『都市伝説解体センター』の最大瞬間風速と説得力、または1兆60点と60点の境目の話
「『都市伝説解体センター』をクリアした時、1兆60点になる人と60点で終わる人がいる」という趣旨のツイートを拝見した(RPもしたのだが、今は見当たらないので削除なさっているかも)。
その通りだと思う。正直に言うと自分は60点の側だった。ついでに言うと特定のキャラが変なところに刺さってしまって抜けなくなっちゃったのでボーナスして70点という感じ(後述)。
GWにセールされていたこともあり、色々な方がプレイ感想を放流なさっているし、noteにもたくさんの記事が上がっている。ちょうど今週には電撃インディー大賞2025のアドベンチャーゲーム部門、電撃インディー部門で2冠を獲得したとのことで、『都市伝説解体センター』はまさに今一番勢いのあるインディーゲームと呼んでもよさそうだ。
筆者個人の感覚だと、悪くない、いいゲームだったと思う。ただ絶賛はできない。60点70点と言うほかなかった。他人のレビューを読んでいても、どうしても否の方になるほどと頷いてしまうことが多い。
ちなみに、インターネットに対する感覚が近い弟に対しては一応「こういうところは面白かった」という説明に興味を持ってくれたので、バーチャルゲームカードを貸し出した(要するに「タダで貸すからちょっと触ってみて感想教えてよ」だ)けれど、わざわざ「買ってプレイしてくれ!」と頼み込む気持ちにはならない。
どうにも『都市伝説解体センター』を、「サイコー」と形容できないでいる。なのに、ずっとこのゲームのことを考えている。それなりに気に入っていないと自ら二次創作するところまではなかなか進まない自分がちょこちょこファンアートを描いたりとか。
遊んでいる最中、筆者にはちゃんと「面白いな」と思う瞬間があったはずなのだ。最終的につけたスコアは70点だったけど、面白いポイントはあって、好きなゲームだなと思えた。だから、全然駄目だった! という感想にも最高のゲームだった! という感想にもなびくことができず、レビューを読みながら唸ったりしている。
この記事は、このゲームに100点をあげられなかった筆者が結局どの辺に引っかかっている(引っかかりつつもこのゲームを嫌いではないと思っている)のか、否の批評の方に頷いてしまうのはなぜなのか、そして、1兆60点の人がどうして1兆100点にならなかったのか……を自分なりに理解してみたくて書いたものだ。
適切な言語化がなされている数多の記事やレビューの劣化コピー状態になってしまうかもしれないが、自分の言葉で残しておきたかったという点でご寛恕をいただきたい。
なお、筆者の簡単なプロフィールは以下の通り。本稿では主にミステリ方面の評価を重点的に検討してみたいと思うが、あまりにアレな間違いや読み飛ばしがあったらご指摘ください。
※このゲームのジャンル種別表記である「ミステリーADV」以外の場面においては、いわゆるミステリーのことを「ミステリ」と表記する
フィクション読書が好き。ミステリ、SF、ファンタジー、文芸、わりと何でも手に取る乱読タイプ。体系的な知識はない
ゲームも好き。アクション下手。効率プレイが上手くないのでクリア済タイトルは少なめ。インディーズには明るくない
『都市伝説解体センター』は、TwitterのTLでフォロイーがクリアして呻いていたのと、おすすめ欄でも賛辞(&面白そうなネタバレ伏せ)のツイートを見ることが増えてきたので興味を持って購入した。4月下旬にクリア。どなたの発信かは忘れてしまったが、「カスのインターネットの解像度がすごい」と「令和の京極堂」というような文言が最終的な決め手だった記憶がある。
※本編の具体的な内容に触れているため、ネタバレを含みます。ここから下はクリア済の状態で読んでいただくことを強くおすすめします。
このゲームの点数を決めているもの
さて、何が『都市伝説解体センター』の評価を二分三分したのか。100点満点を「期待通り」とすると、60点70点というのは「思ってたんと違ったな」である。要するに期待との齟齬だ。
加点法でも減点法でもいいが、「ここはよかった」「ここは微妙だった・合わなかった」という採点基準になる要素がいくつかあると思うので、以下に書き出していく。
惜しみなく投入されるピクセルアート
間違いなくこのゲームにおいて目玉の一つといっていい要素。地下を歩くあざみのローファーや、バイクで走るジャスミンなど、一定の長さを持つムービーも非常に見応えがあり、満足感が高かった。正直いつまでも眺めていられる。色数を絞っているのにこれほどの陰影が作れるんだなあと素人ながらに感心もした。
ここに苦言を呈している方はあまり見かけない。購入前に確認できる部分でもあるので、ビジュアルの方向性が合わない人はそもそも買っていないと思われる。
味のあるBGM、エピソードごとに挟まれる主題歌
こちらもよかったポイントとして頻繁に挙がるところ。筆者はプレイ中たった一度しか聴くことができないクローゼットの楽曲が好き。あざみ・富入・司書の3人がそれぞれに静かに闘志を燃やしているのを感じられる気がする。
連続ドラマのエンディングのような演出もおしゃれだな~と思った。字幕を読みながら歌を拾うのは初見では難しいため、1番のサビだけ耳に残る程度の情報量だとちゃんと都市伝説の歌になっていて、多くのプレイヤーが歌詞の本意を理解するのは最終話になるだろうなというさじ加減も上手かった。
上記の2点はおおむね高評価のつきやすいところかと思う。
ちなみに筆者の横で背後霊プレイという名の付き添いをしてくれたミステリ好きの母(還暦)は、音楽も色使いも好みに合わなかったと言っていた。どうもターゲット層ではなかったらしい。娘の趣味に付き合ってくれてサンキューな。
キャラ造形とその余白
『都市伝説解体センター』には、30人以上のキャラクターが存在する。各話ごとの単発ゲストには比較的よくある名字・名前が割り当てられているが、一度見れば「ああ○話の人か」とわかるくらい、顔とモーションの個性が作り込まれている。これは素直にすごいと感じた。
1話の栄子・4話のリナ・5話のアイカと、いわゆる目鼻立ちの整った“美女”系キャラが3人も登場するのに、ちゃんと骨格が違うところまでドットでわかるのも芸が細かい。
