人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№93 待ちぼうけ待ちぼうけ。貴方の罪を免除する【免】と、兔(兎)ではどう違う?

 大本教から【世の大立替】論が出されましたが、いくら待ってもそんな事態がやって来ません。

 

大本教が告げたみろくの世への大立替とは、待ちぼうけ

 

 私は朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米一字」の教えが起きる。その米一字の教えが終わった後、その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでは無かった者達の上には天罰が降りる。が、その天罰の最中に「白十」字が現れて、米の教えに従わなかった者達も救われる。】とありました。

 誰が考えても【米】一字で教えなど出来ません。だが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】から、その【米】一字の教えが解ったわけです。大本教からは【みろく大神】が出されましたが、その【米】とはお釈迦様の本来の悟り【人に内在する良心神】を紐解かせる【369】と【五十六億七千万】と【第八の世の到来】を告げる仕組でした。

 大本教からは【みろく大神】が出されたわけですが、それは巷で自分は「みろく」ですと名乗っているような人のことではなかったなのです。しかし【白十字】に関しては、さすがに私も今日迄その意味が解らずに来ました。

 しかし朝鮮に残されていた【米】一字は朝鮮の人には紐解けなくても日本人には紐解けた。ならば【白十】字も日本人ならば紐解けるとなります。

 

 人の【胸の中】に存在する魂は、霊能力者であれば見ることが出来る方達があります。私は言霊師であった2番目の師匠から、おまえの魂を見せてやると告げられて、私の肉体に宿る魂を見せられました。美しい玉でしたが、その魂には大きな【袈裟懸け】に斬られた跡がありました。それは私が神霊世界に居た時、国常立尊様を引退させたユダヤの悪鬼と呼ばれる勢力との戦いによって、斬られた時に残した魂の傷跡だと判明しました。

 大本教からみろく世に渡る【水晶玉(魂)】が世に宣伝されましたが、そうした水晶魂は既に持っている方達が存在して来ます。その水晶魂にはいろいろな形があるようですが、そうした水晶魂の中には玉の内部に【白十字】が入った物が存在して来ます。下記はその見え方のイメージ。魂とは十人十色と言われるように、その性質において【色】は生じて来ます。要は魂の表面が水晶玉の様に汚れていないなのです。

 

 

 この水晶玉の中の【白十字】はどこから見ても、その白十字が正面に見えると言う不思議な特性を持っています。しかしながら、朝鮮に残されたいた【白十字】はこの意味ではないのです。【米】一字も【白十】字も、そこに日本語による【言葉の仕組】が秘められているです。

 

【白十字】の魂はあれども、人類を救う【白十】字とは?

 

 

 私は子供頃、旧約聖書の神と称する霊声を聞いていました。その霊声は【私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は「暗号書」であり、それを紐解く「鍵」が無ければ何人とて解けぬ。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。私の教えは世界のどの宗教書にも書かれてはいない。この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つ国であり、私の教えはこの日本の昔話や童歌や諺に入れた。そなたはそうしたものから私の教えを学びなさい。】と告げられました。

 特に重要な童歌として【カゴメ歌】と【通りゃんせ】が告げられました。カゴメ歌は霊能力者の方達からも【予言歌】と言われるように【予言歌】なのです。しかし、その解釈は非常に難しいと言えます。【鶴と亀】の意味は解っても【籠の中の鳥】の鳥の意味が難しいのです。この鳥に関しては【終焉の鳥】か、はたまた【不死鳥】とか【鳳凰】等の鳥が言われて来たのです。

 

 一応、私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】に関して、その仕組が【十里四方】の【十里(トリ)】の意味を含んでいることは解ったです。ただ【トリ】の言葉の意味には寄席や舞台の物語の終わりの【トリ】もあるわけです。

 また【肝裡(とり)】ならば、人の心の中。腹の内にある物を指します。人の肉体(籠)からその人の魂胆などを取ってしまうことも【とり(肝裡)】と呼べるわけです。

 朝鮮に残されていた予言には、【最後の審判前、救世の為に米「一字」の教えが起きて来る。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には「天罰」が降りる。その天罰の最中に「白十」字が現れて、そうで無かった者達もその「白十」字によって救われる。】とありまして、その意味では一番大事なことはその【白十】字の意味となります。

 

舞台の【終焉(終演)】を勤める者を【トリ】と言う

 

 この【トリ】を、大本教の出口王仁三郎聖師は遺文として【身の終わり(みのかおわり)の女子】と表現されたとも言えます。トリが飛び立てば、今の世は終わるなのです。

 

 鶴と亀は誰でも解るように鶴は千年。亀は万年の意味が含まれます。鶴と亀が【すべった】の意味は、鶴と亀が【滑る】なのか?。鶴と亀が【統べる】かのどちらかになります。カゴメ歌が予言歌とする霊能者にも、そのどちらかが解らないなのです。ただ後ろの正面とは鬼で【国常立尊】様だと見るのです。それは大本教が鬼としての【国常立尊】を世の表に出したからです。

