天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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初日なので1話~3話まで投稿します。その後はストックが尽きるまで毎日投稿となります。よろしくお願いします。


第一章 始原 (幼少期)
1-1. それは宿命


 愛という言葉の意味を、愛するという行為の定義を、ずっと追い求め続けていた。

 

 雨宮吾郎という一人の産科医が、それを希うようになった直接のきっかけとは、果たして何であっただろうか。

 ただの写真の、また或いは映像の中の存在でしかない母の影を、受けることの叶わなかった親からの情を、無意識に追っていたからなのか。

 父親すらも判然としない、忌み子ですらあるかもしれない存在の里親になってくれた祖父母が、母を「殺した」も同然の己のことを快く思わなかったはずの二人が、それでも自身のことを育て上げるという義務を全うしてくれていたことに対する、屈折した感情が故のことだったのだろうか。

 はたまた、ふとしたことで志した医師の道に、祖母が託した「産科医」という夢の形が、職業としての性質が、その必要性を強く意識させたからなのだろうか。

 

 或いはそれとも、研修医時代に経験したとある一人の女の子との出会いに、その境遇に、受けていた仕打ちに、そして――避け得なかった「別れ」に感じたこの世への憤りが、懐いたどうしようもない無力感が、せめてもの償いをせよと心に強く働きかけていたから、なのだろうか。

 

 愛とは、何か。難しい問いだ。世の哲学者が、宗教家が、あらゆるアプローチから答えを導き出そうとして、なお確たる結論には至ってこなかったものだ。なればこの世に生を享けてより三十年も経っていない自分にそれを解き明かすことなどあまりに無謀で、また途方もないことなのかもしれない。そう、思いもする。

 

 けれども――もしそうだとするのならば、この身に起こった斯くも唐突なる「出会いと流転」とは、吾郎にとって如何なる意味を持つものなのだろうか。或いは、「神からの気まぐれな贈り物」とでも言うべきなのだろうか。

 なんでもない産科医としての日々の中、突如自らの世界に現れた『一番星の瞬き』に、そこから始まった激動の二十週間に思いを馳せながら、吾郎は――否、「星野愛久愛海(アクアマリン)」と名付けられた嬰児(みどりご)は、自らを抱き上げてこちらを覗き込む「母」の顔を、茫洋とした目線で以て見上げていた。

 

 

 

 星野愛久愛海――アクアには、とある別人の男の記憶が宿っている。

 いや、それは正しい表現ではないかもしれない。アクア自身にとって今の「星野愛久愛海」なる自分の姿は、寧ろこれまでの「雨宮吾郎」という三十路手前の産科医としての生の延長線上の何かであるという意識の方が、どちらかといえば強かった。

 それもそのはずだろう、とアクアは考える。なにせ、自らが新たな生を享けたこの身体の母親である女性は、ついこの間まで自身の担当する妊婦として、面倒を見ていた存在であるのだから。

 

 

 

 星野アイ。()()は苗字を省いて「アイ」。七人組のアイドルグループ『B小町』のセンターを務める、十六歳の少女。それが今のアクアの母だ。

 B小町、不動のセンター。その称号を恣にする彼女のことを最初に認識したのは、生身の彼女に相対する数年ほど前のことだった。

 

 医学部での六年間を経て、医局における研修医としていくつかの科をローテーションしていた中で、吾郎としての自分は、とある一人の少女と出会った。

 退形成性星細胞腫――重い悪性脳腫瘍を患った少女だ。名前を天童寺さりなと言った。

 無味乾燥な、病室という鎖された世界に倦んでしまわぬように、抗がん剤の副作用に苦しみ、脳を腫瘍に侵されて運動機能を少しずつ喪失していく恐怖と向き合うために、彼女は自らの心に一つの支えを持っていた。それこそが「B小町」というアイドルグループであり、そして「アイ」という、天童寺さりなと同い年のアイドルの存在だった。

 

 それは、ある意味において投影だったのかもしれない。それによる現実逃避という面は、確かにあったのだろう。

 病状が深刻化していくにつれて、研修医であった吾郎と主治医、看護師のほかには誰も訪れることのなくなった鈍色の世界の中で、家族すらもやってこなくなった病室の中で、それは唯一とも言っていい、天童寺さりなにとっての色彩であったのかもしれない。

 

 だから、なのだろうか。吾郎としての自分は、きっとそんな彼女にどこか重なる心を持っていたのだろう。この天童寺さりなという少女の病床に、回診のたびに、あるいは研修医としての多忙な日々の合間を縫って訪問した。

 

