聖書には【人の子(キリスト)が雲に乗ってやって来る】があります。その雲に乗ることが【救世主】の証しの様に解釈されています。日本でも活動があった英国神智学のベンジャミン・クレームは、キリストに該当する人物がヒマラヤから【飛行機】に乗ってやって来ると説いていました。雲に乗るではなく、飛行機に乗るの方が現代的らしいと言えます。
現実論として人が肉体を持った状態で【雲に乗ってやって来る】などは、【仙人】でもないと難しいと言えます。霊的世界に関わって見聞して来ると、短時間であれば人が空中に浮く。飛ぶはあります。私もそうした事柄を見て来ました。明らかに物理学には反する現象ですが、霊的世界は物理学に反することが多いと言えます。神や霊世界は物理学を越えている。
日本における【久米仙人】は神通飛行術で雲に乗っていて、川で洗濯をしていた女性の白いふくらはぎに見とれて神通力を失って落下して、その女性を妻にした話があります。この久米仙人が東大寺の大仏殿建立の木材搬送時に功を立てて久米寺を建立し、後日その久米寺を弘法大師が訪れて【大日経】を会得されたと言われています。
また修験道の祖とされる役の行者こと【役の小角(神変大菩薩)】も伊豆に流されたのですが、昼は牢の中に居ても、夜は勝手に抜けて空を飛び富士山で修業して伊豆に帰っていたと言われています。そうしたことは伝承で片付けられますが、ヨガの大家としても知られた【本山博】博士は肉体を持って瞬間移動の実証に成功されたと言っておられます。それが大勢の大衆が見る中で実証されたものであれば画期的な出来事だったと言えますが、見聞者が少数であれば証明したとは言えないなのです。
肉体の瞬間移動の確認は無くても、霊魂は瞬間移動する
霊魂は瞬間移動が出来るのに、雲に乗る必要がある?
霊能者でもスピリチュアルでも【魂を飛ばす】の体験はします。これは肉体はその場に留まっていて、その魂や霊体(幽体)を伴って別の場所や異次元世界を見ることです。千里眼と呼ばれるものも、その場から魂や霊魂が飛んで別の場の様子を見るです。その時にその人の霊体(幽体)を伴っていると、そこに【生き霊】と呼ばれる人の存在を見ることが出来るのです。
また優れた霊能者であれば、自分の元にその生き霊(霊魂)を呼びつけて、その生き霊に対して説得をしたり、時にはその霊魂を叩きのめすがあるのです。私は改心だけならばそれが一番早いと言います。しかしそれだと暴力容認となってしまいます。暴力で改心させるは本当の改心には繋がらないのです。自分が覚ってこそでないと、改心が長く続かないのです。
霊的世界では、常に【瞬間移動】は発生している
霊界は【蜘蛛の巣】の様な組織形態で繋がっており、電気と関係しています。為にインターネット上を通じても霊魂は出て来ます。霊媒体質だとインターネット上で誰かとアクセスすると、その画面から穢れを受けて吐くなども起きます。ある意味、霊媒体質者はインターネットの世界は他人の穢れを被る危険を伴うのです。
私は宗教家でも無く、霊能者でもありません。言葉の仕組を解読する為に許された範囲での霊界の関わりです。だがインターネット上で発信すると、霊的世界では自分は知りませんでしたの言い訳が通用しなくなるのです。肉体の者はそんな発信があることを知らなくても、その人を守護している霊は知りませんでしたが通用しなくなるのです。
そうした証拠として、インターネットを開いたならば、突然に私のブログ記事が出て来たと言われる方達があります。その人を守護している霊が私の記事を見つけて、守護している者に知らせるです。
肉体は知りませんでしたが通用しても、霊には通用しない
私は霊的世界に関わって、その役の小角(神変大菩薩)さんらしき霊に遭遇し、神社に鎮座しておられる霊とは違い行者達から慕われるだけの存在だとは感じました。何か凄い感じを受ける霊と言えます。生前は雲に乗って富士山まで飛んでいたと言われると、あり得るかもと思われる存在の方だったようです。
