中国の尖閣制圧戦争は、もうとっくに始まっている
尖閣諸島周辺における中国海警局の船の航行が、すでに5月21日現在で184日連続に及んでいる。中国の真意は何か。日本におけるインテリジェンス研究の第一人者・上田篤盛氏によれば、中国がここで進める戦略的行動は、単なる越境や挑発ではなく、古典兵法に根ざした「戦わずして勝つ」の実装だという。『孫子』『兵法三十六計』を手がかりにして、上田氏に中国の意図とその構造を読み解いてもらった。
自国の支配を既成事実化しようとする戦略
2025年5月3日、沖縄県・尖閣諸島周辺で、中国海警局の艦艇から発進したヘリコプターが、日本の領空を約15分間にわたり侵犯した。2012年の固定翼機、2017年の無人機に続く三度目の事案である。日本政府はこれに厳重抗議したが、中国側は、「日本の『右翼分子』操縦の民間機に対応した」と居直り主張した。
今回の侵犯は、偶発的な出来事ではない。まず、海上保安庁が、民間機の飛行に対して「危険が及ぶ可能性がある」として中止を要請していたことが明らかになっている。そして中国側も、どこからか情報を入手し、事前に日本の外務省に対し、「飛行を認めれば新たな事態を招く」と警告していた。
民間機は要請を受けつつも飛行を決行。曇天のなか魚釣島に接近したところ、中国の海警艦からヘリコプターが発進した。中国はこの民間機の行動を「挑発行為」とみなし、それを口実に自国の主権を主張するための行動に出たのである。
こうした経緯を見れば、この領空侵犯は事前の警告と準備をともなった意図的かつ計画的な行為である。そして、中国が尖閣諸島周辺で自国の支配を既成事実化しようとする戦略の一環であったことが読み取れる。
「戦わずして勝つ」の意味を日本人は取り違えてきた
実は、こうした中国のやり方は、古代兵法に根ざした戦略的な考え方に基づいている。中国やアメリカでは、『孫子』を戦略理論として体系的に研究しているが、日本では『孫子』や『兵法三十六計』が主にビジネス書として読まれ、安全保障の分野で真剣に取り上げられることはほとんどない。また、日本の防衛思考には、計略や謀略、心理戦といった“非正規戦”に対する忌避感が根強く、制度や装備といった「目に見える力」ばかりに頼る傾向がある。だから、目に見えない意図を探る能力に乏しい。
『孫子』といえば、「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という一節が有名だ。日本ではこの言葉が、農耕民族的な「重文軽武」の思想と結びつき、『孫子』を不戦主義の象徴とみなす見方が根強い。また、それが派生し、防衛関係者の中にも、中国は台湾に対して、いわゆる「熟柿戦略」――政治工作によって相手が熟するのを待つ、穏健な平和統一路線を取っていると考える者が少なくない。しかし、こうした理解は『孫子』の本来の意図を大きく取り違えている。
受け身ではなく敵より先に仕掛け、勝てる状況を作る
『孫子』が成立した春秋戦国時代は、複数の国が対立し合い、常に第三国の干渉が懸念される混乱の時代だった。たとえば「兵を鈍らし、鋭を挫き、力を屈し、貸(たから)を尽きせば、諸侯その弊に乗じて起こる」とあるように、戦争が長引けば自国が疲弊し、そこにつけ込む外部勢力の介入を招く。その危機感こそが、『孫子』の戦略の出発点である。
つまり、『孫子』が説く「戦わずして勝つ」とは、単に戦いを避けることではなく、謀略や外交によって不敗の体制を先に築き、その上で軍事力を備え、有利な条件が整ったときに確実に軍事的に勝利を収めるという考え方なのだ。『孫子』は、「勝ち易きに勝つ」すなわち、周到な準備によって敗れない態勢を整えた上で、「正を以て合い、奇を以て勝つ」と説き、敵の虚を突き、奇襲や欺瞞によって短期決戦で主導権を握ることを重視する。これは受け身ではなく、勝てる状況を自ら作り出してから先手を打つという、極めて能動的な戦略思想である。