 彼女の話を聞いた。

 彼女の嘆きを聞いた。

 彼女の、夢を聞いた。

 

 病室という、たった五メートル四方の世界を飛び出した、もしもの話をした。生まれ変わりなどという、荒唐無稽な話も。

 お互いに認識していた破局の時を、喪失の未来を、別離の日のことを、今日だけは、明日だけは、意識の外に追い出すことができるようにと、そう願っていたからだったかもしれないと、今にして思う。

 

 尤も、それが高じて「結婚して」などという怪体なことを彼女が口走ったときはどうにも閉口させられたものだけれども、それでもそれほどまでに、天童寺さりなという少女と心を通わせることのできた自分をどこか誇らしく思ったことも確かで――そしてそんな彼女に何もしてやれず、ただ「見送る」ことしかできなかった自分のことが、どうしようもなく惨めだった。

 

 だから雨宮吾郎という人間にとって、B小町のアイの名を追い続けるという行動は、一種の代償行為にも等しかったのだと、今の自分は考えている。この病室の景色だけが世界のすべてだった天童寺さりなに、外の世界への翼をほんの一欠片であっても与えてくれた「アイ」の姿を追うことが、あの少女の、さりなの思いを背負うことになるのだと勝手に信じて……しかし同時に、「アイ」という少女の放つ輝きに惹かれていく自分がいることも、また確かではあった。

 吾郎としての自分は、自らのことをアイドルオタクであると規定してはいなかったが、それでも客観的に見た自分がどうしようもない「アイ推しのアイドルオタク」であるという評は、甘んじて受けなければならないであろうと思うほどには、そうであったのだ。

 

 そして――そんな自分のもとに、「誰かの子供を、双子の子供を身籠った二十週の妊婦」としての「アイ」が、「星野アイ」が、やってきた。

 

 

 

 青天の霹靂だった。天地がひっくり返るほどの衝撃だった、と言い換えてもいいかもしれない。

 別に「厄介なアイドルオタク」であるとまでは自認していない自分にとって、「アイの妊娠」という事実そのものにネガティブな感情が呼び起されることはなかったけれども、それでも天童寺さりなが憧れていた、そしてそのあとを自分が継いだと自負する対象のあの輝かしきアイドルが、その腹に子を宿しているという事実に対する衝撃は、世界すら覆すほどの強さをもってこの身を襲った。それは、間違いのないことだった。

 とはいえ、この身は医者である。産科医である。自らを頼ってやってきた妊婦に対して、その責務は必ず全うすべきものだ。そしてそんな意識のもとに「アイ」、ならぬ星野アイという少女を観察したとき――吾郎はどこか「影」のような、(ひず)みのような何かを、彼女からそこはかとなく感じ取った。

 

 

 

 星野アイには、明白な欠落が存在している。それが医師としての雨宮吾郎の見立てだった。産科医として、黄体ホルモンの影響から心理的に不安定になりがちな妊婦のメンタルケアを担当することも多かった吾郎は、そういった人間の振る舞いや性質に敏感であった。

 そしてそれ以上に、吾郎にとって生涯の問いにも等しい、「他者との関わり方」というファインダー越しに星野アイという少女を見たときに、そこに浮き彫りになった違和感の正体こそが、まさしくその「欠落」だったと言っていい。

 

 星野アイは、人の名前を憶えられない。吾郎はその事実をかなり早い段階で認識した。

 何せほぼ毎日のように病院に訪れては色々と彼女の様子を確認するように努めている、自らの所属する芸能プロダクション――苺プロの社長の名前を、彼女はまともに記憶していないのだから、嫌でも気づく。

 当然に、吾郎も自らの名前をたびたび呼び間違えられた。結局アイは吾郎の名前を正しく呼ぶことを諦めたらしく、最終的に吾郎は、彼女から自らの職位たる「せんせー」という呼び方で呼ばれることになった。

 

 認知機能に問題があるのか。一瞬そう思いはしたが、そうではないこともすぐにわかった。彼女は日々あったことはよく覚えているし、短期記憶も長期記憶も明瞭で、論理的思考力も人並み以上にはある。

 ただ、それでも「人物」のこと、とりわけ「人物の識別」に対することだけを、彼女は特別に苦手としていた。まるで、人物を一意に識別することを恐れるかのように。

 

 故に、吾郎は結論付ける。

 「自分にとって『特定の一人』を明確に定めて、その誰かに向けて強い親近感を持つ」。そんな人間として当たり前に持っているはずの心理的働きが、彼女からは欠落しているのだと。

 

 

 

