力の持ち主だったからだとなります。私は伊勢神宮の御祭神を見て、これでは人類を救えないなと見たのです。人類どころか日本人すら救えない。
私の霊界修行は仏教では無く、【日本神道】界に入りました。私はその日本神道界に入って、日本神道界とは【旧約聖書】の世界かと思ったほどです。
そこには私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が告げた、【私の書は旧約聖書なれども、私の教えはこの日本にある。】の言葉の影響はあると思います。否、間違いなく影響は受けました。そうしたことがなければ日本人で仏教徒の家系でありながら、旧約聖書の神と称する声が私に臨むなど考えられることでは無いからです。
本当の旧約聖書の神の世界は、この日本の国にある
それは一部に言われる【日ユ同祖論】ではなく、数万年前に遡る霊的世界の映像からです。そうしたことは私自身が神霊世界に修業に入り、大本教霊界物語に触れなければ知る事も関わる事も思い出すこともなかったでしょう。
私は大本教霊界物語を読んだ時、私の遙かなる記憶の中に埋もれていた自分の過去がそこに書かれていることが解りました。私が大本教霊界物語の中に書かれるある地位にあったことは、天人世界を訪問したある超能力者が天人界で聞いた話が、回り回って私のところに来ました。
その方が天人から聞いた伝聞の内容は私には別に驚きではなく、どうして私が人に内在する良心神を説いているのか?。その意味をはっきりと理解させたのです。それは私は【天命】によって動かされている者だからです。
私の魂の遍歴はユダヤの悪鬼とされる神霊界勢力と、国常立尊様麾下の天使団の天使の一員としての戦いでもあったからです。それは今の世での出来事ではありません。霊世界と言えます。私はその戦いで負けた敗軍の将たる天使でもあったなのです。それ以後、この世に関わる霊界は名目主宰神は【盤古大神(ゼウス)】でも【ユダヤの悪鬼】の実質の支配下となったなのです。
日本神道とは、中国からの帰化人【秦氏】が持ち込んだとされています。その秦氏が中国から朝鮮半島を経由して渡って来た場所が、主に九州や出雲や丹後ルートだと言われています。私が住む綾部の古代名は【漢部(あやべ)】で、漢からの帰化人達が住み着いて絹織りに携わった地とされています。その漢人とは秦氏でした。それは古代の記録にもこの地での秦氏の名が残っています。
歴史を調べると、この秦氏は全国各地で【波多や波田や羽田や畑や幢】等に名を変えたなのです。私の姓名もその【波多】から変化した苗字だと解っています。また【幡多】氏は「八幡」にも変わって行きました。
私はその【綾部(漢部)】で育ったのですが、私が住む綾部は子供の頃は桑畑が一面に広がっていました。その川筋の農家では養蚕をしていました。綾部と言えば戦前は西日本最大の【蚕都】とまで言われていました。その秦氏が養蚕に必要な【桑】を求めて京都の方面に向かった地が【桑田郡(主に現在の亀岡市や南丹市)】です。
伏見稲荷大社の首座神は伊勢外宮の豊受姫でもありますが【蚕の神】ともされます。若狭湾沖に流れて行きます由良川筋を当たりますと、豊受姫を祭る幾つかの神社にぶつかります。綾部のみならず、その由良川筋は昔は桑畑ばかりでした。丹後(古代は大丹波の一部)と豊受姫伝説は切っても切れない関係があります。
私が住む綾部の考古学研究者は、京都に流れた【秦氏】は綾部(漢部)から向かった勢力が主体であったとの説を出しておられました。だが多くの学説は、九州の豊前国に入った秦氏が大和に入ったとしていますが、そこには【シルクロード】から見る観念が抜けていると言えます。シルク(絹)の道です。絹織物として丹後ちりめんの名が知られますが、その背景には丹後には【生糸】の生産があったなのです。
大陸から京都に入るのは、九州ルートより丹後ルートの方が遙かに近いのです。特に若狭街道と知られる若狭国から京都への街道は若狭の魚を京都に運ぶ最短路でした。別名サバ(鯖)街道と呼ばれており、足が速い若狭の鯖を京都まで運べたのです。それで京都の名物として今日も【鯖寿司】が有名なのです。
京都に入った【秦氏】の一派が住んだ場所が【太秦(うずまさ)】で、秦氏はその姓名を変えて京都朝廷内に入って行きます。それらは奈良朝時代とされます。そして秦氏によって京都には伏見稲荷大社を初めとして、幾つもの大社が建立されたです。全て秦氏がなにがしか関わったものです。日本神道とは秦氏を抜いては語れないのです。
