第1513回 日本人とは何か? 日本文化とな何か?

 ここ数年、遺伝子解析の技術が進んでいるようで、数限られた古代人の人骨のDNAと、現在の日本人のDNAの比較が行われている。その結果、これまで考えられていたような、日本人の起源を縄文人弥生人のどちらかとする説ではなく、古墳時代に大挙してやってきた人たちの遺伝子と現代人の遺伝子の共通性が、縄文人弥生人よりも高いという説が、数年前に唱えられた。ところが最近、他のサンプルでの調査で、やっぱり縄文系と弥生系のどちらかだと主張する専門家も現れた。
 遺伝子研究の分野の専門家にとっては、どちらが正しいかを決めることが重要なことかもしれないが、果たして遺伝子が、日本人や日本文化の個性を作り上げているのかどうかを考えることの方が、大事ではないかと思う。
そもそも、現代のセオリーでは、人類共通の祖先がアフリカにいて、そこから各地に散らばっていったことになっており、同じ遺伝子を持っていても、住んでいる環境によって、肌の色や体格の違い、言語や宗教の違いが生じている。
 生物全体にしても、同じ単細胞生物から、環境世界の違いによって、これほどまで多種多様な生態系が生じている。
 仮に人類が火星に進出することができて生き延びることができるとしても、そして生存のための酸素や水を入手する方法が得られたとしても、重力や大気濃度の違い、放射能や電磁波の強さなどの影響によって、もはや以前の人間と同じではいられないだろう。苛烈な環境のなか、ごく限られたものだけ生き延びることができても、突然変異的に、姿形も、機能も、異なってしまうだろう。
 生物は、環境の違いによって生存戦略が変わる。そして人間も同じであり、人間の文化も、他の生物の求愛活動などと等しく、一種の生存戦略だ。
 現代人にとって文化は、余興のようになっているが、もともと、文化は新しい環境で生きていくための知恵であった。
 そして、技術と精神が融合した文化の中心軸にあるのが、言語だ。
 私たち日本人は、日本語を使って物事を理解し、日本語を使って物事を考えている。だから、私たちの思考やイメージが日本語の影響を受けていることは当たり前であり、日本文化も、日本語という言語の特質を抜きに存在しえない。
 日本人とは何か?という問いにおいて、日本人の起源をめぐる色々な議論はあるが、外国の地からこの島国にやってきた人たちでさえ、世代を重ねていくと、日本の風土環境への適応とともに、日本語による考え方や理解の仕方の影響を受けて、「日本人」になる。
 邪馬台国がどこにあったかの論争とか、日本人のルーツはユダヤ人であるとか、何かを特定することが歴史の真実であるかのような、クイズ番組のような感覚の歴史学習もまた楽しいだろうが、そうしたことは、歴史を知ることの本質ではない。
 私たちが現在使っている訓読み日本語の発明は、西暦500年頃、今来という渡来人によって行われたと考えられている。
 日本の中で長く生きている人ばかりで、日本に大きな変化が生じていなければ、訓読み日本語は発明されていなかっただろう。
 そうした発明は、そうしたものが必要な状況になったからこそ起こる。
 中国古代においては、共通文字の発明は、王朝の成立と重なっている。一人の王が、いくら武力に優れていても、それだけでは広い国を統治できない。国を治めるためには様々な約束事が必要で、その約束事を記録する文字が必要になる。
 それゆえ、これまでの日本の歴史研究で信じられているような、3世紀後半に奈良で始まったヤマト王権という一大勢力が、早くから日本各地を支配していたという説は、修正をする必要がある。
 考古学的にも、たとえば古墳時代後期に作られた甲冑や馬具などの武具は、近畿圏よりも圧倒的に関東の方が多いし、ヤマト王権の象徴のように考えられている前方後円墳の数は、奈良よりも千葉や群馬といった場所の方が多い。また、ヤマト王権が奈良にあったとする説の根拠となっていた初期前方後円墳は、奈良の纏向だけが最古なのではなく、千葉の市原や神奈川の海老名にも同時代の同規模のものがある。これ以外にもいくらでも根拠になる事実はあげられるが、6世記頃までは、ヤマト王権という統一王朝による中央集権的国家があったわけではなく、群雄割拠状態だった。そして前方後円墳というのは、中世の戦国時代に全国に似たような城が数多く築かれていたのと同じで、技術や世界観の流行と共有は日本の広い範囲に及んでいたものの、だからといって、各地域が、中央政府によって支配されていたわけではなく、戦国大名のように、しのぎを削っていた可能性の方が高い。
