人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№68 天国に行く人、行かぬ人。天国界に行かぬ人の行動を知った方が解りやすい

宗教の世界では我が宗派の教えを信じれば天国(極楽)で、異教徒達は地獄に墜ちるが定番の教えとなっています。そこには【真理】に向かう姿勢が微塵(みじん)にも見られません。

世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!。】と残しておられますが、私は地獄界に墜ちている牧師達の霊は見てはいませんが、生前は行者や僧侶達の霊が地獄界に居ることは見て来ました。

キリスト教の牧師の場合、イエス一人が主の御子と信じる者は天国界で異教徒は地獄に墜ちるの一点張りですが、どこにイエスが主の一人御子だと言う【証拠】があるのですか?。なのです。イエスは【奇跡】を見せて人々を驚かせましたが、そこには【道理】その物が見られません。道理を突き詰めて行けば、疑問を抱くのが本当でしょう。

 

そこには宗教家の名の元に【真理】を説かなかったがあります。牧師であろうと僧侶であろうと、自分が勉学に入った宗教の教えから一歩も抜けきれないがあります。自分が入った宗教組織の教え以上のものを求めても、その宗教や宗派からは学び得ないからです。その為には他宗の教えも学ぶ姿勢が大切になります。すると、当然にその教えの【差異】から疑問が生じます。宗派の教えに拘ると自分が入信した宗教開祖を乗り越えるということは、至難の道であるからです。頭からイエス一人が主の御子などと信じてしまうと、その先がなくなります。自分自身の疑問を封鎖するになります。

 

旧約聖書の神と称する声は、【疑問】を持てと告げられた

(お釈迦様は人は何故に生まれるのだろうか?。何故に死ぬのだろうか?。そうした疑問から修業に入られたと言われています。お釈迦様が人の生死に何の疑問も持たれなかったならば、仏教は起こりえなかったと言えます。)

 

神に逢うては神を斬り。仏に逢うては仏を斬る。然る後、初めて極意を得ん。という言葉がありますが、神仏の世界。神や仏だと名乗って出て来た霊の言葉を頭から信じるでは【悟り】を得ることは難しいのです。

私は神仏の世界に関わっていて、【神仏とは良心を失った者達か?】の疑問から、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】に行き着いたなのです。それは神に逢えば神を斬り。仏に逢えば仏をも斬る。そこまでの【覚悟】を秘めたものなのです。その神霊の言葉を何一つ疑わないでは先に進めないなのです。ですから私は神も斬りますし、仏も斬ります。

 

スピリチュアル系など少しばかり霊が見える能力があると、なまじ霊が見える為に自分は選ばれた者だと勘違いしている方が大多数です。その霊が何者か?。何も疑わずに頭から信じ込んでいるです。

優秀な霊能力者達がそうした宗教開祖達の霊界での魂の次元格を調べていますが、とてもその様な高次元界には到達されていない人が一丁前にそうした宗教開祖より自分は偉いとか高い者式のことを言われていて、それを信じている人達も世には結構あります。そこに大本教の出口王仁三郎聖師はあることを言っておられます。

 

人は邪教が説く真理に狂うことを悟るべし

 

岡本天明師の日月神示に九分九厘は邪神だと書かれていますが、スピリチュアルなどは典型的な残りの【一厘】が無いと言えます。ほとんどの方は邪神が説く「真理」に欺されてしまうなのです。邪神達がすることは実に巧妙なのです。それに対抗する為には自分の魂の【次元格】を上げる必要があります。

その意味では、その人の魂の格が【何次元界】にあるのかを見た方がいいのですが、問題はそれが解る霊能力者はそれほど世には多くないことです。

そこに日本の新神道系の宗教からは【神人合一】が説かれており、その段階まで進んだ方は邪神が説く「真理」などに欺される等は無いとなります。それはスピリチュアルの【ハイヤーセルフ】では根本的な意味が解らないとなります。

 

