Yahoo!ニュース

【アメリカを驚かせたスーパー戦隊の衝撃とは?】ハリウッドを変えた日本特撮ヒーローの大躍進を紐解く!

二重作昌満博士(文学)/PhD(literature)

みなさま、こんにちは!

文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)です。

春麗らかな毎日が続きますが、皆さまいかがお過ごしですか?

さて、今回のテーマは「海外進出」です。

ひとくちに「海外進出」といってもその形は様々ですが、今回は仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズをはじめとする「特撮ヒーロー番組」、特にスーパー戦隊シリーズの海外進出に焦点を当てていきたいと思います。

スーパー戦隊シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー(1975)』(筆者撮影)
スーパー戦隊シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー(1975)』(筆者撮影)

スーパー戦隊シリーズは、カラフルなコスチュームを纏った5人のチームヒーローを主人公にした、我が国を代表する東映株式会社制作の特撮ヒーロー番組。

シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー(1975)』を起点に、50年に渡って新たなシリーズが次々に制作され、2025年現在は『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』(外部リンク)が放送中です。

スーパー戦隊第49作『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー(2025)』(筆者撮影)
スーパー戦隊第49作『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー(2025)』(筆者撮影)

50年(半世紀)という長い歴史を持ったスーパー戦隊シリーズですが、本シリーズの人気は日本だけに留まりません。北米やアジアをはじめ、100以上の国々でスーパー戦隊シリーズは『パワーレンジャー(Power Rangers)』と題して放送され、1993年から現在まで、各国で大衆的な支持を獲得し続けてきました。

スーパー戦隊シリーズは『Power Rangers(パワーレンジャー)』と題して、米国で1993年より放送を開始。テレビ放送と共に、アクションフィギュアやDVD、その他生活雑貨も発売された(筆者撮影)
スーパー戦隊シリーズは『Power Rangers(パワーレンジャー)』と題して、米国で1993年より放送を開始。テレビ放送と共に、アクションフィギュアやDVD、その他生活雑貨も発売された(筆者撮影)

特に北米では、スーパー戦隊シリーズ(パワーレンジャー)はテレビ放送や生活雑貨の販売だけに留まらず、一時期はディズニーワールドをはじめとするテーマパークのショーに出演したり、ディズニーストアでも玩具が発売されていたりと、日本とは大きく異なった驚きの展開も実施されました。

2025年現在にかけ、米国ではパワーレンジャーシリーズのコミック展開も盛んに実施された。米国ヒーローであるスーパーマンやバットマン、タートルズと共闘したほか、なんとゴジラとも激突している(筆者撮影)。
2025年現在にかけ、米国ではパワーレンジャーシリーズのコミック展開も盛んに実施された。米国ヒーローであるスーパーマンやバットマン、タートルズと共闘したほか、なんとゴジラとも激突している(筆者撮影)。

そこで本記事では、米国におけるスーパー戦隊シリーズの「海外進出」に焦点を当て、アメリカでスーパー戦隊シリーズが浸透してきた歴史と、当シリーズの制作に携わった方々の証言、そしてアメリカで行なわれている特撮ヒーローのコンベンション(イベント)について、概要的にご紹介したいと思います。

※本記事は「私、スーパー戦隊に詳しくない」、「特撮ヒーローを観たことがない」という皆様にも気軽に読んで頂けますよう、可能な限りシンプルにお話をして参ります。お好きなものを片手に、ゆっくりと本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。

【It’s Morphin Time!】ハリウッドを変えた!日本生まれのスーパー戦隊がアメリカに与えた衝撃とは?

