リリ・ギャビストンが空を見上げる話。

「ええと?何かしら?アリス・・・さん?」

「アンジェですだ。」

「あ、あら。そうだったかしら???」

 ホームルームと授業の合間。王国主席判事の娘、リリ・ギャビストンは素で話しかけてきた銀髪の少女の名前を間違えた。

「リリさん・・・幾らお付き合いが無ぇからって酷くねぇだか?」 

 そう言って微笑みにいくらかの困惑を混ぜた表情でこちらを見てくる少女の名前はアンジェ・ルカレ。そう、アンジェ・ルカレだ。インコグニアからその優秀な成績を認められ、この歴史あるクイーンズメイフェア校にやってきた季節外れの編入生。
 
 そしてあのお気楽姉御肌で下級生の熱い視線を一身に浴びるドロシーと博物クラブというけったいなクラブを作り、そこにプリンセスを引き込んだ少女だ。
 
 インコグニア、話によると赤道直下にあるというアルビオン本国から遠く離れたかつての流刑地。そこから来たにしては肌も白い銀髪の少女を見てつくづく思う。なんて恵まれて、なんて羨ましい、と。
 
 そもそもだ。転入してからわずか数日後の夜会に同席していたプリンセスに畏れ多くも直接話しかけ、あまつさえじ・ぶ・ん・か・ら!!!「友達になりましょう?」なんて声をかけたという。そしてプリンセスもそれを快諾。ここについて、リリは唯一プリンセスに不満を持った。「貴顕たる貴方様がなぜこのような一介の平民を構いますの?それよりももっとお声をかける者が居るんじゃありませんの?例えば私とか。」そういった濁りがついつい先日のお花詰みで出てしまった訳だ。手痛い反撃を喰らったが。

 「それで、わたくしに何の用かしら?」

 「あ・・・その、今日の授業さ付き合ってぐれねぇだ・・・ですか?」

 聞くに堪えないインコグニア訛り。ああ、本当にこの少女は、絵の具の黒のよう。ひとたび白に混じればその痕跡を消すことは出来ない。ほんとうに。いくら成績優秀とはいえ態々このクイーンズメイフェア校に来る必要があったのかしら?栄光と歴史あるこの学校の歴史に一点、「田舎訛りの芋娘が在籍していた」なんてシミが出来てしまうもの。ちなみにリリの中で東洋人はこういった議論の勘定には入っていない。入らなくなった。だって怖いから。未だにリリはひも状のものを振り回してるのを見ると少し体がこわ張るのだ。

 「なんでわたくしが貴方に付き合わなければならないのかしら?そもそも貴方、ドロシーさんやあのプリンセスの付き人、それに東洋人と何時も一緒に居るじゃありませんの。わたくしが貴方の面倒を見る理由だってございませんわ。」

 そう、この田舎訛りはいつもそうだ。田舎から一人でこちらに来たからか何時も誰かといないと安心できないらしい。基本的にはドロシーと一緒に行動し、プリンセスに呼ばれるとパァと表情を花開かせて子犬のように駆け寄っていく。その様が可愛いらしく、一部の女子の間では「子犬のルカレ」などと呼ばれてるらしい。重ね重ね羨ましいわ。あの成績優秀、容姿端麗、品行方正。まさしく貴顕という事だがドレスを着て歩いているかのよう。
 それでいて友人と呼べるのはただ一人、あのベアトリスとかいう下級貴族の付き人の娘以外に作らなかったあのプリンセスが、当たり前に高嶺の花、噂以上に孤高の姫が、珍しく友人を作ったと思えば「ドロシーお姉さま」に「子犬のルカレ」と来たものだ。「なぜその席がわたくしになかったの?」忸怩たる疑問が胸から染み出る。
 
