問: 生物は脅威を感じた時、どのような行動を取るか。
「…っ、はぁっ、はぁ……!……っ!」
答: その脅威を避けるための行動を取る。
「……はっ、っ……はぁ……!」
問: ではその行動とは、どのようなものか。
「…はっ、はぁっ………はぁっ…!」
答: その脅威へ立ち向かう、もしくは──────―、逃亡する。
「はぁ…っ、くそっ!!……なんでっ…!」
崩れつつある建物の間に偶然作られた細道を駆けながら、男はそう吐き捨てた。
ここは新エリー都からそう遠くない位置に発生した、名も無き共生ホロウ。
かつての旧都陥落以降、各地でホロウの突発的な発生が起こり始めてから数年。
ここもその1つであり特段危険度が高いエリアというわけでもない。
もちろん小さかろうとホロウではあるから人は生活できず、対策なしならエーテリアス化は免れない。
そんな状況で男は、決死の表情で夜のホロウを駆けていた。
被る防護ヘルメットの下では滝のように汗が流れていた。
目は見開き、気を抜けばカタカタ笑い出しそうになる膝をなんとか制しながら、エーテル結晶で歪んだ道を駆けていた。
「…っ、はぁ!……っ」
男は、名も無き反乱軍の一員だった。
かつては防衛軍に所属し、一端の軍人としてホロウの脅威から一般人を守る、誉れ高い職についていた。
階級は高くなかったが、それでも若くして心優しい妻と尊い娘にも恵まれた。
男は幸せだった。
しかし、かの
当時軍が主導した抑止作戦は悉く失敗し、今後更に広大な生活域を失うと推測され、その中には
──────愛しい家族が住まう地域もあった。
ホロウ発生の混乱により通信機器が通じず、彼は家族の安否がわからなかった。
民間人の避難は勧められていたが、避難所確保が追いつかず現状を把握しているものは誰もいなかった。
しかし軍人である以上、上官の命令は絶対。
"待機"と言われればそうする他ない。
男は、祈るしかなかった。
その後まもなく司政府は都市間に点在する式輿の塔を14塔起爆させる判断を下し、ようやく際限のない拡張は止まった。
間髪入れず、その後は応急の復興作業と新エリー都への民間誘導を行った。
男が暇の時間を手に入れたのは、それから2週間後のことだった。
愛する家族を探すため男は各地に設けられた避難所を尋ね回った。
しかしいくら回っても、妻と娘には会えなかった。
最悪のケースを想像しつつ向かったいくつかの遺体安置所にも、その姿はなかった。
全ての避難活動が完了した避難所におらず、安置所にもその姿がない。
ホロウ災害によって引き起こされたそれが意味することを、男は知っていた。
軍人であれば、当然だった。
軍人であったから、家族の側にいられなかった。
軍人であったから、家族を失った。
軍人であるのに、最も大切な人達を守れなかった。
後日、男は防衛軍を除隊した。
「…っ、おいっ応答しろ! 誰かいないのか!? おいっ…!」
空虚な生活を送っていた男が反乱軍へ入ったのは、新エリー都がエーテル性物質をエネルギーとして都市還元させる技術を完全確立し、中心的に利用するという旨の発表を行ったからだった。
そんな資格はもうないことを知りながらも、憤らずにはいられなかった。
故郷と家族を失った元凶を、生きていくために利用するなど皮肉にも程がある。
軍にいた頃から反乱軍の存在は知っていたため、彼らとコンタクトを取るのはそう難しくなかった。
いくつかの試験を通過して彼は反乱軍へとその籍を移した。
同じ考えを抱いた人は数多く、中には軍で顔を合わせた者もいた。
志を同じくする仲間の存在は枯れていた男の心を震わせ、その後は反乱軍として様々な抵抗を行ってきた。
彼らのためならと、男は率先して人とエーテリアス関係なく殺めた。
命乞いをする、呆然とする、歯向かう。
それぞれの反応を男は見たが、動揺し迷う心を既に持っていなかった。
これ以上失って悲しむものなどもう何もない、そう言い聞かせた。
今日もその一環で小ホロウ近くにある都管轄のエーテル研究施設を暗闇に紛れて襲撃し、研究データの廃棄と物資の確保を目指し進軍したのだ。
彼を中隊長へ据えた二分構成の小部隊──―54名。
その半分は敷地侵入直後────────―瞬時に肉塊と化した。
「っくそ! ぅ、バケモンがっ…!!」
ミサイルを喰らったわけでもない。
門の防衛モジュールを破壊し隊長を先頭に突入した瞬間、まるで”落雷”のような轟音が鳴り響き、気づけば隊長の上半身が消し飛んでいた。
部隊のもう半分を従え待機していた男は、力なく倒れる隊長の下半身を見つめ、
一度瞬きをする──―。
目を開くと、隊長に追従していた仲間達の姿はなく。
