大本教霊界物語は【○に十字】はみろくの神の御紋章
大本教のお祭りに出向きますと、その【○十】の薩摩印の紋入りの提灯が点されています。
私は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】を解き明かして来たのですが、朝鮮に残されていた予言に【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。米一字の教えが終わると審判が始まり。その米一字の教えに従った者達の上には「天罰」は降りないが、そうで無かった者達の上には天罰が降りる。その天罰の最中に「白十」字が現れて、天罰を受けている者達もその「白十」字によって救われる。】がありました。
その時は不思議な予言だと思いました。どうして【米】一字で教えが出来るのだろうか?。です。その米一字の内容は、今日まで埋没していましたが、お釈迦様の本当の悟りであった【人には良心と呼ばれる神が内在している】を、【五十六億七千万】の数字を秘めて【言霊】で紐解く物でした。
ただそれには、丹波の片田舎の綾部で発祥した大本教の出口なお開祖の【大本神諭】と、世紀の大予言者であった出口王仁三郎聖師の【霊界物語】と【言霊(龍宮の音秘め)】が必要だったのです。その仕組を紐解かせる演技(神芝居)が大本教でなされたなのです。この仕組、もしも大本教が存在しなければ何人とて紐解くことなど不可能だったと言えます。
それが出口王仁三郎聖師が言われた、大本教からは旧約聖書に予言された【男と女の二人の預言者】が出たからなのです。
大本教から出た二人の預言者は旧約聖書に関わる
私は大本教神諭予告の【九つ花】と【米】一字を合わせて説いて来ましたが、さすがに朝鮮に残されていた【白十】字だけは意味が解りませんでした。
最後の審判時の救世の【白十】字とは???
大本教霊界物語には【○に十字はみろくの神の御紋章】とありますが、それとは別に【みろく世には水晶玉】魂が告げられました。
みろく世に渡る人は【水晶】魂の持ち主となる
大本教から出されたみろく世に渡る【水晶魂】には、私が霊的に見た物には幾つかの型がありました。
一つに、これまでの既存の宗教を信じる者に与えられる水晶石
仏教のみを信じた者は【南無妙法蓮華経】の文字入りの丸い水晶玉
日本神道のみを信じた者は【鳥居】を付属させた正立方体の水晶石
聖書のみを信じた者は【羽根】がついた聖書本型の水晶石
が、日本人の大多数は仏教徒でもあり、地域の【氏神社とか産土(うぶすな)神】も信仰するので仏教と日本神道の【両部信仰】と言えます。私もそうした一人です。先祖の供養は仏教で、個人の信仰としては日本神道です。家にはそこそこの大きさの神棚と仏壇を持っています。ただ、御供えは神棚が先で、そのお下がりを仏壇に供えています。神が優先で、仏は後です。
それは、
神は【公】の立場で、仏は【私】の立場だからです
そうした中で自宅の神棚に、何も入っていない丸い【水晶玉】が無数に出て来ました。その球体の水晶玉の中に【白十】字が入った物が見られました。そうした【白十】字が入った水晶玉を見られた方は、正面から見ても横から見ても、必ず正面が【白十】字だと言われるように、科学的にはあり得ない見え方となります。ただ、それらは水晶玉の様に【透明玉】であり、【色】は存在していないなのです。
何故に、【水晶魂】である必要があるのか?
