霊的世界に関わっている人達は、生き霊(いきりょう)と死霊(しりょう)と云う言葉を出されます。死後の世界など存在していないと主張される方にとっては、どうでも良い話とは云えますが、これは霊的世界を語る上では重要な部分ではあるのです。
スピリチュアル標榜者でも【生き霊】と【死霊】の違いは解っているでしょうが、残念ながらお釈迦様もイエスもマホメットもそうしたことを説いておられなかったことにより、宗教家と呼ばれる人達が何も知らない解らないと云う状態を引き起こしてしまいました。
生き霊とは、この世に肉体を持つ人の霊体
死霊とは、肉体は既にこの世を去った霊体
人は誰しも肉体の命が尽きると死後の世界にと旅立ちます。その死後に世界に渡り住む霊界の肉体を【幽体】と云いますが、一般的には【霊】と云っています。あの世に渡るのは、その【霊】と【魂】で合わせて正しくは【霊魂】なのですが、【霊】と云う言葉で一括りする場合が多いなのです。
日本の神社に鎮まっておられる御神霊の多くは曽(かっ)ては人であったことが多く死霊と言えます。私達もまた死して神霊として祭られる。祖先と言う名の仏として祭られる。
日本ではスピリチュアルと云う言葉そのものに酔いしれている人達が多数ですが、霊とは西洋神智学で云うところの【エクトプラズム】と呼ばれている霊物質たる要素なのです。そこに霊はあらゆる姿に【変化】する因があると云えます。
霊的世界を歩いていて、どこかの神社に参拝すると立派な衣装に身を固めた御神霊が出て来られて、「我れは○○大神なるぞ」と宣託されるがあります。だが、よく見ていると「野狐」だったりして、コラ!。と一喝しなければならないがあります。すると、その立派な神霊姿の存在が野狐の姿になって一目散に逃げて行くなどが起きるわけです。その見分けが出来る方が一流の行者や霊能者と言えるでしょう。
私が2番目の師匠の元で修業中、そこに出て来た神霊を私は狐霊だと見破れなかったのですが、その師匠は瞬時にそれは狐霊だと見破りました。それはその霊体が私達の肉体の様な物質体では無く、ある意味自在に変化を可能とするのが霊界の肉体であると言えるわけです。
死霊とは、この世を去った人達の霊魂のことなので、この場で取り立てて説明する必要はありません。今回は【生き霊】と呼ばれている存在の説明です。その生き霊には【霊魂そのものたる生き霊】と【想念】と呼ばれるものとに別れます。
自分の周りでおかしなことが起きて霊障かと霊能者の元に相談に行ったところ、【貴方には生き霊が憑いています。】などと云われることがあろうかと思います。その時、【死霊はなんとか出来ますが、生き霊は現に生きている人が出し続ける想念なので、その人が死ぬとか、生き霊を飛ばすことを止めてくれない限りは難しい。】と、そうしたことを云われるでしょう。その時の生き霊とは【想念】と呼ばれるものがほとんどです。恨んだり。嫉妬したり。恋い焦がれる等の人の想念が自分に懸かって来るです。一度の恋の相手が忘れられず、自殺して1000年間も待っている様な霊もありました。
自分は正しくても、人に恨まれると【想念】を飛ばされる
それは人を恨むと【念(今の心)】が起きるから
恨むも念も【心の字】が入るように、人の思い(想い)なのです。
そうした場合の対処法は、その【想念(生き霊)】を飛ばして来る人を説得するか、霊能者が強制的にその方の魂を叩いてしまうかになります。それは単なるスピリチュアル標榜者の段階では難しく、修業に修行を積まれた霊能力が強い行者筋にお願いするなどになります。
ただ、以前はそうしたことが出来る優秀な霊能力者達が居られましたが、今はスピリチュアルの名の元にろくろく修業も積まない人達が大多数となりましたので、そうした霊力を持たれた霊能者を探すことは困難となっています。私が知っていた優秀な霊能者の方達は今では亡くなられており、私に相談を言われても解らないと言います。今の世では誰も辛い修業に自分の身を投じようとしないからです。
