「お前が欲しい」
あまりにも端的な物言いだった。
ともすれば愛の告白にも取れるような爆弾発言をかましてきた張本人──星見雅はいつもの凛とした姿勢を崩さず、手元の茶へと視線を落とし、丁寧な所作で湯呑みに口を付けた。
音もなく一度嚥下して、満足する味だったのか僅かに頷く。
いや飲んどる場合かー!
「雅、どういう意味だ」
「……? 言葉通りの意味だが」
こてんと首を傾げる雅。
あら可愛い……っておバカ! なに『ちょっとなに言ってるのか分からない』みたいな顔してんの?
お願いだから俺の立場を取らないで!
「悪いが俺は頭が良くない。先の言葉だけでは俺にどうして欲しいのかが分からない。もう少し具体的に言ってくれ」
「……あぁ、なるほど。すまない、どうやら気が逸っていたらしい。お前と話していると心が浮つく。これでも修行を積んでいるのだがな」
撃ち抜かれたような衝撃が心臓を貫く。
雅ちゃん……お世辞まで言えるようになっちゃって、お兄ちゃん凄く嬉しいよ。
あ、いや待って。脳内とはいえ、勝手に自分のことをお兄ちゃん判定するのは相当イタくない? 俺って捨て子で実年齢不明だし、雅の方が年上である可能性もあるわけで。
どうしよう、今からでも認識を『雅お姉ちゃん』に切り替えるべきか。
うん……うん、よし。どっちにしろイタタタタ案件だから今まで通り同年代設定でいこうそうしよう。
「こほん、では改めて用件を話そう。私はとある一件で功績を挙げ、『
どうだ、と。
雅が期待の眼差しを俺に向ける。
待って、ねぇ待って。スケールがデカすぎて頭が追いつかないって。厳しいって。
ちょっと整理させてね。
応えを求めてくるせっかちキツネを他所に、俺は腕を組んで目を閉じた。
まず雅の言う『とある一件』だけど、これは先日災害レベルまで暴走したホロウ『アルゴス』のことだろう。で、その功績というのはアルゴス内で馬鹿みたいに巨大化したエーテリアスをぶった斬ってホロウを鎮静化したことか。
あの時の光景を思い出すと胸が熱くなる。
いや、あれはマジで英雄とか勇者とかが為せる偉業だった。
そんな誰も達成できないような功績を称えられて得た報酬が、雅自身が自由に動ける遊撃部隊、対ホロウ……えっと、なんちゃら六課ってわけだ。
うんうん、なるほどね。
ここまで整理できればあとは簡単だ。
要約すると、雅はこう言っているのだ。
僕と契約して遊撃部隊に入ってよ!
お前も(エーテリアスを狩る)鬼にならないか?
ひと狩り行こうぜ!
いやなんでぇ?
「何故、俺なんだ」
「強く、信義に厚いからだ」
「過大評価だ。そもそも、俺はH.A.N.Dに入った覚えはない」
「これからなればいい」
何を言ってるんだろうか、この娘は。
「簡単に言うな」
「簡単なことだ。お前の突出した力と誠実さがあれば、あとは私の権限でいくつかの資格をパスできる。無論これは私の独断ではなく、上層部の理解も得ている。特例に値する力を示すことができれば、お前を直ちにH.A.N.Dの一員として認める、と」
おいおいおい、何してくれてんの?
俺のために根回しまでしたの? H.A.N.Dの上層部に? ウソだドンドコドーン!
い、嫌だ。H.A.N.Dには入りたくない。というか入れない。他の職ならまだしも、公安側に身を置くのだけは絶対に駄目だ。
なんとか説得しないと大変なことになる。
「雅」
「どうした、相馬」
「お前が俺を高く評価してくれているのは分かった。身に余る光栄だ。だがそれでも、俺はH.A.N.Dに入るべきではないと考える」
「何故だ」
「その資格がないからだ」
「それに関しては先ほども述べた通り──」
「違う」
雅の言葉を遮る。
学力だとか免許だとか、生まれや育ちの話じゃない。これはもっと根本にある問題だ。
伝えなければならない。俺は雅が思うほど清廉潔白な男ではないんだと。
「俺はホロウレイダーだ」
レイダー。文字通りの侵入者。
領域の内外を空間ごと断絶するホロウの特性を私欲のために利用する者。
目的は人それぞれで、必ずしも悪事ばかりが横行するというわけではないけれど、公的機関の認可を受けずにホロウに立ち入るのは違法行為とされている。
俺は鍛錬相手としてエーテリアスをしばき回ったり、馴染みのプロキシ兄妹を護衛したりとまあまあな回数侵入しているし、世間から見ればアウトローな存在である。
そんな男が秩序を守るH.A.N.Dに就職する?
笑えない冗談だ。
「表向きはボディーガードとして活動しているが、それだけじゃない。裏では不正に、何度も、私的な事情でホロウを出入りしている」
「ああ、知っている」
「だから俺は──なに?」
え、聞き間違いかな。
いまサラッと衝撃発言しなかった?
「知っている、と言った」
雅はこともなげに言い放った。
そ、そっかー、知ってるのかー。その上でスカウトしてるんだったら断る理由は無いな。俺としても星見一家には返しても返しきれない恩があるし、よし、行こう! H.A.N.Dへ!
ってなるかーい!