代わりに、月明かりを反射させる塊と液体が広がる中心に、一人の人間
「…ぐぅ、な、なんなんだ……なんなんだあいつはぁ!!!」
"らしき"と曖昧な表現を男がしたのは、"ソレ"の形状は人間そのものだったが、外観がとても人間とは思えなかったからだった。
そしてその体を覆うのは、一面の「漆黒」。
"ソレ"は濃い黒のロングコートを纏い、濃い黒のカーゴパンツを同じく黒い
背丈は高い。
体型はコートの下からでも少々わかる、それこそ軍人のように鍛え抜かれながらもしなやかさを残したような細身。
頭にこれまた黒い金属製の、改造された防護ヘルメットを装着しているため顔は見えないが、その後ろから背中の中央辺りまで伸びた長く真っ直ぐな黒髪は視認できた。
そして、その右肩に背負うのは全長2m以上はあろう規格外な対物ライフル。
軍人時代に男が使用したものより遥かに巨大で、その銃口規格も見たことないものだった。
また左手にはこちらも全長1.5mほどの軽機関銃が収められ、外されたドラム式
掃射とはいえ、侵入後のほんの一瞬で20数人を瞬殺してみせた。
戦闘時間は、瞬き1回分。
圧倒的な火力を誇るであろう兵器を軽々携えながら、黒く変色したエーテル結晶よりも妖しく光るその容貌は、異常という他ない。
なまじ銃への造詣があった元軍人の男達に強烈な恐怖心を抱かせるに十分だった。
”勝てる筈がない”
男達は号令もなく一斉に駆け出した。
この"カイブツ"の前では脆弱であろう、自らの命を守るために。
「…くそっぉ!! 他に、他に生きているのはいないのかぁぁ!!?」
駆け出した男達の背後からは先程聞いた落雷のような轟音が追ってきた。
まず最後尾についていた、今回が初参戦の少年の足が消し飛び、
次に作戦会時に隣で祈りを捧げていた宗教徒の男の胴体が貫かれ、
男の後ろを走っていた、無謀な突撃作戦によって防衛兵の息子を失ったという女の頭が砕かれた。
射線を切るため蛇行しながら建物の影に隠れるように進むが、それでも着実に1人、また1人と”落雷”の音と共に散っていく。
おそらく追ってきているのだろうと背後を確認してもその姿は認められない。
残りが10人を割ったところで少しでも最終的な生存率をあげるためにと、各々別方向へと散らばった。
そして先程──────―8回目の”落雷”が聞こえた。
何度かは繋がった無線機も、何の音沙汰もなくなった。
「っ! こんな、ところでぇ……! っ……!」
逃げる気力はあっても男は人間、体力に限界はある。
それでも、と右脚を前へ進めようとしたその時、
9回目の、”落雷”が鳴った。
「っ!? ぐあっ…!!!」
地に着こうとした右脚に強烈な衝撃を感じ、男はバランスを崩した。
悲鳴と共に地面に転がる。
「うぅっぁ…! ぐぅぅぅっ…!!」
なんとか息を整えようとするが、右膝から燃えるような痛みを感じるせいで上手くいかない。
というより、そもそも右膝から下の感覚が、ない。
「……っ」
ある程度、覚悟はしていたが。
視認して初めて、男は絶望を実感した。
ただでさえ満身創痍で、加えて右脚を失うことになるとは。
痛覚が麻痺していくのを感じながら、男は仰向けになって夜空を見つめた。
「…っぐ………ここまで、なのか……」
死の淵が近づく感覚を覚えた男が思い返すのは、あの幸せだった頃の日常。
良く笑う人だった妻とそれによく似た笑顔の娘。
今でも鮮明に思い出せる程、男は家族を愛していたのだ。
「.....!」
砂利に覆われた地面を、硬い革靴が踏みしめる音が聞こえた。
同時に金属が擦れ合うような連続音が、”ソレ”の体から低く響き渡る。
思わず視線を向けると、あの”バケモノ”が男の方へ向かって歩いてくる姿が見えた。
対物ライフルに軽機関銃、恐らくその他の装備も隠し持っているだろうに”ソレ”は一切の油断も見せず、闊歩で横たわる男の前まで近づき────────やがて、口を開いた。
『隊長格1、重装猟兵18,軽装猟兵34。で、アンタを入れて54。今回はこれで全部か?』
思ったよりも若い口調の男だと感じた。
同時に”ソレ”は人間であるらしいということも。
気づけば男は、馬鹿正直に答えていた
「.....その、通りだ.....」
『…協力的で助かるよ。.....ふむ、想定よりも早く終わったな」
その言葉を聞いて、男は改めて死を覚悟した。
あれだけ長く感じた抵抗は、この男にとって些細ですらないのだ。
恐らく生物として、格が違う──────―。
『.....なぁアンタ、少し尋ねたいことがあるんだが』
「っ...なに...?」
諦観が心を満たしていく最中に掛けられた言葉に、男は現実へ引き戻された。
今この男は何と言った?