さてここからは、アメリカにおけるスーパー戦隊シリーズの海外進出の歴史について、少しだけお話をしていきたいと思います。

日本でスーパー戦隊シリーズの放送が開始されたのは、1975年のこと。シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』の放送を起点に、新たなシリーズが次々に制作され、現在まで親子三世代に渡って愛され続けてきました。

それに対して、スーパー戦隊シリーズがアメリカで放送を開始したのは1993年のこと。番組のタイトルは“Mighty Morphin Power Rangers(マイティ・モーフィン・パワーレンジャー)”と題して、ロサンゼルスやニューヨークなどの大都市圏で月曜日から金曜日にかけて放送されました(余談ですが、アメリカでは日本のように毎週アニメや特撮の30分番組を1話ずつ放送するスケジュールではありません)。

スーパー戦隊シリーズ第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)』をベースに、米国で放送されたパワーレンジャーシリーズ第1作『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー(1993)』(筆者撮影)。
スーパー戦隊シリーズ第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)』をベースに、米国で放送されたパワーレンジャーシリーズ第1作『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー(1993)』(筆者撮影)。

番組内容は、スーパー戦隊シリーズ第16作『恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)』をベースに、日本人の俳優さん達の出演シーンを、現地の俳優さん達の出演シーンに差し替え、戦隊ヒーローや巨大ロボットが登場する戦闘シーンは日本で撮影した映像を流用する形で、約25分の番組として編成したものでした。

『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(左)は1992年から1993年まで全50話が放送された。日本での放送終了後、1993年に『パワーレンジャー』(右)と題して、米国へと進出した(筆者撮影)。
『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(左)は1992年から1993年まで全50話が放送された。日本での放送終了後、1993年に『パワーレンジャー』(右)と題して、米国へと進出した(筆者撮影)。

上記の内容で放送された本作は、アメリカで爆発的なヒットを巻き起こします。その状況は言葉どおりの「メガヒット」。ロサンゼルス地区のテレビ局では最高9.1%の視聴率をたたき出した上、アメリカ社会にも大きな影響を与えます。ネットワークニュースはパワーレンジャーの話題に溢れ、映画スターが子ども連れで本作の撮影を見学したり、「ロサンゼルス・レイカーズ(NBAのバスケットボールチーム)」の選手が子どもを連れてパワーレンジャーに会いに来たり、さらには、あまりの人気にクリントン大統領夫妻が本作の出演俳優をホワイトハウスへ招待したほどでした。

『パワーレンジャー(1993)』放送開始に伴い、アメリカでは本作の関連商品が多数発売。写真のフィギュアは、顔の部分がくるりと回転してマスクが現れるという商品である(筆者撮影)
『パワーレンジャー(1993)』放送開始に伴い、アメリカでは本作の関連商品が多数発売。写真のフィギュアは、顔の部分がくるりと回転してマスクが現れるという商品である(筆者撮影)

関連商品の販売においても、本作の玩具を求めてショッピングモールに親達が殺到する現象が見られたほか、品薄となった玩具の取り合いで客同士の喧嘩が起こり、警察が出動する騒動にまで発展したそうです。(このパワーレンジャーの玩具が品切れした騒動を基に、1996年に公開されたアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「ジングル・オール・ザ・ウェイ(Jingle All the Way)」が公開されました)。

「ジングル・オール・ザ・ウェイ(Jingle All the Way)」Blu-ray。(発売:20世紀フォックス ホームエンターテインメント ジャパン、筆者撮影)
「ジングル・オール・ザ・ウェイ(Jingle All the Way)」Blu-ray。(発売:20世紀フォックス ホームエンターテインメント ジャパン、筆者撮影)

その結果、「アメリカの歴史上、もっとも成功した子ども番組」と評されるまでに至ったパワーレンジャーですが、本作の放送まで決して順風満帆だったわけではありません。放送に至るまで、作り手である製作サイドの奮闘、日米文化の相違、さらにはパンチやキックといったアクション描写に対する描写規制を乗り越えなければなりませんでした。

まずスーパー戦隊シリーズをアメリカで放送してもらうために、そもそも「スーパー戦隊とはなにか?」ということを、現地のTV局の方々に理解をしてもらう必要がありました。チームで戦う5色のヒーロー、5人が力を合わせて互いの能力を補い合う展開、さらに5人揃っての名乗りなど、私達日本人の感覚で見ればお馴染みの描写も、キリスト教国家であり、さらに銃を発砲する早さを競い合う西部劇の国であるアメリカの人達に理解してもらうためにはどうしたらよいか?・・・様々な紆余曲折があったのです。

