ある時、私が職場の休憩時間に休息室に入ると、二人の同僚がテレビを見ていました。男性と女性の二人です。そこに写し出されていた番組を見ると霊能者が出ている「超常番組」です。その二人の同僚はテレビ番組を見ながら会話をしています。二人は霊能者などはインチキ者だ。霊等見えるはずがない。もし霊が見えるのであれば、まず先にお坊さんが見るはずだ。そのお坊さんに霊は見えないのに霊が見える等と嘘を言っている。
確かに霊能者と称していてもインチキ霊能者は居ます。某宗教団体はニセ霊能者を使って高額な壺や印鑑とか絵画を売りつけるをしていました。その宗教開祖は自分の前世はイエスと称されていましたが、それ自体がインチキだと言えます。いくら自分の前世は釈尊だとかイエスと称しても、それを証拠立てるなどは出来ないわけです。名乗った時点でインチキとなるのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【自分の過去世は誰であったなど言ってはならない。今の自分は過去の自分も含めての自分であり、今生の名をもって物事は為すべし。】と告げられています。
男性は自分は死んだらお坊さんに御経を唱えて貰って極楽に往生だ!。女性は死後の安寧の為にお坊さんにお中元の品物を贈らないといけない等と言っています。霊的世界に疎い方であれば、普通の考え方とも言えます。
私はその二人の会話を聞いていて噴き出しそうになるのを堪えていました。何が極楽に往生だです。その男性の方の行動はどう考えても地獄落ちと言える酷いものだったからです。
するとその男性の魂の点数が出て来ました。男性の方は魂はそんなに汚れてはいないのですが、魂は捻れて歪(いびつ)な魂で点数が35点と出て来ます。その点数ならばかろうじて中有界の一番下で地獄行きをなんとか免れているなのですが、魂が既に歪んで変形しているので死後はその魂は破砕される可能性が強いと言えます。来世は人間界でなく昆虫等の生命体に転生も考えられます。
この男性は周囲に対する面倒見はよくて、気のいいところは多々あるのですが言葉が粗野で暴力的で、その男性の言う事を聞かないと暴力を振るいます。常に自分が正しいの独断です。職場の上司で注意して陰で殴られた者もいました。そうした上司達はその男性とは違って数年で職場を異動するので、その間は皆我慢です。皆、陰で悪口を言っているです。その魂が35点は私の予想よりは少し良いと言えました。
だが職場の上司たる責任者の中には、その暴力性を利用して、どうにもならない職員を押さえ込む為に利用するがありました。その男性がどうにもならない職員を呼び出してボコボコにしてしまうです。今だと考えられないことがまかり通っていたのです。今ならそうした暴力を振るえば懲戒免職は免れません。上司の黙認ですから、自分は上司から信頼されている者と間違った認識をしていました。
この男性が間違ったのは、組織にも責任があります
それは私が勤めていた職場の組織そのものが既に腐っていたなのです。トップが交代してからは職場は悪い方向に行ったのです。私が勤めていた職場だけで無く、多くの組織や会社は既に腐っていて、この世のシステムを変えない限り変革などは出来ない状態に陥っています。この世を見渡せば、システム的にはモウ限界と言えるでしょう。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私は一度この世の幕を降ろして、そして永遠に嬉し嬉しの世に致す。】と告げられました。だが、どうして今の世の幕を降ろすのか意味が解りませんでしたが、私はモウ世がここまで来た以上は【立替】は必然的と見ています。ただ解らないのは立替が実施される時期です。
幾多の霊能者の方が立替が遅すぎる。どんどん世の中が悪化していると言われますが、それは私も感じます。国常立尊様に本当に世を立替る気があるのならば、もっと早い段階で行っていれば助けられる魂がたくさんあっただろうにです。だがそうしたことはこの世に肉体を持っている者の考え方で、国常立尊様の深い考えなど解るはずも無しです。
一方、女性の魂は丸いのですが汚れで黒くなっていました。その女性の魂の点数は30点と出ます。この女性は職場では誰もが良い人だで通っています。人当たりもよく、他人にも親切なのです。この人を悪く言う人など世間に一人もいません。皆が皆、口を揃えてあの人は【善人】だと言います。私にはその女性の魂の点数が暴力を振るっている男性よりも低い点数として出たことに正直驚きを感じ得ませんでした。何故?。です。
だが、その理由は解って来ました。その女性はその男性がする【悪】に乗って、自分が甘い汁を吸っていたのです。為に魂は汚れて黒いのですが、その性格は穏やかで親切なので丸いままなのです。
その女性は転勤が無い職種で、その言い訳として、自分はその男性と同じ職場でその男性が退職する日までずっと勤めなければならない。いくらその男性のことを上司に訴えても誰も注意してくれない。そんな職場ならばその男性の尻馬に乗って、その男性がする悪行に自分も乗るをされていたのです。
その方の行為は、その人に【良心】があれば絶対にしない行為と言えます。つまりその方は表面は善人で疑う余地は無いのですが、【良心神】は育っていなかったのです。
