明治25年、丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教神諭には、【天理、金光、黒住、妙霊、先走り。とどめに艮の金神が現れて、世の立替を致すぞよ。】があります。
天理教、金光教、黒住教は世に知られる日本神道系の教団ですが、妙霊教はあまり聞きません。妙霊教は現在も存続しているようですが、その実態がよく解りません。黒住教、金光教、天理教の主宰神が同じ艮金神国常立尊様なのかとなりますと、その教義からするととても同一神とは思いにくいがあります。黒住教は登る朝日を日拝して【天照大御神】との一体化を基本の教えとしています。
この太陽その物を【天照大御神】として拝するは【お天道様】信仰であり、私も霊の憑依を受けて苦しい時には目を瞑って太陽に自分の【額】を向けて天津祝詞を奏上します。すると額のチャクラに通常ではあり得ない熱(光)が入って来て霊の憑依が取れます。神前の神札からでも額のチャクラに光は入って来ますが、その量がまるで違うがあります。日中の太陽は強烈なので、昇る朝日を拝するは理には適っています。冬の寒い時だと窓越しに熱を入れると一層に感じます。
私は霊媒体質者で霊の憑依に苦しむ方に、神前の祝詞や仏前の御経で解決出来ない場合は、太陽が出ている時に目を瞑って天照大御神様と神号を唱えて額に太陽の熱を受けなさいとアドバイスしています。目を瞑らないと目の奥の網膜が焼かれて失明に到るもありますので注意が要るのです。多くの場合、それで解決出来ることが多いのです。但し、霊媒体質でないと解らないかも知れません。
額から入って来る光は内在神では無く、額で【客神】
誰かを救世主と拝むより、額のチャクラから太陽を入れる
大正3年旧7月11日の大本教神諭に、【今度の大事業(大望)は人民の知りた事では無いぞよ。神界へ出ておでます神にも御存知ないような深い仕組であるから】とありますが、私も子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【この神が描いた新しい世に到る筋書きは、神々も人間も知ることではない。】と告げられています。実際に神霊世界の一部にはなりますが歩いて来ますと、ほとんど御神霊は世が立て替わる等の話は知らないと言われます。
その点は、大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱に判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん。】とありますが、その神柱と呼ばれる方達でも上位の方は立替を御存知でも、末端の神柱達は御存知無いにぶつかります。そうしますと大本教神諭の内容には、本当だろうかと疑問は生じます。
されど、末端の神々が知るとなると収拾がつかなくなる
それは末端の神々には【子細】が解らないからです。
そうしたことから大本教神諭の創造神の大望(計画書)は、世に出ておられる神々や人民が知ることでは無いと理解しています。ただ、明治31年旧12月26日の大本教神諭には【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】とあるだけなのです。
私に言わせれば、【世界に一人知りておる】で、たった一人で何が出来るのか?。首を傾げてしまう内容ではあるのです。
金光教は主宰神は【天地金乃神】で金神思想から起きています。大本教の出口なお開祖が大本教を立教する前、この金光教の取次者として金光教会の看板を上げておられた時期もあります。しかし金光教の教えの内容と艮金神から来る教えに違和感を持たれたなのでしょう。大本教神諭を読みますと、これまでの宗教が説いて来た様な内容とはまったく違っていることが解ります。
そうしたことはその神の取次者に降りた神霊がどの次元格の存在であったかが働きます。七次元格の神霊と六次元格の神霊では、その神霊が説く内容が違って来るからです。神霊と呼ばれる存在は、自分の取次をしてくれる肉体を持った人間の魂の次元格に左右されるからです。その肉体に五次元格の魂を持った者に六次元格の神霊は降臨は出来ても、七次元格の神霊は降臨が出来ないとなります。その神の取次者の能力では、その神霊が言う内容が理解出来ないを起こすからです。肉体の魂の次元格の違いは【奇魂】の働きがものを言うからです。
そうしたことは大本教神諭にあります、
神の世界は一を聞いて、十を知る者でないと使えない