尋ねたいこと、だと?
瀕死の
「ふっ、ふざけるな…!! 殺るなら、とっとと殺れっ!!」
『....致死量の出血をしながらまだそんなに吠えるのか。タフだな』
「っ! 黙れっ! 貴様なんぞに俺の何が──────」
『わかったわかった、すぐ済ますから』
そう気怠けに言いながら、”ソレ”は懐から一丁の小銃を取り出し男の額に押し当てる。
他の仲間の居場所か、今後の計画か、反乱軍の持つ機密情報についてか。
いずれにせよ絶対に答えてなるものかと、額の冷たい感触を無視して覚悟を決める男へ”ソレ”は問いかけた。
『アンタ、
”パエトーン”って、知ってるか?』
「....は────?」
『……ハズレか』
そう呟いて”ソレ”は引き金を引いた。
べしゃり、と倒れ行く男には見向きもせず”ソレ”は小銃をしまいながら呟く。
『……そう簡単にはいかないか。.....はぁ...メンドいなぁ...』
◇◇◇
2時間後、新エリー都内のとある洋館────。
月明かりの射すアンティーク調に揃えられた一室で、1つの黒い人影がその光の一部を遮る。
「....承知致しました。....いえ、勿体無きお言葉でございます。....はい、それでは。ごゆっくりお休みなさいませ」
通話を終えた携帯端末を袖に置き、自身が厳選したソファに腰を沈めながら、
黒い人影────フォン・ライカンは深く息を吐いた。
ここは新エリー都に住まう上流階級御用達である家事代行派遣会社”ヴィクトリア家政”、そのセーフハウスの1つ。
今日は表仕事である飲食経営での奉仕を終え、従業員達も既に帰路へついた時刻。
簡単な事務処理を行おうと職場に残っていたライカンだったが、そこへ新たな”ご主人様”からの依頼が通達された。
「ふむ、”バレエツインズの怪奇”ですか....。いくらか噂されていることは存じておりましたが、よもやご依頼とされるほどとは....。状況次第では、当局で保存されているキャロットの状態に作用されかねませんね....」
事前に、可能な限りの情報を集めねば。
一旦思考に区切りをつけ席を立ったライカンだったが、背後から再び聞こえる
お伝え忘れたことでもあったのだろうか、そう思いながら確認した画面に表示されるのは主の名ではなく。
”王冠”のマークだった。
「....! これはこれは」
そう呟きながら応答ボタンをタップする表情は呆れ半分、親しみ半分といった具合だった。
『夜分遅くに失礼します。今お時間ありますか....?』
「大丈夫です、手隙でしたので。どうもご無沙汰しております、”クラウン”様」
”クラウン”と呼ばれた男は苦笑しながら答えた。
『様なんてよしてください....ってやり取りも何回目でしょうね。こちらこそ、お久しぶりですライカンさん』
「ええ。以前のご連絡から丁度ひと月ですね。お体の具合はいかがでしょうか....?」
『あー...実は最近左肩の動作ユニットが固くてですね。また
「勿論でございます。では後日、ご希望の日程をお知らせして頂けますでしょうか」
『ありがとうございます。簡単なのはできるんですが、内蔵部まで手を出すのは今も中々怖くて。ライカンさんがお詳しい方で本当に幸運でした』
回想するかのように語る彼の言葉をライカンは目を細めながら聞き入れた。
端末越しにでも苦笑していることがわかるくらいには彼との交友も長い。
「過分なお言葉です。私も脚部だけとはいえ義肢装具に頼る身でございますから。...して、今回も”彼女”の?」
「あ、いえ今回はそれだけじゃなくて別件も。でも、まずはいつも通り来月分の生活費を送りますね』
そうクラウンが言った直後、ライカンの端末へ口座への入金を認める通知が送られてくる。
桁としては女子高生1人の生活費には多すぎるが、今更だろう。
「.....500万ディニーの入金、確かに受領致しました。明日には”彼女”の口座へ送金させて頂きます」
『よろしくお願いします。....毎度のことですが、ライカンさんに仲介して貰えてなければ俺はただの大金を送り付ける不審者でしかないんでしょうね....本当に、いつもありがとうございます』
「ご心配なさらず。私からも”彼女”には事情を説明し、納得して頂いておりますので。....本人は少々、不満気ではありましたが。『次は顔見せろ。今度ルミナスクエアの高級フルーツパーラー、奢ってもらうから』……そう伝言を預かっております」
