サイエンス

2025.05.26 14:00

19世紀以降、ファッションのため「大量消費され絶滅」した3種の鳥類

人類のファッショントレンドには、他の種を絶滅させる可能性がある(Jarp2 / Shutterstock.com)

人類のファッショントレンドには、他の種を絶滅させる可能性がある(Jarp2 / Shutterstock.com)

動物が絶滅する原因はさまざまだ。地球の気候が変化したせいで、生き抜くことができなくなったケースもある。進化の過程でより優れた新種が誕生し、古くから存在する種が生態学的な地位から蹴落とされてしまう場合もある。

人間のせいで絶滅する動物もいる。このカテゴリーについてはさまざまな側面があるが、現時点では、人類が動物種にとって最大の脅威となっていると言って、ほぼ間違いないだろう。人間が自らの安全を守ろうとした結果、特定の種を根絶させてしまったケースもある。

その一例を、第1次世界大戦前のロシアで見ることができる。同国では、森林を農地や開拓地として利用するため、軍に対し、森林地帯から捕食動物を一掃するよう命じられた。しかしそのせいで、カスピトラ(Caspian tiger)が絶滅してしまった。カスピトラはかつて、西アジアと中央アジアの森林地帯などを支配していた捕食動物だった。

人間の行動が間接的に作用して、動物種が絶滅に追い込まれたケースもある。例えば、太平洋に浮かぶグアム島では、オーストラリアやパプアニューギニアを原産とするヘビ「ミナミオオガシラ」が、貨物に紛れ込んで島に侵入したせいで、森林に生息していた固有の鳥類の多くが絶滅に追いやられた。

人間が原因となった絶滅種のなかでも最も痛ましいのは、ファッショントレンドのために狩猟・捕獲され、絶滅に至ったケースだろう。北米で生息していた3種の鳥は、19世紀から20世紀にかけて、まさにそうした憂き目に遭った。その元凶となったのが、冒頭の写真のような婦人帽子だ。以下では、彼らの絶滅についてもう少し説明しよう。

カロライナインコ

鮮やかな羽根が帽子飾りとして人気を博したため、絶滅に追い込まれた米国南東部を原産のカロライナインコ(DeAgostini/Getty Images)
鮮やかな羽根が帽子飾りとして人気を博したため、絶滅に追い込まれた米国南東部を原産のカロライナインコ(DeAgostini/Getty Images)

カロライナインコは色鮮やかな鳥で、かつて米国南東部に生息していた。悲劇的な末路をたどった原因は、人間による生息地破壊と乱獲だった。

目の覚めるような緑と黄色の羽根がもてはやされた結果、19世紀末から20世紀はじめにかけて、ファッション業界の需要が増して乱獲された。カロライナインコの羽根は装飾用として大きな需要があり、とりわけ婦人帽子の飾りとして人気を集めた。

エキゾチックな羽根飾りの需要急増に伴い、カロライナインコは狩猟や捕獲の対象となり、数が激減した。それと同時に、大規模な森林伐採と農地の拡張で、自然の生息環境が減り、繁殖できる場所も奪われた。

1900年代はじめには個体数が大幅に減少し、保護活動による努力もむなしく、1904年に野生では絶滅した。その後、オハイオ州のシンシナティ動物園で飼育されていた最後の1羽が1918年に死に、完全に絶滅した。

リョコウバト

リョコウバト(Rawpixel.com / Shutterstock)
リョコウバト(Rawpixel.com / Shutterstock)

リョコウバトは昔、北米で最も生息数の多い鳥類だった。数が激減した主な原因は、狩猟と捕獲、経済的利用だ。リョコウバトは、容赦なく狩猟・捕獲された。主な目的は食用で、大量販売されていた。羽根も、羽毛布団の材料などとして需要があった。

商業目的で大規模な狩猟が行われ、組織的なハト狩りもあった。かつては無数のリョコウバトが大きな群れを形成していたが、乱獲や生息地の破壊、移動パターンの混乱によって全滅に向かった。数が急激に減り始めたのは1800年代半ばだ。

もともとは、群れで空が覆われ、あたりが暗くなるほどたくさんいたにもかかわらず、狩猟によって絶滅に追い込まれた。最後の1羽「マーサ」は、オハイオ州のシンシナティ動物園(最後のカロライナインコを飼育していた同じ動物園)で飼育されていたが、1914年に死亡し、リョコウバトという種はこの世から消えてしまった。

オオウミガラス

オオウミガラス(Rawpixel.com / Shutterstock)
オオウミガラス(Rawpixel.com / Shutterstock)

飛べない海鳥のオオウミガラスは以前、北大西洋の島々に生息していたが、狩猟によってゆっくりと悲劇的な末路をたどった。絶滅へと追いやられたのは、羽根や皮革、卵に需要があったからだ。

オオウミガラスは、ダウンジャケットやファッションのための羽毛や羽根をほしがるハンターにとって価値ある品だった。とりわけ、高価な帽子や衣類用として重宝された。オオウミガラスはさらに、その肉と卵のためにも捕獲され、数がいっそう減ることとなった。

また、オオウミガラスの営巣地だった一帯に人間が定住し始めると、生息地はますます荒らされた。こうした過酷な状態は18世紀と19世紀を通じて続き、19世紀半ばには、野生のオオウミガラスを見かけることはなくなっていた。1844年、アイスランド沖の岩礁で最後のつがいが殺され、絶滅に至った。