もちろん、主役トリオの魅力は言わずもがな。(文字通りの)無垢な存在であり、どんな悪意にも「どうしてこんなこと……」「一括りにはしたくないです」と罪を憎んで人を憎まずの姿勢でまっすぐ向き合いながら調査員として成長していく表情豊かなあざみ。飄々とした態度だが必要な場面ではしっかりとあざみをサポートしつつ、バディとしての信頼関係を築いてなんだかんだ二人での捜査を楽しんでいた頼もしいパートナーであるジャスミン。都市伝説を愛し追い求め、そこに纏わり付く人間の作為・悪意を絶対に剥ぎ取ってやるという決意に満ちたセンター長こと廻屋。本編において三人が一堂に会することこそなかった(あとから考えるとかなり衝撃的だ)が、TLを流れてゆくほのぼの二次創作のような賑やかで楽しい関係だったんだろうね……と信じたくなってしまう。
そして、各キャラたちの人生には良くも悪くも余白が多い。
あざみや廻屋に関してはストーリー上の意図もあって伏せられている部分が多いが、ジャスミンがいかにして25歳で警視正まで上り詰めたのかとか、ああいう組織の中では目立つであろう富入の柔和な話し口調とか、名字を教えてくれたのにお隣さんとしか呼ばせてくれないお隣さんとか、具体的なことは何も言われないままお出しされた各種の設定に、プレイヤーは勝手に想像を巡らせてしまう。キャンペーンの一環で公開されたプロフィールもかなり話題になっていたのが記憶に新しい。
ついついSNSで言及したくなるフックに満ちた造形をしているのだ。
絶対にゴールできる一本道のシナリオとシンプルな操作
『都市伝説解体センター』では、ゲームの側からゲームオーバーを言い渡されることがない。諦めることなく丁寧に総当たりをすれば誰でも必ずエンディングまで辿り着くことができる。ボタンさえ押せればいい。
これに「とても助けられた」普段ゲームをあまりやらないプレイヤーと「さすがに舐められた」ゲーマープレイヤーがいることは、数多のレビューが示す通り。開発の墓場文庫としては前者によりリーチしたいという意図があったようなので、後者がハズレを引いたと感じるのはどうしようもない部分もあるだろう。
が、この二択で「後者になったゲーマーがそれなりにいる」という事実について、「謎解き慣れ・ゲーム慣れしている人たちも『都市伝説解体センター』に期待を寄せていたのだ」ということを、売る側がしっかりと予想できていたかどうか……はちょっと微妙かもしれない。後述したい。
筆者としてはゲームオーバーが存在しない点に特別な感情は持っておらず、ここはプラスにもマイナスにも傾かなかった。ゲームをする際、“自分の操作が物語を左右する”という事象は面白いと感じるが、なければないでいいという程度にこだわりがない。賢かったり真面目だったりするキャラにわざと間違いの選択肢や頓珍漢な返答を強要するのには少し抵抗を感じる方だ。あざみくらいが気にならなくてちょうどいい塩梅かもしれない。
操作パートにおいてボタンを押す作業を相当数要求されることについては、筆者自身はSwitch版でプレイしてそこまで苦に感じなかったけれど、Steam環境だと差があるかもしれない。この点に関しては比較できていないのでわからない。
なお筆者は直後に別のアドベンチャーゲームをプレイして、同じ対象物に複数のアクションを要求され何度も話しかける必要が生じた時に、「ああ『都市伝説解体センター』ってここは間違いなく親切だったんだな」と理解した。会話の自動カーソル合わせと既読処理は地味だがかなり便利だ。
また、物語の全貌を掴むのに周回プレイが必須ではない、という点も書き添えておきたい。もちろん深掘りのために何周もすることはできるが、それでストーリーそのものが変わることはない。
周回推奨ゲームには、何周もプレイすることによって世界観を多角的に掴むことができたりキャラクターをより深く知れたり……という大きなメリットがあるが、筆者は複数のタイトルを周回の途中で力尽きて中断してしまっている(シンプルにアクションが下手で詰んでいるソフトもある)。どうしても時間や労力とのトレードオフになってしまう。
これらの重厚なゲームに対し、「1周クリアするだけでも充分楽しめるけど、深いお喋りをするならあのルートもこのルートも押さえておくべきなのでは……俺はファンを名乗れねえ……」というオタクの罪悪感とは、『都市伝説解体センター』は無縁なのだ。
解像度が高すぎるカスのインターネット
あまりにも令和のTwitter(今やXだが……)すぎて感動。前評判の通りの光景が見られて大喜びしてしまったし、2024~25年代の治安が悪いSNSのアーカイブ見本として価値があるとすら思う。これもこれで『都市伝説解体センター』の目玉であり、黒幕――歩にとってはある種“本丸”であったわけで、ゲームにおいては非常に重要なパートではあるのだが、好悪感情や精神的キャパによってプレイヤーからの評価は変わりそうな印象がある。
筆者はおすすめ欄に流れてくる嫌な話を目にすると勝手な義憤でぐったりしてしまうタイプの人間なので、SNS調査はあまり気持ちを入れすぎず、ちょっと薄目ぐらいでプレイした。ゲームへしっかり没入して夢中になるためにはこの辺をもう少し熱心にやっておくべきだったかもしれない。
都市伝説はあるのか? ないのか? 確定しない揺らぎを残す演出
物語の中でセンターが依頼を受ける案件は、表面的には不可解な現象を呈しているが、ほぼすべて人為的に引き起こされた“事件”だ。 その人為的な部分を不純物として削ぎ落とすのが廻屋による「解体」。案件が終わってあざみとジャスミンが家路につく頃、そこに都市伝説として「特定」されたはずのオカルト事案は跡形もない。
しかし、2話ラストで四谷父の背後に立つ人影や、4話で訪れる村にあった蔵の触れたら光ってウニャウニャする壁など、説明されないまま終了する謎の現象は残っている。5話で念視を使った際こちらを見つめているドッペルゲンガーの影など、あざみも気にしていたのに「それは後で」と流されたまま、なんと放置である。
ここは個人的な気持ちで言うと「都市伝説という人智を超えた現象は、“ある”んですよ」とはっきり言って欲しかった部分だ。「謎として検討すべきポイント」と「演出として素直に楽しむポイント」は分けておきたいから。
