私が供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなた一人だけにはこの神の仕組を見せるので、それを人々に説きなさい。】と告げられました。
昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事から、子供の頃にそうしたことを告げられていたので覚悟を決めて神霊界修業に入ったしだいです。そして伏見稲荷山にて豊受姫のお代をされていた最初の師匠を通じて、豊受姫から【貴男は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴男の言葉の教えは天帝の詔(みことのり)と同じ意味を持ち。貴男の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神とて天帝に対する反逆罪で裁かれる。】と告げられた次第です。
私は子供の頃、その旧約聖書の神と称する声から、そなたは【最後の審判】を見届けると告げられています。そんなことは信じられるか、信じられないかとなりますと、とても信じがたいとなります。だが、日本の国に満ちあふれている【言葉の仕組】が解った時、いったい誰がこんな仕組をしたのか!。となりました。
言葉と言えども、ここまで仕組をした神は語られていない
その旧約聖書の神と称する声は、【そなたが説くことに従う者達は、この私が一人残らず救う。】と告げられたのですが、それはイエスの様に私と言う人間を拝むことではないのです。私を見たからと言って、別に神が見えるではないからです。私にはイエスの様な思い上がった言葉は出せません。私は単なる一介の神の僕にしか過ぎないからです。それ以上とは言えません。
それは旧約聖書の神と称する声があることを言われたからです。【もしそなたが私の仕組の教えを間違ったとしたならば、それはそなたの責任には非ず。この私の仕組が悪かったのである。】と言われたことなのです。私はその仕組を明らかにしているだけなのです。それは大本教神諭が告げた【ウシトラ金神・国常立尊の三千年に渡る仕組み。】です。
私は神霊世界の見聞の中で、西洋で言う【天使】も見ましたし、日本の神社に鎮まる御神霊達も見ました。また、霊能者が言う神霊が蛇や狐や狸や猫等と呼ばれる姿に【身変える】の意味も知りました。龍や天狗の存在も見て来ました。そうした存在はあります。だがそうした霊がどれほど集まろうと、日本語だけであったとしてもこんな言葉の仕組が出来る神等、それらの霊では考えられないなのです。それは人類は未だ本当の創造神が解っていないとなります。
私は言葉の仕組に基づいて、説いているのに過ぎない
私は最初は伏見稲荷山で四年間ばかり霊界修業をさせていただき、ある程度は神霊世界を知る事が出来ました。それは【狐(稲荷)の世界だ】と言われればその通りです。多くの白狐達を見て来たです。もしも西洋に生を受けていれば、狐(稲荷)の存在など解りようもなかったと言えます。だが、蛇や狐は神と呼ばれているのに、どうして人は神に成っていないのか?。の大疑問に襲われたのです。で、次に【言霊】の世界に転じたことから、大本教霊学に関わる事になりました。
言霊を知らないと、言葉は神と共に在ったが解らない
その言霊の修業時代、私の体を通じて大本教の出口なお開祖。続いて出口王仁三郎聖師が私に懸かられて、霊媒者にその霊を転送したところ、その霊媒者の口を通じて出口なお開祖霊は【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第(うでしだい)】と告げられたことから、大本教の神典を料理するとなったなのです。
その大本教神諭予告の中で最大の物は【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】です。これは【言霊】とは何かが解っていないと、意味すら辿り着かないでした。
大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】
私はそれを【米】の教えと名付けました。何故に【米】の教えとしたのか?。それは一つに、朝鮮に残されていた予言に【最後の審判前、人類を救済する為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には「天罰」は降りないが、そうで無い者達の上には天罰が降りる。その天罰の最中に「白十字」が現れて、天罰を受けている者達もその「白十字」によって救われる。】がありました。
その【米】一字の教えとは何だとなりますと、誰も解らないで来ていたのです。それが大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】の紐解き型となります。単に【米】一字と考えると意味が解らないなのです。それを紐解くと五十六億七千万で導く【みろく(369)】で、お釈迦様の本当の悟りが出せます。
