2011年3月11日の大震災の後、そこはまるで異なる惑星のようで、自分が生きている現実の向こう側への扉が開いているように感じられました。
私たちは、毎日、規則正しく繰り返されている日常が世界の全てのように思い込んでおり、その認識の範疇で、将来設計をはじめ、いろいろなことを計画し、日々を積み重ねています。
一方、 そうした人間の計画や思惑など一瞬にして吹き飛ばしてしまう現実が存在しているのですが、私たちは、ほとんどそのことを意識せずに生きています。
欧州のエリートの人たちが、異論の隙を与えない緻密な論理を駆使した話を堂々たる態度で喋っているのを聞いていると、その論理こそが彼らの自我の牙城であることがよくわかりますが、日本人は、心のどこかで、「とはいえ、いつ何が起こるかわからない」という気持ちがあるためか、あまりにも厳密な論理には少し違和感を抱く人も多いでしょう。
自転車のチェーンなどでも、少し緩めた”遊び”がなければ、衝撃を受けた時にキレやすくなる。
欧州の近代的自我の影響を強く受けたためか、現在の日本では、たとえば純粋日本人か在日かなどといった二元論の偏狭な視点を持つ人も増えていますが、大陸から稲作をもたらした弥生人は当然ながら渡来人だし、これまで日本人は縄文系か弥生系かなどと言われていましたが、最新の遺伝子研究では、その後の古墳時代に大挙してやってきた渡来人の遺伝子を持つ人が、現在の日本人の半分くらい占めるという新説もでています。
また、日本人の大半が誇りに思っている東大寺の大仏は、行基の貢献によって作られましたが、行基は、百済に帰化していた中国人であったという記録が残っていますし、歴代の天皇のなかで最も名前が知られている桓武天皇や、菅原道真を重用した宇多天皇の母も、渡来系です。
日本人を定義するにあたって、どこ出身であるかは、まったく意味を持たないのです。
日本人や日本文化に固有性があるのは、日本という島国の気候風土が、その原因になっています。明確な四季の巡りを日本人は当たり前のように思っていますが、世界のなかで、このことは特殊であり、さらに、定期的に起きる天変地異が、日本人の心に影響を与えたことは間違いないでしょう。
地震や台風や火山の噴火、これらは、人間がどれだけ叡智を結集しても、止めることはできません。
こうした環境要因が、人間の心を育てる。日本人の定義は、日本という島国の特殊な環境に育てられた心をもっている人、だと私は思います。
しかし、こうした日本における自然の特殊性は、平常時がしばらく続くと、忘れられてしまう。
人間の脳は、忘れるという機能をセットしている。この機能がなければ、日々を生きていくうえで色々な支障がでる。今、目の前のことに集中できないし、辛いことも引きずってしまうから。
そして、日本という国には、もう一つ大事な特殊性があります。大陸の国は、後からやってきた新勢力によって旧世界が徹底的に破壊されてしまう傾向が強かったことに比べて、島国の日本は、後からやってきた勢力は、海を渡らなければいけないという条件があるため大挙してやってこれず、それ以前の勢力と共存する必要があったゆえに、旧いものと新しいものが重なりあっているのです。
そのため、旧い世界の記憶が、様々なかたちで伝えられており、そこにアクセスすることで、現代の偏狭な価値観の枠組みを超えたものに触れることができる可能性があります。
特に、人間の手に及ばない天変地異が起きた時、過去の日本人もまた、旧い記憶にアクセスを行ってきました。
歴史にそれほど興味がない人でも名前くらいは知っている日本文化の代表的人物は、天変地異が頻発する激動の時代を生きていました。
たとえば松尾芭蕉が生きていた17世紀は、全国的な異常気象(大雨、洪水、旱魃、霜、虫害)が続き、寛永の大飢饉がありましたし、1666年、死者1500人とされる越後高田地震をはじめ、巨大地震が頻発したことが記録に残っています。
芭蕉が生まれる前ですが、1605年の慶長地震は、千葉の犬吠埼から九州に至る太平洋岸に大津波が襲来して、多くの人が亡くなっており、この被害地域は、南海トラフ大地震と重なります。
芭蕉が心の師とした西行が生きた12世紀も、疫病の流行や天変地異が続き、末法思想の広がった時代であり、当時の状況を伝える「地獄草紙」と「餓鬼草紙」などが現存しています。