「素晴らしい! これは本物ですねえ!」って廻屋が狂喜乱舞してあざみが大泣きするだけでこのわだかまりを解消できるだろうと思うのに、そういう説明がまったくないところには正直引っかかった。
でも、「あるかないかわからない」モノこそが都市伝説なのだ……という味を出したいから断言は避けた、という意図であったのなら仕方ない(こういう曖昧な味を好むプレイヤーもいるはず)。評価の分かれるところだろう。
限界までインパクトに振り切った大オチ
まあ、1兆点つけてる人ってここの勢いと衝撃に気持ちよく「やられた!」と言えた人だろうな。……というのは、記事の執筆前から理解している。
この記事を読んでくださっている方は皆クリア済だろうと思うので、筆者自身の体感を以下に記しておく。
あざみがSAMEZIMA管理人の目論見を「解体」するとともにその正体までも自力で「解体」してしまうところまで、そして廻屋渉の本当の姿は、ある程度のユーザーに予想のついた展開だっただろう。
筆者も、廻屋の「解体」に向き合うスタンスを理解した上ですべてを明らかにしようとするあざみの成長した姿に感激し、DM捏造という嫌な証拠を思い出して中腰になり、「選びたくないよ~やだよ~」と言いながら「廻屋渉」に向かってボタンを押し込んだ。薄々候補に入れるが外れていて欲しい、くらいの予想だった(あざみも廻屋も黒幕として同程度に怪しいからこそ、逆に如月努の“弟”は二人と別に存在するのでは? などと考えていた時期もあった)ので、悔しいけれど熱い展開だったと白状するしかない。
そして、「福来あざみ=廻屋渉=SAMEZIMA管理人」という式の成立は、言われてみればあっちこっちにヒントがあったよなと気付かされる程度には納得があった。なんで移動しても電波通じるねん! とか、3話の時点でメモしている。気付けよ自分。
が、真の大オチ、すなわち「福来あざみ=如月歩」という最大のビッグウェーブに、筆者は乗れなかったのである。
テーマソングをバックに自動で流れていくムービーのテロップをどうにか追いかけながら、母と二人、「えええ……」と呟きつつ呆然としていた。あとから当時の印象を母に聞いてみたが、「なんか釈然としなかったというか、そこでそう言われちゃったら、はいそうですかとしか言いようがなくってさあ……」とのことだった。6話の途中までは作業ゲーの感がありつつも結構面白く眺めていてくれたように感じたのだが、二人とも波に乗れなかったんだなあ。悲しい。
最強の女がかっさらっていく最大瞬間風速
強い語を使えばいいというもんではないが、如月歩という女はあまりに手持ちのカードが多すぎる。
類い稀なる頭脳を持つ“ギフテッド”(この語もこんなにホイホイと使っていいのかどうか……)の才能は他者の行動を残像として浮き上がらせるほどの演算を可能にし、たった一人にしか使うことを許されない最強ハッキングアプリを操ることで国内のSNSを配下におくことすら自由自在。公安の若きエース(かどうかは言われていないが)ジャスミンの潜入調査をかいくぐり、あざみという顔で富入の信頼まで勝ち取ってクローゼットへの侵入を果たしてみせた。
彼女が笑うカットで「脳を灼かれた」人も多かったのではないだろうか。6話で主題歌が流れている一連のシーンが、このゲームの最大瞬間風速ポイントだと筆者も見ている。
が、しかし。
最大瞬間風速のために犠牲となったもの
言うまでもない。
細かい整合性をフォローすることによって確保できたであろう、フィクションとしての説得力と、プレイヤーの納得感だ。
これが、1兆60点の人も端数が60点である理由の一つ(あくまで一つ)だと思う。
『都市伝説解体センター』には、「その場では与えられた驚きの方が大きくて一瞬忘れてしまうけれど、あとから思い出してみると作中では説明がなかったことに気がつき、看過できなくなってしまう」シーンが何かとある。
ジャスミンがセンター内に入ったことがなかった(エレベーターが動くことにまず驚いていた)という事実も、4話でガチ呪いを受けたはずの眉崎が6話で再会してみたらウルトラ元気だった衝撃も、筆者は軽く流すことができなかった。
この「その場では驚きで流しちゃったけどあとから思い返すとどうなのよ」現象が頻繁に発生するのが、テーマソングと共にムービーが流れる各話の印象的なラスト。エピソードごとの〆としては非常にドラマチックで魅力的だし、筆者も毎話ドキドキわくわくしながら観ていた。けれどこの形式には一つ、明確なデメリットがある。
出せる情報量に“時間内に収まる分だけ”という上限があるのだ。
事件に関する捕捉説明、あるいは次に繋がる引き、その他色々な情報を主題歌の秒数に合わせて取捨選択しなければならなかっただろうことは想像に難くない。ゲームとしての盛り上がり、つまりエモや驚きを優先させるとなると、細かい整合性のための解説は後回し……というか、捨てざるを得ない。その結果が説明不足、消化不良を招く一因になってしまったのだと筆者は考える。
特に最終話はフルサイズで主題歌を流しても全然足りていない。もっと話して欲しかったところが山のようにある。
ホラー演出面としては「アレって何だったの?」「やっぱ怪異でしょ」「いやいや私は信じませんよ」と楽しく盛り上がればよい。
実際、感想を自由に投下できる公式YouTube動画にも、さまざまな考察や解釈、「解体」を済ませたプレイヤーたちの悲喜こもごもが投げ込まれている(5月末までの公開だ、気になる人は今のうち。動画本体ではなくコメント欄を見に行こう)。
だが、物語を振り返った時、現代日本という舞台に則った整合性――特にミステリの観点から見ると、せめてゲーム内で何か一言二言きちんと説明されていればよかったのに、というポイントが多く残ってしまっている。
そこが放置されているから、「このゲームに整合性の取れないところはないぜ(好意的に解釈すれば何でもどうにか理解できるよ)」派と、「さすがに無理筋がすぎる(好意的に解釈しなくても納得できるよう本編で出せよそこは)」派の対立が深まってしまうのだ。……本当に対立しているのか? もしや筆者は架空のSNSで架空のオタクバトルを妄想していないか?