 そういった思いが煩わしさとして浮き出たのだろう。不機嫌さを前面に押し出したこちらの疑問に、子犬は困ったような微笑みを浮かべ、
 
 「プリンセスとベアトさんは公務さ忙しぐで今日はおらねぇ。ドロシーさんも墓参りで昨日からいねぇ。ちせさんも今日は公務だべだれもおらねぇだ・・・だから。」

「だ!か!ら!わたくしが貴方にお付き合いする理由はございませんわ!」

 犬の散歩は使用人の仕事でしょう!?内心ヒステリックに叫ぶと

「だどもプリンセスが・・・」

「え”?」

 思わぬ名前が出た。貴族らしからぬ汚い言葉も出た。

「プリンセスさ、『リリさんはほんどはエエ人だげ、お花摘みの時のも、くっだらねぇ言い間違えだべ。もし困ったごとさあっだら頼るばええ』言うてましただ」

「プリンセスの美しいお言葉位ちゃんとしたクイーンズイングリッシュでおっしゃってくださる!?」

 あまりの事実にリリ・ギャビストンは再度声を荒げた。

「だどもプリンセスさ言ってだた・・・リリさん、わだすが、わだすがひとりばいれねぇなさけぇおなごなのが悪いのは分かってます。だっども、今日ばいじにち(一日)だけでええ。おねげぇだぁ・・・」

 そう言ってアンジェ・ルカレは上目使いに潤んだ瞳でこちらを見てきた。あだ名では子犬と呼ばれているがこれでは捨て犬だ。捨て犬。捨て犬のルカレ。

「・・・い、いいでしょう。ただし、今日一日だけですわよ?本当にですわよ!?」

 リリ・ギャビストンは、犬が嫌いでは無かった。

 

 リリ・ギャビストンがプリンセスをそうと評したのと同じくらい、リリ・ギャビストンもあまり学園内で親しい付き合いがなかった。というより立ち位置が特殊なのだ。父は王国主席判事、つまりは司法の頂点の一角だ。その娘の覚えが悪くなって良い事はない。さりとて、覚えが良すぎてもいけない。名前を憶えられて、もしや要らない腹をその親から探られるやもしれない。腹に黒いものがあるならさもありなん。偶に取り巻きのように居るのは、ノルマンディー公閥に所属している貴族の子女。つまりは「私たちは仲がいいですよ。喧嘩していませんよ。」というポーズでしかない。
 
 つまりはこんなに長時間、一人の女子と席を並べたことは、そう在る事ではなかった。

 「全く認めたくはなかったけれど・・・。」

 「どっただ?リリさん?」

 授業も終わった午後、リリは子犬のルカレと一緒にお茶を楽しんでいた。ランチバスケットに入ったサンドイッチにセイロンティー。ルカレも同様だ。

 「貴方って、本当に成績優秀だったのねぇ。」

 「何言ってるだが。だからわだすはここに入ってますだよ?」

 そう。目の前の子犬は特待生。その意味をあまり理解していなかった。動くのは得意でないようで、1限目の体育は確かに見るも無残だった。ボールは投げる前に手をすっぽ抜け、自分が打つ側になったら今度は相手が予備動作に入った時点で慌ててバットを振り切ってしまう。どちらの場合にも笑みを浮かべながらごめんなさいとしきりに謝って、チームメイトに可愛いさ半分、呆れ半分で「気にするな」との言葉を貰っていた。なんでこんなにドジなのだろうと呆れたものだが、真価は次の時限からだった。
 
 まず数学。どうやら初めて習う数式の公式を教員の方が教え間違ってたらしく、解くように言われた例題を結局誰も解けなかった。生徒は俯き教員が不満の吐息を出したときに躊躇いがちに上がった手。アンジェは徐にそもそもの公式の間違いを指摘。そのまま例題を解いて見せた。
 解きながら本人は「わだすが間違ってるのかもと思ってただ。だけんで言い出せんで。許してけれ。」としきりに教師に謝り通し、教員もその腰の低い姿勢に溜飲を下げ、「アンジェ・ルカレは特待生である」という事実に自分の中で言い訳が付いたのだろう。ある意味面子をつぶす行為にも鷹揚に対応し、むしろアンジェを褒め讃え、「皆もこうなるように」とすら言ってみせた。流石の持ち上げ方に本人はまたしきりに謝り始めたためそれは強制的に終了させられていたが。