今までの魂は【腐ったり、捻れたり】で永遠生が無い
みろくの世は永遠の保証は、魂が腐ったり、捻れない
私が霊的に見た水晶玉の中には【白十】字が入っている物も存在したので、既存の水晶玉に【白十】字を入れると、下記の作図写真の様な見え方をしています。無論、これはイメージなので正確の大きさとは言えません。
なお、水晶玉の写真はインターネット上のものを借り受けています。
ある霊能者の方は、【水晶玉】だと重くてしかたがないだろう。落とせば割れるだろうと言っておられましたが、その水晶玉とはこの世の水晶石では無くて、一種の【水球】で柔軟性に富み、変形しても直ぐに丸くなる。硬直した【思考】では無く。柔軟性を持った【思考】と言えます。
但し、永遠のみろくの世で使われる【水晶魂】とは、今の私達の魂が自動的に水晶玉の様に成るのではなく、まったく【新しい玉】となるので、その魂を授与出来る存在は【一柱の神】だけとなります。
大本教から【艮(ウシトラ)金神】と出された意味は、大本教神諭の【ウシトラには牛虎もあるぞよ】で解る様に、魂とは漢字で【鬼(牛頭虎パンツ)が云う】を解らせる仕組なのです。で、大本教の神が出口王仁三郎師に喜三郎の【喜】を【鬼】の字に代えて【鬼三郎】にしなさいと命じられたところ、神とて鬼とはあんまりじゃで、【王仁(おに)】とされた経緯があります。
精神世界に関わる一部の方達は、出口王仁(おに)三郎ではなく、出口【ワニ(鰐)】三郎だと主張されている方達が居られますが、大本教神諭を読んでいれば、その仕組は平仮名と漢字で違う意味を導きださせると解って来ますが、出口【王仁三郎】を【ワニ三郎】と呼ぶなどはあり得ないことだとも解って来ます。どこをどう読もうと【王仁】を【ワニ】と読むことは出来ないのです。
しかし、一時期ですが世紀の大予言者であった出口王仁三郞聖師は自分の呼称を【鰐(ワニ)三郎】と言わせた事実はあるのです。何故にそんな演技をされたのか?。そこを理解すると神の言葉の仕組が解けて来て、【なるほど】なのです。
鰐の【咢】の意味は、愕然とする事態が起きるを秘めた
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私の教えは世界の宗教書には非ず。この日本の諺(ことわざ)や童(わらべ)唄や童謡に秘めてある。】と告げられました。その中でも一番重要な歌は【カゴメ】歌と告げられました。そうしたことは霊能者や一部のスピリチュアルの方達でも日本の【カゴメ唄】は神からの【予告歌】だと言われて来たわけです。日本の神話も私が創作させたと言われるのであれば、そうしたことは簡単と言えます。
が、別にそれは【カゴメ唄】だけではありません。【とうりゃんせ(通りゃんせ)】も知られています。七つのお祝い(神代七代)は、行きはよいよい。帰りはこわい。そうしたなかで何故か私が自然と口ずさむ歌は、【待ちぼうけ】と【大黒様(因幡の白兔)】の歌でした。どちらも【ウサギ】に共通点があるとなります。
大黒様(因幡の白兔)とは、
大きなふくろを かたにかけ 大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ 皮をむかれて あかはだか
待ちぼうけは、
待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと 野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て ころりころげた 木のねっこ
私は旧約聖書の神と称する声から告げられた事柄から、兔は【右左岐(うさぎ)】の言葉の意味だと解釈しました。そして【卯(うさぎ)は玉を二つに分ける】と解釈します。どちらを選んでも言葉の意味は【右左岐】です。そして兔には【免除・免許の免】の意味も秘められているです。
朝鮮の【白十】は、日本語だと【ハクトの八九十で白兔】
最近、水晶玉と玉の中に白十字が入った【○十】の玉を見る人達は出て来ていますが、未だ未だそうした水晶玉を見た方の数が少ないので、そうしたことを言われる方は皆無に近いとは言えます。
私は一部の霊能者から【貴男は救世主様ですか?】の問いかけを受けて来ましたが、それは【否定】させて貰っています。私が伏見稲荷山の豊受姫から告げられたのは、貴男は日本の言葉を持って神々に教えをする方とのことでした。巷には自分は素戔嗚尊の魂で救世主と称される方は多数おられますが、私にはそうした方が名乗る【救世主】の意味がさっぱり解りません。
私の元にはこれだけのことを書ける人ならば、自分の苦しみを取り除いてくれるのではないかとメールを送って来られる方達があります。私はカルマ(過去世から来る因業)の恐ろしさを嫌というほど見せられた者であり、今生という一時の苦しみに耐えてこそ因業が消えて行く。冷たい言い方であっても、カルマを取り除いた方がその人の魂の為だと認識しています。もう間近に【みろくの世】が見えて来ているのですから、今の世の苦しみを耐え抜くが未来の自分の位置を決めるなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いてはいましたが、その声は【そなたが他人を助けようとするならば、その人が持っている業罪(カルマ)を自分が全て引き受けないと出来ない。他人の業罪を救うには、自分が多大な悳(徳)分を保有していて、その悳(徳)分から渡してやらなければならない。自分の悳(徳)分以上の物は他人には渡せない。】と言われました。
自分に全人類のカルマを消すだけの能力(悳分)など、どこにもないわけです。
全ての人のカルマを引き受ける悳(徳)分を持った存在?