キリストとは【真理】そのものであり、肉体人では無い

 

真理は【マリ】であり、丸い球を求めるのが【救(すくい)】

 

私は霊的には大本教開祖の【出口なお】師霊と【出口王仁三郎】聖師霊と覚しき霊に同時に出会っています。その時に出口なお師と覚しき霊から、【大本教はまな板の俎上の鯉。その鯉をどう料理するかが料理人の腕次第】と告げられて、大本教から出された神諭や霊界物語を料理して来ました。

 

大本教から出された【五月五日】に意味がありました

 

黄河を登る鯉は龍と化すのが【登龍門】で蛇では無い

 

私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は【私は神達に対して、そなたが本当は何者を解らせないようにしておく。そなたも本当の自分は誰であるかを知らない。霊界で働くの肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方である。もしもそなたの魂の身分が解ってしまうと、新しい世での栄達を願う者達がそなたの周りに集まってしまう。そうすると、そなたは人が好いのでそうした者達に毒されてしまう。肉体のそなたはバカを演じていればよい。されど、そなたの背後にはこの神が居ると解らぬ神は使い物にはならぬ神達である。】と言われたことから、自分は何者であろうとどうでもよいに徹しています。

 

ただ、肉体の私の魂が霊界の伊勢神宮に飛び、万体霊にも及ぶであろう絢爛豪華な神霊行列を見させられたり、鍾馗神の案内で何万もの兵士霊を従えた中国で天子とも創造神ともされる盤古大神に拝謁したりで、単に霊界に関わっているではないことは理解して来ました。

だが、私に旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのは小学生頃までであり、中学生頃からはそうした声は何も臨んで来なくなりました。人としてのあるべき基本だけを教えられて、後はこの世と関わる霊界の霊界見聞や修業の中で掴んだものと言えます。今の私に臨んで来る霊の声があるとすれば、それは今の世に出ておられる御神霊の声と思われます。

 

今の世に出ておられる神霊の言葉とは、100%の信頼はおけません。為に【参考】として伺っておくになります。世にどれほど優れた霊能者の方が居られても、そこから発せられる神霊の神示が当たる確率は75%程度が最高ではないかと言われています。霊界からの神示は50%当たっていれば合格点だとの説もあります。当たるも八卦。当たらぬも八卦の【易】と変わらないとされるわけです。神霊の言葉を100%正しいと信じ込むのは危ないのです。

しかし、大本教の出口王仁三郎聖師が出された予言の数々の的中は、世に神霊として鎮座されているどの神霊にも出来なかった内容であり、明らかに伊勢神宮とか出雲大社とか大神神社の祭神のレベルではなかったわけです。

 

私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この世に降りる神霊の言葉には嘘が織り交ぜてある。全てが正しい内容では無い。それはこの世は邪悪な勢力も強く。本当のことを知られてはならないからである。常にその神霊の神示は本当なのか?。嘘なのか吟味してあたれ。】と言われました。

大本教神諭に、この神が世に出ている神々を【誑かして使っている】がありますが、この世に出ている神霊の多くが高次元霊界から降りて来る内容が本当なのか。嘘なのか把握出来ていない面があるとは言えるでしょう。

 

単に霊が見えるで霊の言葉を信じると、自分が踊らされる

 

最近、どなたかは解りかねましたが、ある事を告げて来られました。

 

今の世に【誠】の者は、万人に一人程度しか居ない

 

この【誠】の者とは、この世に肉体を持った状態で【天国天人界】に入る資格を有した者の意味です。死後は即座に【天国天人界】入りです。日本の新神道系で言うところの【神人合一】に入られた方の数でしょう。また、大本教霊界物語の中にある神一筋の【少途川】を渡った方の数でしょう。

たったそれしか【天国天人界】に行けないのかとなりますが、それはこの世に生きている肉体で死後即座にと言う意味であり、一度、三途の川を経由して中有界に入り、中有界から第三天国界に行く人の方が遙かに数は多いとは言えるでしょう。その即座の天国界とは第二天国界以上の意味かも知れません。