『あはは……勿論、今度の休みに必ず連れて行きます』
乾いた笑いの中に隠しきれない温情を馴染ませながら、彼は言葉を溢す。
『....”妹”と────”エレン”と、こういう話をできること。今でも奇跡に思えます....」
嚙み締めるかのように語る言葉をライカンは黙って聞き入れた。
『....10年前、妹のためとはいえ置いていってしまったこと。俺は、あれが正しかったのか今でもわかりません』
「....貴方もまだ、幼い子供だったのです。それでも貴方は寂しさを飲み込みエレンの安全を第一に考え、実行した。その勇気に、私は最上の敬意を抱いておりますこと、どうかご理解ください」
『ライカンさん.....』
「....貴方は私の大事な御友人ですし、エレンも私共の大事な従業員です。貴方方ご兄妹の選ぶ道をお進みください。以前お伝えしました通り、私は全力で御助力致します」
『....本当にありがとう、ライカンさん。どうかもうしばらく、エレンのことを宜しくお願いします』
「ご安心を。このフォン・ライカンが、貴方が”使命”を終えるまでご令妹様をお預りさせて頂きます」
通話越しでもわかる程の信頼を示し合った後、そういえば、とライカンは話を戻した。
「して”クラウン”様、先程仰っておりました別件とは.....?」
『ああ。実はさっきまで、護衛と迎撃の依頼を受けてまして』
あまり聞きなれない内容にライカンは思わず疑問を口に出した。
「護衛と、迎撃?」
『はい。
「なるほど、反エーテル資源主義派の方々ですか。であれば研究施設を襲撃し、研究データの抹消と生活物資の強奪するのは良くあること....ふむ、妙ですね、新エリー都にあるエーテル物質を取り扱う研究施設は全て都の管轄化にあります。通常なら治安局へ要請すると思うのですが」
『俺も同じ考えでした。自分で言うのも何ですが、俺
「ヴィジョン・コーポレーション....確か旧都地下鉄改修工事での非人道的な悪事が明らかになりCEOが拘束された、大手建設会社ですね」
『ええ、そこの人らも相当甘い汁吸ってたみたいで。だから俺に声を掛けてきたそうです。まぁ、”この研究所は目的とは無関係”でしたし。ディニーにした報酬も確かに前払いできっちり貰いました。そもそも俺も今の立場上、治安局に探られるのは面倒なので』
明け透けな口調に苦笑しつつ、ライカンは納得した。
依頼料は前払いかつ全額一括、内容によって対価は”変化”するが、金銭の場合は最低数百万はくだらない。
確かに顧客側への負担は大きいが、それ以上に素晴らしい仕事をするためリピートは多い。
彼が依頼を戦闘面のみに絞る点は、同じく上層民から依頼を受ける自分達にとって、とてもではないが有り難く感じることでもあった。
”クラウン”
2年前から突如裏事業に現れたこの傭兵は、圧倒的な殲滅力とシリオン内でも逸脱した高い機動力を活かす高水準の隠密性で飛躍的に評価を伸ばしてきた。
愛用の巨大対物ライフルとタクティカルナイフを中心に、遠距離戦闘では多種多様な銃火器を、近距離戦闘ではナイフと格闘術を織り交ぜた白兵戦を用いるという隙のなさ。
土地確保のためのホロウ処理、要人の護衛、対抗勢力への奇襲。はては、抗争の代理まで。
今では業界の常連上位ランカー、特に戦闘関連の依頼ではしばらく頂点の座を譲っていない。
治安局や特別行動部も存在は確証しつつあるものの全く手掛かりを得られてないらしく、巷では伝説のプロキシ”パエトーン”同様に都市伝説扱いされてもいる。
そんな”怪物”が、まさか1人の妹と自身に課する”使命”に悩む青年だと知っているのは、その妹以外ではなんと我らヴィクトリア家政だけなのだという。
──────―『皆さんは命の恩人ですから。話すべきだと、思ったんです』
かつて聞いたこれは、紛れもない彼自身の言葉だ。
彼の
『本題はここから。連中の予想通り敵は反乱軍でしたが、小部隊のみでした。恐らく本隊も近くにいると連中が現場調査したところ、死体の一つから電子チップを見つけたんです。すぐ解析した結果、中身が消去されたファイルが幾つか見つかりました。ファイル名は────―
────”
「....!」
つい先ほど出た名称に、ライカンは目を見開いた。
”ご主人様”の所有する建造物に反乱軍に何の関わりが....?