私は二人の師匠を持ちましたが、その師匠の修業は【筆舌】に近いものがありました。おまえにそれが出来るかと聞かれたならば、私にはそれほどの根性は無いと言います。何の苦労たる修業も積まない者に、高い神霊が自分に臨んで来るなどあり得ないなのです。何の修行もしない者に臨んで来るなどは蛇霊や狐霊と呼ばれる類いの存在なのです。
日本のことわざに【人を呪わば穴二つ】が云われていますが、呪った本人は地獄に墜ちて蛇霊化するが多いのですが、呪われた方もタダとは行かないのです。ただ自己の魂を磨いて来た様な人ならば、人から恨まれる筋合いも無く。逆恨みとなって、恨んだ本人に【倍返しの矢】となるなのです。自分が他人から恨まれて苦しむは、自分の魂が未だ磨かれていない側面もあるのです。
魂が磨かれた人を理不尽に恨むと、返し矢は【倍返し】
西洋ではそうした他人から恨みを受けている場合、魔術(霊能力)で助ける方を【白魔術】師と云い。逆に金で頼まれて呪いを懸ける方を【黒魔術】師と呼んでいるのですが、そうしたことをする人達はどちらでも金で請け負うなのです。但しその手の霊能者の方は死後の世界は天国天人界では無くて【魔界】とされる世界に行くわけです。天国天人界に進む様な人は、そうした所業はなされないからです。世界中で【巫術(ふじゅつ)】とか【呪詛(じゅそ)】と呼ばれる類いの物は【念力】が作用するのです。
私は2番目の師匠から【死神(しにがみ)】を送りつけられましたが、実際に自分がそうした体験するまでは、死神と呼ばれる存在があるとは聞いてはいましたが、自分の目で見るまでは信じられるような事柄ではありませんでした。
私が体験して来た霊世界とは、スピリチュアルが言う様な世界では無く、霊界の切った張ったの中です。霊能力者が神仏が持つ霊力で殺し合いをしていた世界です。
神霊世界とは、単に霊が見えるとか会話が出来る程度では本物の霊能者では無いと言われる意味を私は体験して来たなのです。自分は【光の剣】で敵を倒しました。魔界を消したなどは、ほとんどが幻影の世界で本人が空想の世界で遊んでいるなのです。
そこに【幻影や妄想】は【霊世界】か?。があります
私は霊界修業を最初は稲荷神界でお世話になりましたが、豊受姫から【ヘミシンク】だけはしてはいけないと告げられました。ヘミシンクをすると【脳に異常】を起こして、それで見る世界とは幻影とか妄想の世界で真の霊界では無いと告げられたなのです。霊界と似て非なる世界です。実際にヘミシンクをした方が見る世界とは、おかしなおかしなことを言われるなのです。
それは麻薬とか抗精神剤にも言えるなのです。麻薬などに走りますと、本当の霊界で無い【幻影や妄想】の世界に入るのですが、それは本当の【霊界】を見ているでは無いなのです。それはそうした精神薬が【脳】に害を与える為です。人は誰でも【空想】とか【妄想】はします。しかし、それは本当の霊界を見ているでは無いなのです。
霊界は心眼で見る世界で【脳】で見る世界では無い
私は会社を早期退職して、ヤフーの掲示板【輪廻転生】の板で長く説いて来ました。その当時に板で知り合った方で秀でた霊能力を持った方がおられました。それでも私から見るとまだまだ【ひよこ】の段階と言えましたが、私の霊界修行の世話になった豊受姫の分魂の持ち主であったので、それまでの御礼として霊界修行の面倒を見させて貰いました。
私の元には自分は大本教の出口王仁三郎聖師が予言された【みのか尾張の女子】だと言って来られる方が多々ありましたが、そうした名乗りの方達の霊界レベルとは比較にはならないがありました。
ただ高い神霊の分魂を持った方でも、その多くは修業の過程で邪神達に潰されてしまいます。大成するにはよほどの覚悟がないと育ちません。単に霊が見えるとか会話が出来る程度では、邪神の罠の中を突破は出来ないのです。
ある日、私は久しぶりに伏見稲荷山に詣でて伏見稲荷大社の奥社でふと見ると、その女性が居られます。確か今日は仕事のはずで、どうして伏見稲荷大社に居るのかと、その方に声を掛けようとするとその姿は煙のごとく消えてしまいました。
