人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№55 命とは?、人の魂は心臓に宿る。霊はどこに宿る?。霊を【チ】とした大本教

古来より、人の魂は心臓に宿るとされて来ました 

 

今の医学では、人の死は【心臓停止】か【脳死】の何れかの状態で【人の死】と判定しますが、霊学の分野では【心臓停止】を以て死とします。脳死状態で心臓は動いていても、時間の経過でやがて心臓も停止します。何れにしてもそうした状態に入れば「肉体の死」は免れません。

どうして医学と霊学では違うのかとなりますと、医学は【魂】の存在を認めず。霊学は【魂】の存在から語るからです。人の肉体の死とは、その肉体から魂が【離脱】した時です。さらに厳密に言えば、肉体と魂を結ぶ【霊子(たまのこ)】線が切断された時です。この【霊子(たまのこ)】線は医学がどれだけ発達した機材をもってしても、その存在は確認出来ません。それは魂も同じ事です。レントゲン線やCT等では写らないのです。

しかし、各種の写真やテレビ番組で【オーブ】映像が多く出ています。それを塵や埃の類いとすると、それらが壁の向こうから飛んで来る映像は何だ!。となります。霊的な存在は物質界を通過するなのです。そして物質の中に留まれるです。それは仏像を見た時、仏像に霊が宿ったりしていますが、レントゲン線で見ても霊(仏)は写らないのです。

 

科学では難しいとしても、霊能力者は人の肉体から抜けた魂と肉体を結ぶ【霊子(たまのこ)線】が見えるがあります。西洋神智学では【シルバーコード(銀線)】として語られますが、日本では【霊子(たまのこ)線】です。何故に【銀線】と言わないのか?。それは霊子線は必ずしも【銀色】だけとは言えないからです。シルバー(銀色)と限定してしまうと正しくないのです。この霊子線の存在は大本教の霊界物語や岡本天明氏の日月神示等には記述されています。但し、その内容が詳細ではないのです。しかし霊能者ならば知らなければならない項目なのです。

 

仏教では【通夜】を言います。日本の法律も死者は【24時間】を経過しないと埋葬やダビにふしてはなりません。直ぐに焼却を言っても受け付けて貰えません。何故にいけないのでしょうか?。それは医学で【死亡宣告】された者が【蘇生】する現実があるからです。いくら医師から死亡宣告されても「蘇生」する現実がある以上、法律としては【24時間以内】に埋葬や荼毘にふしてはならないと定めてあるのです。宗教上の風習の問題からとは言えないのです。

何も知らない今の僧侶は、死者がその遺族とも語らいする為の時間だと言ったりしますが、それならば法律で縛るべき話ではなくなります。遺骨に対しでも語れるでしょう。

 

医学から言えば、日本の法律は何の根拠も無いのに死後【24時間】と制定しているとなりますが、医学では解き明かせないことが数々あるのです。それは希に蘇生する人があるからです。そうした【蘇生者】は【三途の川】を見ていたりします。 向こうの世界から、おまえが来るのはまだ早いと追い返されるです。

病でこの世を去る前の方が、死の少し前に【あの世からのお迎え】が来ることは知られていますが、霊能者であればそれは常識の範疇です。お迎えがないと迷う霊があるからです。医学者や科学者が霊能者の言葉を非科学的とするのは、自分達は頭が賢い者で霊能力者は学が無い者と思い込んでいるからです。

頭が賢い人は、この世では学者や弁護士や医師等になれます。しかし、それでお釈迦様やイエスや弘法大師の様に【神の世界】が解るかと言ったならば、それは不可能に近いのです。それは頭の良し悪しで無く、その人の【魂の格】が関わっているからです。霊界の次元と呼ばれる存在からです。

 

一度はあの世やらに足を踏み入れて蘇生された方のことを【黄泉(よみ)帰り】と言います。それは夢では無くて、実際に霊界の体験なので皆さん鮮明に記憶しておられます。普通の漢字は【蘇(よみがえ)り】ですが、【黄泉の国から帰る】の方が意味は解りやすいのです。別名【冥府】です。一度は黄泉の国に足を入れながら、この世に再度戻るのが【蘇生】で、息の吹き返しです。