ですからその神霊が説いた教義を見ていれば、当たり障りが無い万人向けの教えであれば、それほど高い次元格の御神霊ではなかったと解ります。霊界の実相から離れた内容になっています。霊界の【真相】に近づくほど【深層】が深くなるからです。
霊界の一部でも見聞して来ると、一部の霊界でも多様な世界で在り。それは説明しきれるではありません。そうした中で人々に神の存在を知らせるにはどうしても【安心立命(死後の世界では天国や極楽に行けます)】とか【現世御利益】でその存在を知らせるとなります。難しい教えをしても大衆に解るかとなった時、それこそ至難の術なのです。
そしてもう一つは高い次元格の魂を肉体に降ろすと【肉体の精神が発狂する】問題なのです。その肉体の魂の次元格と乖離した高次元の神霊が無理に肉体の者に降りると、その肉体は【精神が発狂する】を起こすからです。スピリチュアル標榜の方の肉体の魂がどの次元格にあるかと見て行くと、高次元界の魂の方があまり見られないなのです。特に【神仙界】に関われるほどの行者筋や霊能者筋から見れば、スピリチュアルは醜いとなるのです。
巷で自称創造神。自称救世主の方が自分は高次元界の者と自称されるのも、肉体に宿る魂の格が低次元界であれば、いくら霊が見えると言っても低級霊界との霊の関わりだけだからです。高次元界の高級神霊と関わるには自分の肉体の魂が高次元格に無いと難しいからです。
高次元神の降臨かどうかは、肉体の魂の次元格で決まる
大本教がトドメの金神とされた意味は、大本教の出口なお開祖の魂と出口王仁三郎聖師の魂は高次元界の魂の持ち主であったからです。それは旧約聖書の神が昔から予言していた【男女の預言者】で、非常に高い次元格の魂の持ち主であることが必要であったとなります。多くの霊能者がお釈迦様、イエス、出口王仁三郎聖師、弘法大師は高次元格の方であったと、その名を告げるのもそこにあります。
名乗られる神名が違っていても、それが同じ神だということはあります。多くの場合、神名とはその神の【働き】の部分を言っていることが多いからです。日本で言う【天照】は天から照らしている意味で太陽の働き。月夜見とは夜に見る月。そうした意味の神名の名付けです。名乗ったから【本物】ではないのです。
私が伏見稲荷山での霊界修行をお世話をして下さった御神霊は人類に物質的豊かさを授ける神の働きから【豊受】と呼ばれるわけです。
この妙霊、黒住、金光、天理の言葉を見ると、最初に【妙なる霊が湧いた】。次は【黒が住む(闇)の世であった】。次に【金色の光が立った(日立)】となり、【天の理が定まった】。そして【トドメとしての艮】となるわけです。
霊的世界を見聞して来ますと、宇宙の初発は仏教が説いた【無から有(霊)が生じた】です。無論、科学的には無から有は生じません。しかし、霊的には生じたのです。霊は【0(レイ)】の言葉を構成しますが、0は【無】では無いのです。0(レイ)は実存した物を隠す意味です。それは数式で【実数×0=0(レイ)】となるからです。実数(実存)を隠してしまうなのです。0は掛けることは出来ますが、割る事は出来ないのです。無の【ム】は【私】の漢字の元なのです。また【公】の意味にもつながります。
人が霊を見るは、霊に懸かられて【0】の世界を見る
仏教で万物の始めは【無から有が生じた】と説かれるのですが、どうしてそうしたことが解ったのかとなりますと、霊界に【宇宙の初発】に関する映像があるからです。大本教の霊界物語に宇宙の初発の説明がありますが、その映像は私の予想よりも多くの方が見ておられます。そうした方達は霊的に見たなのです。
ただ大本教霊界物語には宇宙の卵は円筒形と書かれていますが、私は薬に見られる長方形円筒のカプセル状と言います。カプセルという言葉が世に広く知られるようになったのは、薬剤の容器として使われるようになってからでしょう。かなり後の言葉です。形状としては円筒形よりもカプセル状に近い円筒形です。
そうした過去からの記録はスピリチュアルでは一般的に【アカシックレコード】を言いますが、過去の記録は【電磁波事物】に残っているなのです。それには個々の人の行動も全て記録されているのです。すなわち動くという行為そのものが【電磁波】を発生させるからです。ですから霊界では過去の行為は全て記録されてしまいます。
人は自分の過去世の行いを覚えておりませんが、そうした行為をカルマ(業)として仏教では説いて来たなのです。
記録に己(自分)の言葉(行為)が霊的に残されている