当時のヤフーの板で私の名乗りは【天典(てんてん)】で、そこで御本人に連絡をすると、私がその方を奥社で見かけた時間、その方は、今日は天典さんは伏見稲荷大社にお参りのはずで、そこで伏見稲荷大社のどこに居られるかと自分の魂を飛ばして御本社を見ても居られず。千本鳥居を通って奥社まで行ったのですが見当たらず、それで探すのは無理だと思って帰りました。】と云われます。その姿が消えたのは、もう無理と思って魂が肉体に帰った奥社の場だったのです。
その方はその日は仕事で、その勤務地から伏見稲荷大社までの距離は約220㎞です。その距離を自分の魂(生き霊)を伏見稲荷大社まで瞬時に飛ばして、私を探しておられたなのです。そうしたことが【生き霊】を見るなのです。
俗に【千里眼】の持ち主と言われる方達がありますが、その魂を目的地に飛ばして、そこで見る光景を言われるなのです。自己の生き霊を飛ばしているのです。それ自体は霊能力なので、千里眼を持っているからどうのこうのではないのです。
私はその方だけではなく、これまで多くの方の【生き霊】と出会って来ました。そのことを肉体の本人が気づいている場合もあれば、気づいていない場合もあります。そうした【生き霊】との会話の中で私が気づいたことは、
肉体を持つ生き霊は、善悪を問わず自分の【本心】を語る
ところが、死霊は例え神霊でも平気で【嘘の言葉】を出す
神社に鎮まっておられる御神霊とは、霊界の階級としては神霊と呼ばれる地位にありますが、人の様な肉体を持っておられないので【死霊】の分類になります。この世に肉体を持っている状態が【生き霊】と呼ばれるわけですが、悪をする肉体は平気で嘘を言いますが、肉体の善悪の行動を問わずに生き霊は【嘘の言葉】を云わない。本心を語る。それは何故なのか?。そこに私は大きな【疑問】を持ったなのです。
人に良心の呵責はあるが、神霊に良心の呵責が無い?
その謎は新日本神道系であれば云うところの【一霊四魂】の存在にあるのです。その【一霊四魂】は日本の新神道系であれば多くの教団で説いてはいますが、私は大本教から出された【一霊四魂】説から説明して来ました。
日本神道系では通常その【一霊】を【直霊】と呼び、天帝の分魂とします。その働きは【人の良心】を司っているです。お釈迦様の本当の悟りは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】だったのですが、仏教からその教えは表から消えていました。が、それ自体は日本神道の中にあったなのです。しかも仏教では説かれていない【創造神(天帝)】の分魂としているなのです。お釈迦様はそこまでは説かれていなかったようです。
日本神道のみ、魂に天帝の分魂が存在するを知っていた
大本教神愉には【世に出ておられる神々が「四つ足」であることを暴くぞ】とありまして、どういう意味かと思っておりましたが、世に出ておられる神々は【四魂】のみの状態と言えます。人としての肉体を持った魂のみに【良心神(天帝の分魂)】が備わっているなのです。
私と直接の血脈はありませんが、私の家系の五代前の御先祖霊は日蓮聖人の御分霊であったことが霊能者の調べで解りましたが、その御先祖霊は仏教で無く私を日本神道の世界に案内してくれました。もし仏教で走っていれば何も解らなかったと言えます。
ただ、大本教からはそれを【伊都能売(いずのめ)】神の名で世に出した為に、逆に意味が解らなくなってしまっているなのです。大本教は直霊(天帝の分魂)を説明する為に【ラ】神論ではなく、素戔嗚尊の【ス】神論として出し、世に出ておられる神々を惑わす役割もあったと言えます。スの神論の経緯は世に【邪神達をあぶり出す】です。
私は【人に内在する良心神】を説いてはおりますが、既存の神霊は誰も【人には良心神が内在している】など言われないでしょう。言えるのはせいぜい【愛】なのです。