しかし、キリストの証が多くの人に雲に乗る姿を見せるであれば、世界中の人々に見せるには長々と雲の上に乗っているではあまりにも話がおかしいと言えます。幻視と呼ばれる物はそうしたことに注意しなければならないのです。
人が空に浮く。空を飛ぶは神仙界の先達は見せてくれる
修練を積まれた行者の方達の中にはそうした術を使われる方がありますが、学者がそれならば俺にその光景を見せろといったところで、誰もそうしたことを見せてはくれません。見世物では無いからです。逆に学者をバカにしています。それはこの世で学者や弁護士や医師に成るよりも、そうした神仙世界を知る方が遙かに難しいからです。
私がそうした光景を見させられたのは、私には霊界の存在を語るメッセンジャー的な役割があったので多くのことを知り得たのだと思っています。
いくらこの世で偉い人と言われても、神の世界が解るでは無い
霊界に帰れば、高い位置とか低い位置はこの世の肩書きではない
人が霊的世界を知るには、自分の肉体の目で霊的世界を見ることが基本です。それ自体はスピリチュアルに走る人達も自分の目で霊的世界の存在は見ているのです。他には、自分の魂を飛ばして【霊的世界を見聞する】です。ただ、いきなり自分の魂が異次元世界たる霊界を見るではなく、その前段として自己の肉体から霊魂たる自分が抜け出す【幽体離脱】の体験が無いと、順序としてはおかしいとなります。その幽体離脱の前兆に【金縛り】の現象が起きたりします。
金縛り現象は、霊的世界を知る前兆に体験したりする
医学者は霊魂の世界等信じない人が大多数です。で、金縛りは【睡眠麻痺】等とされています。それはそれが日中ではなく、寝ている時に体験する症状が多いからです。しかしそうした金縛りそのものは、不動明王系の行者筋の方だと日中でも人を霊的に人を縛ってしまわれるがあります。また大本教霊界物語でも出口王仁三郎聖師は大本教開祖派の信徒に襲撃された時にそうした金縛り術を使っておられます。
三流行者が狐憑きや狸憑きだと肉体の人を縄で縛って棒で叩いたり、煙でいぶすなどをして来られましたが、肉体を縛るのではなくてその肉体に入った霊を縛るのが【霊縛】です。それは【印】の結びであったり、祝詞や御経などの言霊を利用するなのです。私は如来像とか明王像に宿っている霊とのやりとりで【霊縛】を体験させてもらいました。
大本教霊学の実践に関する部分には【霊縛】と呼ばれるものがあり。霊能者で無くても霊を【縛】することが出来ます。しかし霊が見えないとなると、闇雲に霊を縛するになります。現在の大本教ではそうした実践を教えてはいないようで、今は実践が出来る人が居るのかは不明ですが世の中には居られます。
祝詞とされるイロハとかヒフミは、霊の霊縛に使える
私が伏見稲荷講に入った頃、ある講員さんの稲荷神のお祭りに師匠共々招かれました。私は何を御供えに持参したらよいのか解らず、師匠に聞いて地元の御神酒を持って行きました。そこに不動明王と一体化されていると言われる女性行者がそのお祭りに押しかけてこられて、講員さんでもあり、招かれていない人は帰ってくださいとも行かず。そのまま直会(なおらい)にと入りました。
するとその不動明王と一体化されていると噂される女性の方が私の前に来て、私が奉納した酒を茶椀でぐいと飲んで、【どこの馬の骨か解らん様な奴が奉納した酒などまずくて飲めん。】と毒づき始めたのです。その途端、その女性の方は畳の上をゴロゴロと転がり、ゲーゲーとゲロを口から吐き出すのです。畳の上はそのゲロで汚れまくってしまいました。無論その方の服もゲロまみれです。
いったい何事か起きたのかと同行している豊受姫のお代であった師匠に尋ねると、【あの女性は不動明王と一体化されている女性です。その不動明王があなたに悪態をつきだしたことで、豊受様は怒られて、不動明王程度で貴方に向かって悪態をつくなど、貴方が誰かが解らない不届き者として、金縛りで締め上げに締め上げられたのです。為にあの方は転げ回りゲーゲーと吐きまくったのです。豊受様のお力とは不動明王程度のものではありません。】と言います。そして貴方が誰かと解らない様な不動明王などは、下位も下位の不動明王だと言われます。