同じ時代の新古今和歌集には、西行の歌が、歌人のなかで最多の94首も採られていますが、新古今和歌集の編纂にあたった藤原定家が歌の道に専念することを決めたのは、若い時に西行に出会ったからだと、定家の日記である「明月記」のなかで記録されています。
この新古今和歌集の編集方針は、『万葉集』とそれまでの勅撰和歌集に採られなかった和歌より撰ぶことでした。万葉時代の歌のなかからは、作者が柿本人麻呂とされるものが23首でもっとも多く(万葉集に含まれていないものもある)、人麻呂の歌が尊重されているのがわかります。
10世紀に紀貫之が編纂した「古今和歌集」においても、柿本人麻呂は、歌聖として崇められていました。
古今和歌集が編纂された時も、直前に、有史以降で最大規模とされる貞観の富士大噴火や、貞観の大地震などが起きています。
7世紀末の柿本人麻呂の時代は、度重なる南海トラフ大地震や浅間山の大噴火など白鳳の天変地異が10年に渡って起きていたことが日本書紀に記録されており、その様子は、まるで聖書の黙示録のようです。
芭蕉が心の師とした西行、西行に影響を与えただろうと考えられる紀貫之、柿本人麻呂は、200年ほどの歳月を隔てて生きた歌人ですが、その歌には共通する特徴があり、それは、「遊離魂」とされるものです。
遊離魂は、現代的解釈では肉体から遊離した霊魂を示す学術用語と説明され、その説明は、肉体と霊魂を分けて考える二元論の現代的思考によるものであり、そもそも肉体と霊魂をそこまで厳密に分けて捉えていなかった古代日本では、日常的な「うつつ」の世界と、不可視で非日常的な幽界とのあいだを行き来する心の在り方というか、眼差しであると解釈した方がいいと思います。
すなわち、心ここにあって、ここにあらずという。
西行が、出家をする直前に詠んだとさえる歌、
「空になる心は春の霞にて世にあらじと思ひ立つかな」。
この歌は、霞の立っている空が心の中にもできてしまったと、自分自身のものでありながら自身でも把握しかねる心、自分の身体から遊離してゆく心のことを詠んでいますが、出家という人生の岐路において、どこか他人事のような気配も漂っています。
自我の葛藤のすえ思い詰めて決心するというより、霞のような「空になる心」に身をゆだねて出家に至るという心境でしょうか。
「遊離魂」というのは、自我の呪縛から自由になった心と言い換えてもいいでしょう。
自我というのは、自分を中心に物事を見たり考えたりする働きがありますが、西行は、自分を安心できる場所においた文化人の趣味嗜好のように花鳥風月を愛でる歌を詠んだりしませんでした。
西行は、そうした自己中心的な二元論で世界を見るのではなく、「花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける」と、自分と桜を重ね合わせて、自分に深く関わりのある存在として、歌を詠んでいたのです。
そうした自然界の有様を自分ごととして引き受けているからこそ、「世の中を夢と見る見るはかなくもなほ驚かぬわが心かな」という境地に至っていたのでしょう。
世の中は儚くて当たり前のことで、驚くには当たらない。
人智の及ばない天変地異を前にして、自らの無力さを諦観の境地へと導く遊離魂、すなわち自我の滅却。
日本人が積み重ねてきた日本文化のなかで、現代の日本人にとっても、最も重要な鍵になってくる境地が、ここにあるように思われます。
2011年3月11日に起きた東北大震災の後、最初に訪れた宮城県名取市の閖上で、私は、この写真を撮りましたが、その時、一種の遊離魂の状態にあったと思います。
西行のように出家はしなかったけれど、2010年の年末から数年間、年末年始には連続して、高野山にこもっていました。
あの時から、自分の心の有り様と、自分を取り巻く何かが、大きく変容したことは間違いありません。
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第1556回 日本の天変地異と遊離魂
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