人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№72 人は「霊止」で多数の霊の意識に影響されている。為に、人は変わることが出来る

人は誰しも自分の【厭な性格(欠点)】変えたいと思う

 

 だが、自分を変えたいと思ってもなかなか変えれないがあります。【解っちゃいるけれども止められないというものです。】。それは何故なのでしょうか?。

 

人は自分は自分で単独の存在だと思っています

 

が、人は【意識】と呼ばれている物に支配される

 

 この【意識】の存在は仏教と深く関わり、その論は悟りの意味の【哲学】になります。哲学は【哲(さとる)学】であり、仏教が語る【悟り】を起こさせるなのです。その意識は西洋のデカルトやカントなどの理論を持って来ても理解出来るものではありせん。何故ならば彼らは【霊界】の存在を何も知らずに、肉体を持つ者だけを見て【意識】とは何かを判断したからです。

 

大本教から【人は霊(ひ)止(と)】と革命的な教えが出た

 

 この大本教から出た人は【霊(ひ)止(と)】であるは、霊的世界を見聞に見聞して来ないと意味が解りません。スピリチュアルでは【人は自分を変えることが出来る。】等を歌い文句にして、そこには【気付き】が言われます。確かに人は【気付き】によって変われます。だが、何故に人は気付きで変わることが出来るのか、そこの深い理解が出来ているとは思えません。

 それを知るにはスピリチュアルでは盛んに【ハイヤーセルフ(高級守護霊)】の言葉ばかりを言いますが、まったく意味を理解せずに流行語の様に浮かれた状態で言っています。ハイヤーとは、日本ではタクシーより高級な貸し切り車のことです。当然にハイヤーは車も高級ならば料金も高いなのです。国の政治家だとタクシーに乗るではなく、高級な黒塗りのハイヤー車に乗ります。

 一般のタクシーたる霊ではなく、高級なハイヤーたる霊のセルフを受ける意味での【ハイヤーセルフ】です。それは自分(魂)で自家用車(肉体)を運転するのではなくて、他人に運転任せをしている様な話になるのです。

 

 大本教神諭(明治35年旧7月16日)に

 

世界の人民には、一人に守護神が一人附けてある(附体)

 

 スピリチュアルではその存在を【ハイヤーセルフ(高次元界からの自助)】と言っているわけですが、そこに根本的な誤りを犯していると言えます。現在の日本新神道系であれば、守護神は【本守護神、正守護神、副守護神】と区分けしています。大本教神諭における【守護神】とは、一人一人に【副守護神】格の霊が付けてあるなのです。

 この副守護神は大本教とは違って霊能者間では幅広い存在が言われており、自分が特定の神仏を信仰することによって守護してくれるところの信仰霊の眷属として語られるところの動物(動くもの)の言葉の意で括る霊で、蛇や狐や狸や猫や龍や天狗等と呼ばれている霊。神社でお札を貰えばそれに乗って来る霊などもその副守護神格としています。

 そうした霊ではなくて霊能者の中には、自分の家系の御先祖霊等で天国天人界に入る手前の霊が、そうした副守護神の【任】に就いておられるとも言います。ただ、それは五代前か四代前の御先祖霊と言われます。私の場合は霊能者の方の調べで日蓮聖人の御分霊であった家系の5代前の御先祖霊がその【副守護神】の任に就いておられたなのです。六代前以上の家系の御先祖霊の場合は既に生まれ代わっている為に存在していないとも言われています。

 しかしながら私が見聞した中には、自分の前世であるところの霊が地獄界に墜ちていて、その霊がその人の副守護神として就いているがありました。そうした霊には千年以上前にこの世の生きていた人となります。それも【輪廻転生】の中の一端で、輪廻転生を完全に説明するのはかなり難しいと言えます。

 

 日本の新神道系では【神人合一】を説きますが、この神とは肉体に入る自分の魂の本体と言うべき【高次元界】に居る自分を指すのです。つまり、肉体に居る自己の魂が神界に居る本体的な自分の魂に合流することが【神人合一】です。それだとスピリチュアルの【ハイヤーセルフ】とどこが違うのかが起きます。ハイヤーセルフだと魂の【合一】論と結びつきません。

 スピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんであれ美輪明宏さんであれ、【スポイトの一滴(自分)とコップ一杯の水(正守護神)】の説明論は正しいのです。しかし、そのスポイト一滴の水であれ汚れた水であれば、それを本体のコップには戻せないとなります。そのスポイト一滴の水が【浄化】出来るまでは【輪廻転生】にの道に入るなのです。

 だが、スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言っている人達の多くはそうした知識がほとんど無く、流行語の様に【ハイヤーセルフ】という言葉を振り回している様に見受けられます。

 

 大本教神諭(大正4旧11月26日)には、【悪の守護神の中で改心の出来たのは、今度の立替に焼き払いになるところをたすけてやるぞよ。ウジ虫の中からでもたすかるべき身魂があれば選りだして善の方へ回してやるぞよ。】があります。それは【守護神】と呼ばれている存在は必ずしも正しい守護神ばかりではなく、そのほとんどは【副守護神】と呼ばれている存在なのです。

 

副守護神格は未だ悪の要素が強く、良心神が解らない

 

 副守護神と呼ばれる存在は霊界での次元格はそれほど高くなく、霊界において高次元界に存在しているのが【正守護神】とされます。正守護神とは最低でも五次元界以上で、過去にこの世に出たことがある自分の魂です。その【正守護神】が出ている人は非常に数が少ないのです。

 そこに正守護神と呼ばれている自分の魂と肉体の魂が合一することが【神人合一】と言われているわけです。それはスポイトの一滴たる水(魂)が【浄化】されて、やっとコップ一杯の本体の水の中に戻れるという話なのです。

 

みろく(五六七)世は、五次元界以上の正守護神と合一

 

 本守護神と呼ばれている存在はその人が持っている魂の系譜で一番高い段階の存在を指します。霊界見聞をしていますと面白い事が解って来ます。本守護神は誰かと解っても、正守護神が誰かが簡単に解らないなのです。

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いてはいましたが、多くの霊能者に当たり7~8名の霊能者の方から貴男の本守護神は【国常立尊】様と指摘されましたが、私の正守護神が誰かとは告げられたことが一度もありませんでした。ただ、副守護神格として5代前の家系の御先祖霊(日蓮聖人の御分霊)がその守護任務に就いていてくださっていたなのです。

 その日蓮聖人の御分霊であった先祖霊と日蓮聖人は私を守護されていましたが、法華経ではなくて大本教霊学へと導いて下さったなのです。それは日蓮聖人と国常立尊(妙見様)との深い関わりからです。私が初めて豊受姫の元に行った時、言われた内容は【貴方と妙見様はどの様なご関係なのですか?。貴方には妙見様の御使者神が二体来ておられます。貴方の家系と妙見様の関係を調べてください。】と言うものでした。その後に豊受姫から貴方の本守護神は【国常立尊様】ですと告げられたなのです。

 

 そうしたことは、ある女性の方は霊能者から貴女の本守護神は【伊弉冉(いざなみ)】で、あり得ない神の存在だと言われたので、私に再度調べて欲しいと頼まれて、豊受姫のお代であった最初の師匠の元で改めて調べさせて貰ったところ、本守護神は【伊弉冉】で間違いは無い。が、この日本に【伊弉冉】様を本守護神とされる方はこの人一人だけでは無く5~6名ぐらいは居ると言います。

 その時、その豊受姫はその女性の【正守護神】は誰とも言われなかったのですが、その方のことでやたらに豊受姫が出て来られるで、これはおかしいと思っておりましたが、この方自身が伏見稲荷山で国常立尊様の異相神とされる御神霊から、この方の魂は【豊受姫の和魂(にぎみたま)】であることが解りました。そのこと自体は、それ以前から豊受姫のお代をしていた最初の師匠は、日本で豊受姫の分魂を貰っている女性は少なくとも百名程度は居るという言い方をしていましたが、そうした一人です。