その師匠は最初は四国小豆島の霊場たる某寺院の御本尊である不動明王にお代として仕えておられたのです。霊能者下ヨシ子師が六字明王に仕えておられたような形態です。が、ある事件で不動明王の力の限界を知り、豊受姫のお代にと替わられたのです。為に稲荷神界と不動明王神界の世界には通じておられるだったのです。
行者は【金縛り】を知っており、幻影とか妄想ではない
スピリチュアル的体験者の中には、幽体離脱の時に耳元でゴーゴーと鳴る風圧の中で長いトンネル状を高速で抜けて光の世界を見た等と言われる方があります。その風圧の音とは、その時の光景を外部から見ているとそうでは無いと解ります。
スピリチュアルで言う耳元でゴーゴーと鳴る風圧の中をトンネルを高速で飛んでいる感覚とは、下記の図の「2」の状態の時に自己の意識が幽体にあると、肉体から幽体が抜ける時にその耳元で起きる感覚と言えます。凄い風圧の様に感じるのです。それは肉体から幽体が抜け出す為の押さえの風圧で、自分の中での感覚では高速で飛んでいると思うのです。それは幽体と魂が未だ離脱していない状態なのです。
一度、金縛りから幽体離脱を体験することは肉体から【霊魂の脱皮】と言える事で、以後は千里眼的なことや、霊的世界に飛んで見学するなどが出来るともなるのです。
幽体離脱で人の肉体内に在った霊魂が肉体から抜けて行くと上昇します。その時、当然にこの世の物質で在る建物の天井等は見えます。その時、その天井を通過して行く自分に驚くことになります。霊がこの世の物質を通過する体験の一瞬です。幽霊がこの世の物質を通過するのもそれと同じです。それを自分が空中に引っ張られると形容する方もあります。そして横に寝ていた状態から立った状態に入ります。
イエスがこの世を去った時、多くの人がイエスが天に上がって行く様が見えたと言われていますが、それは肉体のイエスではなくてその周囲の人達にはイエスの霊体が見えたと思われます。それは生き霊にも言えます。生き霊を見ていると、そこに肉体の本人が居るように見えますが瞬時に消えてしまいます。イエスが処刑される前なら生き霊もありますが、処刑後であれば幽霊と同様な霊体です。それを以てキリストの証明とはならないのです。
その空に向かっての上昇の時には、その脇を二体ほどの霊が支えていたはずなのですが、それが周りの者達にその支えの霊が見えていたかどうかなのです。肉体を終えたばかりの段階では自力で上昇出来ないがあるからです。
人によっては、その幽体離脱の後に【雲に乗る】を体験をされた方もあるのです。言うなれば【孫悟空のきんとん雲】に乗る実地体験のようなものです。これは体験すると大変に面白いものなのです。雲を動かす体験をすれば、雲に乗る観音菩薩とか仙人の様な存在が在ることも解って来ます。
その体験は、西洋で説く天使の様な翼は要らないと解る
さらなる収穫は、どうして死者に【通夜】が必要なのか
日本では人は死後「24時間」経過した後に埋葬します。死後即座に荼毘(ダビ)たる火葬に付することは日本の法律でも禁じられています。そこには何故という疑問が生じます。何の科学的説明もないからです。一般的には仏教から来た風習で、蘇生する可能性があるからと言われていますが、それだけが理由ならば根拠薄弱と言えます。
人は誰でも肉体の死を迎えると、その肉体から霊魂が抜け出すまでにある程度の時間が必要なのです。例え医師が亡くなられましたと言ったところで、その肉体から霊魂が抜けていないと、未だその肉体内に霊魂が宿っていて【息を吹き返す】があり得るのです。為にその時間として【24時間】を置くなのです。そして僧侶は葬儀の時に魂は肉体から抜けて行けと【引導】を渡さないといけないなのです。この世に未練を残すと霊魂が【迷う】からです。
人の肉体から死で魂が抜けていく行く時間に関しては、早い人だと即座であり。遅い人だと三日間も掛かった事例を言われる霊能者の方もあります。一般的には死者は自己の葬儀を見ていたりするのです。
