首都圏ネットワーク
- 2025年5月23日
ガザで亡くなった神奈川・海老名のNPOスタッフ 最期の願いは
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戦後80年のことし(2025年)、「息子」のように大切にしていた人の命を戦闘で奪われた日本人がいます。80年前に日本人が経験した家族や恋人、親友、当たり前のように身近にいた人を突然失う戦争の愚かさは、今も世界で繰り返されています。1年半にわたって神奈川の「父」とガザの「息子」を追いました。
(首都圏局/記者 佐藤美月 ディレクター 中川治輝)
ガザで亡くなった「息子」
ことし(2025年)4月、1人の男性を追悼する会が開かれました。パレスチナのガザ地区で人道支援を行う神奈川県海老名市のNPO法人「地球のステージ」が開きました。
亡くなったのはNPOのガザ事務所のスタッフ、モハマッド・マンスールさん(29)。3月に行われたイスラエル軍のミサイル攻撃の犠牲になりました。
NPOを支援する人など50人余りが集まる中、NPOの代表で心療内科医の桑山紀彦さん(62)が、あいさつをしました。桑山さんにとってモハマッドさんは「息子」のような存在でした。
モハマッド・マンスールがこれからやりたかったこと。彼が30歳、40歳、50歳になったら、どんな人間になるのか正直見届けたかった。
2人の出会いは15年前、モハマッドさんが14歳の時でした。桑山さんは世界各地の紛争地や被災地で子どもの心のケアを行ってきました。ガザ地区では2003年から活動を行い、モハマッドさんも支援した子どもの1人でした。
モハマッドさんが成長し、大学に進学する際は学費を支援。卒業後はNPOのガザ事務所のスタッフとして受け入れ、同じ志を持つ仲間になりました。
本当にまさに息子で、いつの間にか彼は僕を父と呼ぶようになった。裏表のない正義の人です。そして諦めない人でもあります。
閉鎖されたガザで右腕として活躍
2023年10月7日、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まると、モハマッドさんはNPOの活動を現地で支えます。攻撃が苛烈を極め桑山さんがガザに入れなくなったからです。
毎日、ガザの状況を撮影し、日本にいる桑山さんに報告、NPOが調達した食料や医薬品を病院に届けました。
さらに、子どもたちの心のケアにも中心的に関わりました。週に4回、避難所で強いストレスがかかっている子どもたちの心の緊張を解くために歌やゲームを使ったプログラムを実施し、自己肯定感を高めるための活動を支えました。
停戦から一転、最悪の事態に…
戦闘開始から1年余りが過ぎた2025年1月。イスラエルとハマスが停戦に合意しました。桑山さんとモハマッドさんはテレビ電話で喜びをわかちあい、ガザの復興に向けて活動方針を話し合いました。2人が再会する日も目前に迫っているかのように見えましたが…。
3月24日、桑山さんの元に悲報が届きました。モハマッドさんがイスラエル軍のミサイル攻撃の犠牲になったという内容でした。停戦の継続をめぐる協議が難航する中、イスラエル軍が攻撃を再開したのです。
NPOの事務所を訪ねると、桑山さんは泣きながら「戦争は、大切な人を奪ってしまうんです」と繰り返していました。
「もう頭がおかしくなりそうで、まともに考えるともう耐えられない。つらいですね。人の憎しみの戦争で亡くなるって納得できないですよ。どんな死だって納得はできないけど、やらなくてもいいことじゃないですか、戦争って。来る地震は止められないし襲ってくる津波も止められないけど、戦争は止められるじゃないですか」
彼が伝えた、一人ひとりの命と平和への願い
モハマッドさんを失った悲しみの中、桑山さんは、彼が遺した写真や言葉を見返していました。
モハマッドさんが撮影した写真や映像には戦場で懸命に生き抜こうとする一人ひとりの姿が写っていました。
モハマッドさんの思いの原点を示す2枚の絵があります。14歳だったモハマッドさんが桑山さんの心のケアのプログラムに参加した際に自分の感情に向き合うために描いた絵です。
黒色だけを使った空爆の様子。桑山さんが色を使わない理由を聞くと「攻撃されている俺たちの街に色なんか塗れるか」と怒りをあらわにしたと言います。
桑山さんは、彼のまっすぐに言葉を放つ姿に惹かれ、ガザを訪れるたびに相談に乗りました。そして、時には攻撃的になるモハマッドさんに「敵を憎むのではなく、自分の心の傷、トラウマと向き合うことが大切だ」と伝え続けました。
その次の年、モハマッドさんは色を使って日本に行く飛行機の絵を描きました。出国が厳しく制限され「天井のない監獄」と呼ばれるガザから、いつの日か日本に行くことがモハマッドさんの夢になっていました。
そして、相手のことを攻撃するのではなく、ガザで起きていることを世界に伝えることで争いを止めたいと考えるようになったと言います。
モハマッドさんは桑山さんとのオンライン通話でその思いを語っていました。
「私は血を、死体を、不公平を、空爆を、戦争を目撃しました。しかし、まだ希望を持ち続け、死が近くても命を愛し、平和を愛しているのです。私は、人間が自由であるべきだという大きな希望と情熱を持っています」
戦争でも、どんなに厳しい環境でも、一人ひとりが生きてるんだよって、そういうことを伝えようとしてきたんだなと思いました。一人ひとりを大切にしよう、そういうメッセージを伝えることが戦争をなくすことにつながっていくんですよね。
受け継がれるモハマッドさんの思い
モハマッドさんを追悼する会には彼の志を継ぎたいという人も参加しました。
モハマッドさんの妹、アッラー・マンスールさん(27)です。
幼い頃から兄の背中を追って桑山さんとも関わってきたアッラーさん。看護師でしたが、子どもが生まれてからは子育てに専念していました。この日、ガザからテレビ通話をつなぎ、兄の思いを継いでNPOの活動を支えていく覚悟を語りました。
私が彼の後を継いで、彼の思いを一つ一つ積み上げながら彼の思いと旅を続けていく。桑山さんたちとともに努力したい。
最期まで諦めずに、平和な世界を願い続けたモハマッドさん。桑山さんは気持ちを奮い立たせて、身近な人の命を突然奪われることがない世界の実現を目指して活動を続けていこうとしています。
彼が一番願ったことって何だろうって思った時、こういう死に方をすることのない世界を望んでいると思うので、いわゆる暴力によって人の命が奪われることを彼はやめさせたかったので、ずっと彼の思いとともに平和であることや戦争がない世界を目指していきたいと思います。
取材後記
「息子」のような大切な存在だったモハマッドさんを突然失った桑山さん。その悲しみは言葉では言い表せないほど深いものだったと思います。
それでも桑山さんは「相手を憎むのではなく、自分自身の心の傷に向き合っていくことが大切で、それをみんながやることができれば最終的に争いを無くしていけると信じている」と話しています。
大切な人の命を失っても争いを繰り返す人間の愚かさと同時に、神奈川の「父」とガザの「息子」の姿からは平和への希望を諦めない人間の強さを感じました。