 

医師からすると、確かにその時は心臓は停止していたはずとなるのですが、私が2番目の言霊の師匠の元に居た時、私の神霊界修業が伏見稲荷山で4年間も関わっていたことから、私の胎内に入り込んでいた狐霊達を抜く作業として、私の心臓を停止させるがありました。

その時、私の周囲に居た人達は私の手首の脈を取ってみて、誰もが私の心臓が停止していると確認したのです。心臓停止が30分以上経過すると肉体にダメージが起きるので、許される時間は30分間以内です。その時間内に私の胎内から狐霊達を出さないとこの霊業は失敗です。私の心臓が停止したことから、私の胎内に居た狐霊達は私が死んだと思い。私の胎内から出て行ったのです。時間的にはギリギリでした。

その時の私は横たわっていましたが、周囲の人達と会話をしていました。私は幽体離脱や神界に自分の魂が飛ぶなどの体験者なので、別に自分の意識がどうなるなどの恐怖はありません。自分の心臓が停止していても冷静でいました。

しかし、そこに医師が居て聴診器を当てていると、この人は死んでいるとなるのです。ただ医師も意識があり会話をする状態で心臓が停止しているとなると、これはどういうことかとなるでしょう。心臓が停止していも意識があるのは、自己の【魂】は胎内にあるからなのです。

 

狐憑きだとされた方が、行者に縄で縛られて狐霊出て行けと棒で叩かれて亡くなられた等の事件が何例もありましたが、古来は狐憑きとされた方を行者が煙でいぶすなどが行われていました。確か、大本教霊界物語にも出口王仁三郎聖師の体験談として、そうした事柄が記載されていたかと思います。

一度その人の肉体に入り込んだ霊は、そう簡単には出て行きません。軽い症状の場合は祝詞や御経でその霊を【霊縛】して締め上げて、そうした霊がその肉体から出ますの確約をさせたりしますが、胎内に大量の霊が巣くっているとなると、そう簡単にはいかないのです。

そうした除霊に関わった行者が、その霊に反撃されて殺されてしまうがあります。為か、行者筋にそうした霊の除霊を依頼すると、時にはその報酬として何百万円も要求されるがあります。それは自己の命の危険性に鑑みてです。とても無料で出来る作業ではありません。神社で差し上げる【お賽銭】で片付く問題ではないからです。

ただ巷には、貴方は邪霊に憑依されていると嘘を言って大金を取る行者も宗教団体もあるので、霊が憑依していますの言葉の鵜呑みは【注意】が必要なのです。某宗教団体は贋(ニセ)霊能者を使って、そうした霊感商法で荒稼ぎをしたほどです。しかし裁判を次々と起こされて敗訴ぱかりしています。本来、人は【霊(ひ)止(と)】であり、誰しも多くの霊がその肉体には宿っているのです。

 

 

人の肉体の死とは、魂と肉体を結ぶ霊子線の切断時

 

 

 

世に【地縛霊】と呼ばれる存在があります。一般的には【幽霊】として霊感者などに目撃されるです。それは【霊子(たまのこ)】線が切断されていないことから起きます。その魂の肉体が亡くなった場所を中心地として、狭い範囲を行動しているからです。それはその魂の霊子線が地に束縛されていることから【地縛霊】と言います。

 

幽霊騒動には、霊子(たまのこ)線切断要因がある

 

霊能者が幽霊騒ぎを治めたりするのは、そうした地縛霊の線を切断させるがあります。そうしないと本当の霊界には送ってやれないがあるからです。霊能者が【自殺】すると救えないと言うのは、【霊子(たまのこ)線】が地につながれてしまい、本来の霊界に渡れないからです。それが神罰とか仏罰と呼ばれるのですが、死んだからと言ってその霊子(たまのこ)線を切断して貰えないからです。それが出来るだけの霊能者の方であれば、自殺霊とて救うはあるのです。地縛霊の状態から本来の霊界に渡すです。