スピリチュアルで語る天国界とは霊界の【中有界】の上級界を見て、それを天国界だと思っている節があります。本当の天国界と中有界上階との差異は、【輪廻転生】で生まれ変わる期間の違いとも言えます。霊学の分野では今日では天国界は第一天国界。第二天国界。第三天国界の三階層があると知られています。単に人は死ねば天国はあり得ないなのです。

 

第三天国界から第二天国界に進みたければ、一度この世に出て来る必要があります。第三天国界から第二天国界に直接に上がる道が無いのです。第二天国界から第一天国界に進みたければ、それもこの世に出て来る必要があります。それは天国界の住人にとっては【両刃の剣】ともなります。上級階の天国界を目指してこの世に降りたまではいいが、道を誤って地獄界に墜ちる危険性を伴っているからです。

それは天使と呼ばれる存在も第三天国界の天使は第二天国界のことを何も知らないが解っています。霊界は霊層で完全に隔離されているなのです。こうしたことは【天使の記章】という言葉で言われており、 いくら天使と称して来てもその記章である【階級】を見よと言う事です。この階級とはおおまかに言えば【次元格】です。スピリチュアルで出て来る天使と称する霊に本物の天使などは居ないと思っていた方がいいのです。そのほとんどが蛇霊等が化けた天使の姿だからです。

第二天国界とか第三天国界に在籍している天使職の者が、どうしてわざわざ人間世界に下りて来るのか?。霊界での仕事があるのにわざわざ人間界に降りては来ないだろうにとなるわけです。それも大宗教家と成るほどの素質を持たない霊感者程度に対してです。もしもそれが本当に天国界の天使であれば、そうした天使と称する霊は人を見る目が無い者かとなります。

 

中有界に居れば、またもやこの世に人として出て来る

 

その中有界における期間は、個々の霊によって期間が違うことは解っていますが、早ければ即座にこの世に戻ったも報告されています。そんなに長々と中有界には居ないということです。そこに霊能者サイドでは先祖供養は五代前程度でよいとする説もあります。

その中有界から天国界に進む道もあるにはありますが、その道は宗教の世界では説かれていないと言えるでしょう。その道を知る方はスピリチュアル標榜者では無く、霊能力者と言えるでしょう。一種の霊的ゲート(門)が存在していることから、そのゲートを通れるか通れないかが決め手になると言えるでしょう。

 

中有界は魂に汚れがあり、汚れを取らないと天国は無理

 

私に出た【誠の者は万人の一人】の率とは、あるブログ主が今の世は天国界に入る人は【0.0001】%と述べておられますが、私と同様に即座に天国界行きは万人に一人の率を言われているともなります。

 

何故に人類は死後即座に天国界に入る数が激減したのか?。

日本人で見るならば【道徳】の喪失が原因と言えます

 

今は死ねば天国と言える方は珍しいとなりますので、天国には行けない人の行為行動を列挙した方が解りやすいとなります。そうしたことはスピリチュアルでも【自己中】とか【自己本位】の者は天国には行けないと説いてはいるのですが、その一方で【神は愛だから、何をしても赦される】などの相反する言動を繰り返しているので、スピリチュアル標榜者の言動は信用が出来ないとなります。

また宗教に所属して信仰熱心はいいのですが、そうした霊的事実が何も書かれていない宗教の教えに固執して、頭の中の宗教学の知識だけを振り回して来る人も手に負えない人と言えます。

ある時、私はインターネット上で一人の方と論争になりました。私に挑んで来られた方は仏教の【禅問答】的なことばかりです。その方の前世は仏教で優秀な【学僧】だったと見えて来ました。だが【禅問答】などいくらやっていても【真理】等に到達するなど不可能なのです。もしもそうした禅問答で本当の【悟り】を得ていれば、お釈迦さまの様にこの世には降りて来られないでしょう。

 

