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元の絵(複数枚ある傍聴法廷画)はちゃんと見ていないのだが、橋迫瑞穂さんの怒りは真っ当だと思う。本題からはズレまくるが、「推しのファンアートを描けば誰でも何でも全員が喜んでくれるはずだ」という考えで絵でバズりたがる人々もこの機に胸に手を当てたほうがいい。「似顔絵」を描くとき「中立」なんてありえない。とくに拙い素人は本人も無自覚に自分の思惑を乗せてくるから非常に暴力的で、迷惑がると「せっかく描いてやったのに」とか言う。冗談じゃない。 <これ私が美人に書いてあったとしても「そういう問題ではない」ということは本当に理解してほしい。ルッキズムで人を殴るな。> x.com/_keroko/stat...
続)こういうこと書くと「じゃあもうファンアートは一枚も描くなっていうんですか」「あんただっていろんなファンアートRPしてるじゃないか」「愛を表現してるだけなのに」とキレられるんですけど、私が言ってるのは、そういうことじゃない。自分がどんなイロを載せて絵を描いてるかに「無自覚な人」「思いが至らない人」「客観的になれない人」は、それだけで「悪意ある人」と同様に見做される可能性が非常に高い。肖像画の依頼が来るようなプロは滅多に起こさないことを素人の絵師はしょっちゅう起こすし、描かれた側は大抵「たえる」コマンドを連打してる、でなければこうして怒る、その怒りは、描いた側が、きちんと引き受けるべきである。
続)でもこれ、なかなか通じないんだよね。昔、自称漫画家志望みたいな人が、やたらと私や周囲の人の似顔絵を描いては「捧げ」てくるので、「私もそこそこ絵が描けるので次からは描き合いっこにしましょう、あなたが私を一枚描くたびに、私があなたを一枚描く、これでお返し、対等ね!」と言ったら、「そんなの絶対にやめて!」「私は描きたいだけで描かれたいわけじゃない!」と、もんんんのすごい剣幕で不快感を露わにされたことがあった。自分がイヤだと思うことは他人にもするなよ。自分が似顔絵を描かれそうになってそこまで怒るなら、なんで似顔絵を描かれた私たちが怒らないと思ったんだよ。その非対称性、暴力性に気づこうよ。という話。
続)「俺たちが手近な女子をスカートめくりするのはいいけど、俺たち自身のズボンが下ろされるのはイヤだ」「女子はスカートめくられても仕方ないけど俺たちをそれと一緒にするな」くらいのこと言ってるんですよ。そういう人に限って「やさしい気持ちで愛をふりまいて誰も傷つけないアートを成したい」みたいに言うのがまた滑稽だけど、「合意」が無かったら「暴力」にもなるだろ。「お互いに傷つけ合う可能性も踏まえた上で、何が起きても恨みっこ無し、というルールのゲームなら受けて立ちますよ」と提案した私のほうが「ひどい」みたいに言われるの本当に納得いかない。プロの画家がモデルを頼むときどれだけちゃんと依頼すると思ってるんだ。
Iku Okada 🍥 岡田育
‪@okadaic.bsky.social‬
続)再度書いておきますがこれはものすごい脱線であって、元発言の本題は、「こちらは真面目に裁判に臨んでいるのに、傍聴席から面白おかしく似顔絵を描かれてルッキズムで殴られるのはたまったもんじゃない。法廷画と言えば何でも許されると思うなよ」という話です。わざわざ描くのは原告が原告で被告が被告だからなのもあるだろう、女と女の訴訟をキャットファイトみたいに娯楽消費するな、といった意味もあると思う。腹立たしいですよね。やられっぱなしではかなわない。ちゃんと言語化していったほうがいい。少し前に「『撮る将』を名乗れば何でも許されると思うな、棋士を盗撮するな」というのがあったけど、こういう言語化ほんと大事だよ。
June 2, 2024 at 1:56 AM
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