よく閻魔の鏡(浄玻璃鏡)が言われますが、それはアカシックレコードではないかと言えます。人はこの世で嘘を押し通すことは出来ますが、人の【言動や行為】は全て記録に残っていますので、死後もまた来世に人として出るには閻魔庁で裁かれるとなるのです。スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されますなどは、この記録(アカシックレコード)と照らし合わせを考えますと虚言を言っているとなります。
私はアカシックレコードと言うよりも、【ビデオ判定】と言った方が解りやすいかと思います。為には常に神に恥じない行動をするです。
科学ではこの宇宙は宇宙の卵が爆発して大宇宙になったとしますが、ではその宇宙の卵はどこから生まれたのですか?。となります。
宇宙の卵は【母胎たる陰(女)が始めに】産んだ
始めの漢字は女の胎(台)となっているのも、そこに理由があります。
しかし、その宇宙の卵を産んだ陰たる母胎はどうして出来たのかとなります。その現象は私達は【台風の目】の原理で知ることが出来るのです。空気中に含まれる水分から【雲】が創られる。その雲が豊かに集まって渦を巻く。もし雲と呼ばれる物が存在しなければ、三次元世界は成り立ちません。地球人類は生まれなかったのです。
ただ台風の場合は中心は【目】ですが、宇宙の母胎たる陰の気は渦の真ん中が逆に膨らんだのです。この状態は【孚(フ)】と言います。その孚には【まこと】の意味が出て来ます。
そこに母なる神の働きを【豊雲の尊】と申し上げます
その宇宙の卵の母胎となる【豊雲の尊】の出現前に【無から有】が生じたのです。その無から有を生じさせた存在は働きを意味する【神名】を使って表現することは難しいと言えます。その神からすると【私は私である】となってしまいます。何故ならば、ムは私を意味させた漢字だからです。
宇宙の始めから【私(ム)】が存在した。それとも仏
仏(佛)の【弗】は、沸き(湧き)ました
この宇宙の初発(無から有)の映像は、見ることが出来れば感嘆するでしょう。私が言う神とは神社や仏閣に鎮まる神や仏達のことではなくて、この宇宙を【誕生】させた存在なのです。ですから巷で自分が創造神ですとか救世主ですと名乗っている人達を見ると、いくら【霊力】があろうとチッポケな事を云う人達だなとなります。
私は子供の頃、自分に臨んで来る謎の霊声に疑問を持ち。その霊声に【貴方様は、いったいどなた様なのでしょうか?】と問いかけたところ、【私は私であり。アブラハムの神であり。そなたの神である。旧約聖書の神である。】と答えられたのです。何故かその時、ハムは【公】の字かと考えていました。
その当時、私が住んでいた所は大本教のみろく殿に通じる正門から延びる道筋で、付近は大本教の神職さん達が住んでいる場所でした。その当時の私の遊び友達は皆さん大本教の神職の子供さん達でした。当時はそうしたことから大本教のみろく殿の中を遊び回っていました。どうしてそんな場所で自分に旧約聖書の神と称する声が聞こえて来るのか?。不思議でならなかったなのです。それこそ子供の私に【私はアブラハムの神】だとも言われても、まったく理解不能と言えました。
霊的世界に関わって豊受姫から貴男の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられて、多くの霊能者の方と出会い、その中の7~8名の方からも貴男の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられ、私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声は日本では【国常立尊】様のことだったのかと思ったしだいなのです。
ただ、本守護神とは自己の魂の系譜に過ぎない
自分は偉い者だと思うと、自分が天に【罰】せられる
いくら高い神霊から出た分魂でも悪事をすれば落とされます。高い神霊の御子たる魂だから何をしても赦されるはないのです。大本教の出口なお開祖も出口王仁三郎聖師も神界における罪で、高い次元の神的世界から落とされたと言われています。
一部の霊能者は【人は皆、創造神だ!】と言われますが、万物は全て創造神から出なかった存在はありません。しかし、そこには【君と臣】の関係があり、唯一の神だけが【君】であり、他は全て【臣】として仕えるべきなのです。為に私は常に自分は【神の一下僕】に過ぎないと言います。それ以上の者では無いのです。
日本新神道系の宗教団体であれば、本守護神、正守護神、副守護神の存在を語りますが、スピリチュアルだと【ソウルメイト】の一本槍で、魂世界の次元格(神の高山合目説)が出て来ません。しかしその次元格は誰でも解るではない為に、巷で自称救世主と名乗る方達の中には自分は三千億次元とか五百万次元とか百万次元とか次元のバナナの叩き売りをされているわけです。