 美術だってそうだ。1人モデルを選んでのデッサンだったがこれが異常に上手い。まるで専門の教育を受けたかのようだ。流石に芸術家として売っていくには無理があるだろうが、平民ならこれを描いて路上で売れば稼ぎにはなりそうな出来。思わず「インコグニアで絵画でも習っていたんですの?」と聞けばまたもや笑み。ただし今度はそこに少し困ったような色も浮かび「黒蜥蜴星で習ったですだ。」とズレた解答。そう、こうして付き合って初めて知った。この少女、たまに黒蜥蜴星という変なワードを出す。

 そうして語学。こんなに訛っているんだからさぞボロボロであろうと緊張したら意外にも文法は完璧。流石に「じゃあ普段は何なんですの!?」とも思ったが本人曰く「黒蜥蜴星には沢山本があっただ。幾らでも読めるけぇ、書き言葉だけはどうにがなっでるだ。」とのこと。この段階でリリは黒蜥蜴星というのをインコグニアであると理解した。不思議な娘だ。とはいえ彼女にとってはその位遠い、という事だろうか。

 これ以外の科目においても常に、その「貴族の通う由緒正しい学園に態々所属する平民の学生がどれ程のものか」という事実を突きつけるかのように優秀さを見せつけてきた。常に笑顔で。何に悪いでもなく謝って。そして最後に言うのだ「だども、プリンセス程では、ねぇだぁ」と。

「いえ、ごめんなさいね。正直な所、貴方を侮っていたわ。本当にこんなに優秀だなんて。」

「だどもやっぱり、プリンセスには勝てねぇですだ。」

「当たり前よ。プリンセスに並ぼうだなんて、烏滸がましい話よ。礼儀作法、語学、音楽、乗馬、ダンス、歴史、文学、絵画。総てにおいて完璧な方ですもの。」

 アンジェの笑みが深くなった。そう、笑みだ。

「ねぇ、アンジェさん。」

「どうかしましただか?」

「今日過ごして分かったけれど、貴方。なんで何時も笑顔なの?」

 そう。謝る時でさえ笑顔なのだ。この少女、笑顔が絶えたことがない。

 子犬はハッとした顔をして、

「そっただ事でしたか。それは、寂しいからだべ。」

「寂しいから?」

「んだ。寂しい時は、そういう時こそ笑顔で居ろっておっかぁとおっとぉが言ってたです。だから笑顔は絶やさないべさ。」

 そう言って花開く笑み。まさしく子犬が笑ったよう。・・・そうよね。黒蜥蜴星も、この笑顔も。つまりはそういう事なのだろう。自分は確かに親元から離れて寮に住んではいるが、それでも会おうと思えば会える距離。それに対して目の前の少女は赤道直下から親族知人友人も居ない本国へとやってきたのだ。今まで意識はしてなかったが、なるほど。そう考えるとまさしく捨て犬のようなものではないか。貴族であることに対するリリの誇りが、この場ではそのまま義侠心へとつながった。

「ねぇアンジェさん。」

「んだ?」

「デパートに行きません?」

 だからたまにはこの子犬を連れてデパートにでも行ってみましょう。ええ。犬の散歩は使用人の仕事ですが、犬の散歩が嫌いな飼い主はいませんもの。

「出来るのだな?ザラ。」男が問うた。

「ええ。勿論。ご子息の名誉を傷つけた件の一端を担うご令嬢にはそれ相応の恐怖を味わって頂きましょう。如何な主席判事とはいえ、娘は可愛いもの。下手人が分からずとも、今後は周囲に対して一定の『配慮』を見せるようになるでしょう。では。」

