私は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】の紐解きから、大本教の出口王仁三郎聖師が世に出された【素戔嗚尊のス神】論では無く、本当の【天照皇大御神のラ神】論を説いています。私が本当の天照皇大御神と言う意味は、【ラ神】とは伊勢神宮に鎮座されている御神霊のことではなく、私達の魂の【核】とて存在して来る創造神(天帝)からの分魂のことだからです。それは人の【良心】を司るので【良心神】として説明させて貰っています。
それ自体は今日迄の日本神道の世界では【一霊四魂】説で、その一霊を【直霊】と呼び。天帝の分魂であり人の魂の【良心】の働きを司っているとはされていました。
私が良心神を説くと、よく言われることに【別に貴男に良心など教えて貰わなくても知っている】と言われることです。
確かに、人々は【良心】と呼ばれる言葉は知っている
しかし、それが人の魂の【核】であり、天帝の分魂であるということはほとんどの人は知らなかったなのです。聖書の【神は汝と共にあり】は知られていますが、キリスト教ではそれはイエスと一緒のことだと勘違いしてしまいました。ただ、イエスもモーゼも【41】の数霊に動かされた。大本教ではそれを【みのか尾張の女子】にして高山に走る国道【41】号線の数霊を秘めた。
お釈迦様の本当の悟りは【人には良心と言う神が内在する】だったのですが、その教えが大乗仏教の教えで埋没していたことから知られていなかったとなります。ましてそれが【輪廻転生】を起こさせる最大の基本であることも知られていなかったなのです。
大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、今の世が【第七の世】で五十六億七千万の【369(みろく)】を出せます。まさにお釈迦様の悟りを世に出すなのです。しかしそれには【言霊】の理解が必要なので、それを理解することは誰しも難しいがあったなのです。
スピリチュアル標榜者からは【良心は呵責が重いので捨てましょう。】が出て来ますが、言われる通り良心の呵責とは重たいのです。後の世まで引きずって来るからです。ところが、そこに【何故?】が存在していませんでした。
人には良心の呵責がある故に生まれ変わる【因】となる
人が罪を犯す要因として一霊四魂の【荒魂(あらみたま)】があります。人はカッとなると我れを忘れて【激情】に走って【罪を犯し】ます。
人が誤って犯した【激情】が後世の自分の【劇場】となる
人がこの世で劇を演じる【劇と演】には【虎・寅】が入る
大本教の出口王仁三郎聖師から【一霊四魂】の説明図が出されました。それ自体はそれ以前の日本神道の世界では一部の方には知られていましたが、より詳しい説明が大本教を通じて世に出されたなのです。特に【五情】の説明は秀逸だったと言えます。魂には【情】が関わるからです。
ただし、大本教では天帝の直霊を【良心神】とはせずに日本神道の【伊都能売】神を持って来たのは、出口王仁三郎聖師が【素戔嗚尊】で【ス神論】を演じた関係上かと思われます。
ス神論では無く、ラ神論を出すと真性【天照皇大御神】を世に出すことになり、それでは当時の国家神道たる伊勢神宮の天照大御神を真っ向から否定するとなります。大本教は当時の国家神道から【邪教】として国家(特高警察)から弾圧を受け続けていたからです。為に多くの信徒の【獄死】もありました。
私自身は霊界修業に入った頃に伊勢神宮に鎮座されている男神には拝謁しており、日本神話の天照大御神は女神説はどうなっているのだとなりました。それが例え日本の総氏神であろうとも私を束縛することは出来ません。私は天帝から派遣された【勅使】の立場だからです。だが、私が天帝の御使の立場であると解った霊能者の方は僅かでした。
大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子で右腕左腕とも言われた岡田茂吉師(世界救世教開祖)。谷口雅春師(成長の家開祖)などが大本教を離脱された背景には鬼より恐ろしい【特高警察】があります。多くの人が当時の特高警察の拷問により獄死している事実は消せないのです。大本教の信徒もまた然りでした。
私はある国会議員を見ていて、この人は死後は地獄界でも恐ろしい世界に墜ちるが見えていて、何をされた方なのかと思っておりましたが戦前は【特高警察の課長職】で、多くの人を拷問で獄死させた責任者でした。が、その方は自分は正しかったと言われていました。一度も悔い改めるがありませんでした。
特高警察出身でも戦後は国会議員に成られたぐらいでしたから人望は厚かったのでしょうが、戦前の拷問で多く人を殺した過去の行為に対する反省心は欠落されていました。この方には自分は【重き十字架を背負って行く】精神はなかったようです。