悪をするにしても隠さない悪と、隠れてする悪がある
閻魔大王が嫌うのは、自分は善人ですでする悪の行為
私はその後、幾人かの霊能力者の方達から魂に出る点数は【良心】の点数で、最後の審判後に行く世界を決める点数だと聞かされて、なるほどと解って来たなのです。
これまでは【輪廻転生】で霊界での次元を上げることが出来ました。だが最後の審判が行われると、その時点の良心神の点数が【永遠に魂世界での点数】になってしまいます。為に早くから世の【立替】の宣伝がなされて来ているなのです。
輪廻転生の終了は、その魂の地位が永遠に固定される
艮金神【国常立尊】と【みろく大神】を世に説き、世の立替を宣伝して来たのは大本教です。大本教の出口王仁三郎聖師は信徒から、世の【立替の時期】は何時ですかと尋ねられると、そう簡単には行かないと答えられています。世の立替の宣伝はしても、詳しいことは出口王仁三郎聖師をもってしても解らないなのです。
立替立替と口では簡単に言えますが、実際はかなり困難と言えます。これまでの間違ったシステムを根本的に変えないと出来ないからです。私は日本の神社の神々を見て来ましたが、そんなことが出来る御神霊などどこにも見当たりません。この世のシステムを変える以上、あらゆる予測が出来る御神霊でないと不可能と言えるでしょう。
大本教の出口王仁三郎聖師は【世紀の大予言者】でした。その予言の数々は当たりました。通常の霊能者が言う予言とは桁外れの大予言をされて、それが実際に起きたわけです。それは当時の大本教の背後にはそれなりの神の働きがあったと言えます。
私は言葉の仕組を見て、この神はそれが出来ると感じた
大本教の出口王仁三郎聖師が世に出られて【救世主】と称された後、巷には自分こそは本物だと言う自称救世主と名乗る人が排出しています。そうした自称救世主の何人かの魂とか次元格を見て来ましたが、霊界での次元格も低ければ【魂の点数】も低いではないかとなります。そうした自称救世主の信徒さん達を見ていると、頭の額に白の三角頭巾が見えています。それはその自称者救世主のの信徒さん達は死後に【亡者(地獄界)】道に案内されるです。私もその時まで、額に白の三角頭巾の生き霊達を見たことがありませんでした。
良心神を知らない自称救世主に案内されて行く亡者の道
奇跡をいくら見せられても、良心神は奇跡を起こさない
なまじ自分に霊力があると【奇跡】の重要視に入ります。奇跡を見せることが救世主としての証だ!。そうした奇跡を見せる者に惑わさる人は【奇魂(くしみたま)】の働きが非常に弱いことが解ります。
証とは、【言葉で正しく】示すなのですが勘違いする
人の【輪廻転生】とは、今生きている自分が来世も今の姿形で生まれ変わることではありません。またもや赤子としてオギャーと誕生して来るです。その時、神の【恩寵】により自己の魂の過去世の記憶は消されます。自分の容姿も変わり。両親も同じとは限らず。生まれ出る社会も環境も違います。ある意味、【一から出直し】をするようなものです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から言われました。【人は死んで生まれての繰り返し。前世のそなたと今世のそなたとは親も違えば兄弟も違う。姿や形も違う。生まれ出る地域も住む時代も違う。同じなのはそなたの心(魂)。今のそなたの心は前世のそなたの心と同じものなり。自分の心(魂)だけは代えられないものである。】と告げられました。確かに人は幾度生まれ変わっても【気づき】が無いと中々自分を変えられるものではないのです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【そなたの欠点はお人好しで、人の魂胆を疑うことを知らなかった。】と告げられましたが、なかなか直せないがあります。
人が生きる過程において一番大切なことは【自己の魂】
ところがこの世に降りて来ると、降りて来る前の予想とは違う出来事が起こります。スピリチュアルでは【人は自分で計画して生まれて来る】が大多数の論調ですが、自分一人勝手な計画を立てても、他の人の計画とぶつかるのです。すると自分の【計画が挫折】する。この世は自分の思うようにはならないとなるのです。
それがスピリチュアルではない霊能者が言うところの【この世は魂の修行場】ですが、そこで魂が捻れる(今の心の挫折)や、自己の魂を汚すとなります。
魂が捻れると、早い段階で無いと元の丸い玉には戻せない
魂が汚れていても丸ければ、魂の汚れは天の業火で取れる
この天が各自の魂の汚れを取る(焼く)ことが、日本神話における【天の岩戸開け】のことであり。西洋で説かれた最後の審判時の【煉獄の火】で魂の汚れを焼く火のことですが、最後の審判は【火の裁きの意味】の解釈が違っていたなのです。それは天の【罰】の側面はありますが、魂を救うにもなるのです。
天の岩戸の【火】とは、最後の審判で魂の汚れを焼く光
その【火の裁き】で焼かれても耐えると魂は浄化される