次の項で改めてミステリにおける「説得力」と「納得感」について検討していきたい。
ミステリというジャンルへの期待とアンマッチ
前述した、「ゲーム慣れしている人たち(メインのターゲット層でない人たち)も『都市伝説解体センター』に期待していた」ということがなぜ起きたのか。そして筆者自身も、クリアしたあとに引っかかりを残してしまったのはなぜなのか。
筆者は、「ミステリーADV」というジャンル表記がその要因の一つだったと考えている。
この分類を見れば、「ミステリ」ジャンルを求めるゲーマーも「アドベンチャー」ジャンルを求めるゲーマーもとりあえず注目するだろう。体験版の雰囲気がよければ、そのまま購入する人もいるだろう。
だが、ミステリもアドベンチャーも2025年の現在、何でも放り込めてしまえそうなくらい懐が広い。千差万別とまではいかなくとも、個々人でジャンルに求めるものが違ってきてしまう。実際、レビューでも「ミステリとしては期待外れ」「アドベンチャーを称するなら最後まで操作させて欲しかった」というコメントが複数寄せられているのを見た。ストーリーの組み方や、プレイヤーとして介入できる範囲に制限があることなどを考えると、人によっては「自分が求めていたミステリ、求めていたアドベンチャーではなかった=not for meだった」と感じてしまうのは仕方ないことだ。
さすがに「私にとって」という但し書きを外して「ミステリではない」「アドベンチャーの定義を満たさない」レベルの“断言”までいくと論が強すぎるかなあと感じる(広義のミステリやアドベンチャーの定義は下記リンクの記事が詳しい)が、ジャンルに惹かれたプレイヤーがアンマッチを起こしてしまったケースは少なくないと思う。
アドベンチャーというジャンルについては、正直あまり詳しく語る知識を持っていないので、本稿においては深くコメントせず置いておく。
けれど、「これは(個人としては)アドベンチャーとして認めたくないよ」というユーザーがいたことも、一つの事実として憶えておきたいところ。
重ねて書いておくが、「『都市伝説解体センター』を楽しめたor絶賛してるのは、普段ミステリとかアドベンチャーとかやらない人でしょ」と“一括りに断定する”のはよろしくない。ゲーム内でもさんざん言われてきたことだね。
ミステリに造詣の深い人からの好評もあるだろうし、アドベンチャーに不慣れな人からの不評もあるはずだ。
ミステリに求めたい要素とは何なのか
改めて、自分でもミステリとは何か考えておきたい。直近で読んだ評論にわかりやすい文章があったので、引かせていただくことにする。
(……)いつの時代も謎は人を惹きつけ、隠された謎に直面したとき、あるいはそれを解き明かしたと確信したとき、人は自身を物語の主人公であるかのように特別視してしまう。
言うまでもなく、この原理――謎とその解明――をもっとも効果的に物語の核として活用してきた文芸ジャンルこそミステリである。(……)
「謎」と「答え」のセットこそ、ミステリの最大公約数。謎の内容は「誰が?」でも「なぜ?」でも「どうやって?」でもよい。提示された謎が最後にすっきりと解明or解決される快感を求めてミステリを読む人は多いだろう。
そして、ミステリの気持ちよさのためには、必要なものがある。
説得力であり、納得感だ。
ミステリにおける「解決」は、答えそのもの(「犯人はヤス」とか)を単独で出すことに留まらないケースが多い。
他の人には不可能だったのか? どんな道具を使って実現したのか? どうして犯人を特定できたのか? 要するに、「推理・推論の流れを明らかにし」「他の可能性は潰しておく」作業がついて回るのだ。
この作業は、「作者もそのことは検討済みですよ」という宣言にもなる。言い換えるならば、最終的に提示される「解決」の土台を固める作業と呼んでもよいだろう。多重解決ネタであっても、それぞれの仮説が並立するように、異なる土台に異なる工夫が凝らされている。
ただ、これは義務ではない。究極的には、「人が死んでるぞ! 誰が殺したんだ!」「犯人はお前! 〇〇というトリックを使ったな!」「はい、私がやりました」と並べるだけでも定義上のミステリは成立する。徹底的なフェアプレイが作者と読者の間で“約束”されているのは、ミステリの中でもより狭い「本格」ジャンルに限られていることは忘れないでおきたい。
しかし、作中で明確な根拠や具体的な証拠を積み上げていくことで、その「解決」には説得力が生まれ、読者に納得感を促す。
著名なミステリ作品にも、物理的に無理がありそうとか、一瞬しか成立しないだろうとか、再現性の低すぎるトリックは少なくない。
でも、裏でいったい何が起きていたのか、不可能に見える現象をいかに実現したか、犯人がいかに工夫をしたのか、そして探偵はどのように謎を解きほぐしたかというのが、なるべく詳しく書いてあるのだ。その積み重ねの上にドカンと「解決」を乗せる。そうすると読者も「うわ〜力技!」とは言いながらも、ある程度納得して物語を読み進めることができる。
“納得した上で物語の勢いに乗っかる”ところにも、気持ちよさがある。
ゲームにおける説得力の醸成は、プレイヤーの操作によって進む。聞き取りを行い、証拠品を集め、現場を歩き回り、あるいは裁判場に赴く。自分と、または誰かとの対話を重ねることで、一つ一つの疑問や仮説を検討していく。作中のキャラクターが思考するのを見ているプレイヤーの脳内にも、同じように根拠や証拠が積み上がっていく。
6話における説得力の積み残しと納得感の取りこぼし
筆者個人の感覚で言うと、『都市伝説解体センター』はミステリとして成立してはいると思う。信頼できない語り手も今時珍しくないし(斧男のムービーのくだりが自演だった点などを考えると、こういう仕掛けを三人称でやるんか~い……とは思うが)、1~5話に関しては捜査エリアの情報を拾うことで事件の像を大まかに結ぶことができた。
また、特にこのゲームの根幹に関わる「福来あざみ=廻屋渉=SAMEZIMA管理人」というイコールラインは、下記の記事でも検討されている通り、最低限だが1話~5話の中にもヒントがきちんと置いてあり、推理可能な水準に道筋が準備されていると感じる。
ミステリに慣れている人なら、あざみの世間知らずなぽやんぽやん具合を見て、一度は記憶喪失や多重人格を疑うだろう。
