人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№62 天国は金銀財宝で輝いている?。天国住人の心が宝石の如く輝いているのが【分かちの国】

一般的に宗教では天国界と地獄界を説くのですが、一部の書ではその天国界(極楽)とは【金銀】で輝き、道路などは宝石が散りばめられた世界としています。

 

私が子供の頃に疑問に思った事柄は、

天国天人は【金銀宝石】等に興味があるのだろうか?

 

私は子供の頃から天国天人とは、金銀財宝等にはさほど興味が無いと言う確信に満ちたものが存在していたからです。この世では金銀財宝に目が眩まない人は僅かです。そうした金銀財宝の為に【人を裏切ったり】。その地位が【腐敗】する人が後を絶ちません。

 

金銀財宝に目が眩んで、自己の魂をダメにする

 

私のつたない霊能力で見た来た天国界とは、田舎の田園風景でした。その田舎に住む人達の衣服とは白一色の縄文時代と言うのか弥生時代と言うのか、そうした時代に着られていたような【貫頭衣】の様な服装ですが、必ずしも粗末な意味合いでは無いと言えます。それはその白の衣服が光輝いているからです。

 

白の衣服とは、その身に【汚れ】を持たない

 

それは、後世の男性貴族や神主の衣服がそうした【貫頭衣】に継承されているからです。また、日本の各地の神社に鎮座されている男性神霊も、祭典の時にはそうした【貫頭衣】の着物を着用されているがあります。通常は貫頭衣とは言わずに【衣冠束帯】姿と呼んでいるなのです。後世は白の装束ではなくて、カラフルな色や文様が入ったなのでしょう。

神社等に鎮まっておられる御神霊達と天国天人界と思われる世界に住む人達を見た時、【御神霊=天国天人】の図式は当てはまらないのではないかと思われます。それは神社に鎮まっておられる御神霊達と天国天人と思われる存在から受ける印象がまるで違うからです。通常天国天人界は三層だと言われているのですが、最上天国界天人だと神社の御神霊よりも高次元と考えられます。

日本の神社等に鎮座される御神霊は【威厳】を重要視されているようですが、天国天人にはそれが無く、【汚れ】を持たない【気高さ】に満ちておられるです。そこに高次元世界の住人は、人間世界には何の興味も無いともされるわけです。

 

気品や気高さは、金銀財宝で飾るではない

 

その田園風景の様な世界に住む人達は、ほとんどが農業に従事されている模様と言えます。それはイヤイヤに農業に従事しているではなくて、作物を植えて実らせて食する喜びの中にあると言えます。人が作った物を頂くではなくて、自分達が作る喜びと言えます。

西洋に主の神は【農夫】だと言う説があります。中国等に見られた【皇帝】と呼ばれる様な豪華な衣装の姿で現れるのではなくて、貧しい農夫の様な姿をしておられるです。

ただ、それには【言葉の仕組】の意味が秘められているだろうと思われます。それは「農夫」を【百姓】と呼ぶことからです。

 

主の神は【百姓】?。その呼び方に【百の姓名】あり

 

創造神と呼ばれる神が存在しているのか?。存在していないのか?。そこに議論はありますが、存在されているとされる人達の中では創造神と呼ばれる神の名称は各種有るとします。日本では【国常立尊】とか【天之御中主】とお呼びし、西洋では【エホバ】とか【アラー】の神とされるが【同一神】だという論です。そうした意味の姓が【百】有るともされます。つまり、神名の呼び方で争ってはならないです。これは日本の御神霊からの情報では無く、宇宙のある星からの情報です。

大本教から出された【ウシトラ金神】の仕組には三千年の月日を要したと出されましたが、私達が何気なく使っている日本語には不思議なことがあります。私が解き明かしている大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】は、お釈迦様の本当の悟りを五十六億七千万の数字で解き明かす【みろく(三六九)】の仕組であり、それは朝鮮に残されていた最後の審判前に出て来る救世の為の【米】一字の教えの型にもなっていました。そして、旧約聖書は【麦】の教えであり、大本教から出された【○十】は薩摩の【芋】も出て来ます。

 

そこに【百姓】が育てし物、刈り入れの時期がある

 

旧約聖書には【実った麦の刈り入れ時】のことが書かれておりますが、大本教神諭も【実ったならば刈り入れる】とあります。私が霊的に見せられたのは【実った稲穂(米)を刈り入れる】です。そこに【稲穂】の教えがあります。大本教神典には、【白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕する。】とありますが、私の霊界修業は【稲荷(稲成り)】から始まりました。意味することは【米】だったのです。ですから【白狐】のことをよく知らないと、言葉の仕組は解けないのです。

私が稲荷神界で修行している時、白装束の老神が両天秤の【肥桶】を担いでおられるが見えて来ました。この老神は優秀な稲荷行者の中では【国常立尊の化相神】とも言われています。それほどの御神霊が【肥桶】を担っておられる光景を見て私は非常に驚いたのです。神が率先して汚きことに取り組んでおられるです。