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなたはあまりにもお人好しで人を疑うことを知らなかった。為にそなたの前世は他人の魂胆が解らずによいように利用されて最期を遂げた悲劇の武将であった。】と告げられました。その時は自分の前世は誰であったかは教えて貰わなかったのですが、霊界修業の中でそれが誰かは解りました。確かに世には悲劇の武将で知られています。
しかしその人物が過去の私であったと言ったところで、今の私とはまったく違うタイプなので誰も信じてはくれないでしょう。今の世の肉体の私は運動神経が極端に劣っているからです。ただ、自分には武人の魂の血が流れているは幼い頃から感じ取っていたなのです。私はその悲劇の武将霊から【言葉の仕組】を教えられて来たなのです。私はこの世に出ておられる神々から【言葉の仕組】を教わったのではありません。
ただ、私が気がつかなかったのは私の前世は武将の習いとして、多くの人を殺めたわけです。その時だけで無く、それ以前にも私が神界で天使として国常立尊に仕えていた時も多くの敵を殺して来たなのです。私は大本教霊界物語を読んだ時、自分の過去も深く関わっているが解って来ました。それは私自身が今生においては【重き十字架】を背負わされたなのです。
下記の図は以前のブログにも載せて来たものです。
大本教から【牛虎】金神と【羊猿】金神が出された意味は
一霊四魂の荒魂を【虎・寅】の漢字で説明させる人の【劇】
人がこの世に出て来るのは【過去の劇(カルマ)】の清算
自分に【良心の呵責】がある人は幸いです。それは未だその人の魂の中には天帝の分魂である【良心神】が存在しているなのです。決してスピリチュアル標榜者の【良心の呵責は重いから、良心など捨てましょう。】に走っていけないのです。スピリチュアルでは【神は愛だから何をしても赦される。】などは、妄想の類いでそれを信じたら最後の審判で永遠の【地獄に案内】されるだけなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、【地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!】だと述べておられますが、私は魔界を覗けば【スピリチュアルで一杯だ!】と言っておきましょう。
カトリックでは最後の審判とは【煉獄の火で魂が浄化される】とありますが、煉獄とは天国と地獄の中間のことで、仏教的に言えば【中有界】のことで【輪廻転生】を煩雑に起こす世界のことです。その【煉獄の火】とは日本神道の世界では【天の岩戸開け】と呼ばれることです。天の岩戸開けの光とは、中有界に存在する魂には【光の火】として作用するなのです。
光とは、火を借りる。仮とする。それが解らぬのがスピ
私の元に、最後の審判の時に【中有界】に居る者はどうなるのですかの質問が来ますが、その【光の火】に自分がどれだけ耐えて【魂が浄化】されるかで決まることであり。どれだけの魂がその【光の火】に耐えられるか予測だに出来ないわけです。 全ての魂がその【浄化の火(光)】に耐えられるのであれば、全ての人が第八の世。永遠のみろくの世にと入って行きます。
天の岩戸たる光に耐えられなければ、地獄界に行く
そこに【根性】と言う【艮】があれば違って来る
私が【人に内在する良心神】を説きだした経緯は、その【天の岩戸の中の光】に耐える為にはどうすれば良いのかを探っていて、それはお釈迦様の悟りにあると理解して、【良心神の光】そのものだと解って来たなのです。その時、スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されるなどは単なる【妄想】に過ぎないと解ったなのです。
良心の呵責がある人は犯罪に走っても天帝の分魂がある
人は自分の罪を赦さない自分の良心の呵責を鬼と言う
大本教の出口王仁三郎聖師は【鬼】の漢字はあんまりじゃと【王仁】とされたのですが、これも意味が解る方はおられなかったようです。
魂の核を【仁】とも言う。仁は人の心。人の本体
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その声は【この国(日本)は私の教えが満ち溢れている世界で唯一つの国である。そなたは私の仕組を知って、人々に告げなさい。】と命令されたことから、世界で唯一つの神の言葉たる日本語を持ちまして、旧約聖書の神と称する声が私に告げた【この日本に満ちあふれている】言葉を以て、創造神と呼ばれている神の仕組を解説しているなのです。
