人の魂は三次元世界の存在では無く、四次元世界以上の世界にあるとされます。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【魂は学びの為にこの世に降りる。人の世での命は短い。魂の世界からすると修学旅行に出たような僅かな時間である。その修学に出た旅先で刹那心に溺れると、魂は腐ったり潰れたりする。この世に降りて何も学ばずに魂の世界に帰って来たならば、その魂は何をしにこの世に行ったのかが問われる。この世で受けた悪しき思い出はこの世に残し。良い思い出だけを土産として持ち帰る。】と告げられました。
この世は瞬間でも魂の命は長い。魂の浄化に肉体が要る
人はこの世に降りて来た時、この世に置いてきた過去の悪しき思い出が自分の【カルマ】として現れるのであって、死後の世界まで自己のカルマを持ち込んで【清算】をするのではないのです。すると、【地獄】の概念が違うと解ります。キリスト教や宗教が説く【異教徒は地獄に行く】も無いのです。そこに【悔い改めた者は赦す。】があります。その罪(悪しき思い出)はこの世に置いて行くなのです。スビリチュアルが説く【神の愛で何をしても赦されます。】ではないのです。
しかしそれは、この世に置いて行かれた【悪しき思い出】は汚れた意識体としてこの世に存在しているなのです。そうした【悪しき意識体】は【自然と呼ばれる存在によって浄化】されて来たのです。そこに出て来るのが洪水や台風や嵐の様な自然の働きです。洪水や台風や嵐などを【天災】と呼ぶのはその為です。
天災等は、人類が積んだ罪の溜まりが浄化として現れる
下記の2枚の写真は夜間の【雨】撮した写真です。別に霊を撮した写真ではないのですが、雨の漢字は【霊】の漢字で解る様に霊との関わりが存在します。
汚されていない土地で降った雨
こうした類いの写真は、屋久島の縄文杉付近でも撮られますが、自然が汚れていないことを語ります。為に水がおいしいとなります。
人類が自然を汚すとどうなるのかです。
自然を壊すと人類は今の地球上で生きていけなくなる
創造神の新地球論は、地球環境の悪化から人類救済
全ての神社の神主が【一霊四魂説】を知るではないのですが、日本神道ではその【直霊】は天帝の分魂で肉体の死で天に帰り。四魂のみが地に留まるとする説があります。その四魂を総称して【魄(はく)】と言います。よく言われる【魂魄(こんぱく)】の【魄】です。魂と言っても、厳密には【魂と魄の合体】です。辞書を引くと、魂は人の精神を司り。魄は人の肉体を司る気ともしています。
今はそうした【魄】は【霊】に含めて言われています。そこに「魄」の論議を持って行くと、かなり難しい話となります。合気道は日本発祥の武術ですが、その合気道の創始者である【植芝盛平】さんは大本教に在籍当時、武術家であったので大本教の出口王仁三郎聖師の護衛役としてあり、出口王仁三郎聖師の指導の元に【合気道】を生み出されたことから、合気道の創始者は本当は出口王仁三郎聖師だと言われる方達もあります。
その合気道では【魄が下になり、魂が上、表になる】とします。【魂によって魄を動かす。】とされています。確かに魂が魄である【肉体の気(霊体)】を動かすなのですが、スピリチュアルでは【神は愛だから、何をしても赦される】が決まりも文句で、【魂魄】の理解が出来ていないなのです。
その【魄】の漢字が使われる言葉として、
気魄(気迫)は、何事にも屈せずに向かって行く強い精神力で荒魂の働きです。
落魄(らくはく)は、落ちぶれたの意味です。気力が失せた。今は落胆です。
生魄(せいはく)は、生き霊などのことで、魂そのものではなく魄なのです。
霊的世界に関わっていますと【生き霊】とか【想念】にぶつかります。生き霊と言っても本人の魂が飛んで来る場合は、その本人の肉体は【腑抜け】と呼ばれている状態で、肉体が肉体として機能していないがあります。一方【想念】の方は、【想念】だけが勝手に行動しているがあるのです。それはスピリチュアル界でも自分は【大御所】と自認されている江原啓之さんとか美輪明宏さんの段階であれば理解されているでしょうが、そうでないスピリチュアルだと何も理解していないがあります。
スピリチュアル標榜者でも自分が霊媒体質者であれば、他人から【想念】を受けると相手の顔が見えるがあります。
魂の世界とは【想念】の世界でもあり、いろんな【想念】が飛んで来ます。これは【霊媒体質者】でないと解らない事柄ではあるのですが、人は悪しき想念を肉体が持つと魂が汚れます。その時、自己の魂がその汚れから来る苦しさを自己の肉体で【浄化】するのではなくて、その汚れた想念を他人の肉体に飛ばすが起きます。無理に押しつけるです。それが肉体には解らず。何で苦しいのだとなります。
自らの霊汚れを肉体で浄化出来ずに、他の霊媒者に送る
霊媒体質は、自分に想念を飛ばして来た人の顔が見える