例えば、スーパー戦隊シリーズではお馴染みの「名乗り」。日本のスーパー戦隊は、「○○レッド!」「○○ブルー!」とひとりひとり名乗りを上げ、最後に「○○戦隊!○○ジャー!」と名乗るのが、複数のヒーロー達が集う当シリーズならではの醍醐味ですが、アメリカは西部劇かつ銃社会の国。敵を目前にして名乗れば、その間に撃たれるという懸念があるため、理解を得ることが困難だったようです。

そこで、当時の東映のプロデューサー(元東映プロデューサー:鈴木武幸氏)は、名乗りとは歌舞伎のような日本の伝統芸能であり、名乗ることで敵側にも視聴者にもその名をしらしめることができることを力説し、アメリカサイドに納得してもらったエピソードが残されています。

パワーレンジャーの玩具の特徴の1つに、ジュウレンジャーではなかった胸部のエンブレム(刻印)が挙げられる。スーパーマンをはじめとする米国産ヒーローとも共通する特徴で、この点でも文化の違いが見てとれる。
パワーレンジャーの玩具の特徴の1つに、ジュウレンジャーではなかった胸部のエンブレム(刻印)が挙げられる。スーパーマンをはじめとする米国産ヒーローとも共通する特徴で、この点でも文化の違いが見てとれる。

さらに、ハリウッドで制作された特撮ヒーロー番組の監督、プロデューサーを務めたロバート・ヒューズ氏によれば、『パワーレンジャー』の制作にあたり、制作体制にマッチしない等の理由で、監督がひとり、またひとりと解雇となり、最後に残ったのがロバート氏だったことを語られています(ロバート氏は『パワーレンジャー』1st Seasonからの参加)。さらにロバート氏は、ご自身がこれまで低予算映画や大手局のコメディーシリーズといった様々な作品の制作に携わってきた経験を生かし、キッズショーである『パワーレンジャー』の制作に向き合ったこともお話しになっています。

その後、ロバート氏は『パワーレンジャー』のメイン監督として、他の監督と共に本作の制作に携わっていきました。

また『パワーレンジャー』では、日本で撮影されたスーパー戦隊シリーズの映像(『ジュウレンジャー』)をいかに流用して、アメリカで撮影した映像と繋ぎ合わせるのか、「映像を一致させる難しさ」と共に、「全編アメリカで撮影しているように見せるにはどうしたらよいのか」など、これまでのハリウッドTVシリーズ史上はじめての難題に挑戦し、『パワーレンジャー』独自の撮影スタイルを確立していきました。

さらに番組の演出上、最大の焦点ともいえるのは「アクションシーン」でした。『パワーレンジャー』以前、パンチやキックなどのアクションを重視した子ども番組はアメリカで浸透していない状況の中、いかに暴力的に見せず家族が安心して視聴できる番組を制作するかも課題でした。

パワーレンジャーの敵、魔女リタは次々にモンスター達を送り込む。モンスターが率いる戦闘員「Putty」は、意志を持った粘土製の人形として暗躍し、パワーレンジャーに倒される(筆者撮影)。
パワーレンジャーの敵、魔女リタは次々にモンスター達を送り込む。モンスターが率いる戦闘員「Putty」は、意志を持った粘土製の人形として暗躍し、パワーレンジャーに倒される(筆者撮影)。

例えば、「アメリカの子ども番組では人は死なない」というお約束がありました。よってパワーレンジャーがやっつける戦闘員は人間ではなく砂でできた存在、さらにはロボットであったりと・・・つまり「敵は人間ではない」ことを強調するなど、番組を放送するネットワーク局の基準を遵守しなければなりませんでした。

1995年放送『MASKED RIDER』。『仮面ライダーBLACK RX(1988)』の米国版で、Michi Yamato氏はマスクド・ライダーのスーツアクターと共にアクション監督を務めた(筆者撮影)
1995年放送『MASKED RIDER』。『仮面ライダーBLACK RX(1988)』の米国版で、Michi Yamato氏はマスクド・ライダーのスーツアクターと共にアクション監督を務めた(筆者撮影)