大本教神諭に予言された【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】の言葉だけでは、誰を持ってしてもそれが【言葉の仕組】とは思わないようになっていたのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、その声は私に【そなたの教えに従う者達は一人残らず助ける。】と約束されたのです。それは大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いた上での教えです。すなわち、この日本に満ちあふれている日本語の仕組と言えます。
しかし、いくらその声の主が旧約聖書の神と創造神たる神名を名乗っていたとしても、それが本当に旧約聖書の神であるのかどうかも解りません。そんな霊が告げる約束など当てにはなりません。霊的世界を見聞して来ると、霊の言葉に欺されている人が目白押しだからです。特に蛇霊の支配は目に余るほどなのです。それは聖書における【人類の原罪】の関係からです。
実際にそれが創造神かの証明は、実力行使しかない
その旧約聖書の神と称する声は、子供の私に【私はそなたに何の力も与えない。為にそなたを馬鹿にする者達が続出するであろう。そなたの背後にこの私が控えていることが解らぬ神など使い物にならない。そなたにこの神の力を授けるのは最後の最後の時である。】と言われたのです。
仮にこの世の終わりの時にその神の力を頂いても、何の役に立つのかがあります。戦前の大本教が日本最大の信徒数を誇った背景には世紀の大予言者と言うべき出口王仁三郎聖師の卓越した【予言】の的中力がありました。その予言とはスピリチュアルの個人の恋愛などの予言では無く、世界の戦争や新しい武器が登場して来る。そして現代のテレビやスマホらしき物や空飛ぶ手紙(携帯メール)等多岐に渡ります。社会性があるものです。大正時代にそれらが予言されたのです。それらは神社に鎮座されている御神霊の段階では、何神もなされなかったことです。
さらに大本教の宣伝使達が全国を宣伝巡回して、多くの病人を治して行きました。はっきりと神の存在を人々に見せつけたなのです。大本教神諭には、【この神は病気治しの神では無い。心の立替。立て直しの神である。】とありますが、実際には病気治しの力が大きかったと言えるでしょう。何故ならば、人はこの世がどうなるかよりも、今の自分の幸せを第一に考えるからです。それは人は【刹那心(今が良ければそれで良い)】に溺れるからです。
明治25年に出た大本教神諭は一貫して【我よし】を批判していますが、【刹那心(今が良ければそれで良い)】の恐ろしさまでは書かれていなかったのです。
宗教の世界では【我が宗派の教えを信じる者は天国で、異教徒は地獄に落ちる。】が定番ですが、霊界を見聞していると、そんな論理はどこにもないのです。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!】と残されましたが、自分が救世主だと称している方の信徒達を見ると、既に【亡者】の世界に足を踏み入れておられます。死後はそうした世界に落ちて行くです。
私は子供の頃から旧約聖書の神と称する声から、【この世に出て「刹那心」に溺れるな。刹那心に溺れると永遠性の自分の魂を潰したり。腐られていまう。】と注意され続けていたのですが、そうした自称救世主に走る人達はそうした名乗りをする人に【刹那心】から来るものから助けて貰えると走ってしまうとなります。自己の魂に内在する【神性】に気づかないなのです。そして【カルマ】の恐ろしさです。
他力信仰のみでは、自己の魂の次元格は上がらない
私は世界の予言書等にある空に幾つもの太陽が出て来たところで、全人類が【反省】する等あり得ないと見ています。この世がどんな状態になっても、飲めや歌への連中は出て来るのです。全ての人が悔い改めて、創造神に向かうのは不可能的と言えます。だとすれば、救える魂だけを救う。となります。
創造神は万能と呼ばれても、全人類を救うは不可能
それは神霊世界を見聞して来ると、魂が捻れて破砕されて昆虫の世界等に落ちて行く。魂を腐らせてミミズのような存在になるなど、スピリチュアルが説く、「神の愛で何をしても赦される」がどこにも見当たらないからです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【人の魂は修学の為にこの世に降りる。その修学の場で刹那心に溺れると、その魂を捻らせたり腐らせたりする。】と聞かされています。
さらに、【そなたには何の力も与えない。】で、日本語と言う限定された範囲ではありますが、いくら言葉の仕組を解説したところで人々からは見向きもされないとなります。反対にどんなに力を授けられても、全人類が【悔い改める】なども不可能に近いのです。自己を【悔い改め】しょうとしない人は、逆に裁きの神すら【悪神】呼ばわりをするからです。
スピリチュアルでは【神の愛で何をしても赦されるのです。】であって、人が悪をしたからと言って、それを裁く者などは【悪神】の論理でしか無いのです。それはキリスト教の教義を見れば解ります。冥府の意味すら理解していないです。
では、九つ花に咲く仕組に何一つ御利益は無いのか?