 それらの女性は自分は豊受姫の魂だと名乗っても、何等差し障りが無いと言います。その豊受姫のお代をしていた最初の師匠は自分は豊受姫の分魂では無いと言っていました。ただ、自分は豊受姫と名乗ることが出来る百人程の方は百人とも同じ次元段階ではなく、霊界での次元格が違っていると言います。その女性の場合は豊受姫の和魂の筆頭に位置するです。同じ豊受姫の魂でも格の順列がものを言うです。

 

 大本教の出口王仁三郎聖師は自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと呼称された後、自分は【ニセ者】だと発表されたことから、巷には自分は素戔嗚尊の魂で本当の救世主ですと名乗る方が多く排出しました。その中で自分は九次元格とか七次元格とかと呼称は違っていますが、もし同じ素戔嗚尊の系譜であればそこには順列があり、自分一人が本物であり、他の者はニセ者だの諍(いさか)いは起きえません。

 ところがそうした自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと自称しておられる方を仮に百人集めれば、その魂の格の順列に従うではなく、自分以外にそうした名乗りをしている者は全て【蛇霊や狐霊】に騙されている者だけの論になります。それある意味、自分以外の霊能者達からおまえは蛇霊や狐霊に騙されている者だの応酬合戦なのです。

 ある自分の前世は弘法大師だと称しておられた霊能者が、自分と同様に自分の前世は弘法大師だと称していた霊能者の方を包丁で刺した事件があります。俺の前世の名を語るニセ者だ。赦せないです。どうして自分だけが本物だ合戦をするかと言いますと、その方の背後に憑いた霊がそうしたことを言わせるなのです。為に魂的にはあり得ないような性格の方が、自分は素戔嗚尊だと名乗ったりしているのです。

 いくら自称しても【サニワ(審神)】をされると、その正体はバレます。が、今はその【サニワ(審神)】が出来る様な人がほとんど居ないなのです。それは審神者その人が高次元界の魂でないと難しいからです。六次元格の黒龍神を恐れているようでは審神者は勤まりません。

 

 正しい霊能者の方達が霊能者【江原啓之】さんの【前世商売】を苦々しく見ておられます。それは江原啓之さんが【前世商売】で大フィバーしたからです。霊能者として名声と地位を確立された。だが、それが本当にその人の【前世】なのか?。それともその人に憑依している【憑依霊】かの判断があって、うかつに自分に見えている霊だけで、その人の【前世】だと断言すると見誤ってしまうからです。そんなことで大金を頂くわけには行かないのです。

 ところがスピリチュアルでは、江原啓之さんの相談料金に右習いをしてしまいました。それが世間相場になってしまったなのです。たいした霊能者でもないのに相談料金だけはビックリ料金。そうしたことからスピリチュアルは儲かるで、あちらこちにセミナーの花盛りなのです。そうしたセミナーに注ぎ込んだ大金など直ぐに元が戻りますよなのです。いったい何故に自分に霊が見えるようになったのか?。誰もその理由など考えてもいないなのです。

 ただ霊的世界を見てみたいの好奇心で、【霊界の恐ろしさ】を何一つ知らないなのです。

 

人に大量の霊を憑ければ、人は誰でも霊は見える

 

 それにはまず【人】とは何ぞやの論理が必要です。大本教から人は【霊(ひ)止(と)】だと出されましたが、それに加えて【本守護神、正守護神、副守護神】と呼ばれ存在をはっきりと出していないと意味が解らなくなるのです。そうしたことを世に出したのは大本教だけなのです。だが、その意味の解説が出来る人は今の大本教には一人も居ないということです。

 何故に大本教の段階でそうした事柄が詳しく語らなかったのか?。そこにはある理由があったのです。それは大本教の神典の中だったのか、私が見せられた文章だったのか、私の記憶でははっきり覚えていませんが、【大本教内部にユダヤの悪鬼の配下達が入り込む。】でした。

 私は大本教の大幹部であった人物が催された学会で、言霊師であった師匠に代わって私が講師として講演をしました。するとその内容にその大本教の大幹部であった方の信徒達から、【帰れ帰れ】の大コールを浴びせられてしまいました。完全に会場は修羅場です。その時、彼らは大本教の信徒と名乗りながら、実際はユダヤの悪鬼の配下達だと解りました。大本教内にユダヤの悪鬼達が巣くったのです。