この「アクションシーン」について、米国版の仮面ライダーシリーズである『マスクド・ライダー(MASKED RIDER)』でスーツアクターを務めたMichi Yamato氏によれば、顔面への攻撃ができないために胸を狙う攻撃を演出したことを述べられています(2025年1月25日開催『昭和特撮アクション 超・大野剣友会祭り』)。また『マスクド・ライダー』本編でも、仮面ライダーが敵を剣(リボルケイン)でやっつける描写において、日本版では敵(怪人)を剣で刺し、刺した箇所から火花が飛び出す演出となっていたのに対し、米国版では剣からの光弾で敵が爆発する演出となっており、刺すといった体に直接的なダメージを与えたことを避けた描写であることも特徴です。オリジナルを視聴してきた私達日本人の目線から見ると、米国版の演出は少しマイルドに感じるかもしれませんが、放送事情における日米文化の違いを感じとることができます。

ロバート・ヒューズ氏:エミー賞も受賞したハリウッドの映像制作者。東映株式会社がハリウッドに輸出した特撮ヒーロー番組『パワーレンジャー』や『マスクド・ライダー』など、全作品を監督、プロデュース)

Michi Yamato氏:昭和仮面ライダーシリーズのアクションを担当した「大野剣友会」退会後に渡米。『マスクド・ライダー』では主人公のマスクド・ライダーのスーツアクターと共に、セカンドユニット監督を務めた。現在も米国で、特撮プロジェクト「フジヤマイチバン」(外部リンク)を監督、プロデュースしている。

※上述したロバート・ヒューズ氏とMichi Yamato氏の対談は、Michi Yamato氏によるYou Tubeチャンネル「Michi Yamato Channel」内の動画(外部リンク)にて視聴することができます。パワーレンジャーはどのように誕生したのか、本作の制作秘話、さらにパワーレンジャーのメガヒットが米国に与えた影響等、貴重なお話をより詳細に楽しむことができます。

上述した制作サイドの苦労を乗り越えた『パワーレンジャー』は大成功を収め、米国版仮面ライダーシリーズ『マスクド・ライダー』、さらに米国版メタルヒーローシリーズである『VRトルーパーズ』、『ビートルボーグス』の放送へと繋がっていくことになりました。

『時空戦士スピルバン(1986)』、『超人機メタルダー(1987)』等の東映制作の「メタルヒーローシリーズ」は、『VR TROOPERS』として1994年から1996年にかけて放送された(筆者撮影)。
『時空戦士スピルバン(1986)』、『超人機メタルダー(1987)』等の東映制作の「メタルヒーローシリーズ」は、『VR TROOPERS』として1994年から1996年にかけて放送された(筆者撮影)。

東映制作の『重甲ビーファイター』『ビーファイターカブト』は『BIG BAD BEETLE BORGS』として1996年に放送。本作のセカンドユニット監督はMichi Yamato氏が務めた(筆者撮影)
東映制作の『重甲ビーファイター』『ビーファイターカブト』は『BIG BAD BEETLE BORGS』として1996年に放送。本作のセカンドユニット監督はMichi Yamato氏が務めた(筆者撮影)

【ミッキーとスーパー戦隊が夢の共演!】テレビだけじゃない!テーマパークでも活躍したパワーレンジャーの未来とは?

上述してきた『Mighty Morphin Power Rangers(マイティ・モーフィン・パワーレンジャー)』は3シーズンの放映期間を経て、全155話の放送を終了します。その後もパワーレンジャーはシリーズ化され、次々と日本のスーパー戦隊が米国へと進出し、現地で大活躍するようになっていきました。

『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』放送終了後、後続のスーパー戦隊シリーズも米国へと進出。パワーレンジャーシリーズとして放送され、毎作タイトルを変えながら放送を継続した(筆者撮影)。
『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』放送終了後、後続のスーパー戦隊シリーズも米国へと進出。パワーレンジャーシリーズとして放送され、毎作タイトルを変えながら放送を継続した(筆者撮影)。

『恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)』を起点に、歴代のスーパー戦隊が「パワーレンジャー」として順にアメリカで放送されていく中、2002年になると、パワーレンジャーシリーズの放送権利がウォルト・ディズニー・カンパニーに移行するという大きなイベントが発生しました。

※パワーレンジャーシリーズの権利の変遷(概説)

