徳川家康の言葉に、
【人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし】があります
そこに、人は何故に重き荷を背負っているのかがあります。どのような【道】を行くにしても、真に自分が天によって生かされていると自覚出来るのであれば、【人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し】の心境に到るでしょう。
スピリチュアルなどは自分でプログラムを組んでこの世に降りて来るのであって、自分の意志を押し通せばよいなのだの言葉が多いのですが、この世は自分一人で生きているのではありません。自分の思い通りには行かない世界なのです。そこに【苦労】も生じます。
お釈迦様は人は何故に死ぬのだろうか?。何故に生まれて来るのだろうか?。そうした疑問から修業に修業を積まれて、菩提樹の下で悟りを開かれたと言われていました。私は自分からコブラ(眼鏡)蛇が出て行く不思議な現象に遭遇しました。それは何だろうと思っていましたが、それはヴェーダ典に記載される【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】の現象であることが解りました。
蛇霊が去れば、人は【真理】に目覚める???
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人として歩いた事が無い道で、そなたの前にその道を歩いた者は無し。そなたを持ってその道は終わる。】と告げられました。また豊受姫のお代であった私の最初の師匠からも【貴方に教えが出来る神など日本国中探しても存在しない。】とまで告げられましたが、言葉で知る【真理】と言う果てしなきなき道を歩いて来たと言えます。
私は巳(蛇)帰るの後、【真理】を求める修業に入った
それは長きに渡る【苦労と苦難】の連続でした
しかしその苦労とは、お釈迦様のご苦労などには到底及ばないものです。私がお釈迦様を尊敬し続けるのは、その【ご苦労】が筆舌のものであったと理解するからです。私はお釈迦様にすがるではなく、そのご苦労に心を寄せるなのです。尊敬するのです。
一般的にお釈迦様の悟りは【慈愛】とされていました。私は物心が付いた頃から、お釈迦様とイエスの魂の格の差を知っていました。それは誰かに教えられたのではなくて、子供の頃から【自分は天の密命を帯びてこの世に降ろされた。】の感覚があり、幼い頃からお釈迦様とイエスとでは霊界での格が違っているの認識がありました。
私は霊的にはイエスと覚しき霊と何度か出会っていますが、それが本当にイエスの霊であったかどうかまでは解りません。証明が不可能だからです。ただそれで解ったのはそれが本当にイエス霊であるとしたならば、イエスは大本教の出口王仁三郎聖師と同様に【瑞霊】魂の持ち主であったなのです。瑞霊魂だと、どうしても【愛】の教えから抜け出せないがあるのです。
イエスの教えは一般的に【愛】の教えとされています。私が子供の頃に私に臨んできた旧約聖書の神と称する声から、【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、愛の教えを乗り越えて行け。】と告げられました。その時は、どうして【愛】の教えではいけないのかの疑問を持っただけです。
私は常に言っています。もしお釈迦様とイエスが同時期に生まれて出会ったならば、イエスはお釈迦様の弟子になったであろうです。それぐらいお釈迦様の魂とイエスの魂では魂に格差があったはずなのです。そんなお釈迦様がイエスの愛の教えと同様の【慈悲】など説くはずが無いのです。私はお釈迦様の教えとイエスの教えには差があり。そこに【真理】が埋没していると、お釈迦様は【慈悲】では無くて何を悟られたのかを探し続けていました。その為に長い霊界修業を積む必要がありました。
私は神霊界修業の中で人には【良心】が存在しているのに、どうして世に出ておられる神々には人の様な【良心】が無いのか?。神々に愛は有っても力の誇示たる覇権争いばかり。そうした疑問に襲われていました。そして大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】から、人の魂の中には良心神が存在している理由が解って来ました。しかもそれは【五六億七千万】の数字を打ち出し【みろく(369)】で語る仕組です。
最大の謎は、魂に蛇霊が憑依して魂の心棒に巻き付く
私は曹洞宗の門徒でもあります。そうした中で曹洞宗から檀家に配られた小冊の中に、お釈迦様の菩提樹の下での本当の悟りとは、【悪魔は実体を持たない表れであり。人には良心と呼ばれる神が内在している。】であったとの記述があり、それを見た時、私は小躍りをしました。お釈迦様の本当の悟りは大乗仏教の興りによって埋没していたなのです。
仏教は【正法】から【像法】に到り【末法】に到るですが、大乗仏教の興りの時点で既に【像法】の時代であり、お釈迦様の本来の悟りは忘れられており。法はあっても悟りを開く者無しで、お釈迦様の本来の悟りから遠ざかっていたのです。確かに【人に内在する良心神】では小乗の教えであり。大乗の教えにはそぐいません。
