日本は海に囲まれた島国。この国の歴史を考える時、海人勢力のことを無視することはできない。
そもそも縄文時代、糸魚川の翡翠が北海道から沖縄に流通していたり、八ヶ岳や隠岐や神津島の黒曜石も、日本の至るところで発見されているように、海と川のルートによって、日本各地が結ばれていた。
大陸から大挙して渡来人がやってきた時も、彼らの道案内は、日本中を網の目状に張り巡らしている河川や、太平洋および日本海の航海に長けた勢力であっただろう。
この勢力は、特定の氏族ということではなかった。後の海人族として知られる安曇氏などは、紀元500年以降に成立した氏姓制度によって職能に応じて姓が与えられたのであって、安曇氏というのは、古代から日本の海や川で活動していた人たちを束ねる役割を担っていたと考えられる。
(間人の立岩の近くの竹野神社。 日本海三大古墳の一つ、神明山古墳の隣に鎮座する。竹野姫など、朝廷に嫁いだ巫女たちの本拠。)
こうした古代からの海人勢力は、大陸から新しい知識や技術を持った人々と婚姻によって結ばれた。そのことは、日本神話のニニギとコノハナサクヤヒメの物語の中に象徴されている。
日本の律令制の開始に大きく貢献した天武天皇と、その妻の持統天皇。持統天皇の母は、越智娘で、この女性は、中大兄皇子が蘇我入鹿を討伐した乙巳の変の前に、中臣鎌足の進言で娶った女性である。
なぜ中臣鎌足は、中大兄皇子に対して、この女性を娶ることを進言したのか。それはおそらく、この女性の母の実家の力を頼る必要があったからで、その実家とは、越智という名のとおり、瀬戸内海の伊予を拠点に大きな勢力を誇っていた海人勢力の越智氏(吉野川の紀氏と同族)だったのではないかと思われる。
持統天皇が、在位中に31回にわたり吉野離宮に行幸したことが古代の謎の一つになっているが、吉野離宮の場所は、吉野川を通じて瀬戸内海および太平洋に出やすい場所であり、このルートを拠点としていた海人勢力の紀氏(越智氏と同族)と密接に関わりを持ち続けていたからだと想像できる。
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