 

実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな。稲成り(稲荷)

 

人は何かと言えば【奇跡的】な物を見ないと、神など信じ無いと言う人が大多数でしょうが、私は日本に満ちあふれている日本語を見て、実に驚くべき仕組だと感じています。

 

俗に、天国は農村風景で地獄は都会の風景と言う

 

別に地獄とは仏教で説かれた【鬼】が出て来て、釜茹でとか八つ裂きにするではありません。中国古代史の皇帝ドラマを見ていると、そうした釜茹でとか針刺しとか八つ裂きの刑が出て来ます。古代はそうしたことがあったと思われます。宗教上の地獄とはそうした模写と思われます。

多くの霊能力者の方が見る地獄とは、そうした世界と言うより【自分の心に平安が得られない】世界と言えます。そこに住む人達が殺人とか強盗とか泥棒とか自分勝手なことばかりしている社会と言えます。そうした人達ばかりが住む世界が地獄界に対して、そうした人達が一人も居ない世界が天国界と言えます。

その田園風景の中で仕事に従事している方達を見ると、どの方もキラキラとその体が【光輝いて】おられます。特に【胸】当たりから出る輝きは【玉】と言えました。

大本教神諭に【光輝く人】と【光輝かない人】が出て来ますが、私が見た天国界天人達が着ている白装束も光輝いていたなのです。

 

私が見た天国界は、住人の心が宝石の如く輝いている

 

その世界では建物が宝石で飾られているでもなく、道路に宝石が散りばめられているでもないのです。宗教が説く建物や道路が宝石で散りばめられている世界では無く、その世界の住人は誰も【金銀財宝には興味が無い】なのです。それよりも住民の一人一人が宝石の様な輝きを持った人達だけが暮らしているなのです。

 

では、その天国界は何と呼ばれてるのか?。

一つの物も皆で分け合うで【分かちの国】と呼ばれる

 

為に、分かちの国では【貧富の差が無い】なのです。自分が食べたい物があれば自分が作る。例え自分が作らなくても誰かが自分の代わりに作ってくれる。自分に必要な品があっても造れない時は、それを造れる人が造ってくれる。そんな世界でも汚れた物は出ます。その時、誰かが汚い物を掃除する必要があります。そうした時、そうした汚れる仕事を他人に押しつけるのではなく、皆が率先してやろうとする世界です。

 

分かちの国では、汚い仕事をすれば損をすると考えない

 

分かちの国では、働くことそのものに喜びを得る

 

巷にはみろくの世は何をしても自由なのですと言う論調が溢れていますが、その何をしても自由ですの意味のはき違えがが起きていると言えます。分かちの国における【何をしても自由】は、【働く喜び】が前段にあって、【何の労働をしても自由】ですの仕事の自由なのです。行動の自由ではないのです。その労働による果実(報酬)は作った者だけの果実では無く、住民の全員が受け取るなのです。この世では自分が働いて得た果実(報酬)は自分だけですが、みろくの世においては住む全員の物なのです。

 

為に、分かちの精神が無い人はみろく世に向かない

 

基本的に分かちの国には、飛行機も車も自転車もありません。何故ならば住民は仲間の元には【瞬時】に移動が出来るからです。この瞬間移動は天国界では起きてもこの世では無理です。また霊的世界でも地獄界は無理なのです。この世の汚れにまみれた世界が好きな人は、天国を見れば【つまらない】世界だと言います。

 

分かちの国は食べる為に働くでは無く、皆の為です

 

岡本天明師の日月神示等は、この【分かちの国】のことは何一つ触れていない為に、読んでいても意味がさっぱり解らないとなります。では他の宗教にはとなると、他の宗教にもありません。天国天人世界とはこのブログで説明した来た様に住民間で【分かち合う】精神の世界であることは既に霊能者の間では知られておりますが、それを【分かちの国】と呼ぶことはこれまで知られていませんでした。

どうしてそれを私が知ったのか?。それは大本教の三代教主補であった【出口日出麿】師の霊が、自分の身に起きる摩訶不思議な出来事に関して、自分が何者かを知りたくて大本教を訪ねられた【龍女】である女性の前にその夜に立たれて、この女性は【みのか尾張の女子】かと探っておられて、その龍女たる方の肉体の臍から出ている霊線に関して、それは【分かちの国(神の御国)】に到る霊線であると説明をされたのです。霊的世界に関することは、霊が語ったくれないとこの世では解らないがあるのです。

 

私達の肉体の臍は母親の【子宮】とを結ぶ場所ですが、そこから【霊線】が出ていることはある程度の霊能者ならば知る話です。肉体の頭上から出る【霊子(たまのこ)線】はスピリチュアルの段階でも語ることですが、臍からの霊線はあまり語る方がいない為に、世にはあまり知られていないがあるのです。それを大本教の三代教主補であった出口日出麿師の霊が【分かちの国】に入る霊子線と告げられたなのです。