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1844年に最後の1羽が殺された飛べない鳥「オオウミガラス」の物語

forbes.com 原文

翻訳=遠藤康子/ガリレオ

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2025.05.23 18:00

1912年にタイタニック号とともに沈んだ「最も価値のある品」

1912年4月に沈没したタイタニック号(Shutterstock.com)

1912年4月に沈没したタイタニック号(Shutterstock.com)

1912年4月に沈没したタイタニック号とともに北大西洋の海底へと消えていった積み荷のうち、最も価値が高かったものは何だろうか。ほとんどの人は、金(ゴールド)やジュエリー、現金、宝石を思い浮かべるだろう。

タイタニック号が沈んだとき、そうした高価な品物の多くも失われたのは事実だ。しかし、海の藻屑となったかけがえのない貴重品はそれだけではない。例を挙げよう。

・メリー=ジョゼフ・ブロンデルの絵画『チェルケス人の沐浴』
新古典主義の大きな油絵で、かなりの価値があった。持ち主は、生存者の一人でスウェーデンの実業者マウリッツ・ホーカン・ビョルンストロム=ステファンソンだ。同氏はニューヨークに到着後、タイタニック号を運用していたホワイト・スター・ライン社に対し、10万ドルの賠償金を請求した(現在の通貨に換算して約200万ドル[約2億9000万円])。

・宝石があしらわれた『ルバイヤート』の装丁本
ルバイヤートは、11世紀ペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤームによる四行詩集。贅を尽くした装丁が施された、貴重な1冊だった。

・スタインウェイのグランドピアノ5台
技を極めた当時の職人が作った最高級のグランドピアノは、タイタニック号とともに海へと消えた。

・1912年製のルノー「タイプCBクーペ・ドゥ・ビル」
一等船室の客だった富豪のウィリアム・カーターが所有していたこの豪華な自動車も、悲惨な海運事故で海へと押し流されてしまった貴重品だ。

・フランシス・ベーコンの初版本
英哲学者フランシス・ベーコンによる随想集の価値ある初版本(1598年出版)も失われてしまった。

・数々の上質な磁器
装飾的な花瓶や食器類といった上質の磁器も、タイタニック号とともに海に沈んだ。

・アヘン
タイタニック号とともに海に沈んだ違法物品には、貨物室に搭載されていた大量のアヘンもあった。

しかし、タイタニック号の道連れになった積み荷のうち、最も価値が高かったものといえるのはおそらく、エキゾチックな鳥の羽根だ。40以上の木製クレートに詰められて、ニューヨークにある婦人帽子の工房に届けられる予定だった。

では、ニューヨークでそうした鳥の羽根が高値で取引されていた理由と、婦人帽子業界が鳥の個体群に与えた壊滅的な影響について説明しよう。

鳥類の絶滅を招いた「羽根飾り付き帽子」の人気沸騰

19世紀末から20世紀初めにかけて、ニューヨークは婦人帽子業界の中心地となった。その原動力となったのは、上流階級のあいだで、贅をつくしたおしゃれな帽子の需要が拡大したことだ。

次ページ > 羽根飾り付き帽子の人気は衰えを見せ始めたが、この流行が与えた影響は消えることなく残った

翻訳=遠藤康子/ガリレオ

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2025.05.17 17:00

1日100万羽以上の鳥を殺すオーストラリアのネコ、18世紀に持ち込まれる

Maren Winter / Shutterstock.com

Maren Winter / Shutterstock.com

2019年春、ウエスタンオーストラリア州マンドゥラーにある保護区が、静かな生態系崩壊の舞台となった。絶滅の危機にあるヒメアジサシの巣作りが順調に進み、200羽以上が集まったところで、まずいことが起こったのだ。

朝に、ひな鳥が死んでいるのが見つかるようになり、そして成鳥が姿を消した。その後、すべてを説明する痕跡が見つかった。営巣地のあちらこちらで、砂にネコが残した跡、首のない死骸、ばらばらになった巣が見つかった。

去勢済みの首輪のない白いネコがたった1匹、営巣地に繰り返し侵入したことで、シーズンの終わりまでに、巣作りは完全に放棄された。

オーストラリアでは、1日に100万羽の鳥がネコに殺されている。この大陸の野生動物たちは、哺乳類の捕食者がいないかたちで進化してきたため、特有の弱さがある。結局、マンドゥラーのネコは安楽死に処せられたが、このネコがもたらした影響は、より大きな問題の存在を浮き彫りにしている。この問題は、驚くほど明確な起源を持つものなのだ。

オーストラリアへのネコの侵入は、最初の英国船の到着から始まった

最初のネコは、英国からの初の船団が船に乗せたものだ。船内のネズミの数を抑制するためだった。1788年、船がオーストラリアの海岸に着くと、ネコはすぐに2つめの仕事を得た。入植者たちにとって、害獣退治に便利な動物として歓迎されたのだ。農村で、最初はネズミの大発生に対応するため、後にウサギの激増に対処するため、土地と家屋に、数十年にわたって意図的にネコが放たれていった。

オーストラリアはその後も、生態系的な実験に次々と失敗してきた。例えばオオヒキガエルだ。クイーンズランド州のサトウキビ畑の甲虫を抑制するために1935年に導入されたが、意図されていた獲物を無視したばかりか、驚きのスピードで増殖して、土着の生態系を崩壊させた(オオヒキガエルは、自らを防御するため強い毒性を持つ)。オーストラリアは現在、誤った判断が残した負の遺産と戦っており、全国で駆除活動が実施されている。

次ページ > オーストラリアで最も対策費がかかっている侵入種

翻訳=緒方亮/ガリレオ

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