そのお釈迦様の悟りを現代に甦らせる仕組として、大本教から【世の大立替】と【みろく大神】と【五六七】が世に告げられて、そこに日本語ながら【空前絶後】の仕組がなされていると解ったのです。
自分だけ助かればそれで良いのかと、小乗仏教の教えを否定する大乗仏教の論理は解ります。しかしながら、
仏教は大乗に走ったことで【真理】からは遠ざかった
霊力の強い存在に頼るで、霊界は【群雄割拠】となった
大本教神諭に、ウシトラ金神は【達磨(ダルマ)大師】として現れたがあります。達磨大師は【禅】宗の創始者と言えます。その大本教神諭には【高崎のダルマでもあるまいし。】とあります。私にすると、何故にわざわざ【高崎のダルマ】と書いてあるのか?。そうした疑問を持ちました。
私を霊視した霊能力者の中には、貴方の背後には【達磨大師】がおられると言われた方もありました。私もその達磨大師姿の霊は幾度か拝見しています。私の背後に【壁面九年】で知られた達磨大師が居られる?。
私は壁面の【九×九】から、単一の示しに気づいた。
禅とは単一の物を示すで、【ダルマ】は宇宙の法たる真理
真理は一つの目でなく、【厳(陽)と瑞(陰)】の両面がある
天国界に渡る良心神の点数は、この世の生き方しだい
表があれば、裏もある。善もあれば、悪もある
ただ、それは【言霊神】とは何かが理解出来ないでは解けないのです。私は言霊師の師匠の元で言霊学を学んでいた時、【言霊】とは何だかを知りました。それは私達が日常的に使っている言葉の感覚では理解には到りません。その時の私の衝撃は私がそれまで持っていた神観を全て吹っ飛ばしたと言えます。
岡本天明師から日月神示(ひふみ神示)が出された後、言葉とは【光透波(ことは)】だと説く人が続出していましたが、それは【言霊】を理解していない人達の論に過ぎないなのです。単に大本教で演じられた【漢字とひらかな】の仕組で、言葉の転換に走っただけです。
言霊に気づくと、【識】の漢字の【音】に気づきます
言葉とは光透波(ことは)では無く、音波なのです
仏教で【識】とは、【前世の煩悩によって、現世に母胎に託された刹那の意識】とあります。私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は【人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返しである。この世の僅かな一瞬の場において、刹那心に溺れると永遠の自分の魂を腐らせる。】と告げられました。
それは仏教における【この世で煩悩を持つ事で、刹那に陥り。それが現世に母胎たる肉体に宿り。輪廻転生を繰り返すなのです。そこに仏教は【煩悩(貪・瞋・痴)】を説いているのです。
仏教の目的は、魂の【輪廻転生】の道を終わらせる
私は魂を【玉思惟】と言い、輪廻転生の終わりを説く
聖書では【言葉は初めから神と共に在った。】ですが、それだけでは言霊の理解など出来ません。言霊とは何かが解った時、初めてその意味が理解出来るのです。残念ながらこの日本で言霊とは何が解る方は若干名でしょう。言霊が何かは大本教の神典に秘めてありますが、具体的説明で明らかにはしなかったのです。時期草々です。為に【言霊神】と言う言葉を出す神霊達はあっても、言霊神とは何かを理解しているではないのです。そのほとんどが【ひふみ神示】の受け売りで止まっているのです。
私はそれを文書で世に明らかにする気はありません。学の頭で理解出来るではないからです。それを知りたければ、私の別Hp上で言霊発声練習方を出しています。その言霊発声方で鍛錬を続ければ【言霊】とは何かが解るからです。私自身がそうだったからです。その時、大本教の仕組が想像を絶する大仕掛けだと解るのです。何の努力もしないで【果報】など転がっていないのです。
実際にその言霊発声練習をされている方の中には、それによって信じられない体験をされた方もあるのです。また神の存在の実感です。それは神社や仏閣に詣でるでは会得出来ないものなのです。また、そうした神社仏閣に鎮まる御神霊の口を通じて【言霊】が語られることも無いのです。
日本神道の祝詞や仏教の御経も【言霊】を使うが
言葉を宣(の)る御経や祝詞では言霊は解らない
大本教の出口王仁三郎聖師は【言霊】とは何かが解っておられましたが、岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)には【言霊神】の言葉は出て来ますが、その理解はされていなかったと解ります。
人はこの世に生まれ出て何の【苦労】も無く、幸せに生きてこの世を去るのは前世の【徳分】が多かった人です。大多数の人は何等かの【苦労】を浴びるのです。その苦労の【因】は仏教でも禅宗系で説かれる【三時(過去・現在・未来)】の教えに示されます。だがそれだけではないのです。それは後述します。
人は過去から積んだ罪があるから、この世に降りて来る
そこに優秀な霊能者達は、この世は【魂の刑務所】。【魂の流刑地】。【天人の苗床】等と説かれるのです。だが、スピリチュアルに走ってしまいますと、そうしたことすら理解出来ない様になります。
私は曹洞宗の門徒でありますが、曹洞宗の信徒向けの【修証義】を読むと、過去の自分の罪は現世で払い。今の世で払いきれなければ【来世】に持ち越して払うとあるように、人は輪廻転生していると解ります。スピリチュアルで説く【神は愛だから、何をしても赦される】などは教義のどこにもありません。