あえて大宗教の教祖様であるので幸福の科学の大川氏の自説を出しますが、以前は自分はお釈迦様とイエスとモーゼの3体を出した久遠の仏で九次元界の魂と称しておられましたが、現在は自分は十三次元の者であると称しておられます。たぶん自分は世界でも宇宙でも最高の者と言われたいのでしょう。それは聞いた人が信じるか信じないかであって、証明はされていないなのです。
それに習って、それに負けてはならじと巷にはお釈迦様とイエスと出口王仁三郎聖師と弘法大師は九次元界の方で、自分はその4人の魂を合体させた魂で三十六次元の救世主だと名乗っておられる方もあります。そうした自己勝手に名乗る次元格を許さない為に、霊能者の間では【神の高山合目説】が言われるわけです。客観的にその魂の霊界での格付けをする為の【神の高山】です。で、スピリチュアルは主に四次元世界と関わっていると見るわけです。
スピリチュアル等では【闇=悪】説ですが、【闇は門から音が出る】。
この【闇の門から出る音】とは何を語るのかです
門から出る音(日立)の予告が【黒住から金光】
その段階から後に天の理たる【天理】が定まって、天理教の主宰神の名は【天輪王命(てんりんおうのみこと)】とされているのですが、明治14年頃に天理教の中山開祖が信徒に聞かせた話に【くにとこたちの命わ、天にてわ月様なり・・・・】などがありまして、大本教の前段として【国常立尊】の名は既に出て来てはいるのです。
だが、その内容にはかなり無理があることが解ります。天理教に秘められた鍵の意味は、
天理教の中山みき開祖は、【41】歳にて神やしろ
九つ花の【真柱】が【41】の数字に成るのが天理
モーゼは四十年間荒野を彷徨い。四十一年目にカナンの地を目指す。イエスは四十日間荒野彷徨い、四十一日目に悪魔を退けて神の一人御子と成られた。出口王仁三郎聖師は【みのか尾張の女子】で、高山に入る国道【四十一】号線を秘めた。それが天理教にも出た。
黒住教、金光教、天理教で説かれる【教義】を見ても、それが創造神が直接に説かれた内容だとすると、あまりにもお粗末があります。それらの教義にはどこにも【真理】が出ていないからです。現世御利益と病気治しだけで大教団は造れます。人々はそれだけで信仰します。
しかし大本教から希代の大予言者である出口王仁三郎聖師が出られました。私は自分が霊的世界に関わって、未だ来ていない未来に起きる出来事を的確に見通せた神。それは如何なる存在の神なのかの謎にぶつかったと言えます。
創造神の深い仕組など、どこかの宗教の教えの一部を切り取って、人間の身が解ったようなことを言うような代物ではないのです。神の舞台に立つ役者は、皆、本当のことを何一つ教えてもらわずに与えられた役目を必死にこなして来ただけなのです。
大本教からは【艮金神・国常立尊】として世に出されたのですが、その神格を調べた学者筋からは大本教の神と旧約聖書の神の性格がどちらも【祟り神】で、非常に似通っていることで同一神かの声が上がりました。大本教の出口王仁三郎聖師は、【自分と出口なお開祖は旧約聖書で予言されている男女の二人の預言者である。】と、それを認めておられるなのです。つまり大本教の神とは旧約聖書の神でもあるなのです。
その艮金神とは何かとなりますと【表鬼門の艮金神】です。大本教はその艮金神が国常立尊様であり。その対となる【裏鬼門の坤金神】は国常立尊様の妻神とされる【豊国姫】として世に出したのです。
私達はその表鬼門・裏鬼門に関しては耳にします。江戸城の表鬼門には【寛永寺】を建立し、裏鬼門には【増上寺】を建立して江戸の町を祟りの金神から守ったです。それは京都御所にも言えて、表鬼門には比叡山【延暦寺】。裏鬼門としては伏見区の【城南宮】が知られています。さりながら、城南宮の御祭神は【国常立尊】ともなっており、その当時には国常立尊と艮金神を同一視する概念は無かったと言えるでしょう。
私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、豊受姫は【祟りの金神・鬼門の金神】などどこにも存在していないと言われていたと言います。祟りの艮金神とは日本の【陰陽道】からですが、そこにはどうしてこんな物を創り上げたかという「謎」があるのです。誰かが何かの目的で【作為】をしたです。
日本の祟りの艮金神は中国には無く、日本特有のもの
艮(牛虎)金神と坤(羊猿)金神は創造神の仕組か?