人が交通事故などで亡くなった時、その事故現場で亡くなった人が自分はどうなっているのだとウロウロしていて、その人が【幽霊】として迷っている姿が人に見られますが、自分は死んだことも、自分がこの世で着ていた肉体は既に火葬で焼却されたことも解らず、自分は生きているではないかと主張しても、この世に生きている人達にそれは幽霊としか見えないなのです。
私は初めて幽体離脱をした時、日蓮聖人のお弟子であった2体の霊に付き添われて、雲に乗って動かす訓練を受けたのです。これって一瞬、自分は「救世主」なのだろうかと思わせてしまう出来事です。ヨハネの黙示録を知っていると、そうした錯覚を起こさせます。巷には自分は雲に乗ったから救世主だと主張される方もありますが、幽体離脱して霊体で雲に乗った経験者など、世の中を探せばけっこうおられるのです。
それは雲に乗っても「救世主」の証とはならない
一般的に幽霊などと呼ばれている存在を見やすい人は、金縛り現象に遭遇しやすいと言えます。それは霊の世界がその人を霊の世界に引きこもうとしているからです。
しかし、それを恐れる必要はありません。それは大本教霊界物語や岡天明氏の日月神示等にある【霊子(たまのこ)線】と呼ばれているものがあるからです。西洋スピリチュアルではそれをシルバーコードと呼んでいますが、必ずしも銀色ではありません。やはり【霊子線】が妥当と言えます。
その【霊子(たまのこ)線】は肉体と魂を結ぶ線で、いくら魂が肉体から抜けても必ず肉体に戻れるのです。逆に言うと、人の肉体と霊魂を結ぶ【霊子線】が切れてしまうと、その魂はもう二度と肉体には戻れないなのです。それが本来の肉体の【死】の時です。
霊能者サイドが説く人の死とは、肉体と結ばれる霊子線の切断時。
創造神は瞬時にして、この世を終わらせるは出来る
それは人の肉体と魂を結ぶ【霊子線】を一斉に切断すれば出来ることなのです。すると人の肉体の内に在った霊魂は、否が応でも肉体から幽体離脱で離れて行くからです。人の内に在った霊魂が抜けた人間の肉体は死にませんが、腑抜けと呼ばれる様な状態に入ります。映画にある【ゾンビ】の様な状態です。精神(魂)を持たなくなった生ける屍がうごめいている状態です。
最後の審判は肉体で無く、個々の魂に対する最終審査
最後の審判の為に、この地球に天変地異の必要は無い
世の立替を予告した大本教神諭には子細がありませんが、その時には上に行く者。下に行く者でごった返すのでこの神もかまってやれない的な記述があります。それはその時は【一斉】に行われるなのです。天変地異だけでは、そうした事態は発生しないのです。
では何故に【最後の審判】と【地球崩壊】たる天変地異が一緒に語られているのかです。人類がその名を称えることはあってもその姿を見せて来なかった【創造神(天帝)】が人類の前に現れる時とは【輪廻転生】の終わりであり、人類の魂が永遠の嬉し嬉しの【みろくの世(第八の世)】たる【高次元】世界に渡る時だからです。しかし口で言うほど安易な事柄ではないなのです。
魂の修学の場が使用出来ない時、もう修学の必要が無い
この世は魂の修学の場で悪も必要なので認められて来たのですが、当然に魂を修学する場が無いとなれば【悪】も存在する意義を失います。すなわち【捌きが必要】となるのです。
魂の修学場が無くなるは、地球が人類生存に適しているか
この地球が魂の修学の場に相応しいかどうかが、【最後の審判】と呼ばれる時期を決めるなのです。その時期が何時頃かを予測するのが創造神と呼ばれる様な高次元の神の段階であり。スピリチュアルで関わるような霊界の末端の霊からすれば、この地球が環境破壊によって魂の修学の場が終わるなど、考えにも至らないなのです。
だが、宣伝ばかりが長々とされている為に、今ではそうした事柄は【狼少年】的な発言になって、ほとんど人々に信用されない自体になってしまったと言えます。
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