流麗な声がそれに応え受話器を置く。

「馬鹿な男だ。そのような事をすれば職務に掛けてしらみつぶしに決まっているだろうが。」

金属製のボールを手慰みに弄りながら、女は嗤った。

「すっげぇ所だったぁ・・・みんなキラキラ輝いてただ・・・」

 デパートの大きな扉を出てすぐ ・・・仄かに頬を赤く上気させて、少女は呟いた。

「そうでしょうそうでしょう?平民には逆立ちしたって行けない所ですもの!」

 普段住む世界と違う世界を見せつけられてのぼせてい平民を前に、リリ・ギャビストンはご満悦だった。

「でもリリさん、その。今日はよかっただか?一日中一緒に居て貰って、しかもこんなものまで・・・」

「いいですわ。いいですの。貴方、わたくしを誰だと思っていますの?王国主席判事の娘ですのよ!」 

 胸を張るリリの視線の先にはヌワラエリヤの大きめの茶缶の入った紙袋を持つ子犬が居た。シャンパンとすら言われるそれを帰ってからも楽しめば、きっとこの子犬は今日この事を一生忘れずにいるだろう。代償は自分の財布が寒々しくなった事だ。少なくとも夜会は一つキャンセルせねばなるまい。

「ほ・・・ほんとに大丈夫だか?こんなええもの。リリさん、財布が吹っ飛んだりしないべか!?」

 何だこの子。妙にこちらの経済状況というか、渡したものの価値を知ってるような事を。いえ。偶然でしょう流石に。
 気を取り直して辺りを見回す。クリスマスも大分近くなってきて、飾りがちらほらと見える。

「どうだったかしら?アンジェさん」

「もうリリさん、さっき言ったべ。本当に、本当に楽しかったですだ。」

 満面の笑み。そうでしょうそうでしょう。リリも満面の笑みを返し、だからだろう。このようなデパートのある治安の良い場所で起こる筈もないと思っていたのが悪かった。肩にかけたポシェットが引っ張られる。そして肩を抜け、大柄なトレンチコートの男が走り去る。

「あっ・・・まっ・・・待ちなさい!!!」

 すぐに裏路地へと消えてゆく影を追いかけてゆく。あんなに楽しかったのに。その最後がこんな終わりなんて。何よりも王国主席判事の娘が悪事を見逃したとあっては名折れだ。少なくとも誰何はせねばなるまい。あとは自分の名前を出せばそれで終了。きっとスリの男も父の名を聞けばきっと、そうきっと観念するだろう!
「リリさん!!!」

 子犬が声をかけてくる。

 ためらう。けれどやっぱり声を掛けよう。そもそもが今日ここに来たのは子犬の為だ。さらに遡るとプリンセスに間接的にでも頼まれたからだ。そう理性は判断して、けれど焦った心は本音を吐いた。
「貴方は帰りなさい!!!今日は楽しかったですわ!」

 言って気付く。何を言ってるのわたくしは!?しかし吐いた言葉はもう戻らず。ああ、そう。思ったよりあの平民の少女が、きっと独りだったから。子犬のようだったから。ついついわたくしも楽しんでいたのですわね。だから赤くなった顔を俯くようにして路地裏へと走っていった。

「・・・。」

 リリが路地裏へと消えて、子犬は黒蜥蜴星人の顔になった。周囲を伺い、とあるビルから光がチカチカと。モールス信号だ。彼女が望遠鏡でこちらを見ているのは分かっている。アンジェは頷き一つを返し、裏路地にスルリと入っていった。

「観念なさい!!!!意地汚い盗人め!!!わたくしを誰だと心得ておりますの!?王国主席判事の娘、リリ・ギャビストンですのよ!!!!」
 
 思ったより簡単にスリは見つかった。というよりそもそも隠れる気が無いようだった。大柄な男。ポシェットを抱え下卑た笑み。

「へぇ・・・おうこくしゅせきはんじの娘さんね。なぁお嬢さん」

「な・・・なんですの?」
 
 おかしい。何で名前を出したのに何の反応もしないの?学園ではみんながみんなこの名に慄く。この名に遠ざかるのに。何で?ギャビストンの名を出して驚いたり、おもねるような笑みを浮かべたり、少なくともこちらに対して害意を持とうとする輩はいなかった。だからこそ前の男の浮かべる笑みがどういった種類のものか、リリ・ギャビストンには見当が付かなかった。いや、もし男が笑みを浮かべる理由に検討がついていたとしても、リリが男の笑みの種類を知ることはなかっただろう。それだけ大事に育てられたからだ。