「雅、冷静になれ」
「私は至って冷静だが」
「そうは思えない。俺は法よりも自分の都合を優先する男だぞ。そんな男を自らの組織に招き入れようなどと、とても正気の沙汰ではない」
「お前ならば問題ない」
「何を根拠に……」
「大剣を担いだ黒ヘルムの大男」
ドキッとした。
その特徴、ホロウに入るときの俺やん。
いやそうか、知ってるって言ってたもんな。
「そういった風貌の男がホロウを彷徨っているという噂は前々から聞いていた。恐ろしく腕が立ち、人々を窮地から救っているとも。好奇心からその正体を探ろうとしたこともあったが、どういうわけか、どれだけ探しても一目見ることすら叶わなかった。まるで私の位置を正確に捉え、避けているかのように」
実際、避けていたしね。
雅の気配は非常に分かりやすい。いや、正確には彼女の腰にある無尾の気配か。
対面したら一発でバレそうだったから逃げ回らせてもらった。ホロウの歩き方を教えてくれたプロキシには感謝しかない。
「その男が相馬であると確信したのはつい先日、アルゴスでのことだ」
めっちゃ最近やん。
確かに俺もあそこに乱入して色々やってたけど、もちろん顔も隠してたし誰とも会話らしい会話をした覚えはない。
となると、バレたのは最後のあれか。
うわ、盛大にやらかしてんじゃん、俺。
「ホロウの暴走に伴い、私は上空から強襲し、異常共生体エーテリアス『レルナ』のコアを斬った。奴の生成した複数のダミーコアも含めて」
だが、と。雅は続ける。
「そこでおかしなことが起きた。私の放った斬撃が、私の想定以上に伸びた。いや、実際には伸びたのではなく、そうとしか見えないような
断定するように、彼女が俺を見据えた。
異議あり! 確かに俺は雅と何度か手合わせをしたことがありますが、その中で斬撃を飛ばしたことは一度もありません! 俺の仕業と決めつける理由にはならないと思います!
まぁ、俺なんですけど。
あの時は『親方! 空から女の子が!』とか『雅キタ! これで勝つる!』とか舞い上がってたんだけど、ふとレルナの馬鹿でかい胴体を見て『本物のコア、ここに埋まってたらどうしよ』と不安になって慌てて行動したんだよね。
結果は完全な無駄骨に終わりましたとさ。
あー恥ずかしい。
「加えて、私の着地地点付近では直前まで黒ヘルムの男がいたそうだ。不意に空を見上げたかと思えば、忽然と姿を消し、そのまま行方を晦ましたと。ここまで情報が揃えば合点がいく」
そこもバッチリ見られてたと。
まぁ、当たり前か。あそこは間違いなく最前線だったし、治安官やら調査員やら執行官やら、とにかく決死で闘っていた人たちが大勢居た。
衝動で動いたせいで墓穴掘っちゃったぜ。
「
「……ああ、そうだ」
「過去に共生ホロウ災害から市民を救出したのも、大型エーテリアスを討滅し回ったのも、調査員並びに執行官の救援をおこなったのもお前だ」
あー、そんなこともあったなー。
子供がホロウに呑まれた時は焦りに焦った。その瞬間を家の窓から目撃しちゃってからはもう何も考えられなくなって、たまたま持ってたヘルメット片手にホロウに飛び込んだよね。で、武器忘れてるのに気付いてステゴロでどうにかしてたっけ。
「それは確かに非公認のものだった。加えて私的であったかもしれない。だがその行いで幾人もの命を救ったのは紛れもない事実だ」
そこで、雅がおもむろに立ち上がった。
何事かと思いつつ黙って見ていると、ちゃぶ台の縁を沿って俺の隣へと移動する。
そして彼女は自らの右手を差し出した。
「私と来い、相馬。都市に巣食う脅威を根本から排除するには、お前の力が必要だ」
体の芯にまで響くような、真っ直ぐな言葉だった。
彼女の目を見る。
過酷な鍛錬に裏打ちされた強い光。凍土と灼熱を併せた熾烈な意志を肌で感じる。
果たして、俺なんかが彼女の力になれるのか。そんな疑問が脳裏を過ぎる。
いいや違う、そうじゃない。
いま問われているのは、俺がどうしたいかだ。
恩を返したい。助けになりたい。雅が追い求める理想を、同じ目線で見てみたい。
そうであるなら、答えは決まっている。
俺は立ち上がって、雅の手を握った。
「微力を尽くそう。好きに使え、雅」
「ああ──ああ、礼を言う。私の背中をお前に預けるぞ、相馬」
雅が微笑む。尊すぎて心が浄化されそう。
俺も笑えれば良かったんだけどなー。表情筋が言うこと聞かなくて生きるのが辛い……。
さて、これからどうするか。
とりあえず引っ越しか。六分街から通うこともできるんだろうけど、突発の対応とかを考えたら本部があるルミナスクエアに住んだ方が都合が良いよね。
じゃあご近所さんに挨拶しなきゃな。それとお世話になったプロキシ兄妹にも事情を説明しよう。
なんだかバタバタしちゃうけど、うん、何とかなるだろ。何とかなれ。
荷物の整理は……あ、そうだ。忘れてた。
「ところで雅、先日抽選で当たった高級メロンが」
「頂こう」
食い気味エグい可愛い。