お釈迦様の教えとされる逸話に【蛇に成った長者】の話があるのですが、人が死後にそうした蛇霊等に【転生】した等は【禅問答】をしていても理解すら出来るではないのです。だが霊能者は死後にその方が蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等に転生する姿を見るのです。魂が腐ったり捻れていて破砕されれば【昆虫】等に見えて来ます。霊能者は【輪廻転生】の実態を見て語ってはいるのです。

 

死後にそうした世界に行かない為の教えは既存の宗教界にもあります。例えば仏教では【貪・瞋・痴(とん・じん・ち)】を説きます。貪は自分が好むものをむさぼり求める。瞋は自分が嫌いなものを憎み嫌悪をする。痴は知ることをしないで物事の判断を下さない。迷いと愚痴です。スピリチュアルの何をしてもいいとは違います。

なのに御経で信徒に【貪・瞋・痴】を唱えさせておきながら、その内容を信徒に詳しく説明もせずに、御経を上げれば極楽に往生等と相反することを説いているなのです。僧侶の本分、説法を忘れているです。為に前のブログに書いている様な、坊さんに御経を唱えて貰えば自分は極楽に往生だと考える人も出ます。それでは【悔い改め】が出来ないのです。

何故に仏教で【貪・瞋・痴】が説かれて来たのか?。そうした要素を持っていれば極楽(天国)に往生など出来ないからです。御経を唱えるではなくて、その内容を信徒に教えて実行させるべきなのです。

 

貪(自己中・自己本位)では、天国界に行けない

 

自己本位・自己中の世になると【道徳】が消えます

 

日本では日本から【道徳】が消えたことから、【道徳教育】の復活が言われて来ました。道徳教育が消えた象徴として、昔はどの小学校にもあった【二宮尊徳(金次郎)】像が消えたことからも解ります。昔の先生達はその二宮金次郎を【模範】にしなさいと教えたものなのです。だが、今はほとんどの小学校の庭から二宮金次郎の銅像は消えています。その消えた理由は実にくだらないものでした。それを言うならば、今の【スマホ歩き】の方が遙かに危ないなのです。

日本人から道徳教育を消したのは【日教組】であると言われていますが、日教組が【道徳と軍国主義】を結びつける愚挙を犯したのは確かと言えるでしょう。道徳と軍国主義は元来は別物です。

戦前の日本の軍部は国家神道と昭和天皇の名の元に大暴走をしましたが、自国民を大虐殺したわけではありません。自国民大虐殺で言えば毛沢東。スターリン。ポルポト。金日成の名が上がります。ほとんどが共産主義者です。そうした独裁者の背後には何が居たのか?。霊世界を知らないで論議しても不毛の論議と言えます。

 

 

世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郞聖師は人の名と神の働きが繋がっていると指摘されましたが、

人の【氏名】を以て神の【使命】を果たす者を【指名】する

 

二宮尊徳の姓名に、神(言葉)の働きの【尊徳】が示される

 

二宮尊徳(たかのり)公の本名は二宮金次郎ですが、通称は【尊徳(そんとく)】さんで知られます。この二宮尊徳公の思想とは【報徳思想】と呼ばれ、日本神道と仏教と儒学の良い教えを融合させて農業の実践において貧しい農民に豊かさを求めるものでした。

 

報徳思想は、神道仏道儒学のエッセンスで宗教では無い

 

過去の日本人の道徳の概念は【徳を以て報われる】でした

 

この世で【良いこと】をすれば、死後で【報徳】を受ける

 

漢字の徳とは【悳】であり、真っ直ぐな心(天帝の分魂)

 

私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでおり、その声は私に【そなたは何故にこの私がこの世の幕引きをするのか、その理由を知りなさい。】と告げられました。大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれて来ましたが。今は死後に天国界に進める様な方は僅かとなりました。天人の苗床としての機能を失った。