『.......俺は
「.....存じていた、と申しましてもあくまで噂程度ですが。以前資産家のご兄弟が管理されたツインタワーだったものの共生ホロウの発生に巻き込まれ、現在は完全な廃墟であったと認識しております」
『俺もそう連中から聞きました。それも、少し前から
「ええ、そちらも存じております。私は与太話であると考えておりますが」
『同意見です。ですが連中、心霊現象はともかく先の本隊に怯えているようで.....徹底的な殲滅を延滞料金払ってまで依頼してきました。羽振りはいいので俺も受けたんですが、実は他所からの依頼も入ってましてすぐには着手できないんです。そこで"ヴィクトリア家政"に一つ依頼を申し込もうかと』
「…状況は把握致しました。恐らくですが、反乱軍に関わる何かが"バレエツインズ"にある、貴方はそう睨んでおられるのですね」
『お話が早くて助かります。廃墟とはいえ未だ投資価値はある土地だと連中から聞きました。事前の土地情報がなければ、俺が部隊相手に扱う火器的に物損は避けられなさそうなので………かといってキャロットを集める時間もありませんし、俺は元々不得意です。なので、そちら方面でも名を馳せるヴィクトリア家政にお願いしようかと思ったのですが……』
いつの間にか公私を区別した口調で語られる言葉をライカンは整理する。
そして、1つの妙案を思いついた、
「ふむ……ご依頼、とはまた違った形でお力添えできるやもしれません」
『……と、いうと?』
「規定上詳細はお話ししかねますが、実は先程新たな"ご主人様"よりご依頼頂きました。バレエツインズ一帯の土地の現所有者の方でございます」
『!』
今度は”クラウン”が目を見開く番だった。
「数日後、私共はそのバレエツインズへ赴く予定です。使用する予定である当局のキャロットはかなり古いものだそうで。ご依頼を実行すると同時にその土地データを集めていくつもりでした。そのデータを、もしかしたらお渡しできるかもしれません」
『それは………確かにとても助かります。ですが……大丈夫なんですか?』
珍しく戸惑う様子を見せる傭兵にライカンは丁寧に説明する。
「当然の事、"ご主人様"のお許しがなければ不可能でございます。ですので、私からご提案させて頂きましょう。「"現業界1の傭兵"との間に有意義な関係を築けるやもしれない」と。ご安心を、"ご主人様"は貴方のことをご存知でした。きっと素晴らしいご選択をなされるでしょう」
『……可能な限りのご優待をお約束すると、お伝えください」
「必ずや。では後日、"ご主人様"のご回答をお知らせ致します」
『……今さっきも含めてですが、お気遣い本当にありがとうございます。今度何かお礼をさせてください』
「……そうですね、では何か、考えておきましょうか」
そう告げると受話器の方からは漏れ出たような笑い声が聞こえた。
こういう所には、彼の年相応の若さを感じる。
『……それと、お礼とは別で。必要であればぜひ頼ってください。エレンのことを抜きにしても、ライカンさんは俺の命の恩人で大切な友人です。生涯の無料優待、出来る限りの協力をお約束します』
「……こちらこそ、お気遣いありがとうございます。えぇ、是非ともその時にはお声がけさせて頂きましょう」
『ええ。.....そろそろお暇します。エレンには前教えたアカウントに空いている日を送ってくれとお伝えください。こっちで調整して連れていくので』
「かしこまりました。明日、彼女はシフトが入っているのでその時にお伝えいたしましょう」
『宜しくお願いします。それでは、夜分遅くに失礼しました。お休みなさい。』
「お休みなさいませ」
旧友に別れを告げ、再び携帯端末を手放したライカンは今度こそ部屋の扉を開ける。
月明りを浴びながら長い廊下を歩くその姿は、少々威圧感を感じ得るかもしれない。
しかし、彼のゆるやかに横へ揺れる輝かしい銀一色の尾を見た時には、きっとその印象も少しは薄れるだろう。
◇◇◇
4日後 ルミナスクエア ”ルミナモール” 駅側出入口────。
「ふわぁ──―...ねっむ......」
新エリー都内で最も賑やかと言える都心、ルミナスクエア。
休日と言うこともあり、辺りには各々の予定に足を運ぶ人で活気づいている。
特にHIAセンター前では何かのイベントがあるのか、大きな人混みが出来てより騒がしい。
そんな喧騒と正反対と言ってもいい程、気怠けな表情を浮かべる1人の少女がいた。