それは大本教神諭の【艮には牛虎もあるぞよ。】からも解ります。さらに、大本教発祥の綾部で藩主であった九鬼(くかみ)神道家では、宇宙の元津神を【宇志採羅(ウシトラ)根真】としていたからです。この九鬼の鬼の字は角か無い鬼の字。するとそこに出て来る【鬼】とは何か?。です。
節分の炒り豆に花が咲くは、【鬼と云う魂】に花が咲く
私は伏見稲荷山で4年間お世話になって【言霊】の世界に転じました。その言霊師の元で修行中、私から【侍姿の牛頭の主】が出て来たのです。すなわち【牛頭天王】と似たような存在です。さすがに下半身は【虎】でなかったのですが、その後に出て来るのは【黒牛、黒牛、黒牛】の連続です。自分の過去世は【黒牛】の連続であったかです。
その時、その言霊師の師匠から【おまえは立派な黒牛で良かったではないか。】と言われてしまい憮然としたのですが、新日本神道系で説く【一霊四魂】説で牛の理解が出来る道筋とはなったなのです。神々が蛇や狐や狸や猫の姿に見えるのと同じ事です。私の場合はそれが【牛】だったのです。言葉が像にして意味を形取っているです。
牛は【宇志採羅】の【宇志】のことです
それによって大本教から出された三千年前からの仕組の一端として、お釈迦様の祇園精舎の御守護神たる【牛頭天王】もそうした仕組の中に含まれると理解出来たなのです。
人は誰でも自分が困っている時だけは【神頼み】で神を求めます。だがその苦しみから逃げられると、ほとんどの人は【それっきり】なのです。その御礼の感謝すらしない人達があります。
大本教神諭に、【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず】とありますが、ほとんどの人がそれに気づこうとしないなのです。それはイエス一人が主の御子だとか。自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体出した永遠の仏陀と呼称する方を仰ぐことではないのです。
お釈迦様もイエスも弘法大師も私達の【先達】に過ぎないのです。そしてモーゼもイスラエル人を引率する役目を背負っただけなのです。
どこにも創造神たる神の姿は見当たらないが、
三千年間に渡り日本語で謎を解かせる仕組をした神
それが大本教から出された【艮(牛虎)金神国常立尊】に【坤(羊猿)金神豊国姫】の仕組から解るわけです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【新天地の新地球】に関して告げられましたが、そうした記述は大本教からは出ていません。しかし聖書のヨハネの黙示録には予言されて来たではあるのです。それで旧約聖書の神の名乗りであったのかも知れません。私は一部の霊能者から貴男の前世は【イエス】ではなかったのではないですかと質問されますが、私の前世にイエスであった時などありません。まったく別の存在です。
この世における私の前世は神を説く宗教家では無く。旧約聖書の神と称する声は【そなたの前世は他人の魂胆が解らないお人好しで、他人に騙されて最期を遂げた悲劇の武将であった。】と告げられました。私の武将としての功績を妬んで嘘ばかり言った者。その嘘を言う者の魂胆を見抜けずに、その言葉を疑わなかった者。私を利用して自分の思惑を遂げようとした者。そうした者達の魂胆によって、悲劇で終えた者です。為に、私の前世は恨みの中に落ちていました。
そうしたことは今の社会の組織にも見られます。人を蹴落とす為に策略をめくらして嘘で固めて人を落とすです。その時に初めてその人の魂胆が解りますが、それでは既に遅しとなります。最初からその人がどういう人か。早くから見抜く力です。それはどんな組織のトップでも求められることなのです。
私は旧約聖書の神と称する声から【今生のそなたには他の人より劣ったボロ服(肉体)を与えるが、代わりに私の心を与えよう。】で、当時の運動神経が発達した肉体ではなく、魂にボロ服(肉体)を着させられたなのです。しかしそれは人を外形やその地位で判断するのでは無く、人の内面を学ぶ為でもあったなのです。
旧約聖書の神と称する声は、私に【肉体のそなたを見る者ではなく、そなたの魂を見る者でないと。この神のことは解らない。】と告げられましたが、私は貧乏人の子供であったので学歴はありません。自分は大学を出ているが貴男は無学歴だとボロクソに言って来た三流どころか五流行者がいました。私は【東大】には行きませんでしたが、神の【燈台】に行きました。どちらが入るのが難しいかです。そんな人物は最初から相手にすべき存在ではないと解るわけです。
言葉の不思議は、その人の魂胆はしゃべる言葉に出る
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