私が出した【米】の教えとは、死後の世界で【五次元・六次元・七次元】界に行けるように仕組まれた物です。
私は以前はブログでなくHpで発信していました。霊媒体質の方が憑依で苦しんだ時に私のHpに入ったら、その霊の憑依が取れました。そうした御礼のメール等を受けていました。そうした中で、【人に内在する良心神】に対して、あるブログ主が国常立尊と出口王仁三郎聖師は【天狗】だと発信されていることに対して、そこまで国常立尊様と出口王仁三郎聖師を辱めるのであれば、本当の良心神の教えとはどういう物かを解らせる為に、その方と同じ土俵のランキングにブログを載せたのです。
その方に、本当の良心神とは何かが解るはずなどないからです。そのブログ主は私とは桁違いの読者数がありました。その信徒の方が【神言会】の良心神の内容は、そのブログ主の良心神説と比較すると難しすぎるとその掲示版に書き込んでおられましたが、確かに難しいのです。それは【真理】に基づいているからです。人気取りや金儲けの為のブログではないからです。私はランキングを争う為ではなくて、本当の【真理】を学んで欲しいの願いからの発信です。そのブログ主は私と同じ土俵ではなく、別の土俵たるランキングに移行されました。
私が書いている内容は難しすぎるの批判は多々あります
それは私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は【貴男は神々に教えをなされる方】と告げられたように、世に出ておられる神達に対して発信しているからです。世に出ておられる神々に対して悔い改めるを説いているからです。蛇や狐や狸や猫神と呼ばれる存在に向けているからです。まず世に出ておられる神々が【悔い改め】をされないと、三次元世界に生きている私達の段階に【悔い改め】の心など起きえません。
世に出ている神々に対しての発信ですが、この世に肉体を持っている魂に対しても発信はしているのです。人の魂がこの世に降りて来る目的は、より高次元の世界に進む為だからです。だが、現実には【刹那心】に溺れてその魂を腐らせたり潰している方が多いのです。
大本教神諭、人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず
人は死ねば誰でも【四次元界】には行けます。だが、神(上)と呼ばれて来るのは五次元界からです。スピリチュアル等に走っていると、三次元界たるこの世と死後の四次元界中有界の往復から何時まで経っても卆業出来ないのです。もし【輪廻転生】が今後も続くのであれば、それはそれでいいでしょう。しかし私が旧約聖書の神と称する声から告げられたのは、今の世を終えて【永遠に嬉し嬉しの世】に渡ることです。
輪廻転生を終わらせることが【最後の審判】と呼ばれる
私がHpに【神言会】として出した時、どなたかかは解りませんでしたが、【そなたのHpに入って来た者達は、その魂の汚れが少しは浄化され、少しではあるが魂にも加点がなされる。】と告げて来られました。
今はそのHpではなく、ブログが主体になっていますが、やはりHp記事と同様に、どなたかが【そなたのブログ記事を読む者達は、それによって魂の汚れが少しずつ取れて来て、知らず知らずに良心神の点数も少しずつ上がって行く。】と告げられて来ました。
米の教えは、読む人の魂の汚れを取り魂が加点される
私の米の教えを学んでおられる方の中には、既に七次元界の資格を取られた方もあります。新しきみろくの世の幹部候補生です。それは別にその人には霊が見えたり霊と会話が出来るではありません。その【人格】が神的になるなのです。逆に霊が見えたり霊と会話が出来ると、そうした段階は蛇や狐や狸や猫等と呼ばれている段階なので高次元界に進めずに低次元界に留まるとなります。
私のブログ記事を【真剣】に読んでいる方達でも、【米】の働きに何も気づかれていないでしょうが、それは【巳(蛇)帰る】の働きが少しずつ起きているからです。蛇霊達は人類が【真理】に気づく事を妨害しているのです。
逆にいくら米の教えを表面的に学んでいても、その人に【蛇霊】が強く作用している場合は、書いてある言葉の意味の理解がまるで進んでいないとなります。何年学んでいても理解出来ないなのです。いくら自分には霊能力があると誇っても、蛇霊から与えられた霊能力と関わっているでは、みろくの世は難しいとなります。
米の教えの神髄は、【蛇(巳)帰る】の働き