鍾馗神の御案内で中国で創造神ともされている【盤古大神】に拝謁した時、私の魂はいったい何の為に盤古大神とか西王母と呼ばれる中国の神に拝謁しているのか?。さっぱり意味が解りませんでしたが、私の家の浴室の前に現れた大本教の出口王仁三郎聖師らしき霊が、【漢字】と書かれた大きな浴衣を着ておられたことから、日本の言葉を【漢字】に変換するに気がついたわけです。そこから漢字の研究です。
スピリチュアル標榜者は何かと言えば西洋名の天使などを誇らしげに言いますが、それでは霊界に現れる金文字が【漢字】であることに気づいていないとなります。
何故、国常立尊様は中国の漢字に日本の言葉を仕組まれた!。
漢字は象形文字で【感じ】を掴める
明治29年旧12月2日の大本教神諭に【艮の金神はこの世の閻魔として現れるぞよ、この日本は、元は神の直系の分魂(わけみたま)が授けてある。外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。時節参りて煎豆にも花が咲きて・・・・・・】があります。
私は【言霊】が何かが解った時、この【言葉もその通りであるぞよ】の意味が解ったなのです。ヘブライ語やアラビア語や英語ではダメなのです。だが、残念ながらこの日本で【言霊】とは何かが解っている霊能者は若干名にしか過ぎないなのです。その言霊が解らないと、この大本教神諭の内容にある【この世の閻魔】が理解出来ないなのです。
世界中、祝詞や御経や祈るが【言霊】を理解していない
一部に【言葉の封印】が言われています。この言葉の封印とは【天の岩戸】を開けるところの言葉が封印されているとすることです。大本教神諭に【天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しい。】とありますが、それは天の岩戸開ける言葉を知る者。天の岩戸を閉める言葉を知る者と思われます。
天の岩戸開け=煉獄の火=最後の審判は同一の事柄
私のブログの読者の方から教えられたのですが、ある方のブログに、その方の守護神がその方に対して【言葉の仕組は上野公園(神之公園)氏が解説しているが、言葉の封印を解く者ではない。そなたが言葉の封印を解く者】と告げられたとありました。
その方が本当に言葉の封印を解く者かどうかは私が預かり知る立場ではありませんが、天の岩戸を開けるアラビアンナイトの【開けゴマ】の様な呪文があるはずなのです。
私が天の岩戸を開けなくても、誰かが開ける
ただそれは【霊界ベース】であり、この世と呼ばれる現実界の話ではありません。聖書には【第一の死】と【第二の死】がありますが、それは第二の死の場面です。この世という現実界に生きる者にとっては第一の死は免れません。元々私達の魂は【生まれて死んで】の繰り返しであり、過去から体験して来ている事柄です。
必要なことは、【良心神(天帝)】を捨ててはならない
私は天国界行きの【切符】の発行者ではありません。私の霊界修行のお世話をして下さった豊受姫は、【貴男は言葉の神と呼ばれる貴き御方で神々に対して教えをなされる方。貴男の言葉による教えは天帝の「詔」と同じで、貴男の言葉の教えが聞けぬと言う神達は天帝に対する反逆者として天帝によりことごとく滅ぼされる。】と告げられただけです。
ただ、明治31年旧12月26日の大本教神諭には【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることことを、世界に一人知りておる。誠の人をこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立て別けて御用ががさして在るぞよ。・・・・・・】がありまして、その世界に一人知りておる者に私が該当するのかどうかも解りませんが、言葉で成る【誠】をもって天帝の大望を説明をしているわけです。
ただ、世界に一人知りておるに何の意味があるかです
大本教の出口王仁三郎聖師は【九つ花】を誠では紐解けなかった。だが、世紀の大預言者としての神力は授けられたがあります。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたにはこの神の何の神力も与えない。為にそなたの教えをバカにする者達が続出するであろう。だが、そなたの教えに従った者達はこの神が助ける。】と告げられたなのです。
私を神として従った者ではなく、私が紐解いた【言葉の仕組】の教えに従った者達です。それは【誠(言葉で成る)】の教えだからです。
私の魂は二つの魂を合わせ持っています。一つの魂の方は一部の神霊や霊能力者からも指摘されますので霊界では見えるのでしょう。もう一つの魂は豊受姫様だけからは指摘を受けましたが、未だ霊界では見えないのかも知れません。
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