 

この【霊子(たまのこ)】線のことを知っている霊能者の方は、三次元世界の人類などは霊子線をいっせいに切断すれば【人類の世などは一瞬にして終わる】と言われます。確かにその通りなのです。大本教神諭に世の立替時は、【いっせいなので上に行く魂、下に行く魂などで混雑するので、神もかまっておられない。】とありまして、この霊子(たまのこ)線切断説は否定出来ません。

 

創造神からすると、人類の世は一瞬にして終えられる

 

何故に創造神はその【霊子線】を切断しないのかが謎

 

私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私はこの世の幕を引くに当たって、人類を救わんが為にそなたをこの世に使わした。】と告げられましたが、この世を終わらせて、人類を【嬉し嬉しの未来の世】に渡すにあたって霊子(たまのこ)線を強制的に切断すれば、人類は意味が解らずに全員霊界に放り込まれてしまいます。そうなると霊界で【迷う魂】が続出します。為に新しい世に移行するにあたっては、その説明はなされるべきなのです。それとも、別の移行方法にするかです。

そこに【そなたのお教えを信じる者は、この神が救う。】と告げられたのでしょう。しかし、【そなたにはこの神の力は何一つ与えない。】であって、私の教えは私自身に神力や霊力が無い為に、いっこうに広がらないなのです。

私は【真理】に向かった時、これは無理だ。人類で【真理】に向かう者がどれほどいるのかとなった時、人の魂が【八、九、十】次元界で無いと難しいと理解したのです。しかし、せめて【五、六、七】次元界には行って欲しいです。

 

そもそも【命】とは何なのでしょう?

【いのち】とは、【息(い)の霊(ち)】とされます

 

確かに、命は息(自分の心)が有っての物種です。仏教で【無我】が説かれますが、自分たる【我】を完全に無くせばそこに【喜怒哀楽】は生じません。また我が無くなるので【輪廻転生】も起こしません。しかしそれは、自分の心たる【息】を無くするなのです。そこに大本教神諭には、【我が有ってはならず。我が無くてもならない。】とあるのです。過度の【我】は禁物なのです。

 

自分の心(息)たる【我】は必要だが、強いもダメなのです

 

その【心とは】物質体ではなく【霊】なので、医学が人間の肉体をバラバラに解剖したところで【命】は見えるものではありません。だが、肉体の【心臓】が停止すれば、肉体を流れる血(ち)が停止することで、医学が発展していない古代から心臓の停止を以て死と判定されました。それは肉体が【息】をしなくなるからです。

 

息をしないとは、自分の心がそこから去った

 

人の【思い】の思(田の心)とは?

 

人の心臓は【四室】の【田の字】型で成り立ちます。その心臓に心(魂)が宿るので、【心臓】は【心の臓器】とされて来たと言えます。

 

心の臓器と示されても、誰も【心(魂)】を語らない

 

何故か?、古来の日本神道は【血の汚れ】をうるさく言いました。それは昔の日本の【産屋(うぶや)】と呼ばれる存在を見ると解ります。女性は出産時に流す血は汚れた血と思い、別の小屋に隔離したです。それは産屋とは別に【他屋(月経小屋)】と呼ばれる存在からも女性の生理も忌み嫌われたなのです。古代の人達は【血】に対する恐れがあったのです。そしてこの風習は世界の黄色民族や一部のアフリカ諸国に存在していましたので、別に日本独特の考え方ではなかったと言えます。古代の人は【血は霊】の意識があったと言えます。

 

一般的に死後の世界に渡る存在を【霊魂】と言いますが、

 

魂は人の心臓を拠り所に宿り、霊は肉体の血中に宿る

 

私達は【エホバの証人】と呼ばれているキリスト教系の宗教を知ります。この「エホバの証人」は【輸血受け入れ拒否】で世に知られています。それは聖書における【汝、他人の血を食べることなかれ】からです。この輸血拒否事件は裁判にもなっていますので、そちらの記録を見た方が解りやすいと言えます。