彼女の名は、エレン・ジョー。
都内の高等学校へ通う現役女子高生だ。
一見するとただ塩っ気の強い
彼女は”ヴィクトリア家政”にバイトとして勤める
舐めてかかっては酷く噛みつかれるのが運の尽き。
とはいえ今日の彼女は完全オフなためその鋭い牙も鳴りを潜めている。
もちろん制服でも
「(まだ20分もあんじゃん……早く来過ぎた……)」
ジャケットから取り出したロリポップキャンディの包み紙を外しながら、エレンは今朝の自分に脳内で悪態をつく。
昨日夜遅くまで入っていたバイトのおかげで若干寝不足。
何故か予定より1時間も早く起きてしまい、そのまま家に居たら二度寝しそうになったのですぐに外へ出た。
どこかの店で時間を潰すには微妙で、仕方なくエレンは待ち合わせ場所で待つことにしたのだ。
「(お店開くのは11時で遅めだけど……それでも開店と同時とか何考えてんの、あのバカ兄貴)」
【 もう着いた。そっちはまだ? 】
そうメッセ―ジを送信し、暇潰しのためインターノットアプリを開く。
ちなみに、その上には確認の連絡がしっかり記されており、彼女も了承している。
ただの八つ当たりである。
前回の二人での外出はふた月も前。
何気にこういった家族でのイベントは大事にするエレンにとっては不満がある。
「(.....まぁ、またこうやって一緒に遊べる事自体、奇跡みたいなもんなんだろうけど。)」
そう独り言ちながら彼女は、とある過去について振り返った。
そう、彼女にはたった1人の”実兄”がいる。
エレンがまだ3歳程の頃、両親がホロウ災害に飲み込まれ帰らぬ人となった。
自身は保育園、”兄”は小学校へ行っていたため無事。
既に記憶は朧げだが、両親から極上の愛情を与えられていたことは理解しているため、10数年経った今も完全に心の傷が癒えたわけではない。
それでもエレンが寂しさでおかしくならなかったのは、
隣にいてくれた”兄”の存在が大きかった。
元々年が離れているとは思えない程仲睦まじい兄妹で、更に親代わりも務めることとなった”兄”は今まで以上にエレンへかかりっきりになったこともあり、彼女にとって”兄”は悲しさを打ち消す支えのような存在になっていった。
かつての"旧都陥落"で祖父母らは他界していたため頼る身内がおらず、2人は治安局が管理する孤児保護院へ預けられた。
自分達と同じように親や家を無くした子がたくさんおり、幼く、ましてやシリオンである自分達でも安心感を得られたことは、きっと幸運だったのだろう。
とはいえ、いつかは院を出て自立していかなければいけない。
それを早くに理解したのか、”兄”は幼い妹の世話をしながら猛勉強と訓練を始めた。
治安局管轄なためか職員には退役した元治安官が多く、学ぶ場には困らなかった。
彼らの助言を受けた兄は、エレンの小学校入学を機に全寮制である都立公務員養成学校へ進学。
必然と院を離れることになった。
最も規則上住まいを移す他なかったがための引っ越しであり、本人はこれからも院へ顔を出すつもりだったのだが。
しかし当時の幼いエレンは「置いて行かれる」と勘違い。
泣きながら大暴れしたことは、彼女にとっての黒歴史でもある。
駆け付けた”兄”が必死に誤解を解いたお陰で落ち着きはしたが、反抗期入りかけだった彼女の機嫌は損なわれたまま。
そんな時、”兄”から1つの提案を受けた。
それがこの、定期的な”お出かけ”である。
予定は交互に決め合う、兄妹水入らずな時間。
この時間を、エレンはかなり気に入っていた。
卒業後に防衛軍へ配属(以前希望していた
……繋がりが、途切れそうになってしまったこともある。
半年程、何の連絡も来なかった時期が"2度"あったのだ。
1度目は、数年前起こった、反社会勢力との"大戦"の真っ只中だった。
数千人が死亡した、旧都陥落以降では”最悪”の悲劇。
幸いエレンの暮らす地域には大きな被害は皆無。
しかし兄は防衛軍として駆り出されていたため、心配で眠れない夜もあった。
そうして半年が過ぎた頃、孤児院へ1本の電話がかかってきた。
発信元は、都内でも有数な大規模総合病院。
"兄"が重傷を負った。治療の決行に親族の同意が必要──ー。
青ざめた表情で内容を告げる院長にエレンは動揺しながらもなんとか了承し、彼の下へ向かった。
そして、変わり果てた姿の”兄”と再会した。
…これはその後"兄"の上司から聞かされた話だが、隊内でも屈指の実力を誇っていた彼は、とある精鋭部隊に抜擢されていたらしい。