「そのおうこくしゅせきはんじ、っていうのはどこの誰さんで?」

「え・・・?」

 思考の空白。その瞬間に後ろから羽交い絞めにされ口を塞がれる。悟った。仲間が居た。必死の抵抗。けれど大の男の拘束を逃れる事が出来ず、ポシェットを捨ててこちらに歩み寄ってくる下手人を睨みつける事しか出来ない。

「ほかに誰か居たか?」

「いいえぇ。」羽交い絞めにした男が返す。

「それで、どうすればいいんだったか?」

「膜は駄目みたいだぜ。」

「はぁ!?だったら何をすりゃいいってんだ?」

「それで出来るだけの事って事だろ?まぁいいじゃねぇか!こんなに上物だぞ?しかもお貴族様だ。商売女に咥えてもらうのなんか比べ物にならねぇよ。」

「だな。しかもそれで金が貰えると来たもんだ!!!」

 男たちの笑い声。分からない。何をするのかはわからない。けれどきっと、致命的で恐ろしい事が起こる。やだ。どうしてこんな。さっきまで子犬を可愛がってあんなに楽しかったのに。ギュッと目をつぶる。

「そういえばさ」
 盗人が羽交い絞めにした男に問いかける

「お前、おうこくしゅせきはんじってぇ、知ってるか?」

「知らね。お貴族様の頭の良いなんかだろ。」

 再びの笑い声。ああやっぱり、そういう輩たちなのだ。平民なのだ。何て汚らわしい。けれどそこで思い出す。今日一日付き合った子犬。少女。アンジェ・ルカレ。常に何かに謝っていて、寂しいからと笑っている少女。彼女もまた平民なのだ。どうしてこんなに違うのだ。アンジェ、ああ・・・アンジェ。つぶった目の端から涙が一筋流れた瞬間、

「リリさん!!!」

 金属の快音が響き渡り、拘束が緩んだ。何が起こったか分からない。ただ暴れる事だけはやめていなかった。だからこそ緩んだ拘束をすぐに解くことが出来、地面に膝が付く。

「なっ・・・おい。」

 目の前の盗人がこちらに手を伸ばす。視界が手で埋まる瞬間、何か視界を遮り、芳醇な香りが路地裏を満たした。知っている。ヌワラエリヤの茶葉だ。それが今まさに襲い掛かろうとした男の目に被った。

「んな!!!このガキャ!!!」

  目つぶしをされた男はよろめきながらがむしゃらに腕を振り回し後退する。遠ざかる男の代わりに視界に映るのは
少女の手。アンジェだ。

「バッ・・・貴方!!どうしてこんな所に!!」

「そんな事はええだ。リリさん、走れるだか!?逃げるだべ!!!」

「もちろんよ。」手を取りながら。流石にこの状況で判断を誤る程愚かではない。

だから少女の手を取り走った。

「お嬢様が逃げたぞ!!!追え!!」

 気絶した男脇を通り抜けたとき、後ろから盗人の声が響いた。どうやら見張り役も居たらしい。抜けていく路地のそこかしこから男たちが出てくる。眼前、行きは通ってきたはずの道からも。その度に路地を曲がり、どうにか逃げていく。

「ア・・・ン・・・ジェ・・・ッさん!!!貴方!!!こんなに走れるんなら!!!体育できるでっ!!!しょうに!!!!!」
 走りながらこちらも息を切らしながら走るアンジェに話しかける。