日本でも『孫子』は重視された。しかし、昭和期には精神主義的な読み違いや独善的な解釈が広まり、「君命を受けざるところあり」という一節を、独断専行の根拠として使うような例も見られた。逆に、『孫子』を「支那の兵学」として軽視・排除するような姿勢もあった。戦果が上がればそれを『孫子』の教えに結びつける一方で、その核心にある合理的な戦略思考には、ほとんど目が向けられていなかった。
戦後になると、『孫子』は「戦争の書」から「商戦の書」へとその性格を変えていく。経営や交渉のテクニックを支える理論として扱われるようになり、本来の戦略論としての深さや鋭さは、忘れられていったのである。
『孫氏』と『兵法三十六計』から中国の戦略が見える
『孫子』は戦略の原理原則を示した書でありながら、個々の戦術や具体的な手法については詳しく触れていない。これに対し、『兵法三十六計』はきわめて実践的な兵法書である。そこには、欺瞞、奇襲、分断、誘導、懐柔といった戦術が、三十六の計略として具体的に示されている。もし『孫子』を戦略理論の骨格とするならば、『三十六計』はその応用編であり、現場で使える実務書と位置づけられるだろう。
両者をあわせて読むことで、はじめて中国の戦略的な考え方の全体像が見えてくる。筆者自身も、『孫子』と『三十六計』を相関的に読み進めることで、中国の行動や意図を読み解くための手がかりとしてきた。
たとえば、以下に挙げるような計略は、現代の戦略にも応用しうるものである。
◆環境を整える計略(間接的・準備的アプローチ)
・無中生有――存在しないものを、あたかも実在するように装い、相手の判断を混乱させる。
・打草驚蛇――小規模な行動を起こし、相手の反応から内部事情や警戒の程度を見極める。
・欲擒姑縦――敵を確実に制圧するため、あえて自由を与え、油断したところを突く。
◆機を捉えて攻勢に出る計略(状況活用型)
・順手牽羊――敵の不注意や隙を突いて、抵抗を受けることなく自然な流れで小さな成果を得る。
・趁火打劫――敵が混乱し、秩序を失っている隙を逃さず、短期決戦で勝利を収める。
◆奇襲・欺瞞による攪乱(積極的な誘導・錯誤)
・瞞天過海――あえて目立つ行動を取って相手の注意を引きつけ、その陰で本来の目的を密かに達成する。
・声東撃西――東を攻めるふりをして相手を誘導し、実際には西から本攻撃を加える陽動戦術。
さらに、『三十六計』には複数の計略を連動させて使う「連環計」という考え方もある。これは、一手ごとに布石を打ち、全体として相手の判断と行動を操ることを意図した戦術体系と捉えられ、中国が展開する「超限戦」の思想的背景の一端と見ることもできる。
もし日本が先に尖閣に自衛隊を投入したら
現在、中国は尖閣諸島をめぐって、「以逸待労(逸を以て労を待つ)」という構えを築きつつある。これは『兵法三十六計』の第四計にあたる計略であり、敵が疲弊するのを待ち、自らに有利な条件下で迎え撃つという戦い方である。『孫子』にも「戦場に先着すれば楽(たの)し、後れて到れば労(つか)る」とあるように、先に布陣し主導権を握る者が優位に立てるという考え方が背景にある。
この発想は歴史上でも実践されてきた。たとえば、日露戦争の日本海海戦では、東郷平八郎率いる連合艦隊が、長距離航行で疲弊したロシアのバルチック艦隊を日本近海で待ち構え、殲滅した。これはまさに、日本が「逸(たのし)」をもって、敵の「労(つかれ)」を制した典型である。