パワーレンジャーシリーズは30年以上の歴史を有していますが、現在まで複数の製作会社に権利が移行しながら、シリーズを継続してきたことも特徴です。作品の発信にあたり、サバン・エンターテインメント、ウォルト・デイズニー・カンパニー、サバン・ブランド、ハズブロの順に、変遷を経ながら現在に至っています。

ディズニーがパワーレンジャーシリーズの権利を保有していた時代は、米国では「Disney Era(ディズニーエラ)」と呼称される(写真はディズニーエラにおいて放送された作品の一部、筆者撮影)。
ディズニーがパワーレンジャーシリーズの権利を保有していた時代は、米国では「Disney Era(ディズニーエラ)」と呼称される(写真はディズニーエラにおいて放送された作品の一部、筆者撮影)。

その結果、ディズニーが当シリーズの権利を別会社に譲渡するまで(2011年からは別会社による制作配給)、パワーレンジャーはミッキーマウスをはじめディズニーキャラクター達と肩を並べ、アメリカのディズニーパークのパレードに出演したり、ディズニーストアで玩具が発売されていた時期があったのです(ディズニーキャラクターをはじめ、ストア店内の光景は権利の関係上掲載できません。ごめんなさい)。

約20年前、筆者がハワイの大型商業施設「アラモアナショッピングセンター」にて購入したアクションフィギュア。経年劣化のため、メタリックレッドの塗装が剥げているが、今も大切な宝物(筆者撮影)。
約20年前、筆者がハワイの大型商業施設「アラモアナショッピングセンター」にて購入したアクションフィギュア。経年劣化のため、メタリックレッドの塗装が剥げているが、今も大切な宝物(筆者撮影)。

少し私のお話をすると、現在まで日本とハワイの両国で生活してきたため、ディズニー時代のパワーレンジャーシリーズの思い出もいくつかあるのですが、ハワイの大型商業施設「アラモアナショッピングセンター」(外部リンク)内にて、当時営業していた『ディズニーストア』(2025年現在閉店)では、ディズニーの世界を演出した店内の中で、歴代パワーレンジャーのフィギュアや小型ゲーム機などが販売されているという不思議な光景を体験したほか、パワーレンジャーのDVDを再生したら予告映像の中にディズニーチャンネル映画の予告も入っていた!なんてこともあり、当時はティーンエイジャーながら「戦隊は戦隊、ディズニーはディズニー」と割り切って、パワーレンジャーシリーズに触れていたものです。

「ディズニーエラ」の期間中に放送されたパワーレンジャーの中でも人気作となった「パワーレンジャーS.P.D.」。本作のDVDには本編と共に、ディズニーチャンネル映画の予告も収録されていた(筆者撮影)。
「ディズニーエラ」の期間中に放送されたパワーレンジャーの中でも人気作となった「パワーレンジャーS.P.D.」。本作のDVDには本編と共に、ディズニーチャンネル映画の予告も収録されていた(筆者撮影)。

ディズニーがパワーレンジャーシリーズの権利を手放した後も、現在までパワーレンジャーシリーズはアメリカをはじめとする世界各国において、大衆的な支持を獲得し続けてきました。2023年の作品(『パワーレンジャー・コズミックフューリー 』)を最後に、パワーレンジャーシリーズは現在新作を休止していますが、「ディズニー+」配信に向けて新シリーズが企画中であること(外部リンク)や、大手玩具メーカー「Playmates」によって新たなパワーレンジャーの玩具シリーズが、アメリカの玩具見本市「New York Toy Fair 2025」(外部リンク)にて発表される等、今後の展開に期待がかかります。

『騎士竜戦隊リュウソウジャー』、『宇宙戦隊キュウレンジャー』をモチーフとした『パワーレンジャー・コズミックフューリー (2023)』を最後に、シリーズは新作を休止中(筆者撮影)。
『騎士竜戦隊リュウソウジャー』、『宇宙戦隊キュウレンジャー』をモチーフとした『パワーレンジャー・コズミックフューリー (2023)』を最後に、シリーズは新作を休止中(筆者撮影)。

