May 19, 2009
ヨーロッパの煉瓦製造工場の変遷と現在
建築素材における歴史的な発達過程を考察すると、建築は極めて土着的な環境の必然性:木と石と土に起因します。現在に至る数千年間、土を締め固め、焼くという行為自体は不変であり、人の手から機械へと製造・焼成方法は変化したものの、何ら大きな変化は遂げていません。世界中各国で製造される煉瓦は、それぞれの国によってその作り方、使い方が違うのも土着的で面白いです。
アジアでは煉瓦は土のあるところで固めて焼き、土を求めて移動するさながら遊土民のような国もあります。それは建築そのものを造る大事な資材であると同時にお金でもあります。軒先に高く積まれた煉瓦の山はそれを物語ると同時に生活に根強く密着したものであります。また、ヨーロッパでは古代ローマの卓越した都市計画、建築物の創造に石とともに用いられるなど、煉瓦は人類が生んだ最もシンプルで無限の可能性、創造力を秘めた原素材とも言えます。
ここでは、日本の煉瓦工場は明治の始めに外国人の技師の指導によってつくられました、ヨーロッパの煉瓦製造についての歴史的経緯をたどりながら人類と煉瓦との試行を遡り、先人の匠を継承しつつ、次世紀においても人類共通の永遠の建築素材である煉瓦(BRICK)に期待したい思います。
●成型方法
ローマ期: 固くて平らな地面に砂を撒き木の枠を置いて、適度の水分がある粘土を押し込み、木の枠を外し脱型をして形を作り2本づつ立てて乾燥した。
12世紀後半: 木の作業台に木の型を打ち付け、砂をふりかけ粘土を転がし型より小さく深い長方形の固まりを、各角が埋まるように型の中に強く投げ入れて形を作った[パレット成型]。型に砂をふりかける代わりに型を水で濡らして、粘土を押し込み形を作った。(木の作業台は用いない)成型された煉瓦は柔らかいので、砂をかけて平らな地面に置いて乾燥させた[スロップ成型]。 20世紀初めまで、イギリスの中部・北部で多くはこの方式で煉瓦が作られていた。
18世紀後半: [パレット成型]の方法が少し変わった、隆起ブロックを木の台に固定し、煉瓦の下の面に凹部をつけ砂をふりかけた粘土を転がし、型の中に押し込み、針金で余分な粘土を切り取り、水で湿らせた木の棒で表面を滑らかにして、木の型から外して、パレットボードに載せた。
19世紀初頭: 機械化された[パレット成型]で、ハンドメイドを模倣した煉瓦が作られるようになった、柔らかい粘度の粘土が強力な土練機によって複式の型に押し出され、後に同じ機械が自動的に逆さにして型より脱型して形を作り、パレットボードに載せる[ソフトマッド成型]。1820~1850年間に109件もの煉瓦製造機やキルン(窯)の特許が発明家に与えられた。初期のワイヤーカットマシーンは手方式成型で、今までより硬い粘度の粘土が箱の中に詰められ、手動のピストンがあり、煉瓦の長さと幅に合わせた長方形の型の中に押し出して形を作った[混合押出成型/湿式成型]。1860年以後は押出は連続的になった、柱状の粘土が出てくると機械がそれを横に押し、そこにはワイヤーカットがピンと張ってあり、煉瓦を切り分けた、ある程度乾いたら手動のプレスで仕上げた。
20世紀初頭: 押出成型機は、真空室内で粘土を切断してから、押出オーガで固める方法を採り入れて、密度の高い可塑性のある製品を生み出した、柱状の粘土はいろいろなテクスチャーを作り出せるようになった[真空押出成型]。堅い泥板岩を粗い粒子に摺りつぶしてふるいにかけ、若干の水を加えた粉をホッパーに入れ、2~4回強力なプレスをかけ固めて形を作った[プレス成型/乾式成型]。
現在: 18世紀後半から続く[パレット成型]・19世紀初頭から続く[ソフトマッド成型]・[真空押出成型]の方式が行なわれている。
●焼成方法
古代: 常設のキルンが出来る前は、乾燥された煉瓦の山を作った、煉瓦と煉瓦の間の隙間を、底部に火の道を作り、最後に全体を泥炭や古い煉瓦で覆い焼いた。
ローマ期: ローマ中世より[サフォークキルン]の多くは傾斜面に建てられ、天井のない燃焼室はかなり大きな建造物で、キルンの底部に火の道を作りアーチより木を燃料にして炎を入れた。
17世紀初頭: 1666年のロンドン大火事のとき、建て替えの際に煉瓦を必ず使うことを規定した条例が出され、100万本も煉瓦が密閉式クランプで焼かれた。この頃幅11ft(3.36m)高さ12ft(3.65m)の天井のない燃焼室で、両側に扉があり、火の穴と火の道があり、煉瓦の山が上までいっぱいになると、ばらばらの焼けた煉瓦で覆い石炭によって焼かれた[スコッチキルン]が出来た。その後、天井がドーム状の[ニューキャスルキルン]・[蜂の巣キルン]と形を変えていった。
18世紀中頃: 1858年に[ホフマンキルン(連続窯)]が出来た、円形のプランで煉瓦が置かれた環状の回廊は12以上の室に分かれ、それぞれに扉・火管の分岐・ダンバーがあり、主火管と煙突につながれたキルンである、各室は次々と煉瓦の窯積み・燃焼・冷却・窯出しを繰り返し、余った熱は次の室に利用され、くず炭で焼いた。1870年に楕円形の[ホフマンキルン]が出来た。1890年頃に容量を増やす方法として[横断アーチキルン]・1904年には、[スタンフォードシャーキルン]が特許を得た、このキルンには横断アーチや火を細かく管理できる火管やダンバーが採り入れられており、その後の大きなキルンのデザインを独占した[ホフマンキルン]。より高い温度を実現するために、1891年に[ベルギーキルン]が特許を得た。
20世紀: 最初の[トンネルキルン]は、1751年にイギリスの陶器工場で作られ、1970年代から煉瓦製造工場で盛んに用いれられるようになった。
現在: 17世紀中頃からの[スコッチキルン]・18世紀中頃から続く[ホフマンキルン]および近年の[トンネルキルン]が用いられている。
*(私は)1999年にベルギーの工場で、小学校の体育館ぐらいの大きさのスコッチキルン(約150万本の煉瓦・42日間焼成)の焼かれているところを運よく見ました、一面が炎の海で幻想的であり、感動に浸りました。また、何とも言えない風合いのある煉瓦でした。
*現在の日本の煉瓦工場は、成型は真空押出成型・焼成はトンネルキルン・一部シャットルキルン/単窯で作られています。残念ながらホフマンキルンは残っていますが稼動していません。ー湿式タイル工場も同じ設備です。