 その理由を、病理を以て説くのであれば簡単だ。

 星野アイには、家族というべきものがない。これは初診のときに、彼女の付き添いとしてやってきた苺プロの社長から聞いた言葉でもあるし、本人もまた同じようなニュアンスのことを口にしていたから間違いない。「家族というものに憧れを持っていた」と、確かにアイは吾郎に語っていたのだ。

 その事実が、直ちに「星野アイは孤児であった」ということを意味するわけではないにせよ、いずれにしても彼女がその成長の過程において愛着の形成に問題を抱えた子供であったことはほぼ間違いがない。

 

 言い換えるのであれば、星野アイは人格形成の段階において「愛着障害」を抱えている可能性が高い、と吾郎は見ていた。尤も、吾郎は産科医であって精神科医でも心療内科医でもない以上、星野アイに対して何らの確定診断を下すこともできない立場ではあったが、それでもアイが自らに見せる振る舞いの節々に、そうした気を感じるところがあるのは紛れもない事実だった。

 

 

 

 しかし一方で、人間としての雨宮吾郎は、「星野アイ」という等身大の少女を前に、そんなたったの四文字でその性質を断定して斬って捨てるようなマネなど、できようはずもなかった。したくもなかった。

 ……いや、そういうことではないのだろう。つまるところ、そんな彼女の人格形成における根底の中に、吾郎はどこか自分と重なる部分を見つけていたのだ。また或いは、天童寺さりなの影すらも、見出していたのかもしれない。一言で言えば、勝手な共感を、雨宮吾郎は星野アイに対して抱えていた。度し難い話ではあったのだろうけれど。

 

 

 

 ともかくもそういうわけで、吾郎はアイの予定日までのおよそ二十週の間、人一倍の注意を払って彼女に接した。日々のカウンセリングも、マタニティヨガをはじめとした母体のメンテナンスも、出産にあたっての方針も、微に入り細を穿つが如くに、吾郎はアイに親身になって接し続けた。

 私情がないといえば、嘘になる。というより、心のうちに占める私情の割合は、決して少なくはないのだろう。それでも吾郎の心中には間違いなく産科医としての矜持があったし、その全ては星野アイという十六歳の妊婦が恙なく出産という大業を遂げるための――そしてその後の生活のなかで、自らの産んだ子を慈しむことができるようにするための、出来得る限りの努力であった。そこには誓って、一片の嘘も存在してはいなかった。

 

 

 

 だからこそ、その最後の仕上げ、集大成ともいえる彼女の分娩の場に、「絶対に立ち会う」と約束を交わしたにも関わらず顔を見せることすらもできなかったことは吾郎にとって痛恨事に相違なく、しかしその『原因』となったあの事件が、今こうして自らをアイの子として生まれ出でさせる直接の要因になったのだとすれば、それもまた因果ではあるのだろうかと思って――しかしその瞬間、吾郎は、否、アクアは気が付いた。

 

 

 

 そうだ。あの時、勤め先の病院から自宅への帰路の最中に出会ったあの怪しげな風体の若い男は、自分の、雨宮吾郎のことを「星野アイの担当医であるか」と誰何してきた。

 怪しんだ自分の前から逃げ出したその人物を追いかけて、それが山道を抜けて開けた崖のところまで辿り着いたところで、おそらく自分はあの男に突き落とされて、それが雨宮吾郎としての直接の死因になったのだろうが――今のところ、それはいい。

 問題は、あの男が二つの事実を知っていたということだ。

 

 一つは、「アイの本名が、星野アイである」ということ。

 そしてもう一つは、「星野アイが妊娠し、雨宮吾郎の務める宮崎の病院の産婦人科に、出産のために入院している」ということ。

 

 これらの二つは、当時インターネットにおいても、ほかのメディアにおいても一切公開されていなかった情報だ。一介のファン風情では、知り得ないはずのことだった。

 知ってはならないはずのことだった。

 

 ではなぜ、あの男はそんな情報を持っていたのか?

 そこに意識が向いたとき、アクアは文字通り、血の気の引く感覚を懐いた。

 

 

 

 自分を殺したあの男は、アイを、星野アイを、アクアの母親を狙って、何かをしようとしていた。

 そしておそらく、きっと、あの男は今も生きている。雨宮吾郎を殺したあとも、それが露見することもなく、どこかで確かに生きているのだ。

 アイの胸に抱かれながら覗いていたいくつかのニュースのヘッドラインにも、アイの見ていない間に拝借した彼女のスマートフォンで、プライベートモードに設定したブラウザを使って確認したインターネット上のニュースにおいても、「数か月前の宮崎における産科医の変死事件」、などというそれらしいニュースはなかったのだから。痕跡すらも。