しかし『都市伝説解体センター』において、プレイヤーが上述の“説得力と納得感を積み上げていく”作業を許されるのは、SAMEZIMA管理人の正体を明らかにするところまでだ。福来あざみ本人に秘められた秘密を検討する場は与えられない。
キャラクターの思考まで穿った“好意的な解釈”をするならば、プレイヤーが操作できるのはあざみ(と廻屋)のみであり、彼女らにとっては自分たちの正体など今さら考えるまでもないから……ということになる。こういった情報の伏せ方は一種の叙述トリックに近い。
そうなると「福来あざみ=如月歩」、つまり「まだ登場していない人格がある」部分の推理は厳しそうに見える(俺はエンディングテーマが流れるより前に3人目の人格の存在を言い当てたぜという方、ぜひコメントとかツイートとかで教えてください。ツイートする時はネタバレにも気をつけてな)。
歩の掌の上で転がされる仕掛け、として考えればよくできていると思う側面もある。しかし結果的に、プレイヤーの中では納得感に至るまでの土台を固めるタイミングがほぼないがあざみに対する怪しさだけはある……という状態のまま如月歩が登場する、という流れを作ることにもなってしまっている。
如月歩という存在は、真相そのものだ。
唐突に出てきて唐突に「私が黒幕ですよ」と名乗るだけ名乗って、あっという間にいなくなる。
プレイヤーの「あれは?」「これは?」という疑問に答えないまま、事件はクローゼット行きの決を下され、都市伝説解体センターの建屋は文字通り解体されてしまう。
真相が真相であることは間違いないのだが、説得力の積み重ねや納得感の醸成がないまま「はい、真相ね」と渡されただけでは、すっきりしない。
名乗るからには“ちゃんとミステリ”であって欲しかった惜しさ
このゲームに関して正直な話をすると、わざわざ「ミステリーADV」ジャンルでなくてもよかったとも感じてはいる。
ミステリとして一定の評価を得ている『逆転裁判』のジャンル分類(DS時代とかに箱裏に書いてあったやつ)を見て欲しい。「法廷バトル」だ。
ジャンルとしてわざわざ名乗らなくても、「これはミステリとして面白い!」と思えるユーザーが多ければ自然とミステリ愛好家にも広まっていくことがよくわかる一例だと思う。
仮にこのゲームのジャンルが「サスペンスADV」などであったなら、「多少の粗はあったけど、ミステリ風味もあって楽しめたし結構よかったよ。許容範囲広い人にはオススメするかな」と言えるミステリファンも多かったんじゃないか。※サスペンスのファンにたいへんな失礼を働いてしまって申し訳ないが、ミステリよりサスペンスの方が無茶が許されているイメージがある。
繰り返すが、作中における仮説の検討作業は、法で定められた義務などでは一切ない。
『都市伝説解体センター』の説明の足りなさが取捨選択の結果としてなのかそうでないのかは我々には知ることができないし、消費者が受け取れるのは最終的にリリースされたデータ一式に限られる。
しかし、「ミステリーADV」ゲームが出るらしいと耳にしたプレイヤーが、ミステリ基準の品質担保を“勝手に”期待してしまうのも、また避けられないことだと考えられる。充分な納得感を得るのに必要な説得力の質と量は、人によって、またジャンルによっても大きく異なってくるが、ロジックを重視する傾向の強いミステリにおいては、基準となる整合性レベルを他ジャンルより高くしている人も多くいるはずだ。
ミステリファンの期待値が、(普段ミステリ系ゲームをやらないような)想定上のターゲット層が満足するラインよりも遥かに上だった――可能性は高い。ミステリだと思って購入したのにアンフェアだ、ミステリじゃないと言われがちな理由はこの辺りにあると筆者は考えている。
筆者自身はジャンル表記をそこまで注視していなかったが、流れてきた評判を目にして「都市伝説だけどホラーではなくミステリなのか」と思ったことも購入の一助になった記憶がある。「このゲームはミステリだ」という前提で遊ぶユーザーは少なくなかっただろう。
「ミステリーADV」と称してある故に“ちゃんとミステリであること”を期待してしまった(筆者もそうだ)し、ミステリとしての厳しめ評価を下すしかなくなってしまった面は間違いなくあると考えている。
おすすめ欄で筆者が見かけた「令和の京極堂」はあくまで一個人の感想にすぎないが、インタビュー記事を拝読する限り、開発の墓場文庫とパブリッシングの集英社ゲームズは過去~現行のミステリをしっかりと意識してこのゲームを作っている。京極夏彦も当たり前のように名指しされているし。
記事内で阿津川辰海(2024)『バーニング・ダンサー』に触れられていることもあり、担当者が近年のミステリを全く読まないわけではないこともわかる。だからこそ、ミステリと称するのであればミステリとしての説得力を、特に大オチに関する部分をもう少し詰めて欲しかったよな……とは、素人目線で勝手に思うのだ。
メインターゲットとして売りたい層ではなかったのかもしれないが、ミステリと聞いて手を伸ばしてくれる人たちが確かにそこにはいるのだから。
整合性の足りなさがもたらすデメリット
上述してきたことをまとめると、以下のようになる。
このゲームにおいて、細かい整合性が不足していることそのものも課題の一つではあるが、整合性・説得力・納得感といった要素が(ジャンル上または個々のユーザーとして)プレイ時に求めていた水準には届いていないと“感じさせてしまった”ことがアンマッチの要因になったと考えられる。
なお、説明不足ポイント・インパクト重視の引っかけポイントは下記の記事に詳しい。蛇は筆者も全然わからない。
筆者個人としては、ゲーム本編が説明不足だった結果として、整合性を取る作業をプレイヤーたちの好意とSNSの拡散力に丸投げしているように見えてしまい、そこにどうしても不誠実の気配を見てしまうキツさを密かに感じている。
先方にそんな意図は全然ないと思いたいのだが、「どうせプレイヤーが勝手に“考察”してくれるでしょ~とか思われているんだろうな……」などと信じると心が楽になってしまう部分もあるので危険である。これは陰謀論になりがちなのでよろしくない、忘れよう。
SNSの存在も含めての『都市伝説解体センター』ではあるものの、柔らかなソーシャルを公式が推奨するのはやめた方がいいよ本当に。
ごめんちょっとキャラの話させてくれる? ほんとにちょっとだけだから
