人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№91 人々が知らず知らずに出す悪しき想念は、この世に浮遊する霊的【塵】汚染。日本神道は祓い給え清め給え。

 世界の宗教では我が宗派の教えを信じれば死後は天国や極楽だ!。我が宗派の教えを信じない異教徒は地獄に墜ちるです。世界のどの宗教宗派の教えでも人は死後には天国呼ばれる世界。地獄と呼ばれる世界が在ることは説いています。当然、その世界に入るのは【今の肉体】のままでないことぐらいの認識は、誰しもあるでしょう。

 しかし死後の世界に渡る【霊魂】の説明に関しては、宗教は【無知的】症状の中にあったと言えます。それは魂とは天国型の【玉型の思惟(深い考察力を持つ)】か地獄型の【玉型の恣意(今さえ良ければそれで良い)】のどちらかに分類されるのであって、どの宗教宗派に所属していようと関係が無いことなのです。ただその宗派の教えがどれだけその信徒達を天国界に進める教えをしているかだけです。

 

 イエス一人を主の御子だと信じていればだけで天国行きはありませんし、アラーの神と称していればとか、南無妙法蓮華経と御題目を唱えていればだけで天国や極楽も無いのです。天国や地獄はその魂が持つ【善悪の行い】が決めるからです。

 そこには魂が持つ【想念】が関わって来ます。いくらアラーの神と唱えていても、人を暴力で支配しようとすれば悪しき想念に支配されているとなります。為には無知無学の者でよくないので【教育】が必要であり、人を殺すな。人のものを盗むな。人を欺すな。人に暴力を振るってはならない等です。自己本位とか自己勝手な行いは戒めるでした。宗教とはそうした無知無学の者に正しい教えをする役割があったなのです。

 

天国や地獄は、全て自分がこの世で何をしたかの結果

 

良い想念の持ち主は天国で、悪しき想念の持ち主は地獄

 

 この世での修業が辛いからと言って自殺すれば、死後の世界で更に辛い事になります。通常自殺した霊は救われないとされますが、霊能者の一部には自殺した霊をも救われる方があります。が、それはその霊能者の方が自己が持つ【徳分】を分け与えて救っておられるであって、神霊達が可哀想だと自殺した霊を救っているではないのです。為に自殺した霊はそうした霊能者と遭遇しないと、何百年間もこの世の霊界で迷っているなのです。

 逆に単に霊が見える程度のスピリチュアルだと、そうした自殺した霊や迷っている霊を見たら逃げてしまうなのです。霊は見えても霊を救うだけの能力が無いからです。またその人に霊を救う余力の【徳分】も無いからです。

 

自分がこの世で苦労して正しく生きれば【徳分】は増す

 

 今はスピリチュアルの花盛りですが、スピリチュアルでも天国や地獄は【死後】に行く世界であることぐらいの認識はあります。ただスピリチュアルの多くは天国界に案内するでは無く、輪廻転生を煩雑に起こす【中有界】を主体に見ているなのです。為に【地獄】界の存在を知らない人達が多数あるなのです。

 スピリチュアルでいくら宇宙連合とか銀河連盟等と言っていても、そうした霊は神では無く。地球以外の星に住む霊人達に過ぎないなのです。これから来るであろうとされる【世の立替】とは、世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【宇宙開闢以来】の出来事であり、最初の宇宙開闢が天の岩戸開けであり、二度目の天の岩戸開きとは宇宙規模で起きる事柄であり、そうした星の霊人達も一人残らずその立替の嵐に巻き込まれてしまうなのです。

 スピリチュアルではその時には宇宙人が乗って来るUFOに救われるという説を出す方もあるようですが、宇宙その物が善悪の【総決算】になる可能性があるのです。また宇宙を舞台にした神達や霊達の善悪の戦いです。それは【神界最終戦争(ハルマゲドン=殺戮の丘)】まで視野に含むものです。その時、この地球は【主戦場】と化すので宇宙人と呼ばれる存在も神界最終戦争に加わって来るなのです。