私は本物と呼ばれる様な霊能力者ではありませんが、修業時代は自分に想念を飛ばして来た人の顔が見えていました。今は自己の魂磨きが進んだので、いくら他人から想念を飛ばされても一種の霊的バリアーにより、全て返し矢としてその本人に返るようになったようです。霊に対する防御力が強くなったのです。
霊媒体質者は自己を守る為に【祝詞や御経】を唱えるをします。その修行過程において自分を助けて下さいとすがって来る多くの霊の憑依を受けますが、その段階を越えないと行けないのです。ところがそうした修業を積まないで、他の霊媒体質者にそうした汚れた霊を転送するが起きます。
もし、そうした修業が完成されていない段階の霊媒体質者だと、他人が飛ばして来た汚れた想念を送った本人に返せずに自分がその汚れを受けて苦しむとなります。人はどうしても自分の【思惑】で行動をしますので、そこには【想念】が発生してしまいます。
人は肉体を持つので、この世の想念の様が解らない
肉体の表面は善人でも、魂は汚れた人が存在して来る
閻魔大王の【浄玻璃(じょうはり)】の鏡が言われています。その浄玻璃鏡の漢字を見れば、浄玻璃とは、玉(魂)の表面の汚れた皮を離して浄めるとなっています。世間や辞書の説明とはまるで意味が違うと解ります。私はスピリチュアルではその【浄玻璃鏡】の言葉は知っていても、霊的にその鏡を見たという方はあまり居ないのではないかと見ています。そもそも邪神達はその手の鏡を持たないからです。
その鏡自体の働きは、日本昔話の【狼がくれた睫毛(まつげ)】の話とさほど変わらないのです。私はその鏡を閻魔大王からではなく、伏見稲荷大社の講員であった時に支部の月次祭(つきなみさい)で豊受姫から見せられたのです。私はその時、神鏡の本当の働きを知ったのです。いくら天皇家には【三種の神器】があると言っても、本当の神鏡の働きすら解っていないなのです。しょせん【レプリカ】の類いです。
神鏡とは、その人の【心境】を写し出す
私がお世話になった豊受姫を黒狐だと言った豊受姫がいましたが、その豊受姫はその【浄玻璃鏡】を見た事も無いだろうし知ることも無いでしょう。逆にその鏡でその神霊を見たならば、その正体がバレバレとなるのです。単に霊が見える程度の者を騙すことなど強い霊からすれば簡単なのです。かなり大きな神社でも今や邪神達の巣窟になっており、単なる霊感者では霊を見てもその神霊の本性を見破ることなど出来ないでしょう。
では、何故にそれが【閻魔大王】の鏡とされるかです。私は閻魔大王は魂の【円真大王】であり、各自の魂の真ん中の核であり、日本神道で天帝の分魂(直霊)と呼ばれ、人の良心神を司っていると長々と説明して来ました。そして日本神道で語る【三種の神器】を本当に理解しているのかです。その三種の神器とされる鏡の働きに【浄玻璃鏡】の働きがあるのです。 悪しき霊能者に引っ掛かりますと、貴方は【三種の神器】を持っておられると煽てられて食い物にされたりしますが、霊能者だからと言って全員が【正神界】に所属しているではないのです。
この世は魂の修学の場であり、善が何かと知る為に悪神達の活動が許されているのです。
この世は悪神達が存在するから、魂の修学が出来る
人の良心神に【浄玻璃鏡】の働きがあり、邪神を見破る
秀でた霊能者は異口同音に、【この世は魂の修業場】とか【魂の刑務所(流刑地)】と言います。大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と言われましたが、この世で魂を【更生】すれば天人世界にと進めます。だから、両説とも正しいのです。だがその為には、【悔い改める】は必定なのです。
そこにお釈迦様は、この世での【未練とか執着とか妬みや過度の欲望】から離れなさいと説かれたなのです。未練や執着や妬みや過度の欲望を持つと、魂の更生が出来ないのです。但し、お釈迦様でも自分が【悪しき想念を持つと、自分の魂を汚す】までの論理は説かれなかったと言えます。その点だけで言うのであれば、スピリチュアルでも大御所クラスの方はそうした認識を持たれてはいます。
魂がこの世に降り立ちますと、汚れた想念が渦巻いているこの世では他人の霊の憑依を受けます。それはこの世で亡くなった人の霊は全て天国界に行っているではないからです。天国界に渡った霊は、この世の人とは関係を持ちません。いくらその方の墓参りをしても、天国界に渡った人は出て来ません。天国界に渡った人がこの世に出て来るのは、更なる上の天国界を目指す時だけです。天国界に入ってしまうと、この世の人とは【無縁】の存在になるからです。
この世は天国でない。そこを理解しなければならない
何故に霊界は【魂の格】による層世界であり、魂はこの世では肉体をまとうのか?。があります。この世は天国界とも地獄界とも定まらない中有界に留まっていた霊達と地獄界に墜ちていたが赦されて出て来ます。それに天国界に居てもさらなる上階を目指す天国霊とか、多種多様の霊の想念が渦巻いています。
