幕末、金の海外流出を防ぐため幕府が粗悪な貨幣を作った。とのことですが粗悪な貨幣を 幕末、金の海外流出を防ぐため幕府が粗悪な貨幣を作った。 とのことですが粗悪な貨幣を作るとなぜ金の海外流出を防げるのですか?

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ほとんどの方が日本の金と銀の交換比率が欧米の交換比率と違っていたのが原因と回答されると思いますし、教科書にもそのように書かれていると思いますが、それは間違いです。要するに日本の貨幣制度では両と言う金貨が本位貨幣でした。丁銀と言う重量で取引される銀もありましたが、幕末問題になったのは一分銀でした。一分銀は4枚で金一両と交換されます。一分銀は銀の重量で小判と交換されるのではないことに注目しなければなりません。一分銀は小判の不足を補う補助貨幣あるいは1/4両の価値を保証する兌換貨幣に過ぎないのです。欧米列国はここに着目しました。 彼らが主に使うのは銀貨です。当時標準的には品位87%で重量が27grの銀貨が標準的な国際間の決済通貨でした(メキシコ銀あるいは洋銀といいます)。これと補助通貨である一分銀(99.1%品位8.7gr)の間で交換させようと言うことになりました。いいですか1/4両の価値の無い地金で作られている補助貨幣を地金価値で手に入れようと言うのです。小判は安く手に入りました。おまけに自然に出来た相場である洋銀1枚2分2朱さえ無視して洋銀1枚3分というレートまで認めさせています。安く手に入れた一分銀を小判と交換し、それを本国あるいは上海などに持って行って高い金価格で洋銀と交換すれば、何も売買せずに大もうけできます。そして小判は海外へ流出していきました。それにしてもこんなことさえ交渉役の幕府役人にはわからなかったのです。結局小判は改鋳され万延小判が発行されます。高杉晋作などはが遊郭で何百両も使った安物小判ですね。以前の天保小判の3割以下の金しか含まれていません。粗悪な貨幣といわれるものの代表です。さてそうなって初めて洋銀を一分銀に換え、小判に換えて小判を母国にもって帰り、高い金価格で銀貨に換える商売のうまみがなくなったのです。先に洋銀一枚2分2朱という相場の話をしましたが、単純に銀の含有量だけでも交換率は日本の損になりましたから、小判より早く一分銀は品位を落とした安政一分銀に切り替えています。でも最も重要な小判と一分銀の関係に気がつくのが遅かったので金は大量に流出しました。庶民は困りました。小判1両は銭4000文前後です。小判の価値が下がると銭の価値も下がります。物価は高騰しました。庶民や下級武士の不満は溜まりました。日本国をどうするのかといった大所高所からの攘夷論もありましょうが、庶民が攘夷を支持したのはこういった生活困窮も原因のひとつになっています。

当時の日本の金が安かったので、外国は日本に銀を輸出して金を獲得していました。 そのうち、外国からアドバイスを受けて金の含有量を落としたのです。 粗悪な貨幣を作ったのではなく、世界の常識的な価値にしただけです。

実は江戸時代 通貨は金銀銅の通貨が主に使われていましたが、 金貨と銀貨との交換レートが決められていました。 日本国内だけなら問題なかったのですが、 外国での金貨と銀貨の交換レートは遥かに金の価値が高かった為 鎖国解除後 大量の銀を日本に持ち込まれ大量の金貨を持ち出されました。 そこで金貨に含まれている金の含有を減らして、交換を防ごうとしました。 チョット違う話ですが、米ドルは以前 金と交換が出来る兌換紙幣でしたが、 米ドルが増えて交換できるFRBが所有している金が足りなくなりそうになり、 ニクソン大統領が金との交換を取りやめました。 このことを「ニクソンショック」と呼び世界経済に混乱が起こりました。

もともと金の含有率が高かったので、当時のレートで取り引きすると「金」としての価値で取引先の諸外国が儲かったからです。 なので、やむなく金の含有率を減らしたのです。