この秦氏とは中国人ではなく、イスラエル系のユダヤ人であったとの説もあります。この秦氏の宗教は中国では【景教】と呼ばれていたのですが、この景教はキリスト教で異端とされた【ネストリウス派】だとされています。
しかし秦氏が日本に渡来を始めたのは応神天皇(八幡神として神格化)の時代の応神14年の記録がありますので西暦273年となります。中国にキリスト教ネストリウス派が入ったのは西暦635年で別名【ペルシア(イラン)】教と言われていました。すると秦氏の日本渡来と年代的には合いません。
しかしながら、その秦氏をウィキペディアで検索すると何故か【ダビデ紋・六芒星】が出て来ます。日本でこの六芒星(ダビデ紋)が見られる場所がありました。伊勢神宮の内宮と外宮を結ぶ【御幸道路】の石灯籠に見られました。ただそれは伊勢神宮が建立した物ではなくて、どこかの団体が寄贈したものでしたが灯籠の倒壊で死亡事故が起きて、今は地震対策で全て撤去されたので見当たらないでしょう。
一部の団体はそのダビデ紋を豊受神の神紋としています
ただ日本ではそれをダビデ紋とは言わずに【カゴメ(籠目)紋】と言います。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私の教えは旧約聖書では無くて、日本の童歌(わらべうた)に秘めた。その中でも最も重要なのは「カゴメ歌」である。】と告げられています。
日本の霊能者達は日本のカゴメ歌を予言歌と見ています
日本でダビデ紋を【カゴメ紋】と言うのは、籠目の歌にある【籠の文様】であり、雄略天皇の時に伊勢の天照大御神が安らかに食事をしたいからと言って、丹後の与謝宮から豊受姫を外宮の神として迎え入れたのですが、その与謝宮とは大江町(現福知山市)にあった元伊勢宮説と丹後一宮の籠(こも)神社説があるのです。【籠目】紋から言えば【籠神社】の方となります。
私は霊的世界に関わっていて、伊弉諾尊が金色のダビデ紋。伊弉冉尊が銀色のダビデ紋を付けた洋装の衣服で出て来られた時、日本神道は旧約聖書と深く関わっていると確信をしました。
【PC上の色の出色は違っていても、私はデザイナーではないのでそうしたことで目くじらを立てないでください。】
私は伊弉諾尊と伊弉冉尊と思われる両尊から【ダビデ紋・カゴメ紋】を示されたことから、日本とユダヤの関係は遙かなる昔から繋がっていると確信したしだいなのです。
景教とは中国語で【光の信仰】と言う意味であり、中国における【大秦寺】を見るならば明らかにキリスト教とは形態が違っています。京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩像は知られますが、それを建立したのも秦氏とされます。そもそもキリスト教には【弥勒菩薩像】等と言う存在は無く、景教の別名がペルシア教であるならば、弥勒菩薩の存在はペルシア地方にあった【ミスラ神(光の司神)】が源と考えられており、キリスト教とはあまり関係性は無いと言えます。
しかし秦氏が【ダビデ紋・六芒星・カゴメ紋】の紋章に関係していれば、秦氏とユダヤとはなにがしかで繋がっていた可能性が出て来ます。
大本教霊界物語では古代ユダヤ人とは日本人とした
そのユダヤ人とは今のイスラエル地方に住む人達のことではないのです。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いてはおりましたが、その声は【私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号化されており、暗号を解く「鍵」が無いとその意味は解らないようにしてある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。私の教えは日本昔話や民話や童謡や諺(ことわざ)などに入れてある。私の教えは、この日本の中で事足りる。】でした。
私は日本神道の世界に入るまでは、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が日本書紀で宇宙開闢の神である【国常立尊】様のことであるとは解っておりませんでした。