「インコグニアは広いから、わだす、走るのだけは得意なんです!!!」

「だったら今度!!陸上部に!!!入りなさい!!!!!!マネージャーやって!!!あげるから!!!!」

 と酸素の足りない頭で酸素の足りない事を言いつつ、足がそろそろ限界だった。けれどそういう訳にもいかない。だから気を逸らすためにアンジェに話しかけ続けた。

「でも、アンジェ!何で!来たの!?」

「そっだらリリさんが心配に決まってるだべ・・・きゃ!!!」

 躓いたのはアンジェだった。引っ張られたリリも同じように躓く。

「ご・・・ごめんなさい!!!リリさん!」

「馬鹿!こんな所まで来て謝らなくていいですわよ!」

 明らかに無駄なやり取り。けれどそれは仕方のない事だった。何故なら、もう眼前に男たちが迫ってきていたから。前から。後ろから。

「ったくよぉ。梃子摺らせやがって。」

 じりじりと寄ってくる男たちの人数は10人ほど。先ほど羽交い絞めにしてきた男はどうやらそのまま捨て置かれたようだ。

「おいおい。上玉がもう一人居やがるぜ?こいつは?」

 1人が笑う。

「知らね。特に何も言われてねぇから。こいつはいいんじゃねぇか?」

「おお!やったぜ。金も貰えて、しかも風呂屋代も浮く。最高じゃねぇか!!」

 皆が笑っていた。アンジェとリリ以外は。

「・・・クッ」

 状況が最悪だった。いや。元から最悪だった。ポシェットに入ってたのはせいぜいが壊滅的な打撃を受けた財布に日用的なハンカチや化粧品だったのだ。自分の正義感だけで、楽しかったの日の最期にケチを付けたくないからというだけで先走ったのが悪かったのだ。本当であればどこかしらに居た警邏を捕まえて探させるべきだったのだ。それこそ自分の名前を出せば警邏達は張り切って働いてくれただろうに。涙が目じりに浮かぶ。しかも先走ったせいでこの田舎娘さえも。
 
 アンジェ・ルカレ。インコグニアからはるばる来た田舎娘。1人が寂しいからと、だからこそ笑っている娘。実は体育が苦手なくせに走るのが得意で、言葉は田舎者丸出しで。けれど成績が優秀で、プリンセスの話題が出る度に何かに謝るように笑みを深くする少女。
 
 ああ、きっと彼女はきっとひどい目に合う。後ろに居る彼女はどうやらわたくしと違い、この男たちが最低限、尊厳の下をくぐっていたとしても最低限の安全を保障する相手ではないらしい。ならばきっと、彼女は私が思いつかないようなひどい事をされるのだ。そうすればどうなるのだろう。
 
 考えるまでもない。田舎で才媛として期待されたアンジェ・ルカレは遠く離れたアルビオン本国の地で体と心に癒しようのない傷を負ってここで終わる。楽しかった思い出も。辛かった思い出も総て塗り潰されて。途端に怒りが湧いてきた。そんな事赦されるはずもない。そうして思い至る。ああ、これがきっと”責務”なのだ。わたくしは今彼女を慈しみたいと思った。その可能性を護りたいと思った。だから、

「まち・・・なさい!」

 立ち上がる。アンジェを護るように。声は震えてるけど。膝は酷使のし過ぎで笑っているけれど。

「彼女は、逃がしなさい。その代わり、彼女にするを全部わたくしにやればいいわ!!!!」

「リリさん!?」

 少女の悲鳴。けれど覚悟は決めたのだ。だからこそ振り向かず。

 言ってやった。男たちが驚き、そして怪訝な顔をして

「おい・・・本人がいい、って言ってるぞ?どうする?」

「いいんじゃねぇか?それよりおい、お嬢様」

「な・・・何ですの?」

「本当にいいんだな?」

「勿論ですわ!」

「じゃあいいかお嬢様、何があっても跡で『手と口だけ使わされました』って言うんだぞ?」

「?え・・・ええ。分かりましたわ!!」

「リリさんそんな!!!」

「いいですのよアンジェ!そもそも貴方がここに居る事自体がわたくしの落ち度。だから貴方は・・・」

 努めて前を見る。声は震えてないだろうか。それだけが心配だ。

「頑張ってお勉強をして、インコグニアの家族に、胸を張れるように生きなさい。」

「だめー!!!」

 アンジェの叫び。前から迫ってくる男たち。後ろで鈍い打撃音。そして柔らかい感触に組み伏せられ、一瞬の後の閃光。既にストレスで限界を迎えていたリリ・ギャビストンの意識は、そこで落ちた。落ちる瞬間、鈴のような金属音が聞こえた気がした。