 大本教の出口王仁三郎聖師は【亀岡の亀】の型を演じられましたが、大本教には【鶴】を演じられる女子が出なかったと言えます。ただ大本教神苑内の裏山である本宮山を【鶴山】と呼ぶことで、鶴の意味を秘めたなのです。大本教霊界物語はその本宮山に祭られた神は【豊国姫】としましたが、今の世の型であれば【豊受姫】に置き換えてもいいなのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師の説では、豊国姫ではなく豊受姫が本宮山のすぐ横を流れている【由良川】で水浴している時に松林に掛けていた天津羽衣を盗まれたです。その伝承が三保の松原に行ったです。今は由良川の側に松林がありませんが、私が子供の頃は本宮山の対岸は堤防が築かれておらず松林で小石などの砂利地で川遊びが出来ました。松林が茂る河川敷ではあったのです。

 

 私は伏見稲荷大社講社に入った時、豊受姫は【綾部は神の聖都。綾部に帰りたい。綾部に帰りたい。】と泣かれた時、何を言っているのだ?。帰りたければ勝手に帰ればいいのにと思っておりました。その後に知ったのは、豊受姫とは宇宙の某星(シリウス星?)から金星を経由してこの地球に降臨された時、ある土地を経由して綾部の本宮山に降りられたとの映像が出て来ました。その最初の経由地付近と思われる地も古来は【亀山】と呼ばれる場所でした。そうしたことは実際に神社巡りをしていて解ります。

 大本教は出口王仁三郎聖師の娘であった三代教主の【直日(なおひ)】さんに【龍宮の乙姫】役を、三代教主補の出口日出麿さんを【日之出神】役で揃い踏みの型を演じさせたかったのですが、出口直日さんはそれを演じられるだけの役の魂でなかったと言われています。この【龍宮の乙姫】とは日本神話の中の豊玉姫のことではないのです。 

 

鶴と亀の揃い踏み(統べる)で、永遠のみろくの世となる

 

 やはり【予言歌】とされている通りゃんせは【天神様の細道】であり。鍵は【七つのお祝い】にあります。今の世は【七】の世であることは、聖書における【七日間】。日本神道における【神世七代】。【七福神】等に七の意味が秘められているとは解ります。

 今の世は天人世界から見れば、七の代は【行きはよいよい。帰りはこわい】世です。この世に降り立ったが為に、天人界に戻れないを引き起こしているからと言えます。

 

今は七の世で、天神様に通じる細道では天人界が難しい

 

 そうした中で私の口から自然に出ていたのが北原白秋作詞。山田耕筰作曲の【待ちぼうけ】です。何故か自然に出て来るのです。それは私が最後の審判と呼ばれることが【右左岐(兔)】の仕組だと知ったからではなく、それ以前からです。が、ただそれだけだと【兔】をいくら待っていても【待ちぼうけ】を喰らいます。

 この「待ちぼうけ」は元は満州唱歌と言われ、歌詞は中国の【韓非子】の「守株待兔」から来たものです。韓非子は【昔の方法をそのまま用いるではなく、時代に合わせて変える。】の意味でこれを思想書に書いたなのです。偶然の幸運を当てにして無為な時間を過ごすなです。

 私も小学校では教師からこの【待ちぼうけ】の意味はそういう意味と聞かされましたが、私にはそうした内容ではない意味がこの歌詞には秘められていると、引っ掛かっていました。これも「かごめ歌」と同様に予言歌ではないか?。です。

 畑仕事に行くことを【野良】仕事と言いますが、一方、野良は野良犬とか野良猫に使われます。すると【野良】の言葉に何か意味があるとも受け止められます。

 

野良とは【なまける】や放浪で、野良稼ぎとは何だ!?

 

みろくの世が自然にやって来ると思うと待ちぼうけ

 

 今昔物語 五巻第十三話に【三獣行菩薩道兎焼身話】があります。簡潔に言うと、天竺に兔と狐と猿の三匹が居た。彼らは誠の心を起こして菩薩の修業をしていた。【我らは前世の深く重い罪を負い、賤しい獣として生を受けた】から始まります。そこに天帝釈が翁の姿で現れて、何も差し出す物を集められなかった【兔】は、代わりに自分の身を食べてくださいと火の中に身を飛び込んで焼け死んだ話です。

 天帝釈は翁の姿から元の姿になり、兔が火の中に入る姿を【月の中】に写した。一切の衆生にそれを見せるが為です。月を見れば【火に飛び込んだ兔の話を知りなさい】です。

 

我が身を犠牲にした【兔】は、月(天人界)の住人となった

 

イエス一人を主の御子と信じても、【免罪符】にならない

 

 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神が私に告げたことは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】でした。その仕組とは、【日本語による言葉の仕組】だと言えます。

 

貴方の罪を免除する免と、兔(兎)はどう違うのか?

 

貴方が神の為に尽くす心であれば、その罪を免じましょう  

 

 朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に起きる「米一字」の教えに従わなかった者達も天罰の最中、「白十」字によって救われる。】は、【米一字】が誰も解けなかったように、【白十】も誰も意味が解けるような仕組ではなかったのです。

 

白十字は、天罰の最中に貴方の罪を【免除】する大仕掛け

 

 しかし、天罰など受けて助けられるでは無く、最初から天罰など受けないが正しい姿勢と言えます。

 

 大本教が告げた三千年間もの月日を賭けた神の言葉の仕組。神と呼ばれる存在を【安心立命】とか【現世御利益】をする存在と考えていると、大きな過ちを犯すことになります。

 

 

 

 

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