※本題とはそれほど関係がないので、キャラクターの話に興味がない人は次の大見出しまで飛んでいただいてもかまわない。
『都市伝説解体センター』に抱いた感情の一部として、これはこれで何かしら言語化しておきたいという意図があり、「ある作品が好きだ」と感じる理由の一部に「キャラクターを気に入った」という事象は間違いなく含まれると考えているので、本稿にまとめて記した。
冒頭でこのゲームの点数について「特定のキャラが変なところに刺さってしまって抜けなくなっちゃったのでボーナスして70点」と書いた。
また、多くのプレイヤーの情緒をしっちゃかめっちゃかにした最強の女こと如月歩がそこまで刺さらなかったことも書いた。まあ彼女も妹で兄より賢くて苦労の人で復讐に燃えていて大事なものと大事な人のために日本のインターネットを焼畑農業するところなど二次元でしか得られない強いキャラクターの味わいがあり、兄の立場も含めて抜群に魅力的だが、筆者のストライクゾーンからはちょっと外れていた。
誰が筆者の脳を刺したのか、ここでちょっとだけ書かせて欲しい。
山田ガスマスクである。
遅効性の男
猫背蛇顔鷲鼻の揃ったキャッチーな外見で、3話の時点においてはあざみサイドと明確に敵対することなく場を回してくれるものの、最終的にはすべての引き鉄である上野天誅事件の真犯人5ソサエティの一員だったとわかる、山ガスこと山田ガスマスクの話をしよう。長すぎるのでもう山田および5Sと表記する。
この男は、自分の担当話においては他者に明確な害をなしている様子がなく、露骨な減点ポイントが少ないからか、5人の中だと相対的にまだマシそうに見える(4月末に公開されたプロフィールも5Sの他4人と比べると倍くらいRTいいねされており、トレンド入りしたことを墓場文庫に捕捉されていて面白かった)が、普通に悪役ポジションで、清々しいほどのヴィランだ。
特に推していない人から見れば「FA結構見かけたから活躍する系のキャラかと思ったのに違っててビビった」「今クリアしました! なんであの人が人気なんですか!!??」「顔が好みで喜んでた記憶を消したい」「結局ビジュアル刺さるかどうかなんじゃん」などと辛辣に言われがちである(全部見たことがある)。
超余談:この記事をちんたら書いているうちに、3月にファミ通上で実施された人気投票の結果が出ていた。GWセールとプロフィール公開よりも前に締め切っているので、今の状態で実施したら結果は随分違ってきそうだ。
とはいえ山田は何食わぬ顔で4桁の票を稼ぎ、人畜無害で人気が出るのもむべなるかなポジだった愉快なガイドと2票差で5位に滑り込んでいる。一人3票システムなので3票放り込んだファンもいると思われるが、それにしても7位以下と差がつきすぎていて戦慄する。
ちなみに3話メンバーがさりげなく全員30位以内にランクインしているのも興味深い。登場人物の数が多いことで(最終的にはギスギスになってしまうが)人間関係としての接点が多く各人の個性がしっかり見られたこともあるし、平和時空(事件がなかったifとか)なら面白仲良くできていたんじゃないかという淡い希望が持てる回だったから……かもしれない。ガイドの出てくるスピンオフは筆者も見たい。
筆者自身、プレイ中は彼に対して本当に何も感じていなかった。顔が好みかというとそうでもなく。
3話で事件に関する情報を独占されたり脱出後に一人道を引き返したりというシーンも「何か思うところ・隠し事のある人なのかな」と思う程度に留まり、6話で事情が飲み込めてからも「あーそうなのそっちサイドだったの! へえ~~! カスじゃん!」ぐらいで……というより、寸前に迫ったグレートリセットに向き合うことに必死で、明かされていく廻屋とあざみの秘密、またジャスミンと富入が語る事件の顛末でいっぱいいっぱいだった。
だから、山田のことを真面目に考え始めたのは、クリア後しばらくしてからということになる。
ところが素人ながらに彼についてSNS調査をしていると、「ゲーム終わってからじわじわハマった」「クリア後に沼落ちした」という呟きを結構見かける。どうも山田に対して何かを感じたのは筆者だけではないらしいのだ。
少しだけ、この辺を考えてみたい。
なお筆者は「頭がよくて世間一般のことをうっすら見下してるのがデフォみたいな男だけど、実は一緒に遊んで悪ふざけして笑える仲間がいるんだよね」という系統のキャラに非常に弱く、この事実に気がついたのがクリア後だったというだけだし、どうもソロ充である(くせに配信者集団の一員であったという過去を持っている)ことを示唆したプロフィールが公開された時点でもはやお察しという感はあるのだが、よければもう少しだけお付き合い願いたい。
台詞と仕草の行間にある人間性
山田という男が5Sの他メンバー4人と明確に違っているポイントが一つある。配信者を辞めたあとの進路に、webにおいては覆面を貫くライターの道を選んだという点だ。
(※3話のSNSおよび本人の挙動、また6話で公開された動画を見る限り、5S時代は顔を出していたはずということが主な根拠。実際、5Sの活動を多少なりと目にしていたらしいジャスミンも、3話時点で彼の素顔を見て何のコメントもしていないため、別人と判断したとみている。顔が似ているくらいは感じたかもしれないが、確認せずじまいで終わっているだけかも)
謎を解き明かすという行為、それは導き出した答え=解決を「真」とするだけでなく、解く前提となった知識や証拠、結論を導き出す上での論理や思考法などをすべて「真」とする、もしくは信じ込む行為である。
引用をお借りしてセルフでツッコんでおくが、7年前もあのHNと顔隠しで5Sとして活動していましたorライター業の前に学生配信者をやっていた経歴は伏せていませんと何らかの公式発表があった場合、ここから下の文章はすべて妄言である。前提が「真」ではなくなれば、当然解決も「真」ではなくなるからである。
いや公式発表がなくても行間を読んだだけの“解釈”なのだから妄言には違いないが……そういうことに……しておいて欲しい……。
ジャスミンからも過去の活動とアカウント名について言及されていた栄子、「きのこ」という特徴的な名前すら一切変えず元気に配信者の道をひた走っている谷原などに顕著だが、元5Sの4人は顔出しを容認することで過去の人気や知名度を維持した状態で、それぞれ華やかな(?)キャリアを築く方へ舵を切っている。