そして参加した特殊作戦で、部隊は壊滅。
"兄"以外の隊員は全員死亡し、彼も瀕死の重傷を負った。
左半身の欠損──────。
文字通り左肩から左足の先までまるで削られたかのような死体同然の状態で、現場確認中の特別行動部に発見された。
即時に軍管轄の総合特別病院へ搬送され、脳や心臓は機能していたおかげで奇跡的に一命を取り留めたものの、正直何故生きていられたのかは医者にもわからないという。
"兄"はエレンと同じく鮫のシリオンではあるが、体の半分以上を失って生きていられるはずがない。
それこそ、
実際、消えた手や足、尾鰭のついた尻尾が生えてくるわけがなかった。
このままではゆるやかに死を待つのみの”兄”の治療。
絶望的な状況だった中、防衛軍の特殊化学研究班がひとつの希望を見出した。
それは、欠損した体の部位をホワイトスター学会が研究しているという”エーテル合金を用いた義肢装具”によって補う、というものだった。
手足を筆頭に間接部位や残存した肉体との接合、内臓の代用までを合金を用いた部分的機械化で補い延命するというのだ。
勿論前例などなく、人体への直接試行もない史上初の試み。
学会がただの親切心だけで提案してくるなど、当時のエレンでも有り得ないと理解していた。
それでも、”兄”の命はもう幾ばくも無い。
エレンは泣きながら同意した。
様々な感情が渦巻く中でも、唯一の肉親たる”兄”を失いたくないという思いだけは揺るがなかった。
ただただ、助けて欲しかった。
結果として、”兄”は今も生きている。
シリオンの非凡な体力と”兄”の持つ非常に高いエーテル適応体質が大きくプラスに働いたという。
術後1週間で意識を取り戻し、その後は新たな体に慣れるリハビリに励んだ。
半年が経つ前には退院し、日常生活への復帰も問題なくなった。
そして、”兄”は防衛軍からH.A.N.D.へ異動した。
これにはTOPS財政ユニオンなどの新エリー都上層部、更には”最年少の虚狩り”が大きく関わっていたらしく、また”兄”もエレンとの生活を条件に承諾したと言う。
何はともあれ、こうして再び共に暮らすようになったことはエレンにとって心から安心できる良い変化であり、また”兄”も疲れ果てた体と心を癒すのにふさわしい環境変化だった。
────────―では何故、また彼らは離れて暮らしているのか。
「(.....あ、やっと返信来た。)」
────────―何故”兄”は今H.A.N.D.ではなく、”クラウン”と名乗り傭兵業を営むのか。
「(....【 やっと車停められたからもうすぐ着く 】....ふん、遅刻ギリギリってところかな。)」
────────―何故彼女の同僚である”ヴィクトリア家政”が、”兄”にとって命の恩人であるのか。
「....髪、もっかい整えようかな」
この兄妹に残る数多くの疑問は総じて、”2度目の空白”に関連することではあるが────。
暇つぶしな彼女の回想は一旦区切りを迎えたらしく。
今はどこか楽し気にコンパクトミラーを覗いており、尻尾も小さく揺れながら一定のリズムを刻んでいる。
それも致し方ないだろう。
彼女にとっては久々の憩いなのだから。
2人の”過去”の続きはまた次の機会に────────―。
◇◇◇
同時刻 ルミナスクエア ”HIAセンター” 正面入り口
「(私としたことが、失態です.....)」
というのも──────────。
「きゃあぁぁぁ! 月城さん、アンニュイな表情も素敵!!」
「まさまさ────っ!!! 会いたかったよ────―っ!」
「そ、蒼角ちゃん! 良かったらこれ貰って!!」
「いやぁぁぁぁっ雅様ぁぁぁぁぁっ!! 今日もお美しいぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
人目をはばからずな、この騒ぎが起こってしまったからである。
元々は定期的に開催されている合同鍛錬を行うべく、六課のメンバーはこの地を訪れていた。
無事鍛錬が終わり、送迎車の下へ向かおうと表へ出た途端にどこから聞きつけたらしい大勢のファンに囲まれてしまったのだ。
それも休日で人が多いためか、今こうしている間にもどんどん数は増えていく。
「(”件の連続襲撃事件”の調査を優先すべく無理に日程を早まらせたのが裏目に出てしまいました........情報を漏らさず休日でも即帰還すれ日ば問題ない、という考えはあまりに安直すぎでしたね.....)」