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話はそうした事実があったのではない。全て私が最後の審判の為に創り上げた神話である。】と告げられています。
日本神話では素戔嗚尊の八岐大蛇退治が語られます。その八岐大蛇の尾から出た剣を【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】と呼ぶのですが、それは業(カルマ)を取る天の剣と言う意味合いです。漢字を見れば一目瞭然です。だが邪神達はそうした剣が霊界にあると思い込んでいるのです。
ミカエルの剣とは、日本神話【天叢雲剣】と同じ働き
世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、天使長【ミカエル】などは存在していない。ミカエルの意味は反省の【省みる】の意味だと説いておられますが、【伊都能売(いずのめ)】神の意です。
スピリチュアル標榜者は自分に天使長【ミカエル】が降りて来ると言われる方が大多数なのですが、私が子供の頃に臨んで来られた旧約聖書の神と称する声は、【旧約聖書は私の書であるなれども、暗号書であり。鍵を持たないと意味が解らないようにしてある。】の一環と言えます。
モーゼ外伝におけるミカエルとは、最後の審判で【蛇の尾を踏む者】となっているかと思いますが、蛇の尾を踏む者とは【蛇(巳)を帰らせる者】の意と言えるのです。もし、自分に天使長ミカエルが降りて来ると言うのであれば、その天使長に蛇霊退治が出来るかどうかを見定めてみることなのです。それも一体や二体ではなく、何千万も何億、何十億もの蛇霊を退治出来るかです。それが出来なければ元々の天使長などでは無いのです。
天使長【ミカエル】の言葉に【暗号】が入れられてある
すなわち、ミカエルと称して世に出て来る霊は全てニセ者
米の教えとは、聖書で人類の【原罪】とされる蛇の囁きで【神の園】から蛇霊と一緒に追放された人類に対して、蛇霊の囁きから脱却させることで、元の【神の園】に戻る為の教えでもあるからです。
米の良心神の教えは、個々の人を蛇霊の囁きから離す
ですから、米の教えを理解して良心神に従って行く人達は自己に憑依している蛇霊が去り。自分が過去世から積んで来た【カルマ】の解消も進み、自己の魂の良心神の点数も上がります。最後の審判と呼ばれる出来事は一部の霊能者達も説いている様に各自の【良心神】の点数で決まりますので、その点数に応じて【五次元・六次元・七次元】界と呼ばれる高い次元界に進むことになるなのです。
私は自分のHp上では質問を受けていませんが、メールを受け取ることは出来るようにしています。それに代わって質問を受ける為にブログ記事を出して【SNS】の世界で質問を受けています。
いくら【米】の教えを学んでいても、その人が蛇霊神を拝んでいるようで五次元界にも進めないとなります。
良心神の御利益は、如何なる現世御利益よりも優れる
何故ならば、【永遠に嬉し嬉しの世に渡る為】だからです。
但し、その新しい【みろくの世】とは、一部の霊能者の方達も説いておられる【新地球】上なので、その実存証明が出来ないのです。科学で高次元界の詮索しても解りません。何故ならば科学がいくらシャチホコだったところで、人の魂の存在も、死後の世界で生きる霊界の存在すら証明が出来ないからです。
神の存在証明は、正しい言葉で明らかにする
私は日本語ですが、【言葉の仕組】が解った時、愕然としたのです。大本教神諭予告、【三千年に渡る言葉の仕組】です。どうして日本人の私に【旧約聖書の神】と称する声が臨んだのか?。優れた霊能力者は私の本守護神は【国常立尊】様だと言うのか?。世に出ておられる神々には想像すら出来ない仕組が既に【完了】しているのです。
私はここまで仕組んである以上、その【発動】は起きるであろうと見ています。そうでなければ、日本語ですがここまで【仕組んである】など、考えられないからです。
私が旧約聖書の神と称する声から聞かされて来た事は【人類の滅び】では無く、
人類を左右に捌く(裁く)、二つの道
これまでは、最後の審判とは天国と地獄の上下と考えられて来ました。為に、我が宗教を信じた者は天国で異教徒は地獄に落ちると、誤った教義に入ったと言えます。上下ではなくて【左右】に捌くなのです。旧来の地球と高次元界に存在する新地球です。
ただ、その言葉の仕組の【解説者】が世に出て来なかったなのです。
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