ただ日本神道の世界とは世界の宗教から見ると【ローカル】宗教でしかありません。それはお釈迦様やイエスの様に高次元霊界から天下った魂による教えではなく、日本の【天皇家】を生き神様として仰いでしまったことに原因はあります。魂から判断すると、天皇家の方々は神たる魂ではないのです。当時の大本教は日本の国家神道と対立し、大本教の出口王仁三郎聖師が天皇に対する【不敬罪】に問われたのも、その一環でもあると言えます。
その時の天皇に対する不敬罪に問われた内容は、インターネットで検索すると僅かですが出ています。出口王仁三郎聖師は白馬に跨がって兵士に見立てた青年達を並べて皇居の前で閲兵をしたのです。白馬に跨がるとは、テレビの暴れん坊将軍徳川吉宗八代将軍とか北朝鮮の金王朝の首領様とかで解る様に、当時の日本では【昭和天皇】ぐらいのものだったのです。
白馬に跨がるとは明らかに当時の昭和天皇に【喧嘩】を売ったようなものです。一面やり過ぎの面はありますが、そこには【一種の予言】が含まれているのです。
王仁三郎聖師は、聖書の白馬に乗る存在を演じられた
人類が新地球に移る予告は新約聖書のヨハネの黙示録にしか記載はありません。先を見通すことが出来る旧約聖書の神(国常立尊)は、この地球の非常事態時には人類を高次元霊界に隠されていたこの地球と瓜二つの【新地球】に人類を移す大計画を準備されて、着々と実施されているなのです。そのヨハネの黙示録には白馬にまたがった霊人の存在があるのです。 大本教の出口王仁三郎聖師は、その霊人の【型】を演じたかった 。大本教の出口王仁三郎聖師には【型】を演じる役目があったなのです。
人類がその新地球に移行する承認は、天の神界における中心柱神たる【天之御中主】様も援助されているなのです。私が天帝とお呼びしているのは【国常立尊】様のことではなく、【天之御中主】様と呼ばれる方です。ですから大本教の出口王仁三郎聖師の【スの神】論では無く、天之御中主様を意味する【ラの神】論になっているのです。また大本教で国常立尊様を【国祖大神】としたのも、【天帝】その方の意味ではないからです。
私の元に来た質問に、【日月神示に、人民を助けたさに、このウシトラ金神が人民に成り代わって、天の大神様に日々お詫び申し上げている。】があるのですが、この大神様とは誰でしょうかの内容がありました。それは【天之御中主】様か。それよりも更に上位に在る【天之峯火夫皇大神】と呼ばれている神の可能性はあります。大本教では天之峯火夫皇大御神(天之御中主)と()書きをしています。この【峯】とは【蜂の夆で解るように、その出現から第八の世】となるです。
私が出した【米】の教えの内容にしても、【言霊】とは何ぞや!。が何一つ解らない。タダ単に自分は霊が見えているだけの低次元段階で【神の本質】が掴めない人達の攻撃に晒されてしまいます。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私はそなたには何の力も授けない。為にそなたをはな(端)からバカにする者達が多数出る。肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界で働くのは肉体のそなたではなく、そなたの魂(私の正守護神)の方である。そなたの背後に、この私の存在が見えないような者は捨ておけ。】でした。
いくら自分には霊が見えるでも、私の背後の神霊が見えない人達の主張に関わる余裕など私にはありません。これだけ言葉の仕組がなされているのに、通常の御神霊ではそうしたことが出来ないことが一向に解ろうともしない者達は、【後は野となれ山となれ】なのです。私は救世主等ではありませんので、そうした人達を救う力量も義務もありません。
ただ大本教神諭は、【野に落ちた米粒は一つだに救う。】なのです。米の教えの仕組とは、私達人間が考えているような物ではないとは言えます。
また、その旧約聖書の神と称する声は、【この私が書いた筋書きは、世に出ておられる神々や人民が知る様な事ではない。その筋書きはこの神だけが知っている。そなたも全ての筋書きを知らずに物事に当たらねばならない。全ての舞台が終われば神々や人民もこの私に拍手喝采である。そなたはこの神の舞台の全体の台詞(セリフ)回しの役目でもある。】とも言われたのです。
ただ、神の舞台の台詞を回すナレーター役は知識が必要
誰でも彼でも出来るという役ではないのです。
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