 

「お加減は大丈夫ですか?」
 
 柔らかな医師の声で目が覚めたリリ・ギャビストンは、どうやら1日ほど眠っていたことを彼から知った。
 何がなんだかさっぱりわからない。だって自分の記憶はあの裏路地で組み伏せられてから途切れているのだ。詳しい説明を医師に求めると、どうやらあの時組み伏せたのはどうにか拘束を抜け出したアンジェだったようだ。そして守ろうと伏せたときに、何かが強い光を発したらしい。現場にあった物品から、警察は下手人達の近くにあった壊れたランプがその原因と見ているそうな。・・・そう警察なのだ。
 
 閃光が発された事で騒ぎに気付いた警察たちが裏路地に来ると、複数の意識を失った男たちと気絶したリリ・ギャビストンとそれに覆いかぶさる形でこれもまた気絶したアンジェ・ルカレを発見。複数の倒れた男たちと二人の少女。客観的に見て疑うべきはどちらかが明らかだ。男たちは警察へと連行され、少女二人は病院へと運ばれた訳だ。そう、二人!
「その!!!アンジェさんは!?」

 あの子犬少女がどうなったかどうか。まさか未だ意識を失ってるのでは?慌てて問いかけるとなんのことはない。むしろ病院に運ばれてから数十分で意識を回復。事情聴取にも協力し、今はもう学園へ帰っているらしい。なおその時、もう一人の被害者が王国主席判事の娘、リリ・ギャビストンと知れ、警察は必死の形相で調査に当たっているそうだ。 
 男たちへの尋問も苛烈なものへとなっているだろう。外傷はそろって鉄の棒のようなもので殴られている事と、どうやら誰かから報酬が貰えるという事で襲い掛かった事、意識を回復した男たちは錯乱したように「キノコの化物が襲い掛かってきた」と支離滅裂な事しか話してないらしいが。

「そう・・・ですの。」

 ひとまずは安心だ。そして病院の窓から空を見る。灰色の空。何時ものロンドンだ。けれど、

「もしかすると、もっと昏い空も、あるのかもしれませんわね。」

 きっとそういう事なのだろう。だからこそ、慈しむべきもあるという事だ。財布は大打撃を受けたし、散々な目にあったけれど、それで良しとしよう。少女は、微笑んだ。

「お疲れさん。」
 
 何時もの博物クラブの部室で、ドロシーはアンジェを労った。

「別に。スパイだもの。どうという事はないわ。」
 
「カーッ!!!可愛げがないねぇ。」

 陽性の声と静謐な声のやり取り。今この場には二人だけだ。プリンセスとベアトは公務。ちせは堀川公の下へ。コントロールの純正スパイが二人。悪い話はするには持って来いの場。 

「とりあえず警察の方は男たちを締め上げ中。とはいえ、『キノコの化物』と繰り返すばかりで捗っては居ないらしいけれどな。」

「ちせが怒るわね。私はサムライだ、って。」

「まぁ、それがバレたら不味いんだけどな。」

 窓際の席に座る二人。ドロシーは外を眺めて。
 
「にしてもまぁ、妙な任務だったな。『リリ・ギャビストンが暴漢に襲われる危険性がある。護衛せよ。ただし暴漢に襲わせること自体は阻止するな。襲わせた状態で直接的な害が及ぶギリギリまで状況を好転させるな』なんて。何を狙ってるんだか。」