ここまで本記事を読んで、「アメリカのパワーレンジャーのことをもっと知りたい!」、あるいは「アメリカの特撮ヒーローのイベントに興味がある!」という方も多いのではないでしょうか。

しかしながら、「なかなかアメリカには行けない」、「そもそも英語が話せないから不安」という方も多くいらっしゃるかとお察しします。そこで、私がオススメなのが、先述した『マスクド・ライダー』や『ビートルボーグス』等で、スーツアクターやセカンドユニット監督を務められたMichi Yamato氏による、動画チャンネル「Michi Yamatoチャンネル」(外部リンク)。

Michi氏は数万人規模の来場者が訪れる北米の特撮コンベンションの常連ゲストであり、2年に1度アメリカで開催されるパワーレンジャーの大型催事「パワーモフィコン(Power Morphicon)」(外部リンク)のほか、アメリカの特撮イベント「ジャパン・ワールド・ヒーローズ (Japan World Heroes)」(外部リンク)にも精力的に参加されているだけでなく、現地のイベントの空気感や、アメリカの特撮ファンとの交流の様子を、当チャンネルの動画にてご発信されています。

数々のアメリカの特撮ヒーロー番組の製作に携わり、公式にイベントに参加されている方の視点から、北米の特撮イベントの様子がコンパクトに、わかりやすく紹介されておりますので、宜しければ、ご覧になってみてくださいね。

最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

※当記事の作成にあたりまして、Michi Yamato様より「Michi Yamato Channel」の動画のご紹介に対する許諾、ご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。

本記事制作にあたってはガイドラインに基づき公平中立に制作しております。

(恐竜戦隊ジュウレンジャー、パワーレンジャーシリーズを視聴するなら)
東映特撮ファンクラブ(TTFC)(外部リンク)

恐竜戦隊ジュウレンジャー 第1話(外部リンク)

恐竜戦隊ジュウレンジャー 第2話(外部リンク)

(北米特撮イベントを紹介したMichi Yamatoチャンネルの動画一覧)

パワーレンジャー・コンベンション(パワー・モーフィコン)&ワンフェスのパッケージ・レポート。色んな仮面ライダーいた!(外部リンク)

ロスで特撮イベント。金髪美女がサインおねだり?シン・仮面ライダーもいた!現地リポート。(外部リンク)

What was Power Rangers? Special Interview: Robert Hughes, Director/Producer in Hollywood. Part 1/2(外部リンク)


(参考文献 一覧)

・JUDY REVENSON・RAMIN ZAHED、”SABAN'S POWER RANGERS THE ULTIMATE VISUAL HISTORY”、INSIGHT EDUCATIONS

・丸澤滋(てれびくん編集部)、『愛蔵版 30大スーパー戦隊超全集』、小学館
・菅家洋也、「講談社シリーズMOOK スーパー戦隊シリーズMOOK スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1992 恐竜戦隊ジュウレンジャー」、株式会社講談社
・鈴木武幸、「夢(スーパーヒーロー)を追い続ける男」、株式会社講談社
・大下英治、「仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男」、株式会社竹書房
・長澤博文・今井智司(ノトーリアス)、「スーパー戦隊の常識 ド派手に行くぜ!レジェンド戦隊篇」、双葉社

・坂本浩一、「映画監督坂本浩一全仕事」、株式会社カンゼン
・尾上克郎・三池敏夫、「平成25年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 日本特撮の関する調査」、森ビル株式会社

  • 11
  • 6
  • 2
ありがとうございます。
博士(文学)/PhD(literature)

博士(文学)。日本の「特撮(特殊撮影)」作品を誘致資源とした観光「特撮ツーリズム」を提唱し、これまで包括的な研究を実施。国内の各学術学会や、海外を拠点とした国際会議へも精力的に参加。300を超える国内外の特撮・アニメ催事に参加してきた経験を生かし、国内学術会議や国際会議にて日本の特撮・アニメ作品を通じた観光研究を多数発表、数多くの賞を受賞する。国際会議の事務局メンバー、総合司会のほか、講演、執筆、観光ツアーの企画等、多岐に渡り活動中。東海大学総合社会科学研究所・特任助教。

二重作昌満の最近の記事

あわせて読みたい記事