私はその【天の岩戸の火と呼ばれる光】を見た時、この光に耐えられる様な人はお釈迦様の様な人だけと感じました。で、お釈迦様は何を悟られたのだろうか?。仏教ではお釈迦様の悟りは【慈悲】だとなっていましたが、イエスが説いた【愛】ではない。【愛と慈悲】ではさほど変わりません。お釈迦様は【慈悲】だという様なことを悟られたのでは無いはずなのです。為にお釈迦様は何を悟られたのだろうかと駆けずり回りました。
そして、お釈迦様が本当に悟られたのは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する】であったことを知ったなのです。
仮にお釈迦様の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する】であったとしても、それを人々、多くの大衆と呼ばれる人達が理解出来るかとなった時、非常に難しいと解ります。お釈迦様の教えは大乗ではなくて小乗だとされて来ました。それは自分だけが助かればそれで良いのか。そこに大乗と言う教えが起き、お釈迦様の本来の悟りは埋没したと言えるでしょう。良心神とは間違いなく小乗の教えであり。大乗の前では埋没します。人は誰しも【安易な道】を選ぶからです。
キリスト教はイエス一人を主の御子と信じれば天国だ!。日本の仏教では【南無妙法蓮華経】や【南無阿弥陀仏】と唱えれば極楽に往生だ!。それが事実であれば、皆、そちらの道に行きます。誰もそれを疑わなかった。あまりにも不思議なことだったと言えます。
しかし、大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】を紐解くと、そこに【みろく】と【五十六億七千万】を持って、お釈迦様の悟りが紐解ける様になっていました。いったい誰が日本における言葉の仕組と言えども、こんな仕組を創り上げたのか!。私には驚き意外の何物でもありませんでした。
人は誰しも【人には良心の呵責】があるとは解っている
だが、良心の呵責がある人と良心の呵責の無い人がある
スピリチュアル標榜者の中には【良心の呵責は重たいから、良心など捨てましょう】と公然に言ってる人達がいます。スピリチュアル標榜者に【良心神】など言っても何一つ理解しません。無駄骨と言えます。
スピリチュアルと違って霊能者と呼ばれる人達の中には、今の世に天国界に入る人は僅かだと言う方達があります。私は天国界に渡る人は今では【万人に一人】程度と聞かされています。では、ほとんどの人は死後の世界でどこに行っているのかとなると【中有界】となります。
中有界でもその上階であれば天国に似た世界とは言えます。だが天国界と違うのは【輪廻転生】を免れないなのです。その【輪廻転生】の制度が終わるとなれば、由々しきことと言えます。死後に中有界に行くということは【良心神の点数が低い】なのですが、それはその魂に【汚れ】があるからです。
魂の汚れを業火で焼けば、必然的に人の魂の点数は上がります。この【火の浄化】とは、日本では【天の岩戸開け】ですが、 何故それが【最後の審判】なのか?。
永遠(∞)の第八の世に入る。為に【輪廻転生が終わる】
最後の審判=輪廻の終わり=みろくの世=第八の世(∞)
キリスト教では【最後の審判】が語られ、イエス一人を主の御子と信じる者達は天国界で、そうでない異教徒達は地獄に墜ちるとしています。その時、キリスト教徒はイエスの名をいくら呼んでも、何の助けにもなりません。イエスは元々旧約聖書に存在する【主の一人御子】ではなかったからです。
イスラム教の開祖であるマホメットは【イエスは尊敬されるべき大預言者】と言ったように【大預言者の一人】と言えますが、キリスト教徒達が信じる【救世主】でも旧約聖書の神の一人御子ではなかったのです。
王仁三郎聖師、反イエスの【六六六】をみろく神とした
大本教の出口王仁三郎聖師は【霊界物語】の中で、みろく大神を【六六六】とされました。それを見た人達は、それはヨハネの黙示録の中にある【悪魔の印】ではないか。どうして、みろく神をキリスト教で悪魔の印とされる【666】で世に出したのか?。それではみろく大神は、まるで【反イエス】ではないかです。その意味を疑われました。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分はイエスと比較して何一つ劣ってはいないと述べられたとされますが、優秀な霊能者の認定は出口王仁三郎聖師とイエスは同格だと言われています。大本教の出口王仁三郎聖師は最初の頃、自分を【救世主】と称しておられましたが、救世主の看板を降ろされて【聖師】の名に変えられたがあります。
自分は救世主と名乗っても、人類を助ける道など無い
大本教の出口王仁三郎聖師は人の身で、自分が【救世主】などと名乗るのは愚かなことだと気づかれたのでしょう。人の魂が持つ魂の汚れを取るには、日本神話の【天岩戸開け】をしなければならないのです。
私は大本教神諭予告に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】があったが故に、ここまで紐解くことが出来たと言えます。それが無い状態で【人に内在する良心神】など、とても出せるものではありませんでした。
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