 古代中国において、王朝の成立と切り離せなかったのは、文章管理の文字とともに、各地域を同じ時間で結ぶための太陰太陽暦であったが、日本において、太陰太陽暦の始まりは、欽明天皇の頃であり、これもまた6世紀ということになる。
 5世紀後半から6世記にかけて、朝鮮半島や中国大陸、そして日本国内に大きな変化があり、その変化の中で、訓読み日本語が発明され、実用的なものとして使用され、この文字化が、日本人の心の形成にも関わってきた。その顕れが、共通文字の使用から200年ほどしか経っていないのに作り出された万葉集だ。
 私たち日本人は、この万葉集に、私たちの心の起源を感じとっている。
 この万葉集が、万葉仮名という漢字をベースにした文字表記であること、そして訓読み日本語の発明が、この島国に長く住み続けて世代交代を繰り返してきた人たちではなく、新しく島国にやってきた人たちによって成されたことが、日本という国を考えるうえで重要なことになる。
 訓読み日本語は、外からやってきた人たちが、力づくで強要した結果ではない。ヤマトコトバという島国のなかで長く用いられてきた言葉に漢字を重ねているのであって、近代ヨーロッパが、植民地政策として、英語やフランス語の使用を強要したこととは異なる。
 日本の特徴というのは、訓読み日本語の成立のように、古いものと新しいものの統合であり、だから、その後の歴史においても、ごく自然に、神と仏が習合している。
 土着と外来が何層にも重なり合っているのが、日本文化であり日本人なのであって、そのルーツをユダヤ人とか縄文人とかに限定することに、あまり意味はない。
 この現代社会においても、外国からやってきて日本に惹かれて、長く日本に住み続け、一般の日本人以上に日本文化に精通している人は数多くいて、その人たちが、この国で子供を産んで、その子供たちが、生まれた時から日本で育てば、日本人になるだろう。
 日本が日本であるのは、万系一世の皇室とか、西欧よりも歴史がある云々とか、日本人が自らの優位性やプライドを保ちたいがゆえに持ち出すような根拠ではなく、むしろ逆に、他者に対する謙虚さや敬いの心に顕れているように、自らの今の状態を正当化して、ふんぞり返っていないところにある。だからこそ、本来の日本人は、変化に対して柔軟性を持っている。それが、悪い時には、周りに流されやすいということになる。
 そもそも、日本の自然風土じたいが、砂漠と違って、変化を当たり前としているし、数多い自然災害には、現在の安定が未来永劫続かないことを、切実に思い知らせる力がある。
 このたび出来上がった「かんながらの道」は、ノイズの多い現代社会において、そうした日本について再認識するためのセンサーの感度を上げなければならないという強い思いで、制作したものだ。
 私がピンホールカメラで撮り続けてきた森羅万象のなかの古代ゆかりの聖域に、何かしらの気配を感じて心を動かす人もいれば、まったく何も感じない人もいるかもしれない。
 これだけ各種の情報が溢れ、しかも、その一つひとつが、他に負けまいとボリュームを上げ続けているので、人々のセンサーも、鈍くならざるを得ない。
 しかし、それでも不易流行。変わっていくものもたくさんあるが、変わらないものもある。
 変わらないものの軸がなければ、変化は、人々に、不安しかもたらさないだろう。
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「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
 詳細およびお申し込みは、下記コメント欄のホームページアドレスから、ご確認ください。よろしく、お願い申し上げます。
 https://www.kazetabi.jp/
 
 また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
<京都>日時:2024年11月16日(土)、11月17日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅
<東京>日時:2024年12月14日(土)、12月15日(日) 午後12時半〜午後6時  
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅

 

 

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