【中日】ユニ忘れ選手に毎度貸す三輪ブルペン捕手「現役時代から1度も忘れたことはありません」
<ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム> 9年ぶり5度目の「MIWA」ユニホームがグラウンドで躍動した。5月13日中日対ヤクルト戦(豊橋)で中日の田中幹也内野手(24)がユニホームを忘れ、三輪敬司ブルペン捕手(48)の背番号「111」のユニホームを借りて出場した。 【写真】三輪ブルペン捕手からユニホームを着る田中幹也 これで三輪さんからユニホームを選手が借りたのは5度目となった。忘れると必ず三輪さんから借りるというルールはないが、今回も1日限りの豊橋での試合で、打撃投手も予備のユニホームはなく、ブルペン捕手の三輪さんか前田章宏さん(41)のどちらかだった。2人とも身長は185センチほどだが、前田さんはよりがっしり体型。166センチの田中は三輪さんのを選んだ。「ブカブカでした。忘れてパニクってたんですが、気合で打ちました」。田中は6番・二塁でフル出場し、2安打を放ちチームも勝利した。 借りた選手が打ったのは5回のうち初めて。勝ったのは2005年9月27日横浜(現DeNA)戦で井端に貸した時以来2度目となった。三輪さんは「(貸した田中が)打って、勝ったらそれはうれしいですね」と喜んだ。貸した日は試合中練習着を着て受けるという。 三輪さんは愛工大名電2年の夏から捕手に転向。94年ドラフト5位で中日に入団しプロ7年間で1度も1軍出場はなかったが、引退翌年の02年からブルペン捕手を務めている。記者が大学時代に当時ダイエー(現ソフトバンク)ホークス2軍球場の雁の巣でスコアボードやボールボーイのアルバイト時代に目の前でプレーしていた。今年7月には49歳になる。チームは休日でも投手陣が練習する時は練習相手をするなどフル回転。現役当時の日刊スポーツの選手名鑑には高卒2年目の96年は「前年入団選手の中では唯一故障知らずでシーズンを戦い抜いた」、97、98年も「故障のない強ジンな体」と書かれている。 ブルペン陣のリーダー格の藤嶋健人投手(27)は「三輪さんはブルペンに欠かせない。ちょこちょこふざけながらも、悪くなるといろいろと教えてくれるんです」と話す。キャンプでもシーズン中でも、キャッチャーミットをパァーンと鳴らし投手を乗せていく。 三輪さんは胸を張って言った。 「僕は現役時代から1度もユニホームを忘れたことはありません」 こんな裏方たちが、プロ野球を裏でしっかりと支えてくれている。【中日担当 石橋隆雄】 ◆これまで中日三輪ブルペン捕手がユニホームを選手に貸した試合 <1>05年9月27日対横浜(横浜) 井端弘和内野手(2打数無安打) ○5-2 <2>09年5月30日対ソフトバンク(ヤフードーム) トニ・ブランコ内野手(2打数無安打) ●5-9 <3>10年3月7日オープン戦対オリックス(京セラドーム大阪)高橋聡文※(1回1安打無失点) ●0-5 <4>16年7月5日対広島(富山) 藤井淳志外野手※※(出場なし) ●1-4 <5>25年5月13日対ヤクルト(豊橋) 田中幹也内野手(3打数2安打1打点) ○5-4 【注】試合日、選手名(その日の成績)チームの勝敗、スコア。 ※高橋聡文は2軍から急きょ合流したためユニホームが間に合わず。 ※※藤井と同じ日にはダヤン・ビシエド内野手が中野栄一ブルペン捕手のユニホームを借り出場。