これとは対照的に、山田のみがひとり有名配信者の下駄を脱いで顔を隠す道を選んでいるところに、キャラとしての味がある。なぜならそれは、彼は「ネット上で顔を出すのはまずい」と考えている人間だ、という意味だから。
ゲーム上の都合として、過去配信者をやっていた形跡を見せることには「カードの持ち主=案件後に行方不明になる人物にはミッシングリンクがあった」ことを匂わせておく目的があったと思う。それで言うと3話は物語の本質に深く関わってくる上野天誅事件に言及しているため、敢えて関連性を見せる情報を抜いたという事情はあったと考えられるが、本当に山田だけが、あざみを家に上げたこともなく、本名と経歴を隠し、webライターとしての側面だけを3話の時点では呈示している。6話に至っても彼が5Sのメンバーだったと示す明確な事前証拠はなかったように思う。
あのツアーだって自分が釣り上げられているとは知らず、当初は仕事として興味を持って参加を決めたのだろう。
それなのに気を緩めて顔を出した途端に見憶えのありすぎる現場に連れてこられ、絶対に隠し通さなければいけない事件の真犯人捜しに巻き込まれる。露骨に動揺しまくっているのが台詞からもモーションからも伝わってくるのが味わい深い。
さりげない動きで真実から遠ざかる方向の細工をしているが、実はすでにこの時点で歩には彼が5Sの一員だとバレているというのも面白いポイントではある。
「上野天誅事件の犯人は5S」は7年前から確保できている真の情報であるとしても、「5Sの山田=webライターの山田ガスマスク」が歩の中で確定したのがいつだったのかは少し気になるところだ。例のアプリでアカウントに紐付いているIPアドレスとかID変更履歴とか探ったんだろうか。もしくは小判の件でプチ炎上したところで経歴を洗ったか(犯人が小判を盗んだと知っていたのは朋子の方なので、歩―朋子の連携が始まったのと山田の個人情報特定のどっちが早かったかでだいぶ話が変わってきそう)。さすがに垢消し転生ぐらいはしていると思うのだが、スーパーハッカーすぎる。いややっぱり過去5Sだった経歴はオープンにしているんだろうか……そうなるとこの項全てが妄言だが……。(2025/05/25夜追記:よく考えたら「上野天誅事件の犯人は5S」という事実は兄が死亡する前後の時点で歩の手元に確保できている可能性が高いので、5Sの解散~山田がライターになるよりも前に歩は5人の個人情報を掴み終えている=どれだけアカウント転生しても戸籍情報がわかれば追跡できると考えられる。これで全部解決)
最終的に教会へ拉致され、あざみに解体されている最中の「お前も如月努と同じ道を辿るんだよ(大意)」で結構な衝撃を受けたプレイヤーは筆者だけではないだろう。こんな顔でこんなことも言っちゃえる人だという本性を隠そうともしていない。
「揚げ足取りの記事が多い」と言われているように、彼は先んじて何かを叩いておくことで安全を得ているタイプの人間だという印象がこの場面からは伝わってくる。そういう行為への罪悪感が微塵もないことも。
表面上まともそうに感じられた山田が、当時の仲間5人で並ぶとちゃんと最悪な人間に見えるこのシーン、今思えばとんでもない見せ場だったのかもしれない。
山田という人間の根っこを、ピクセルモーションで作られた仕草から、ゴシック体で流れていく台詞から、我々はどうにか読み取ろうとする。
学生配信者としての活動が次第に過激になり(あの癖強メンツで最初から世直し炎上“だけ”をやっていたわけではなかろうと思いたい、これもまた勝手な“好意的な解釈”である)、悪ノリ悪ふざけがとうとう冗談で済まないところに行き着いたのが上野天誅事件だ。
とんでもない事態を招いてしまって、なのに揉み消すことができてしまって、真実の隠蔽に残りの人生すべてを賭けねばならなくなった悪運と悲哀。大悪党にはとても向いていなさそうな小心者がワンミスで悪へ転がっていく哀れな人生譚。悪を貫く信念も矜持もなく同情されることも決してない、それでも自分の名前が記された記事で承認欲求を満たすことは諦められない浅ましさ。
5人の中で一番バレることを恐れていたであろうに、他者を踏み台にして得られる快感を自分から求めることをやめられず、そのくせ7年間とても無傷ではいられなかっただろうねと思わせる怯えぶり。露見に対する恐怖は自業自得でしかないのに、さも自分たちが被害者であるかのごとく振る舞えるふてぶてしさ。
嫌だなあこんな人間は。
でも、だからこそ。
殺人犯の一員であったとバレたくない、バレるわけにはいかない、バレたら自分の人生は終わりだと恐れながら、それはそれとして自分は別に悪くないですしと開き直れる(開き直るしか選択肢がない)彼の姿に、筆者はどうしようもなく人間味を感じてしまったのだ。
「悪役5人のこと全然好きになれなかった」という感想もちょくちょく見かける。当然だと思う。むしろ普通の感覚だ。普通であって欲しい。2025年の日本において殺人は重罪だ。
ターゲットと違う人を襲った上に加減を誤って殺してしまったぞさあどうするという状況で被害者の所持品をこっそりポケットに入れるようなやつ、現代の倫理観では絶対にお近づきになってはいけないだろ。多少でも物盗りの犯行に見せかけるためだったのか(だったら天誅の紙を残すな)、ちょっと目についたからドロップアイテム気分で拾い上げたのか(シンプルに最悪)、その意図はついぞ明らかにされないが。
もちろん他の4人もそれぞれに、現実と地続きの嫌なリアリティに満ち溢れている。キャラデザとして「適切に嫌われているが、奇特なファンも結構ついている」現状は造形意図通りだと筆者も考えている。
こういったことをプレイ時からしっかりと読み込めているプレイヤーはそこまで多くないと思う。「クリア後に刺さる人が多い」理由は、「彼らのことを改めて深掘りするタイミングが概ねクリア後だから」であり、「先にクリアして深掘りを始めたプレイヤーの考察や解釈を読むことができるようになるから」だと考えられる。
それはそうだろう、ゲーム本編はあざみの物語であり、渉の物語であるからだ。プレイヤーとしてもあざみサイドに自然と感情移入していたし、ヴィラン側の人生に想像力を割くリソースは正直あまりなかった。
物語の成立に欠くことができない“犯人”を愛でるという行為
好きなキャラを問われて山田の名前を挙げることに、ちょっとした後ろめたさがなくもない。どうして人気なのかと訊かれても、正直筆者もよくわからない。