そうした中では悪しき想念を出す魂達も多く、魂だけでは本能が渦巻くこの世は修業するにはきついとなります。そうした魂達に【肉体】を授けることで、魂の浄化をさせる働きがあります。肉体には学びで【理性】が働くことから、悪しき(汚れた)霊からの攻撃を食い止めるがあります。もしも魂に肉体が無ければ、モロにそうした悪しき(汚れた)霊達の攻撃を受けてしまうのです。
悪がはびこるこの世こそ、魂はより磨かれる
この世で自己の魂を守る為には、肉体は必要不可欠
天国とか地獄と呼ばれる世界が何故あるのかとなりますと、それは各々の魂が出す【想念】が違うからと言えます。まったく異質の想念と出会いますと、そこにはどうしても【争い】が生じます。そこに霊界では想念毎に【界・社会】を創るのです。
また神霊と呼ばれる存在は別に神社に鎮座している霊だけではないのです。この地球と言う星を動かしている神霊達もいます。霊界ゲートと呼ばれるところを管理している神霊もあるのです。そうした部署にある神霊は神社の神として祭られているではないのです。どこかの神社の神様を信仰したからといって、天国界に渡れる手形を貰えるわけではないのです。
魂が清く正しい心根の集団は天国界を創り
魂が汚れて悪しき心根の集団は地獄界を創る
天国界とはイエス一人が主の御子なのだ!。で、行ける世界ではないのです。また【南無妙法蓮華経】と唱えていれば行ける世界でもないのです。その人一人一人がどのような【想念】を持っているかなのです。
他の人を助けて世の為に人の為に尽くして来た。他人の為に犠牲を払って来た人達は【天国界】にと進みます。そうした魂の者達だけで構成されるので、実に【平安】が得られるのです。逆に我さえよければそれでよしの自己本位・自己中などの人は、そうした者だけが集まるので常に争いから【地獄界】にと進むなのです。
今日まで天国界とは金銀財宝で輝いているとする説がはびこっていましたが、魂が清く正しい天人達ならば金銀財宝に興味など無いでしょう。霊界には金銀財宝で輝いた世界はありますが、そこには自分の金銀財宝を取られてはいけないと宮殿に入って来た者を威嚇する蛇霊達が居ます。
天国行きは神霊でなく、各自の良心神が判定する
為に、その存在を閻魔(円真)大王と申し上げる
人に内在する良心神とは、お釈迦様の本当の悟りでもあったのですが、日本神道の【一霊四魂】説でも天帝の分魂たる【直霊(直日)】のことでもあったのです。ただ、その直霊は人が死ぬとその肉体から離れてしまうと言われていたように、霊界でも自分にあるではないのです。
人に内在する良心神は、この世に肉体がある時だけ
人は何故にこの世に生まれて来るのか?。霊界で自己の魂の地位を上げる為であり、霊界での地位はこの世に生きた時の自分の【良心神】の点数によるのです。一部の霊能力者達が【最後の審判】の判定は良心神の点数だと言われるのもそこにあります。
私はお釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】を、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】から解き明かして来ました。それを【米の教え】として出しました。
その【米の教え】を宗教だと攻撃される方があります。そして私を【教祖】だとも攻撃される方があります。
米の教えとは、宇宙の示しの教えたる宗教です
但し、既存の宗教的なものではないのです。何故ならば、大本教神諭に【妙霊、黒住、金光、天理の先走り】とあるように、トドメの教えとしては【大本教】で終わりなのです。
豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、【貴男は綾部で大本教以上の宗教を創る】と告げられましたが、私はそれは無いと知っておりました。私が旧約聖書の神と称する声から告げられたのは、【そなたにはこの神の力を何も与えない。】で、新たに宗教を起こす気は無いなのです。
私が聞かされているのは、人類は新しい地球に移行する話であって、この地球上においては【大本教】で終わりなのです。
私が今日迄して来たのは出口王仁三郎聖師の遺文で知られる【みのか尾張の国から出て来る誠の女子】が意味する、美濃か尾張の国から出る国道【41】号線の【41】の数を誠(言成)の仕組を解き明かしたなのです。そして【神の高山】を通って終着が【富(十三)山】で、四十一位の【ラ神論】と十三位の【ス神論】の両方に秘められた意味を解説しているのです。
私が見せられたのは、私が創ると言われた宗教施設とは今の地球でなくて、この地球と瓜二つの新地球においてで、この地球の私は大本教神典の解説をしているのです。
単に自分は霊が見える程度では、【ウシトラ金神国常立尊】様の【三千年に渡る】仕組など解るものではないのです。
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。