 そうしたことから、スピリチュアルの方達が説く最終場面では多くのUFOの大軍団を見ると言う説もあり得るのです。宇宙人だからと言って、全てが正しい存在ではないからです。

 

 優秀な霊能力者の方達は過去に出られた宗教家の霊界での魂の次元格の調査などもしておられます。お釈迦様、イエス、大本教の出口王仁三郎聖師、弘法大師さんの魂を調べるが多いのですが、マホメット(ムハンマド)や日蓮聖人、孔子さんなどの霊界の段階も見るなのです。その中でイエスが救世主だと言う方はありません。イエスは救世主と呼ばれる魂としては霊界の次元格が低く、救世主ではあり得ないのです。マホメットはイエスよりも更に低いなのです。

 さらに神社に鎮まっている神霊もその神社が称する神名ではなく、その神霊の実体たる次元格を調べるです。いったい何霊がそうした神名を名乗っているかです。そこには大本教とて、国常立尊たる【本体神】は出ていないとされるのです。やがては出るの【予告】が大本教からなされたなのです。但し、その出る先は大本教から出られるとは限らないと言われているのです。

 それは今の大本教には出口王仁三郎聖師の霊界次元格を越えられる様な魂の持ち主が存在しないからです。ただ教団としては出口王仁三郎聖師霊や出口なお開祖霊が活動されているなのです。それは真言宗だと弘法大師さんの霊が、日蓮宗だと日蓮聖人の霊が活動されているのと同じです。ですから霊能者は出口王仁三郎聖師霊や出口なお開祖霊。弘法大師さんや日蓮聖人の霊も見る方が多いのです。また神社に行けば、その神社に鎮座されている神霊をも見るなのです。

 

 大本教から予告はされていても未だ出ていないと言われる国常立尊様たる【本体神】とは、神の高山説で言われる高山の頂上神で【十】合目の神とするのですが、その【十】合目を次元界とすれば【十次元】界です。巷には自分は十三次元と称される宗教家も居るには居られますが、神の高山説で言うなればあり得ない次元界となります。神の高山説で言う時、高山の合目は【十】の数字を越えられないからです。

 

神は【十】記号であり、十合目以上の神は無い

 

 神の高山説とは別に【識界説】がありますが、この場合でも創造神は第十識界とされます。お釈迦様は第七識界。イエスと出口王仁三郎聖師は第五識界。弘法大師は第四識界とも言われています。やはり同様に【十】の段階が最高神なのです。

 スピリチュアル標榜で、自分は第四識界だと言われる方もありますが、それだと弘法大師さんと同じレベルであり。スピリチュアル標榜で弘法大師さんと並ぶなどはあり得ないのです。神の高山説の四次元界説と識界説との混同でしょう。

 大本教の出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊の魂】だとされますが、素戔嗚尊の魂であっても最高次元格の素戔嗚尊の魂では無かったなのです。そこに自分は【ニセ者】だの発言の意味もあります。巷で自称救世主と称される方達は皆さんこぞって自分は【素戔嗚尊の魂】ですと自称されるのですが、大本教の出口王仁三郎聖師は八次元界の魂とする説が多い中で、七次元界などと名乗っていると何も解っていないとなるのです。

 

何故、素戔嗚尊が救世主説がなされたのか?

 

蘇民将来、【民は将来蘇る】は素戔嗚尊から

 

 ただこの【素戔嗚尊】とは、巷で自分は素戔嗚尊の魂で【救世主】ですと名乗っている人達のことではないのです。いくらそうした名乗りをしていても、その魂の次元格が低いとその型演技すら出来ないなのです。

 

 人が死後の世界に渡る【霊魂】と呼ばれる存在に関しては、ほとんどの宗教が説けているとは言い難いのです。この日本では【蛇神は巳さん!】。【稲荷は狐さん!】。その程度のことは理解されています。すると神は【蛇や狐】だとなります。確かにこの日本国内における信仰は【蛇や狐】と呼ばれる霊の存在の信仰が主体です。ただそれはお釈迦様やイエスよりは、そうした霊は次元が格下と言うことであって、蛇霊や狐霊は教義的なことが何も説けない段階ということです。