彼らの活動が道を外れていなければ、傷害までに留まって致死になっていなければ、適切に出頭していれば、クローゼット案件にされなければ、容疑者逸らしなどということをしなければ――朋子や歩が理不尽に苦しむこともなく、都市伝説解体センターとグレートリセットにまつわる一連の事件は何もかも起きなかったはずだからだ。
その代わり、あざみという人格は生まれないし、ジャスミンとの縁も消えてしまうという寂しさもある。『都市伝説解体センター』という物語は、5Sの過ちなくしては存在し得ない。
キャラを推すという行為の中で、罪を犯した架空のキャラクターが楽しそうに過ごしている場面を求め、または誰かと友情を育む姿を思い描き、あるいはせめて苦しんでいて欲しいといたぶり、軽率に“消費する”ことにも善悪はついて回るのだろうか。筆者はまだその辺りをうまく言語化できない。
ただ、フィクションにおいて“善でない”“正しくない”側にいるキャラクターを好きになってはいけない、ということでは決してないと思っている。
フィクションだからこそその役割のために存在することが許される、「“悪”“不正”を抱えた人間の“人生”」を味わうことを、許して欲しい。誰に許可を取っていいのかよくわからないけれど。
ゲームの中であざみを通して断片的に知ることができた如月兄妹の半生、歩が一人で駆け抜けてきた7年間を想像して呻き声を上げるのと同じように、筆者は今、山田の美しく明るい思い出(で終わって欲しかった最高で最悪)の学生時代と、常に何かから逃れるように暮らしてきただろう7年間と、本編が終わってからの長い長い余生に思いを馳せて、日々呻き声を上げている。助けてーではない。感覚的には一旦助からないでーの方が近い。ちゃんと裁かれろとは思っている。その先がどうなるかは、当面公式に語られることはないだろう。
これだけ書いても筆者がこのゲームを70点と評するのは、自分が今啜っている楽しい部分はゲームの余白であってゲーム本編ではないからだ。
非公式の存在しない部分だからこそ自由に空想して勝手に遊んでいるだけで、他のプレイヤーたちと無条件に共有できるものではない。本編に描かれていない、個々の想像力に委ねられている部分を、丸ごとそのままゲームの点数にはできない。
60点は単純な「つまらなかった」ではない
長々と書いてしまったが、最後に本題に戻ろう。
まず改めて、このゲームに100点をつけた人が「どんな粗もまったく気にならない人」だったわけではないことは書いておかねばならない。人それぞれの基準がある。明らかな粗があったとしても、そのプレイヤーにとっての基準値と比べて上か下か、それがすべてだ。
そして筆者は本稿を書きながら、「このゲームを楽しめた」と発信している人が、皆100点をつけているわけでもないということも忘れてはいけないと感じた。60点でも80点でも、あるいは1兆60点でも、同じことである。
自分も気をつけるべきことだが、点数評価の土台が感情になってしまうのはちょっと危ない。レビューも感想も冷静に読めなくなるだろうし、「どうしてこの人はこの作品をこんなに持ち上げているんだろう」「私は好きなのにめちゃくちゃdisられていてムカつく」みたいな嫌な気持ちも出てくるかもしれない。ファミ通のクロスレビューだって、基本的には“ゲームとしての完成度”をベースに行われているはずである。
技術面において期待以上だった箇所に加点し、期待に届かなかった部分を減点して、「ゲームとしてはこの位置ね」と採点したのが点数評価であり、「めちゃくちゃ楽しかった」「大好き」という感情はなるべく点数の外に置くことが、本来は正しいのだろうと思う。その「めちゃくちゃ楽しかった」「大好き」という超ポジティブ感情を表す言葉が、100点から意図的にはみ出した「1兆点」だ。
レビューが上手い人はたぶん、採点(誰かと基準をある程度共有できる部分)と感想(“自分にとって”○○であったという部分)をきちんと切り分けられているし、読者が誤解しないよう区別して書いている。読む側である我々も、ごちゃ混ぜにしないように気を配らねばならない。
冒頭で書いた三つの疑問を再確認しよう。
筆者がこのゲームを100点にできなかったのは、ミステリだと思って買ったゲームなのに大オチ周辺の説得力が不足していると感じたから。
否の批評の方に頷いてしまうのは、整合性不足・納得できなかったという採点基準が自分に近いと感じた人、つまりプレイヤーとしての要求水準が自分と近そうな人のレビューをより多くピックアップして読んでいたから。
そして、1兆60点の人が1兆100点にならなかった理由は、当然ながらその人の判断基準の中で100点にならないポイントがあったからだ。あったけれど、1兆点をあげたいくらいの気持ちも同時にあったということだ。
筆者が1兆点をあげられなかったのはたぶん、ゲームを終えた瞬間の感情が「うおお! はちゃめちゃ楽しかった!!!」には届いていなかったからだろう。今考えれば、総合的には楽しかったと言える。でもやっぱり1兆点にはならないかな……。キャラ推しポイントに気がついたのもクリア後だったしな……。
筆者の人生にも、「話の粗とかシステム不備とかこまごま引っかかるところ=減点はあった」けど「夢中になれた」とか「自分の世界が広がった」から「“ゲームとして”の総合点はそこそこだったけど好きだ!」というタイトルはたくさんある。
幸運にも今まで遭遇したことはないが、いつかは「よくできていたけど全然好きじゃなかった」という作品にぶつかるかもしれない。けれどその時、誰かのレビューに賛成したくてただSNSをうろうろするだけではなく、「ゲーム内容は100点! 私は○○と○○が合わなかったので好きではない! △△を求める人にはおすすめ!」と、誹謗中傷などはせずに気持ちよく言えるよう、自分の中の言語化能力を磨いておきたいものだ。
一億総SNS時代となった今、自分の感性に近い感想を書いてくれる人は日本の(あるいは世界の)どこかにきっといる。
けれどやはり、自分のつけた点数、自分の好き嫌いをしっかりと切り分けて、自分の言葉で説明できるオタクでい続けたいよ、私は。
そんな気持ちを新たにして、いい加減この辺で筆を置くことにする。




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