 私はある霊能者の方から、【貴方は大本教に入信して、大本教を内部から立て直してください。】と頼まれましたが、ユダヤの悪鬼達の配下が大本教の大幹部に成っているでは、それは無理な話と言えます。大本教の四代教主補に成る予定の地位であった方の生き霊が私を訪ねて来て、大本教を助けて下さいと言って来られましたが、その方自身が大本教から追い出されてしまったがあります。その時は私が見知らぬ人の霊がどうして私の元に訪ねて来たのかと驚きもしましたが、この世と違って霊的世界では解るなのでしょう。

 

 私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その霊は【そなたにはこの神の仕組を見せる。】と告げられました。そうしたことも見せられたと言えます。

 

大本教にユダヤの悪鬼が入り、国常立尊の業を邪魔する

 

 そのこと事態は、国常立尊様にとっては織り込み済みであり、神仕組そのものには影響はないのです。それは出口王仁三郎聖師の遺文とされる【みの尾張の国のなから誠の女子】に、モウ大本教はダメだろうと有るようにそこまでの役目だからです。

 

 霊がよく見えるということは、それは低次元世界に関わる霊力が強いということであり、その人の背後に居る霊の働きで霊が見えてしまうに繋がるのです。何故ならば多くの霊は【四次元霊界】に居るからです。為に、そうした憑依霊をその人の前世と間違えるが起きて来るのです。

 

 

 

 

 

 人は今の自分の意識を自分だと思うが、肉体に憑依する霊達の集合意識。

 

副守護神がしっかりしないと、憑依霊の意識に犯される

 

仏教の【本我】とは、そうした憑依霊の意識からの脱却

 

 大本教神諭の世界の一人一人に一体の守護神が附けてあるは、【副守護神】と呼ばれている段階の霊なのです。そのこと自体は霊界物語に【副主】と書かれていたかと思いますが説明不足です。人に憑依している霊とは一体だけではありません。どんなに少なくても数体はあります。霊能者でなくても、多ければ数十体の霊は居るでしょう。それが霊媒体質だと数百体とか数千体ともなるのです。霊能者と呼ばれる方達は基本的に付随する霊が普通の方より多いなのです。それらの霊を管理してくれる段階の霊が【正守護神】となるのです。自分の前世で高次元界に居る自分の魂です。が、現実的には【副守護神】格がその任務に就いている為に、力が強い邪神蛇霊には逆らえないがあります。

 ある霊能者の方は自分の正守護神(前世霊)に従う霊は数千体と言っておられましたが、豊受姫のお代であった私の最初の師匠は仲間としていた霊媒者の方と竹生島を訪ねられた時、仏教か神道の方かは解りませんが、その竹生島の管長さんがその師匠を見て、【あの女の人はいったい何者ですか?。】と同行していた霊媒者の方に尋ねられたので、その方はすっとぼけて【私は知りません。あの方はどこかがおかしいのですか?。】と尋ねたところ、【この地は多くの霊能者が参拝に来られます。が、あの方には桁外れの霊が附いています。約1万5千体ほどは居ます。自分はこれだけ霊を附けている人を見た事が無い。】と言われたと、その霊媒の方は言われます。

 

 私も希に霊能者の方から貴男は救世主様ですかと尋ねられるがありますが、違いますと答えます。そこでどうして私を救世主と思うのですかと尋ねますと、貴方に従っている背後霊団の数は霊能者に附いている背後霊団とは桁違いです。こんな桁外れの背後霊団を持つ方は救世主としか考えられないと言われましたが、確かに背後霊団としては桁外れの数の霊が存在しています。が、その指揮権は肉体の私ではなくて私の【正守護神】と呼ぶべき御方がその霊達を配下に置かれているなのです。

 私は東京のある著名な霊能者の方に自分の霊査を頼んだところ、【貴方には無数の神々が従っている。だがそれらの神々を統括すべき御方(正守護神)は腕組みをしたままで、動こうとされていない。これでは貴方は貴方に附いている神達のバラバラの思惑に貴男が動かされてしまいます。為には「精神統一」が必要です。】と言われましたが、

 