そう、柳達"対ホロウ六課"を筆頭にH.A.N.D.は現在、2年前から頻発しているエーテル物質の研究施設を狙った連続襲撃事件を追っている。
今までに大小合わせた13箇所が完膚なきまでに壊滅させられ、死傷者も多く出ている。
それだけ大事な事件でありながら未だ犯人の詳細はあまり掴めておらず、
”黒い恰好をした男1人”
”銃火器や得物など多数の武具を装備・使用”
”一般的なシリオン以上の身体能力”
という生存者の持つ情報ぐらいであった。
今まで六課を含む特別行動部やN.E.P.S.の特務捜査班が待機し応戦しようとするも、敵は意図的に精鋭部隊を回避しているらしく会敵すらできなかった。
また当初は頻繁に起こっていた襲撃も8箇所目を超えた辺りから間隔が空くようになったため、更に足取りを追うのが困難になったため、所内では以前ほどの緊急性はなくなっていることも事実だ。
────────では何故H.A.N.D内でも突出した部隊である六課が調査を優先させるのか。
これは六課の課長で現”虚狩り”・星見雅、彼女の影響が非常に大きい。
この事件が発生してすぐ、雅は直々に六課を事件調査の筆頭部署へするよう上層部へ進言したのだ。
以来、普段はいけしゃあしゃあと会議を放棄する彼女はこの事件が関わると人が変わったかのように精力的に取り組んだ。会議はおろか書類処理ですら、自ら熟す程に。
一度あまりの気迫に柳はどうしてそこまで、と訳を問いたことがある。
『.....この事件は何やら不可思議な胸騒ぎを覚える。それにわたしは────────もう、後悔するのは御免だ』
そう語る雅の憂いた表情を、柳は今も鮮明に思い出せる。
その時彼女が思い描いたのはきっと”彼”の────────。
「(.......詮無いことですね.......さて、今はこの状況をどうにかしましょうか。)」
思考を断ち切り、まずは最も囲われ自動応答モードであろう課長を連れ出そうと柳は足を進める。
「皆さん申し訳ありません.....課長、そろそろ帰還しま──────?」
丁寧に説得すれば思いの他素直に身を引いてくれる人々に感謝しながら、
柳は雅に話しかけたのだが────────彼女は柳でもファンでもなく、ルミナモールの方を黙って見つめていた。
何を、と柳もつられて同じ方向に目をやると、その先には見知らぬ
「.......」
その様子を、雅はただただ眺めている。
それもあの少女を、というよりその緩やかに揺れる特徴的な”サメの尾”に目を奪われているように感じる。
まるでそれを介して──────―誰かを、想い偲ぶかのような表情で。
「..............課長っ」
「.....!」
つい語尾が強くなりながら柳がもう1度呼ぶと、ようやく彼女は視線を切り目を合わせた。
「.....あぁ、柳か。どうした」
そう淡々と語る顔は、いつもの星見雅だった。
「.......そろそろ、戻りましょう」
「そうだな。今日もまだ、修行が残っている。2人はわたしが連れていこう。お前は送迎車を表に回すよう手配してくれ」
そう言い残し、雅は未だに取り囲まれたままの悠真と蒼角の下へ向かった。
少し言いたげな表情を浮かべながらも柳は指示通り裏手に待機している車の下へ足を進める
──────―ことなく、暫くその背中を見つめていた。
現代最高の誉である”虚狩り”の称号を与えられたその強く気高いその後ろ姿を柳は何度も見てきた。
だがある時から稀に、その背中が酷く小さく儚く感じてしまうことがあった。
今がそうだ。
「.......雅、あなたはまだ”彼”を──────────―」
その言葉は喧噪と、一筋の風の音に攫われていった。
その風に揺られる、センターの壁に貼られた1枚の紙にはこう書かれている。
< 重要:指名手配中 >
【対象者情報】
氏名: カイル・ジョー
性別:男性
年齢(当時): 20歳
身長(当時): 188cm
体重(当時): 82kg
身体的特徴: サメのシリオン(尾は無し)、左半身に義肢装具装着
髪型・色(当時): 長髪を後ろに束ねている、黒髪
【容疑内容】
・防衛軍第7特殊防衛拠点の破壊、及び隊員の殺害
・ティアラ・デ・ロレンツィ嬢の誘拐、及び殺害
・新エリー都エーテル合金第3研究所の破壊、及び職員の殺害
・その他、各種公共部隊員の殺害
【備考】
本人物は大変危険とみなされるため、発見した場合は絶対に接触せず、速やかに最寄りの治安施設まで通報してください。