されど天国界は無理としても【中有界】には行けます。しかしその【中有界】にはやがて天帝から新しい世に入る為の【火の裁き(天の岩戸開け)】が入ります。その火の裁きによって汚れた魂は光の火に焼かれるが起きますが、軽度の魂の汚れであれば一時の苦しみで通過は出来るでしょう。

 

予言教団である大本教はその時の光景を予言しています。その時、光輝く人達と、苦しみのあまりに自分のはらわたをえぐってくれとのたうち回る【腹黒い人】です。それは人の腹が【高天ヶ原】の原の型だからです。私は霊媒体質者なので、これまで汚れた多くの霊。龍神であろうと稲荷神であろうと、自分の【腹】を使って浄霊して来たことからも言葉の意味は解ります。

 

自己の魂を汚すは、自己のはらわた(心根)を腐らせる

 

私は魂が腐った人や魂が捻れている人達を見て来ました。スピリチュアルに走って、いくら自分には霊が見えるとか霊と会話が出来る言っても、それらの霊は四次元界と言われる低級霊が主体で、やがて天による火の裁きの時には大掃除対象の霊達なのです。

 

スピリチュアルと違って優れた霊能者の方達は、神霊を指して蛇や狐や狸や猫霊と言います。私の最初の師匠は豊受姫のお代で実践霊能者としては当時の日本の10本指に入ると言われていました。その師匠は自分の著本に【自分は神様は蛇や狐だと思っています。】と堂々と書いています。当然、それは豊受姫がその師匠に命じて書かせた内容で、神界の暴露本とも言えます。

私はある霊能者から【貴男の魂は高次元界の方で、教えをされる為に低次元界のこの地球に降りて来られた。この地球の神霊は蛇霊や狐霊がほとんどで、高次元界の貴男には低次元界の霊界があまり見えない。霊能者としては失格です。貴男に代わって蛇霊や狐霊と関われる人を貴男の横に置かないと、貴男のこの世での活動は無理です。】と言われてしまいました。

確かに、この世に関わっている神霊界とは【蛇や狐】と呼ばれている神々が主体です。死後に自分が蛇や狐と呼ばれる神界に進める道はありますが、私が説いている【天国天人界】とはそれは別の世界と言えます。

 

では、天国天人界には行けない行動とは

 

◎この世での【刹那心】に溺れる。

 

私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、常に私に【刹那心に溺れるな。刹那心を持つと、自分の魂を腐らせたり潰す。】告げて来られました。刹那心の【刹】と殺人の【殺】には左側に共通の字が入ります。すなわち、刹那とは自己の魂を自分で殺すとなります。【刹那】とは【短い時間】のことで、この世の時間です。【刹那的】とは、今のことしか考えていない人の様です。

今の時がよければそれでよしとするのが【刹那】で、魂的には未来への道を閉ざすのです。すなわち天国界には行かぬ人達です。

 

 

◎仏教でもキリスト教でも、【人を殺すな】と説きます。  

 

キリスト教では【モーゼの十戒】を語りますが、人を殺してはいけない。人の物を盗んではいけない。姦淫してはいけない等は仏教も説きます。日本では某俳優さんが【不倫は文化】だと言ったとか言わなかったがありましたが、不倫は道徳に反すると思わない人も天国界は難しくなるのは確かなのです。  

ただ、国と国との戦争などに入りますと、敵を殺さないと自分が殺される。そうした時は人を殺してはならないの律法は作用しないなのです。防衛権(自衛権)です。それはイスラム教を見ればジハード(聖戦)の名を持って戦って来た事実が存在するからです。そこにあるのは【公私】の問題であり、【私事】における殺人は神の罰を受けることになるのです。

 

 

◎仏教ではこの世での出来事に【執着や未練】を持つなと説いた 。 

 

スピリチュアルと違い霊能者であれば、この世で「執着や未練」を持つと【蛇霊化】すると説きます。人が死後に蛇霊化する内容は大本教霊界物語等にも出て来ますが、仏教でも過去から説かれて来たことです。 