「さぁ。私たちはスパイ。それが任務なら。こなすだけよ。」

「本当にそう思うか?」

「何?」

 何時もながら、静かな表情で黒蜥蜴星人がドロシーを見つめる。

「いや。先の件で盗聴器をしかけたから大事な情報源であるリリ・ギャビストンを護衛せよっていうなら話が分かる。でもなんだ?そもそも襲われるのが分かってて?ぎりぎりまで襲わせろ?全うじゃないぞ。明らかに裏が・・・」

「あったとしても。」

 強い口調で遮られ。

「こなすだけ。」

 そうして話題は閉じた。

「・・・・・・ああ・・・そうかい。あーったく!!天才様はこれだから。まぁ。いいや。紅茶入れるぞ。茶葉はどうする?」

 空を見上げる。あいも変わらず曇り空だ。だから子猫は一言。

「ヌワラエリヤ。」

 
 そう、答えた。


















「どういうことだザラ!!!貴様!!!どういうことだ!!!」受話器から男の怒声が響き渡る。

「どういう事、とは?」

「分かっているだろうが!こ・・・このような失態!!どうするつもりだ!!」

「なるほど確かに。リリ・ギャビストン嬢は暴漢に襲われるも幸い無傷。心的外傷も平民のご友人がその場に居合わせて護った事で最小限。それどころか貴族としての責務に最近は目覚められたと評判も上がり、ギャビストン卿はご満悦。本来娘のケアへと使われ、それに伴い周囲への『配慮』となるはずのリソースが丸々、『娘を傷物にされかけた怒り』につぎ込まれて犯人探しには躍起になっている、と。これはこれは」

 笑いを含んだ声。

「確かにぐうの音も出ない程の大失敗だ。」

「貴様!どうするつもりだ!!」

「どうするつもり、とは?確かに失敗しましたが、『誰の指図か』については漏れていない。つまりは貴方と私がお互いに互いを売らなければ、いつかは主席判事も諦めましょう。その分こちらも頂いた前金はお返しする。それでよろしいか?」

「・・・ああ。それでいい。いいな、ザラ。これは。お互いがお互いの命綱を持っているわけだからな?」

「ええ。重々承知しておりますとも、貴族様。息子の決闘の結果が不当だと逆恨みした愚かなお方。」

 嘲りの調子は未だに残り。

「本当に分かっているのだな?」
 男の声に怒りが極限まで圧縮された。

「誠に失礼。所で。」

「なんだ?」

 そして女が心の底から不思議そうな声で男に声をかける。

「貴方様のお話になる『ザラ』とは一体誰でございましょうか?」

「・・・は?・・・な?」
 男の思考が固まる。
「ですから、そのザラなる女は『誰』ですか?」

「お前!?まさか!?!?!?!?」

 事此処に至って男は、ちせとの決闘で負傷した息子を持つ伯爵は、自分が1から10まで道化だった事を悟った。もはや命綱は互いが互いのモノでなく、この女がこちらのモノを唯持っているだけなのだ。

「さて、私の要求を述べさせて貰おうか。」
 
 絡めとられた。もはや男は、女の言いなりだった。

 ・・・受話器を置いた女に男が語りかける。

「これで第一関門は突破ですか。」

「ああそうだイングウェイ少佐。これで一つ、また隔てなき世界に近付いたぞ。」

「ありがとうございます。所で一つお聞きしたい事が。我々民衆が立ち上がるとして、ええ。きっと理想の基に皆が結束するでしょうが、それでも何か象徴があった方が良いのでは?という意見がありまして。」

 少し笑い女は、
「ああ。分かっている。それについては今手配をしている。待っていろ。」
 自身に満ち溢れた言葉。それにイングウェイ少佐は安堵し、
「おお!!!流石ゼルダ殿!!吉報、お待ちしております!!!」

「待っていろ。では私は出る。また連絡しよう。」

そう言って女は薄暗い場所から出ていった。そうしてほの暗い空を見上げ。

「・・・チーム白鳩。なるほど。脅威だな。分断の必要性が有り・・・か。」

クリスマスは、もうそこまで迫っていた。


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