修証義においても【懺悔(悔い改め)】をすれば【因果】の悪影響も好転するとあるように、悔い改める(懺悔)が一番なのです。だが、悔い改める要素として【良心神】が要るのです。愛を持って他人の罪を許しましょうではなく、まず自分を懺悔(悔い改め)しなさいなのです。
自己に良心神が無いと、悔い改め(懺悔)が出来ない
人の苦は自己の魂の穢れの洗いで、魂を向上させる
世には自分はどうしてこんな【苦労】をするのかと、親が悪いとか、世間(社会)が悪いとか、【責任転嫁】ばかりを言われる方達がありますが、自分が過去に招いた果の【自業自得】に過ぎないのです。
仏教においてはこの世に起きる出来事に【偶然】性は無く、全て【必定】と説きます。全ては自分が過去世で積んだ【因(蒔いた種)】に原因があり。その因によって【縁】が生じるなのです。それが【禅】による瞑想で会得できるのであれば簡単ですが、座禅だけではそれは無理です。瞑想だけでも無理です。
西洋に、この世の苦労は【神からの贈り物】があります
西洋キリスト教はイエス一人を主の神の御子と認める者は天国界で異教徒は地獄に落ちるが売り物で、魂論など無いに等しいのですが、よくぞこの世の苦労は神からの贈り物の教えが西洋にもあったです。
魂の総親神は、個々の魂に平等に苦労を与えるではなく
個々の魂の柔軟度により、より【苦難】を授けておられる
肉体を持つ人に入る魂の大きさとは、人によって大きな【差異】があるのではないのです。ただ、魂の柔軟度において、その魂を大きくさせることが出来るなのです。肉体を持った人で、あの人は心が広い。あの人は心が狭いは、その魂の柔軟度によって言う大小の違いなのです。魂の柔軟度が小さな人には小さな苦労。魂の柔軟度が中くらいの人には中くらいの苦労。魂の柔軟度が大きな人には大きな苦労を課す。そうした【苦】があるので、全ての【苦】が前世からの罪によるではないのです。
スピリチュアルでは無く、本当の霊能者と言われる人達の中では。高い次元格魂を持った人ほど、これでもかこれでもかと【試練】を浴びせられると言います。
私の霊界修業のお世話をしていただいた豊受姫は、私の幼い頃からの守護神団の一角にあったと言われます。私に試練という名の苦労をこれでもか。これでもかと浴びせる予定をされていたそうですが、私の母親の魂(豊国姫の分魂)の神力によってそれか阻害された。私に苦労に苦労を積ませることが出来なかったと泣かれました。豊国姫とは国常立尊の妻神とされる【坤(羊猿)金神】のことです。私は7~8名の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊(牛虎金神)】と聞かされています。
確かに私はお釈迦様ほどの苦労は積まなかったなのです。
魂が硬直すると柔軟度が無く、魂は大きな器とならない
魂が柔軟な人ほど【謙虚さとかやさしさ】が出る
自分は【苦労】ばかりと、人や社会を恨むのではなく
苦は創造神から与えられた魂磨きと意識すれば苦では無い
スピリチュアルでは、人はこの世に遊ぶ為に生まれて来たのだとか、魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。等と言う方が多く、多くの人を【亡者道】に案内しています。日本の神智学でスピリチュアルと呼称して【愛】しか言わない人は、【蛇霊の容器】と化した人達だとまで言われていますが、スピリチュアルから抜け出せる抜け出せないかで大きく変わります。スピリチュアルで見る霊能力とは、蛇霊から与えられる霊力で蛇霊から逃げられなくなるのです。
私は神霊界に修業に入って霊能力者の方達から、【貴方は高次元界の教えをなされる方だが、この世は蛇霊や狐霊が支配する低次元世界。貴方はそうした低次元霊界があまり見えない。それでは霊能者として活動が出来ない。霊能者としては失格だ。】と言われましたが、人々が願う今の苦しみを取り除いて欲しいの願いを適える要素は持たないのです。
仮にそそうした霊力をいただいたとしても、それはその人の持つ【カルマ】を次の世に送るだけなのです。今の世の治癒だけであり、根本治療には到らないのです。今の世はそれで助けられても、次の世でまたそれは起きるのです。
お釈迦様の悟りの良心神は、自力信仰であり
他力信仰では自己の魂の次元格が上がらない
されど、世に悪神とか【祟り神】とされた【ウシトラ金神国常立尊】様は、魂(鬼と云う牛虎)の総司神として、創造神として【自分を唯一神として仰ぐ者達は、永遠に嬉し嬉しの新しきみろくの世に渡そう。】と言われているなのです。それが【五六億七千万のみろくの仕組】なのです。巷で自分が【みろく】ですと名乗っている方の話ではありません。
無論、そこには【ウシトラ金神国常立尊】は悪神だ。祟り神だと言って、未だ海の物か山の物か解らない新しい世には自分は行かないと言う人達は多くあるでしょう。ですから、国常立尊様(天之御中主)を唯一神と信じる者と信じ無い者とに【二つの世界】に永遠に別れて行くなのです。
大本教が告げた【三千世界の大立替】とは、
宇宙開闢以来の出来事に成ると予告した
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