 

蛇霊や狐霊から、神の教義を教えられた者は無い

 

スピリチュアル的直感で、神の教義は出て来ない

 

 私の神霊世界の修業は【稲荷】神界から入りましたので、あんたは【狐】を拝んでいるとバカにした言い方をされた人もいましたが、別に言われても平気の平左でした。逆に、あなたに【稲荷】が何であるのかが解っているのか?。です。例えそれが巳(蛇)さんでも狐さんでも、その存在が神霊と呼ばれる位の段階ならば人の命など簡単に取れるのです。神霊を怒らせると恐いのです。命の保証が出来ないのです。

 神仏の世界に不敬を働いて、その命を取られても別におかしくないのです。実際に白蛇霊に命を取られた人など数々あるのです。私は神霊界修業の中、豊受姫のお代であった師匠から白蛇霊の怖さを忠告されましたが、恐ろしい存在なのです。

 

蛇霊や狐霊でも相手が神霊ならば、人の命など取る

 

 ですから神霊世界を見聞して来ると、多くの霊能者や行者がそうした蛇霊や狐霊にこき使われているがあります。特に【龍神】と呼ばれる存在になると、多くの人からその霊力が崇められているのです。火を噴く龍とか、水を噴く龍の像がありますが、霊的世界に入ればそうした光景が見られます。そして人の病を救うだけの霊力もあるなのです。その教祖の背後に龍神が居ないと教団化等出来ないのです。

 私が初めて伏見稲荷山に上がった時、最初の師匠の側で霊媒を務めていた方に豊川稲荷の眷属である大白狐霊が懸かり。その師匠の伏見稲荷大社講社支部に所属する講員さん達に、【人間の分際で頭が高い。下郎、下がりおれ!】と一喝して来ましたが、霊的世界の次元段階で言えば人間は下郎呼ばわりされても仕方がないのです。豊川稲荷の眷属である大白狐霊ならば神界の六次元格位の地位にはあります。それこそ人間の分際でなのです。

 この世で生きている人達は誰でも死後は【四次元霊界】には行けます。だが神霊と呼ばれる蛇霊や狐霊の段階は【五次元霊界】位にはありますので、当然に自分達は人間界よりも上の世界だとなります。ただそれはこの世に生きている蛇や狐のことでは無いのです。個々の魂の位置付けや格付けからの心の姿の話であり、為に蛇霊や狐霊たる存在から人間界に生まれ出るもあるなのです。

 だがそうしたことは既存の宗教家は何も解っていないなのです。こればかりはそうした分野の霊能力が無いと解らないとなります。

 

四次元霊界を知る程度であればスピリチュアルで充分

 

が、スピリチュアルに走ると高次元霊界と関われない

 

 大本教神諭に【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず】とあります。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれましたが、天人世界は五次元霊界以上にあり、この世で神霊として祭られている蛇霊(巳さん)や狐霊(稲荷)と同格以上に成れるチャンスをみすみす捨てているとなるのです。

 聖書に龍神とは霊界で年老いた【大蛇霊】とありますが、行者も龍神とは霊界で三千年間も修業した大蛇霊としますが、霊界で三千年間も辛い修業をするぐらいなら、もっとてっとり早い方法もあったはずです。

 

自分は神や天人に成りたく無いならば、霊界否定でいい

 

 霊界の実相に関しては、幾多の霊能者の方が著本に出されています。霊界とは非常に多種多様です。その霊界を一冊や二冊の本で解るかと言ったらそれは無理です。霊能者の方がこの世で見た霊界の事柄の説明ぐらいです。誰しも霊界の一端しか解らないなのです。また、今のこの世に出ておられる神々も然りなのです。