私は自称救世主を幾人か知りましたが、その人にどれだけの悳(徳)分があるかを見て来た時、単に【霊力】が強いだけで、人間として完成すらされずに【救世主】だと称しておられるがありました。中には人格が卑しい人も見受けられました。まず自分の人格を磨くが先です。
私は肉体を持っている人は救わないと言って来ました。それは人の肉体は【魂を浄化する器官】だからです。その為に、人はこの世に人(霊止)として生まれ出て来ておきながらそれを投げ出すであれば、そんな魂は救えないと言えます。スピリチュアルの【神は愛だから何をしても赦される】など、霊界のどこに有るのだと言わなければならないのです。
私は肉体を失った魂だけの存在であれば救って来ました。そうした霊には自分の魂を浄霊させる肉体が無いからです。この世では本人の罪と言うよりも、霊的世界の存在を知らないが為の者達の行為によって、その被害に遭って今日まで苦しんでいる魂とは、人々が知らないだけで無数にあるのです。為に、私がこの世で持っていた悳(徳)分は既に消費しました。もう有りません。
救世主と名乗って、どうやって人の魂を助けられる?
人の肉体は魂の浄化器官で、この世の【期間】がある
お釈迦様は【人は何故に死ぬのか?。生まれて来るのか?】。誰も疑問とも思わないことを疑問と思われて修行の道に入られた。そこに【人には良心と呼ばれる神が内在している。】に到達されて、【仏教】を説かれたのでしょう。だがそれは【小乗】という小さな乗り物であり、【大乗】という諸仏の出世によって逆に【真理】が消えたということです。
他力本願信仰では、自己に内在する良心神を見失う
可哀想だ。可哀想だでその人が持っている苦しみを取り除くは、一時的には救えた様に見えますが、結局はその人の因業(カルマ)を来世に先送りするだけになるからです。今世だけが幸せで良いと言うものの考え方は、来世にもっと苦しみが来るからです。スピリチュアルで言えば【正負の原則】。旧約聖書で言えば【目には目を、歯には歯を】だからです。原理原則は変えられないのです。従うのみなのです。
私の最初の師匠は豊受姫のお代で、私に【人の人生の苦しみなど、長くてもたかだか50年間程度。それよりもその苦しみを乗り越えて、神様にしてもらった方が遙かに得です。】などと言っておりましたが、それはある意味【根性】が備わっていた方だからとは言えます。根性の根もまた【ウシトラ(艮)】の働きなのです。
自分が犯した罪状は、三世を通じて自分に降りかかる
私は旧約聖書の神と称する声から、【私は永遠に嬉し嬉しの世を創る。それはこの地球上では非ず。新地球である。その新地球に向かって数多(あまた)の船を出航させるが、それらの船の船長職は「神司(かむつかさ)」達が勤める。そなたはその新地球に移行する最終船の船長を務める。そなたが出す船が最終船である。そなたはそうした「神司」の一人に過ぎない。】と告げられました。私は最初から【救世主】などの任務は承っておりません。神の一介の下僕なのです。
私が船長を務めるとされる最終船は、切符があれば全て乗れます。その切符は【艮金神国常立尊】様を唯一神として認めるか認めないかだけです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この神を唯一神として認める者は全て助ける。】と告げられたからです。ただ、日本では旧約聖書の神とは言わずに、国常立尊(or天之御中主)様。そうした呼び方をしているなのです。その神の呼び方は世界で違うだけなのです。
ただ、日本の新興宗教の中にはその時には信者を乗せた多数の船を出航させると言っておられる団体はあります。しかし、それらの船は【ラ神(羅針)】の存在を知っておられないので、【ス神】では宇宙の迷い船になってしまうなのです。
私は人類を新地球に移すは受けたが、助ける者では無い
そうした新地球に移行船の船長たる【神司(天使)】達とは、【新地球】論者の方達だと思われます。人類は【嬉し嬉しの未来の世の渡る】と、その主宰神を【国常立尊】と仰ぐ点が【共通】事項と言えます。
しかし、多数決の意見が正論と言うのであれば、私を含めてそうした新地球を言う方は少数の者にしか過ぎません。異端論者とは言えます。私もあまりにも途方もない内容なので、別に信じて欲しいとは言いません。ただ、そうした仕組をしている神の存在があるなのです。その神の神力は私達人類は見たことが無い為に、それが来た時には瞬時となるので、備えあれば憂い無しで説くなのです。