人が死後に蛇霊化する因としては、金の亡者。権力の亡者。過度の恨み執着心。色情の持ち主など多様に言われるのです。

 

 

◎金運を求めて蛇霊を神として信仰する 。 

 

イエスの教えに【金持ちが天国に渡るのは、針の穴にラクダを通すようなものだ。】があります。天後に行けない金持ちの霊はどこに行くのか?。そのほとんどが蛇霊化をします。

あるスピリチュアル系のブログ主が【金運アップ】として某神社を言われていますが、その神社の祭神は霊能者の間では膨大な黒蛇霊を引き連れた大黒龍神として知られており、その神社のお札に載って黒蛇霊が家庭に来ることが知られています。確かに数だけで言えば膨大な数が存在していて、絶対不滅の存在の様に見えます。 で、信仰される方も多い。 

古来より、金運を得る為に蛇の脱皮を財布に入れる。蛇皮の様な財布を持つなど【蛇に金】はつきもので、その人が黒蛇霊等に金運を求めるのはその人の自由なのですが、その【代償】も高くつくなのです。当然に天国界への道は遠くになるなのです。

 

聖書に人類の原罪として蛇霊の唆しがありますが、自分が霊界に関わっていればこの話は「納得」出来る話です。それはある意味、蛇霊達が【主の御引退】を引き起こした要因でもあるからです。

 

 

◎自己本位・自己中の人 。 

 

明治25年に丹波の片田舎綾部で発祥した大本教の神諭は、【我れよし】は行けないと一貫した忠告をして来ましたが、そうした我れよし。自己中・自己本位の人は望んでも天国界には行けません。

 

その自己本位・自己中と言ってもいろんな種類があります。

 

○誰でも解るのが【暴力的な行為】をする方。

 

 常に人を怒鳴ったり。自分より弱い立場の者に暴力を振るう。人を虐めることを喜びとする人。酒を飲んでは暴力を振るうなどは論外と言えます。

 

○最近、多い高速道路通行等に見られる【あおり運転】する人。  

 

 こうした方は激情型のタイプで【理性】が働いていないので、天国界には行けません。

 

○目の前に助けを求める人が居ても見捨てて行く人。  

 

 それに関してはイエスの教えに【サマリア人】の話があります。また、金光教の開祖の話にも神様に奉納しょうした信徒の【西瓜(スイカ)】の話があります。

 

○自己利益の為には人を平気で裏切る【卑怯者】。  

 

 卑怯者とは、もう既に神の心が去った卑屈な者で地獄界を目指す。この世での金や地位を求めすぎて、死後の世界での恐ろしさを知らない。良心そのものが消えているわけです。

 

 最近はSNSの世界では匿名でよいことを利用して、それが事実であるかどうかを確かめもせずに、ネット上で人を【誹謗】をして嘘を拡散させる人達がいます。この手の方は【卑怯者の典型】で、神がもっとも嫌う人達で、中有界でなく魂の破砕や地獄界にと向かいます。確たる証拠も無いのに世に【陰謀論】を広め説く人達もそうした存在になります。

 

○公共の道路に平然とゴミを捨てて行く者。  

 

 最近は道路の端を見ますと、食べ物の袋や容器。空き缶・空き飲料ボトル、莨(たばこ)の吸い殻がらが捨てられています。私はヘビースモーカーで携帯灰皿を持って歩いていますが、携帯灰皿を忘れた時などは莨(たばこ)の吸い殻を自分の服のポケットに入れて持ち帰ります。自分の服は掃除したり洗えば済むことだからです。そうしたことが出来ない心が問題なのです。

 

 たばこ【莨】の漢字は良い草で、?となります。莨(たばこ)に関しては今や悪物扱いされていますが霊世界とは深い関わりがあり、憑依霊を落ち着かせる働きがあります。こうしたことは大本教神諭や霊界物語には書かれていて、大本教神諭には今の莨(たばこ)には毒があるので新しい世には毒が無い莨(たばこ)を授けるとあります。