 私は神霊界の修業の中で霊に質問をした時、その霊が【自分は蛇霊なので、そこまでは解りません】。そうした返答をして来たならば、これは正しい蛇霊だと言います。私は別にそれが蛇霊だとか狐霊だからとかで批判しているのではないのです。どれだけその霊が【嘘】を排除しているかです。解らないことは解らないと言う【正直】さです。知らない解らないのに予言まですると外れます。多くの霊能者の予言が外れるのも、その霊能者が関わる霊の段階が低くて予言が外れてくるなのです。

 そこに大きな事柄の予言をして、予言を的中させて来た大本教出口王仁三郎聖師の背後には今の神霊世界に出ておられる神々とは桁違いの神の存在が読み取れるのです。

 

 本当に霊能者の呼ばれる人達は、この世で過度の金銭欲や権力欲。怨念や執念や執着。そして色情に縛られると死後にその魂が蛇霊化するとは説かれて来ました。しかし魂の蛇霊化はそれだけではなく、例えば【多くの人を助けたい】等の良い行いも過度に執着すると蛇霊化への道となります。

 観音菩薩として現れて来る霊に蛇霊が多いのもその為です。人を助けたい助けたの心も【過剰】になると蛇霊化に入るのです。霊達はいろんな理由があってそうした姿をしているのであって、それを捨てれば何時でも【人の姿たる天人の姿に戻る】ことも出来るのです。そこに【悔い改めなさい】があるのです。

 

宗教でもスピリチュアルでも見落としたのは、霊の汚れ

 

魂は意識体で、悪しきことを言ったり考えれば霊は汚れる

 

 大本教から出された人は【霊(ひ)止(と)】と呼ばれる様に、魂・霊・肉体の【三位一体】から成り立っており、死後の世界は肉体を脱ぎ捨てて【魂・霊】で霊界に渡ります。それまではこの世に住むのですが、この世に居るだけで自己の霊魂に汚れが着きます。

 それはこの世は魂の修業場で天国界ではありません。それはこの世は悪しき想念を放っている人や、過去に悪しき想念を放った人の想念が霊的な塵として【浮遊】しているからです。

 

人の魂には霊的汚れが着く。その魂の汚れの洗濯は?

 

霊の汚れは大都会(穢土)に多く、農村部は少ない

 

 スピリチュアルでは【神は愛だから、何をしても赦されます】等を平気で発信していますが、想念と呼ばれる【霊的意識】が悪しきことを考えれば、考えた時点で【霊的汚れ】を発生させてしまいます。

 

霊的汚れは悪を実行した時点で無く、考えた時点で起きる

 

この世の霊的汚れは、浄化されないと想いが浮遊する

 

 そうした霊的汚れは一部の霊媒体質者が知らず知らずに受取、その肉体で知らず知らずに浄化しているがありますが、しかしその数はそんなに多くないのです。為に浄化されなかった悪しき想念はこの世を漂い。この世は浄化出来なかった霊的汚れの塵により霊界汚染が進行しているなのです。この地球は環境破壊に留まらず、既に霊的汚染でこの世に関わる霊界は泥沼(ヘドロ)化しています。スピリチュアル標榜者の念頭には、その【汚れた想念を浄化する】がスッポリ抜けているなのです。

 

大本教神諭のユダヤの悪鬼がこの世を泥海にするは進行中

 

汚染された霊的世界の浄化は、この世の大災害に連動する

 

 そしてスピリチュアル的発信が、世に霊場と呼ばれた霊的浄化場所さえ汚染させてしまったなのです。その張本人が自称スピリチュアル界の大御所を自認される霊能者江原啓之さんで、江原啓之さんが神霊スポットを紹介するとスピリチュアル女子がその地に押しかけて、そうした霊的浄化場所を汚染させてしまったがあります。

 

スピリチュアル流行が霊的汚れを増大する要因となった

 

 江原啓之さんが著本を出すまでは汚れが無い神社として知られた某神社は、江原啓之さんが紹介したことでスピリチュアル女子が押しかけるで、その神社は一変して汚れた神社の代表格となりました。何も知らない霊媒者がその神社に行った途端に霊的汚れから吐いたがあります。そうしたスピリチュアル女子が出す霊的な汚れがその神社を覆い被さったなのです。私がその神社に行くのは二度目でしたが、昔の清潔な地場の面影は無く蛇霊達の巣窟になっていました。