何故、国常立尊を【主の神】と仰ぐ必要があるのか?。
そこに来るのが航海の船に必要な羅針盤の【羅(ラ)神】
羅神とは【来世門の羅城の主】で、別名が【閻魔大王】
当然に、そこには大本教神諭予告【節分の炒り豆にも花が咲く】
私は大本教が出した【三千世界、一度に開く梅の花】とか【節分の炒り豆にも花が咲く】は何の意味かと調べて来ましたが、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】が何かと解って来た時、いったい誰が日本語であれ、これほどの仕組をして来たのか!。それは驚き以外の何物でもありませんでした。
大本教の出口王仁三郎聖師の両腕と言われた世界救世教開祖の岡田茂吉師も成長の家の開祖谷口雅春師は直弟子であり、日本心霊主義の父ともされる浅野和三郎師も大本教に論客として居ながら、出口王仁三郎聖師派であったが為に、大本教開祖の出口なおさんのお筆先の【九つ花】を軽んじていたなのです。ある意味【九曜紋】に囚われすぎたなのです。無論、【九つ花】は出口王仁三郎聖師にも解けなかったではあるのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この神の仕組は世に出ておられる神々も人民も知らず。この神だけが筋書きを知っている。そなたもこの神の筋書きを知らずに演じなければならない。神の舞台に立つ役者は誰もその筋書きを知らずに、この神の筋書きを演じる。】と告げられました。為に、そうした解らない事柄があるのは止む得ないがあるのです。
私は自己の【神紋】として、○の中に十字を入れた物を掲げています。通称【薩摩紋】ですが、これには理由があります。私の【正守護神】たる存在の方は、緋色の鎧兜を身に纏い白馬にまたがる若い武者姿の霊なのですが、その旗竿が【○に十字の薩摩紋】だからです。私自身は【青い玉に白十字】が入った物を受けています。これは私の魂が【瑞霊】である意味です。
他に赤い玉に白十字が入った【厳霊】魂があり、緑色の玉に白十字の玉は【厳瑞霊】魂であることを意味しています。
簡易な表現方法なので正しい色ではありませんが、そうした玉に【白十字】が入った物が霊的世界には見られるです。私はその中で青色に白十字が入った玉を授けられたなのです。それは私は現時点では【瑞霊魂】の持ち主であることを示しているなのです。
大本教から、みろく世に渡る人は【水晶魂】と宣伝されましたが、その【水晶魂】の中の色が青、赤、緑で、中に【白十字】が入っているもあるなのです。ただ、この色合いはその玉の【性質】と言えます。また、見る玉の色合いも見る人によっては違うでしょう。
巷には自分が【みろく神】ですと称しておられる方達がありますが、だとすればその人の魂は基本的には【緑光色】であらねばなりません。もしもそうした緑光を放っていれば、この地球以外の宇宙に居る存在も知る立場になります。
霊界ではどの様な姿にも変化は出来ますが、魂そのもの色と【霊臭】と呼ばれる物は変えられないのです。
朝鮮に残されていた【白十】字は、私もこの意味を知るには長い年月がかかりました。これを「しろじゅう」とか「はくじゅう」と呼んでいると意味が解らないのです。これは【八九十(ハクト)】と読むと意味が解って来るのです。
鰐に皮を剥がれた白兔
日本の新興宗教の中には主は【ス】の神と称して、当方の教えを信じれば【みろく世】に移行船で渡れますと宣伝している宗教もあります。その移行船でみろくの世に渡ろうとすれば、【火の審判】で大火傷を負いかねません。そうした教団に所属する霊能力者の方が、教団が出すみろく世行きの船がことごとく火で焼かれてしまう霊的光景を見られるのはその為です。
この世は【邪神】だらけで、その日を楽しみに待ちましょう
肉体を持った人の身で、いくら自分は【救世主】ですと称しても、実際には何も出来ません。人類を助ける力を持つのは【創造神】と呼ばれる神だけなのです。
私がしているのは、【日本の国に常に立つ御言(日本語)】で、【国常立尊】の意味を説明しているだけなのです。
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