あれは泣かせるための小説であり、実体とは程遠い。
もちろん昔のことで労働環境は現在とはけた違いではあるが、
当時は日本の花形産業、この少女たちの稼ぐ外資は世界でも屈指の軍事国にしたとも。
我が叔母や姉たちもここでお金を稼いで故郷の実家を支えていた。
私はそのお金で大学まで出してもらった。
腕の良い女工さんは、今の金で月100万円は稼いだと言う。
3度の食事にお米を食べ、毎日風呂に入れる人は女工さんくらい。
でも今のように銀行があるわけでなし。
少女たちは貯めたお金を懐に持って、お正月には実家に帰った。
特に飛騨高山の少女たちは、雪の深い峠を歩いて越した。
そこに様々なドラマがあったのでしょうね。
今はマイカーで走り抜ける。
その街道には、まだヤマサクラが咲いています。
峠からは乗鞍岳が目の前に、岐阜と長野を結ぶ街道です。
「野麦」と言うのは「ササ」のことです。
お米が不作の時は、このササの実を麦と称して飢えをしのいだのです。
米が高いと騒ぐ、時代の差をあまりにも感じるドライブでした。