 無論、その神社の宮司が霊想念の汚れがよく解っていて、そうした汚れを祓い清める浄化をしていれば問題はなかったのでしょうが、その神社の宮司がスピリチュアル女子の押し駆けで金儲け亡者になったなのです。その神社に勤めていた霊能者でもない神主さんですら、その神社の巫女が蛇霊憑きだとまで解ったと言われます。それぐらい霊的に汚れたなのです。神社ですら霊的に汚れると一変するのです。もうその神社に本来の祭神は居ないなのです。ニセ者が神霊として入り込むです。

 その神社の宮司が金儲けに走るような方ではなく、しっかりとスピリチュアル女子が持ち込む霊的汚れを祓い浄化されていれば、そこまで悪化はしなかったのです。しかし神社の宮司職でも霊的汚れをどこまで理解しているかがあります。霊能者江原啓之さんは霊はよく見える方です。しかし霊的汚染に関しては無知であり、そうしたことになるとは予想もしておられなかったと言えます。

 

 スピリチュアルではそうした霊的汚れを何も解ろうとしないことから、【魂磨きは辛いから止めましょう】とか、【良心の呵責は重いから捨てましょう】や、【この世は楽しく遊ぶところです】などの発言ばかりをしているなのです。

 人は何をしなくても、その魂に霊的汚れが付着します。そこに魂の汚れを取る為に【魂磨き】があるのです。必要なのです。魂の汚れを取らないと

 

人の顔をしていても、その魂は毛物(犾)が起きる

 

 その魂の汚れの取り除きとして、日本神道では【祓い給え。清め給え】と【禊ぎ】があるなのです。

 

禊ぎは創造神と【契約の示し】で、自己の魂を穢さない

 

祓い給え。清め給えは、【自己の魂の穢れを祓い清める】

 

 私は魂に【点数】が出るを知りました。最初にその点数を見た時、その点数は魂の点数だとは解りました。しかし霊能者の方達と知り合って、その点数は【最後の審判時、自分が行く霊界の地位が決まる良心神】の点数だと教えられたなのです。その点数によって永遠に渡る天国界の階級が決まるです。これまでは【輪廻転生】のシステムがありましたが、その輪廻転生のシステムそのものが間もなく終わるなのです。

 で、人の魂を見てきて解ったことは、魂が汚れている(磨かれていない)と魂の点数が低いなのです。非常に低い点数の魂だと魂が腐っていたり、悪臭すら放っているです。

 

 そうした中で、私達日本人は仏教徒でもあり、日本神道の氏子であります。で、宗教的には二面性をもって生きて来ました。その日本神道では【禊ぎ】と【祓い給え。清め給え。】を主眼として来ました。そこにはイエス一人が主の神の御子だとか、聖戦(ジハード)などの論理はありません。

 本来の【聖戦(ジハード)】とは、自己の魂の中における【悪と善】の戦いのことです。ジハードの言葉の意味は【神の道の為に、努力しなさい。】ですが、神は自己の内に在るので、当然に【偶像】を信仰対象としていません。偶像はその物体に霊を宿しているだけです。自己の心の中から【悪】を滅ぼさないと行けないなのです。

 

 その汚れた魂から汚れ(穢れ)を取る方法として、私が大国主命様から見せられたのは【神刀】を持ってその魂の汚れた場所を削るでした。言うなれば魂の【身削ぎ(禊ぎ)】です。確かに魂から汚れた部分を削ることでその魂の表面から汚れは取れますが、せっかく輪廻転生をして来た魂の表面を削るのは【外科的手術】になってしまいます。その魂が小さくなるです。出来得れば外科的処置より、内科的処置の方がいいわけです。