精神統一とは、自分の肉体に懸かる神霊達を統一させる

 

 当時の私はその霊が自分の前世とは思わずに、その家来衆たる霊が【親方(御館)】様と呼んでいたので、私も習ってその方を【御館(親方)】様と呼んでいました。私もスポイトの一滴の水に等しい魂ならば、その【おやかた様】の魂の大きさは私の魂の40×40×40で約6万4千倍ぐらいあります。私の肉体に入り切れる様な大きさの魂ではありません。

 

人の世に出た魂とは、実に小さき存在でしかない

 

 そうしたことはどの神社に行っても解るではありませんが、例えば伏見稲荷山の各神積に鎮座されている神霊の魂を拝見できれば、それは直径で2メートル位の大きな玉として見させられるはあるのです。それは【副守護神】と呼ばれる様な段階の方達ではなく、正守護神と同じ様な霊段階の方達がその任に就いておられるなのです。

 

 魂には【玉形の思惟(深く考える)】の玉と、【玉形の恣意(気まま、自分勝手)】な玉の2種類があります。思惟の玉と恣意の玉とではどう違うのかです。どちらもその肉体に懸かっている霊の【意識】下にあります。自分勝手な気ままの霊達をその肉体から【排除】して行けば、その人の意識は大きく変化して行きます。

 

自分勝手な意識霊を排除すれば、人はこの世で変われる

 

 この世は【魂の修行場】とか【魂の流刑地】とか【天人の苗床】とか言われておりますが、その最大の目的は【その人の魂の意識を変える】ことにあるのです。

 スピリチュアルの様に、この世は幸せになる為にあるのです等は修業の排斥であり、何をしても神の愛で赦されるのです等は、悔い改めることを妨害しているのです。本来のあるがままの意味も知らずに、あるがままの自分でいいのです。そうした論調ばかりをして、魂の意識を根本的に変化させるはありません。霊が見えることが偉いのだ!。でなく、逆に霊が見える事が災いとなっているのです。

 大金を出してスピリチュアルの講習会に行ったら、霊は見えるようになったが蛇霊を付けられていたなどの話は多々あります。スピリチュアルに走って何時の間にか【蛇女】になってしまった等の話もありますが、それも自分の肉体に入って来た蛇霊の【意識】が影響しているなのです。

 

低い霊ほど人の先がよく見え、高い霊は人に関心は無い

 

が、助けて欲しい霊達は霊媒体質者に助けてと憑依する  

 

 私の霊界修業のお世話をしていただいた豊受姫は隣市の稲荷神社の御祭神でしたが、本籍たる神社は九州にある某稲荷神社の御祭神でした。私が伏見稲荷大社講の支部に在籍している時、支部の御塚に支部の講員さんだけでなく、九州方面の方の鳥居の奉納が多く。どうして九州の人達がと首を傾げておりましたが、九州にその豊受姫の本拠たる稲荷神社があったからです。

 神名が同じだから同じ系譜の御神霊とは限りません。同じ神名を呼称していても、敵対する勢力の場合もあります。どの神社であっても神社が呼称する神名ではなく、実際に霊能力者が【霊査】をしないと解らないがあります。

 サニワ(審神)が何かとも解っていないスピリチュアル呼称では、そうした【霊査】が出来る能力が無いなのです。しかしながら、今はそれが出来るだけの霊能力者や行者がほとんど見当たらなくなったなのです。為に修行不足のスピリチュアルの横行です。誰も辛い修業をしてまで、神仏の世界に近づこうとはしないからです。大金を払って短時間のセミナー程度で、そうした長い辛い修業を積んだ者と肩を並べるなど出来ないのです。

 

いくら【米】を学んでも、蛇霊神の元に走れば「粟」なり

 

いくら霊が見えても、天の霊火の裁きに耐えられるかです

 

 やがて来る天の霊火の裁きにより、自分の魂に憑依していたような霊達は天の霊火に焼かれ、自分の中に天帝の分魂である【良心神】があるならば霊火にも耐えられ、自分が変わることになります。何故ならばその時にはその人は五次元界以上の【神人】だからです。

 

神人と成った魂達を迎えて、みろくの世は始まる

 

 

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