 

では、これまでの宗教が説いて来た天国は【金銀財宝】で輝いている世界は、存在していないのかと言いますと存在はしています。

 

金銀財宝で輝いている世界とは【龍宮城】

 

法華経に【龍女の解脱】が書かれていることは、仏教を学べば解ります。しかしその龍宮城に住む人達。龍男とか龍女に関する記述はキリスト教やイスラム教の聖典には無く、仏教の記述も僅かばかりです。大本教の霊界物語にも、その記述は少ししかありません。日本における龍宮城とは宗教の記述ではなく、童謡の浦島太郎の歌詞のイメージになっているなのです。

 

童謡・浦島太郎(作詞・作曲 不詳)

 

昔々(むかしむかし)、浦島は 助けた亀に連れられて

 

龍宮城へ来て見れば 絵にもかけない美しさ

 

乙姫(おとひめ)様のご馳走に 鯛や比目魚(ひらめ)の舞い踊り

 

ただ珍しくおもしろく 月日のたつのも夢の中(うち)

 

 

実際に霊界に関わると、【龍】の存在が深く関わる

 

大本教の神典には、みろくの世に到るにあたって【龍宮城の乙姫殿】が、金銀財宝を吐き出すとありますが、法華経に【龍女の解脱】とあるように、龍宮城の龍神達は龍宮城の宝を吐き出してこそ天国天人界に進むなのです。大本教霊界物語には龍宮城の人達は人間界よりも上の世界だが天人界にあらずとあるように、金銀財宝の執着から抜ける必要があると言えます。大本教が宣伝した世の立替論には新地球に移る話がどこにも出されていませんが、そうした金銀財宝は新地球では必要が無い物と言えます。

 

みろくの世のお宝とは住人の心が【宝玉】であり

 

この世の金銀財宝そのものを必要とはしていない

 

いくらこの世での金銀財宝を持っていても、生きて行く為の糧である米や麦や芋などの穀物。野菜を作る人もこの世から居なくなり。魚を獲る人も居なくなる。服を縫う人も居なくなる。その時、いくら金銀財宝や広大な土地を持っていても、何になりますかなのです。人は一人では何も出来ない。仲間があってこそです。その仲間達が新しい世界に移行したならば、残された世界は何だとなります。

 

逆に地獄界では自分がそうした物を得ようとするならば、力で【他者を虐げて自分が奪う】が起きるのです。

 

自己中や我れよしの者が天国に行けないのは

 

【分かち】あうの精神を知らないから

 

それはスピリチュアルの【神は愛だから何をしても赦してくださいます。】などの論理はどこにもないなのです。またイエス一人を神の子と信じたから天国でもなく、御経の御題目を唱えたから天国天人界に行くではないのです。そこに世紀の大預言者であった大本教の出口王仁三郎聖師の【地獄を覗けば、牧師や僧侶で一杯だ!。】の言葉もあると言えます。

 

では、本当に【分かちの国は天国界】なのか?

 

それは物の見方と言えます。何でもかんでも自分は他人より持ち物が多くないと気が済まない。しかも高級な品が良い。金持ちであるべきだ。自分が得た物は自分の物。他人に施しもしたくない。自分は人より金持ちだと威張りたい。誇りたい。

スピリチュアルでスピリチュアルは金儲けになりますよと、スピリチュアルで儲けた大金で買った宝石を他人に見せびらかしているような人。そうした人達が説く【天国界】ではありません。そうした人達から見ると、【分かちの国】は真逆の【地獄界】と言われるでしょう。自分の友や仲間たる他の住民の為に働き奉仕する。バカじゃないかとなります。

 

人が思う天国界とは、自分の欲望がどれだけ適うか!

 

自分の欲望が適う世界こそ、その人にとっての天国界

 

 

欲望とか執着を自分はどう考えるのか!。欲望とか執着を離れた人が行く世界と、欲望とか執着の為に働く人が向かう世界は元から違っているなのです。

 

別に無理して、欲望とか執着を捨てる必要など無い

 

自己の欲望に従って行く世界こそ、その人には天国

 

私達は宗教の我が宗派の教えを信じれば天国。異教徒は地獄に墜ちる。そうした教えに飼い慣らされたのかも知れません。何が自分にとっては天国なのか?。それは一人一人違うなのです。悪魔とて自分が住む世界は地獄だとは思わないでしょう。その世界こそ天国だ!。

ただ、私は自分の利得の為に他の人を傷つけたり虐める様な行為はしたくないと言うよりも出来ないなのです。皆が平等で平和な世界。【分かちあう】精神の世界が自分にとっては天国だと思っているだけなのです。

 

 

 

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