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】でした。その時はイエスの愛の教えを乗り越えられるのかと思っておりましたが、この日本で学んだことはイエスの愛の教えを遙かに越えているなのです。
スの神がニセ型は、大本教神諭予告【九つ花】で解る
為に大本教霊界物語第十三巻の【アホウドリ(信天翁)】に、アイウエオの第十三位の【スの神】はニセ型であることを【暗示】として入れてあるにも関わらず、未だに【スの神】だ!。と【阿呆(あほう)】な神霊達が居ると言うことなのです。そこに来るのが【九分九厘】は邪神なのです。大本教神諭に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】とあっても理解出来ていないなのです。
最近、一部の霊能力を持たれた方から、真ん中に【穴が空いた】汚れた魂が多数見られるとの話があります。これまでは汚れて黒く見える魂でも、真ん中に穴が空いている魂はそんなに見られていませんでした。
魂は良心神(天帝)の部分を失うと、【空く真】化する
逆に【空く真】となった魂も、天帝に従えば元に戻せる
私は霊界見聞修行を続ける中で、お釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する】であったことを知る前に、例え肉体は悪人でもその魂(生き霊)は【嘘】を言わない。それに反して世に出ている御神霊達は平気で【嘘】の言葉を出される。どうして神々には【良心】が備わっていないのだろうか?。そうした疑問を持ち続けていたなのです。
何故、神々には良心が無く、人にしか良心がないのか?
人の魂には点数が出ます。その点数は魂の点数だということは何となく解りました。そうした中で一部の超能力者や霊能者から、その点数は【良心】の点数で、【最後の審判】で個々の魂の行く先が決まると告げられました。解る霊能者には解っていたなのです。
そこにはスピリチュアルの【何をしても神の愛で赦されます】などは無いなのです。【神は愛だから何をしても赦されます】などと自分の言葉を信じている人達を欺していることになり、それを信じた人達の【良心神】の点数など上がらないとなるのです。
日本神道では、魂を構成する【一霊四魂】の一霊は【直霊(天帝の分魂)】で、人は死すと【四魂】は残るが、直霊は【天に帰還】するとも言われていました。
良心神たる働きの直霊(天帝の分魂)は、肉体たる人が死すると天に帰還する?。この世に肉体を持つ生き霊の魂にしか良心神(天帝の分魂)は存在していないと言う事は、人は何故に【この世に生まれ出て来るのか?。】の謎を解き明かすになります。
魂の良心神(天帝の分魂)は、生きている者だけが持つ
魂が肉体を持つ間が、人は神の子・神の宮と呼ばれる
人はこの世に生きている時に【神と成る資格】を得ておかなければ、死後に神と成れるではないのです。それは後世の人が神霊として祭ったからの神霊では無いのです。死後に自分が神霊と成る。天国天人と成る。それは【この世の生き方】次第なのです。イエスを主の一人御子と信じたから天国に行けるでもなければ、南無妙法蓮華経と唱えたから極楽ではないのです。
どうして今、真ん中が無い汚れた魂が多く見られるのか?
そうした汚れて真ん中の天帝の分魂を失った魂でも、悔い改めて天帝の元に従うのであれば【赦される】となります。あるいは、どこまでも天帝には従わない。徹底抗戦の道を選んだのか?。
そこに今の霊界には何かが起きていると考えられるのです。霊界での異常は、やがて人間世界に関わって来るでしょう。
天帝は全ての【魂】の総親神なので
魂は【鬼が云う】で【牛虎】金神の名で世に宣伝された
この世の閻魔(円真)たる良心神は、生きた人の魂にある
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