ただし、「以逸待労」は単なる受け身の戦略ではない。中国の戦略思考では、防御姿勢を取りながらも、相手の出方を探り、主導権を奪うことが重視されている。実際、中国はこの戦略を補うかたちで、尖閣諸島の現場では「打草驚蛇」(草を打って蛇を驚かす)にあたるような小規模行動を繰り返している。つまり、中国海警(旧・海監)による常態的な巡視や接近行動は、相手の対応を引き出し、状況を観察する威力偵察の役割を果たしているのだ。
2025年5月の尖閣領空侵犯においても、中国側は、日本の民間機の行動を事前に把握していたとされ、即座に対応した。この一連の動きの根底には、相手の反応を探り、行動を先読みする計略が働いていたことを示している。
このように、中国の海警による領海侵犯が常態化する一方で、海軍艦艇が後方に控える構図が尖閣諸島周辺では定着している。まさに「以逸待労」と「打草驚蛇」の併用による規制事実化が粛々と進行しているのだ。仮に日本が先に自衛隊を投入すれば、中国はそれを「日本の軍事的挑発」として国際社会に訴え、「先機制敵」に則って、武力による実効支配を進めるだろう。
サラミスライス戦術とキャベツ戦術
中国が尖閣諸島や台湾周辺で展開する行動は、国際政治・軍事の文脈で「サラミスライス戦術」や「キャベツ戦術」と呼ばれてきた。
「サラミスライス戦術」とは、現状変更を一挙に進めるのではなく、サラミを薄く切るように、小さな行動を段階的に重ねていく手法である。活動の頻度と規模を徐々に拡大し、相手に“慣れ”と“無力感”を抱かせ、最終的に抵抗を断念させることを狙う。
「キャベツ戦術」は、これをさらに多層的に進化させた戦法である。対象となる島嶼や海域を、民間漁船・海警・海軍といった複数のレイヤーで包囲し、内から外へと圧力を漸増させていく。中国は、軍艦を白く塗装して海警船に偽装するなど、非軍事的な外観を保ちつつ、実際には軍事力を内包させ、実効支配の既成事実を積み上げている。
こうした漸進戦術の背後には、中国の古典兵法に基づく戦略思考が色濃く反映されている。特に、前述のように「以逸待労」や「打草驚蛇」、さらには名目上の自由を与えておきながら、徐々に締めつけて屈服へ導く「欲擒姑縦」といった計略が応用されている。
このような多層的で持続的な圧力戦術を支えているのが、毛沢東が掲げた「積極防御」の戦略思想である。これは、「戦略的には防御の立場を取りつつ、戦術的には先手を打ち、局地的には積極的に攻勢に出る」という原則に基づくものであり、『孫子』が説いた「後発制人」(後れて発して人を制す)という思想を、現代の戦場環境に翻訳したものといえる。
中国は常に「挑発された側」という名分を確保しつつ、軍事的・非軍事的な圧力を段階的に構築することで、相手の自由と判断力を徐々に奪っていく。このような動きは、尖閣諸島を舞台に進行する“戦わずして制する”グレーゾーン支配の本質を体現していると言えるだろう。
中国の「静かなる戦争」はすでに平時ではない
尖閣諸島をめぐる領空侵犯事件――それは単なる偶発的な対応ではなく、中国が計略を積み重ね、戦場の条件そのものを有利に設計しようとするハイブリッド戦争の一局面であると言えよう。重要なのは、日本側がこうした動きを単なる「挑発」や「越境」として矮小化せず、それを戦略の一貫として読み解く視点を持つことである。兵法的な考え方に通じる者には、中国の「静かなる戦争」は、すでに平時ではないことを知るだろう。
中国は『孫子』や『兵法三十六計』の古典的計略を、現代の外交・情報・軍事・制度の領域に巧みに応用している。形式上は平時を保ちつつも、実態としては段階的に支配構造を拡大している。こうした知略を単なる古典や商戦の比喩にとどめず、現実の戦略として読み解く姿勢が求められている。いま必要なのは、古典兵法を知識として蓄えることではなく、それを実践的な“読解力”として活かす意志である。