 莨(たばこ)の煙には邪霊を祓う側面もあるからです。毒をもって毒を制する。と言って、毒が含まれる物質を無理に吸う必要はありません。肉体の健康だけを言うのであれば、禁煙に向かうのは必定と言えます。ただ私の様に霊憑依体質だと、たばこに手が出るなのです。

 

 私を汚しても罪にはならないが、公を汚すと罪になる。

 

 

○愛犬家と称していながら、犬の糞を始末しない人。 

 

 最近、高速道路のSAに立ち寄ったところ、自分がよく見ていなかったこともあり大きな犬の糞を踏んでしまったがあります。そうした多くの人が立ち寄る高速道路のSAのみならず、道路で自分の飼い犬の糞の始末をしない人なども天国界に進むこことはありません。本当の愛犬家ならば、キチンと自分の飼い犬の糞の始末をするものです。

 スピリチュアルなどが、愛と言う言葉の意味をはき違えて、理解しないで愛を言うのと同じことで愛犬家と言っているだけなのです。犬には何の罪もありませんが、犬を飼っている人はその罪が問われます。

 

 

○スマホ中毒に陥っている人。  

 

 最近の人が天国界に行けなくなった最大の要因は、スマホばかりを見ている【中毒】に犯されてしまったからと言えます。私はスマホが登場して来た時、これは非常に便利な道具だが、人々が天国界に進む道を奪うことに気づきました。PC(パーソナルコンピュータ)にも同様のことは言えることですが、PCであれば机上の上にある時だけで中毒的にはなりませんが、スマホ中毒になると手元からスマホが外せないとなります。

 ひどい中毒症状になると、歩きながらスマホを見ている。自転車に乗りながらスマホを見ている。為に車とぶつかりそうになる。ぶつかって事故を起こす。ひどい人だと車を運転しながらスマホを見ているのが外部からでも見えます。自分の利便性を優先して、事故を起こす可能性を軽んじているとなります。それは事故を起こしてからでは遅いのです。そうした事故の予見をしていないことが、そもそも天国天人には相応しく無いなのです。

 

 スマホばかりを見ていると天国界に進む為の行為行動点の数が稼げないとなります。人の人生など長いようで短いのです。自分がスマホ中毒に嵌まっていれば天国界は諦めた方がいいでしょう。 今の世に天国界に行ける人が減ったは、ある意味納得出来るなのです。

 

 

天国界に行く行かないは、自分の行為行動の結果

宗教とはその為の勉学をさせるで、人の胸(六根)に宿る存在を教える。ですから【宗(胸)】の教え。

 

こうして天国天人界に行けない行為行動を列挙しますと、どうしてイエス一人を主の御子だと信じていれば天国なのだ。南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に往生だ。そうしたことに【疑問】を持つでしょう。

西洋で【唯一神】信仰なので、牧師には蛇霊や狐霊の神の存在は解りません。だが日本は多神教で八百万の神達。天狗や龍神達。そうした神霊達の姿を見て行きますと、お釈迦様の悟りであった【人には良心と呼ばれる神が内在する】がよく解るわけです。

 

それを【五十六億七千万】の数字をもって紐解かせるのが大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】。いったい誰がこんな仕組をされたのでしょうか?。

私はお釈迦様の死後【五十六億七千万】年後に現れる【みろく菩薩】の五十六億七千万の数字は、いったいどこから来たのかと首を傾げておりましたが、まさか大本教神諭予告【九つ花】で解き明かす仕組とは思ってもいませんでした。道理で大本教から【みろく神】が説かれたわけです。この仕組。蛇や狐の神でないことは確かです。また、日本の神社に祭神として鎮まっている神霊段階でもとても無理だと言えます。

 

ただ、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。】と告げられたなのです。

 

日本の国に常に立つ御言(日本語)を【国常立尊】と奉る

 

 

 

 

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