 

 ならば、ならば――つまり、あの事件は、終わっていない。

 

 凍てつくような恐怖が、心を満たした。

 あの時の事件の顛末だけならば、自分の不注意という面も無きにしも非ずであったし、こうしてどういうわけか新たな生を始められるに至ったのだから、まだギリギリ許容できなくもない。無論、何の変哲もない二児の母としてこうして自分に接してくれているアイにも、そして或いは正しい形で生まれてくるはずであった「星野愛久愛海」自体に対しても、幾許かの後ろめたさを感じているのは事実ではあったが。

 

 しかし、そういう話ではないのだ。それだけの話では、済まないのだ。

 だって、未だこの日本の中でどこかにのうのうと生きているであろうあの男が、再びこの居所を見つけ出したら、どうなる?

 

 ……いや、事態はきっと、もっと深刻だ。なんとなればあの日あの時、あの男が一人ではたどり着けなかったはずの情報を、アイの妊娠を、そして出産という情報を提供した第三者が、共犯が、どこかにいるはずなのだ。

 アクアたちにとっての、見えない敵の影が、この国のどこかに。

 

 ――それに気づけなければ、どうなる?

 

 冷え込んでいく心情と、突沸したような情緒を、抑えられない。どういうわけか与えられた冴えた思考と裏腹に、赤子としての本能に根差す感情のうねりが、アクアの全身を撃ち抜くが如くに走り抜けて、果たしてアクアは泣いた。絶叫のような泣き声を上げて、気づけば大泣きしていた。身を捩るようにして。

 

 高い高いの姿勢でアクアの体を持ち上げていたアイが、母が、慌ててアクアのことを抱き寄せる。

 

「アクア? あれあれ? どうしたんでちゅかー? 高い高い怖かった? ……あーはいはい、よしよし」

 

 声が、上から降ってくる。アイの声だ。底抜けに明るい、母の声だった。

 十六歳の、少女の声だった。

 

 

 

 そうだとも。アクアは思い直す。

 彼女は、星野アイはまだ十六歳なのだ。この先に途方もない夢を抱える少女なのだ。

 「星野アイは欲張りなんだ」と、母としての自分とアイドルとしての自分を、両の手で抱えてみせると啖呵を切った、あの病院の屋上の夕暮れの光景を、アクアは今も鮮明に覚えている。彼女の瞳の中に見えた燦然たる煌めきが、彼女の頭上に架かっていた宵の明星と重なって見えた、あの風景を。

 

 だからその夢の一つを担うと決めて、彼女に寄り添って過ごしたあの二十週間のことは、吾郎(アクア)にとって、決して虚飾に塗れた記憶などではない。

 ならばその果てに、如何なる因果かそのアイの息子として生を享けた今の自分にできることは、なすべきことは一体何かなど、もう分かっているはずだ。

 

 ――今度こそ、遂げなければならない。守らなければならない。彼女に忍び寄る悪意から。彼女に手を伸ばそうとする脅威から。

 アクアは決断した。もし自らをアイの許に遣わしたことが神の差し金だというのなら、己に期待されている役割とは、畢竟そこにあるのだろうと、そう考えた。

 そしてその先にこそきっと、雨宮吾郎がその生涯をすべて費やしても届かなかった一つの『答え』があるのだろうと、信じた。

 

 アクアのことをあやしながら立ち上がった母が、アクアの泣き声につられたのか劈くような泣き声を上げ始めたベビーベッドの中の「もう一人」――アクアの半身ともいうべき女の子の方へと歩を進めていく。

 今の自分にとっての血を分けた双子の妹、星野瑠美衣(ルビー)。彼女の存在もまた、アクアに託された命であるというのならば。

 

 ――ああ、わかっている。やってやるさ。

 心の中で、アクアは一人決心を固める。

 

 堪えようもなかったはずの涙は、いつの間にか引っ込んでいた。




アニメ二期放送中につきあらためて一期から見直していたところ、「アクアは幼少期もうちょっと真面目にやっとけよ……」と思ったので、ならば自分で書けばいいじゃない、と。



ということで、吾郎の性格に以下の変更が加わっています。

1. 生い立ちに対するコンプレックスが原作よりかなり強い。
2. そのせいで天童寺さりなの存在(そして死別)が原作よりだいぶ重い。
3. よってアイに対する目線がガチ恋ファンではなくなっており、転生後の思考や判断がより理性的になっている。

これらの変化によって、アクアはかなり初期からアイの現状に危機感を持つようになっています。つまり幼少期アクアは原作よりかなり大人の思考に近い性格です。
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