 霊的世界を見てくれば【天国界天人】達は霊剣すら持っていません。しかしこの世に出ている神々は【霊剣】を所持されています。仏界の神将霊もそうです。そうした神霊が持つ剣の最高剣が【天叢雲(あめのむらくも)剣】と呼ばれているわけです。この霊剣の特徴は、龍神すらぶつ切りにするです。で、この剣の存在を知らせる為に日本神話には【八岐大蛇退治】の話が創られているです。天叢雲剣は霊界には在る剣で、別に熱田神宮に在るではないのです。

 少々霊能力があり、自分はその【天叢雲剣】を持っていると言われる方達はあまた居られますが、どれも本物の剣ではありません。日本神話の仕組の中で、何も知らない霊達の言葉に自分が欺されているなのです。

 

天叢雲剣とは、天が人々の【業(カルマ)を取る(叢)】剣

 

 ただそれは【魂の身削ぎ剣】の意味であり、唯一なる神との【契約の示し(禊)】がないと行けないわけです。

 私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【この私だけを唯一の神として認める者は、一人残らずこの私が救う。】と告げられました。その神と契約の示しは禊ぎなので、その時に業(カルマ)取りの剣。すなわち【天之叢雲の剣】が使用されるのでしょう。人が持つ業(カルマ)は、諸神を信仰しても取れません。しかし創造神であればそれを【可能】とします。

 

そこに創造神と契約の示しを【禊ぎ(身削ぎ)】と呼ばせた

 

 魂の身削ぎをする汚れでなければ、祓い給え清め給え

 

 神社の神主が大麻(おおぬさ)を付けた【祓い串】や紙の御幣を付けた榊で【振る】行為も、人に付着する目には見えない霊的な塵の祓いであり。また、神楽鈴に見られる【鈴】を振り鳴らすも霊的な塵を祓い清める側面を持つのです。

 私は霊界修業の過程では、腰に鈴を着けていました。そこが霊的な汚れた場所だと解ると鈴音を鳴らすです。こうしたことは霊能力がある方だと、霊界の神主霊が出て来て祓い串で祓ってくれたり、霊的に汚れた場所では霊的な鈴音を聞く。そうした体験をされているはずなのです。日本神道の作法は別に迷信から発生したのではないのです。米や塩や麻を細かく切った物を混ぜて蒔くも、迷信からでなく霊的世界を知った上での実践なのです。地鎮祭も結界張りも必要だからするのです。

 私は【死に神】という言葉は聞いていましたが、自分が霊界修業を積む中でその【死に神】に遭遇するがありました。頭から目には見えない霊界否定では無く、実際に見聞すれば世に言われていたことは全てあるのです。

 

が、神主の祓い清めで自己の魂の点数が上がるでは無い

 

 個々の魂は別に自分が悪事をしなくても、善も悪も魂の修業場あるこの世に住む以上。悪しきことをする人達の悪しき想念を被ります。それらが霊的な塵として浮遊しているからです。軽い段階の場合は神社で行う【祓い給え清め給え】でも取れます。

 ただ、日本古来の神道は死者の肉体も女性の生理の血も穢れだとして来ました。それは誤りです。古来の神道は神主の葬儀は仏式でしましたが、今の新神道系の教団では葬式も神式でします。古代は霊に対する恐れはあっても、現代の霊学の様に霊的世界が解るではなかったのです。現代では、このブログでも魂の写真をアップして来ましたが霊媒能力がある人が写真を撮ると魂や霊が写るとなったのです。

 お釈迦様やイエスにしても昔の人であり。そうした霊的知識があったではないのです。ですからイエスの教えには誤りが多数ありますが、それを非難するではなく、お釈迦様やイエスの教えすら乗り越えて行くが必要なのです。一部の霊能者達はそれは【第十識界】から来る物と言うのです。創造神は見えなくても存在しているです。

 

釈尊やイエスの教えすら乗り越えて行くが【みろく】の仕組

 

 そうした神霊世界の中で、自分の魂の格を高次元界に上げようとすれば、【他力本願】では上がれません。自分自身の努力が必要不可欠なのです。この世で遊び惚けていたでは学べないのです。

 

 

 

 

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