この事件は輸血拒否をしているエホバの証人の信徒に対して輸血をした医療機関が訴えられた裁判です。

 

裁判における審理記録の一部をコピー貼付。

 

エホバの証人は、キリスト教の宗教団体で、聖書に、「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(創世紀9章3、4節)、「ただ、血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。血は魂であり、魂を肉と共に食べてはならないからである。それを食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出すべきである。それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行うことによって、あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである。」(申命記12章23節ないし25節)

 

その魂、つまりその血を伴う肉を食べてはならない

 

エホバの証人は、輸血がその【血を食べる】ことに該当すると考えておられたなのです。この聖書の内容は明らかに説明不足と言えます。どのような肉であっても、肉には血が混じります。血が混じらない肉などあるでしょうか?。毛細血管を通じて血は肉の中にあるのです。だとすれば、この文章はおかしいと気づきます。上段にある「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい」と何等【整合性】が取れていないと解るはずです。 

 

私が牛肉を食したある夜、その牛肉が私に自分を食べてください。自分を食べて下さいと言います。その肉を食すると即座にトイレに入って下痢などがありました。その牛肉に何等かの【想念】が入っていたのです。私に食べられて私の体を使ってその想念は【浄化】されたなのです。

私自身は私の肉体を使って【龍神】や【稲荷神】等の神霊をも浄化浄霊しました。多くの霊魂の浄霊に関わって来ました。特に龍神の浄霊は自分の命に関わるほど苦しいものです。むやみにやるべきことではありません。そんなことをすれば肉体の死とか病院送りにつながります。一銭のお金にも成らないことで自分が苦しむ。ある意味【不条理】の中で来ました。そうした中で、【血と霊】の関係も学んで来たと言えます。

 

肉体人である私達の心臓には【魂】が宿ります。為に、心臓移植手術をすると、元の肉体から死を以て抜けるはずであった魂が別の肉体で生きることになります。それが心臓移植された人が元の魂の記憶を持つ要因になります。そうした時、必ず起きる反論は、【別の魂がその肉体の魂となるのであれば、その肉体が持っていた知識がどうして受け継がれるのか?。】です。肉体には【脳】と呼ばれるその人の記憶を管理している部門があり、血(霊)を通じて脳にある記憶を取り出せるからです。

こうしたことは【霊媒者】を見る時、その霊媒を勤める人が持たない知識を語り始めると、そこに入っている霊は霊媒者の知識で語っているのでは無いと解ります。これが【完全霊媒型】と呼ばれる霊媒者の特徴ですが、世にあまり居られませんので解る方は少ないのです。掃いて捨てるほどのスピリチュアルと違って、その数が極端に少ないのです。霊媒を勤めている時はその霊媒者の魂は肉体から抜けています。ですからその時に自分がしていた行為は本人には記憶が一切ないのです。

 

多くの霊媒者は自己の魂を胎内に持ったまま、他の霊を受け入れるので【半霊媒型】と呼ばれていて、サニワ(審神)者とのやり取りを霊媒者本人が記憶しています。その霊媒者の肉体の魂が、自分の肉体を他の霊に完全に明け渡していない時です。

霊媒者に入った霊は、その霊媒者が持つ脳内の知識を利用して語るがあります。もしもその霊媒者が博学の知識を持っていれば、その脳内の知識を利用出来るのです。そうなるとサニワ(審神)者はその霊媒者の知識を遙かに超える必要があり、サニワ(審神)に著しい支障が起きるのです。

 

何故、神は無知無学の者を神の代位者として使ったか?

 

大本教の出口なお開祖さんは、世に【文盲】と呼ばれる無知無学の方でした。そうした時、学者と呼ばれる方達は、神はどうしてあんな無知無学の者を使い。自分のような賢い学者に語らないのかと、批判されている方達がかなりあったようです。

これは【神】を理解されない方の言葉です。その神の神示が【代位者】の知識によって左右されると、神の神示そのものが曲がってしまう恐れがあるからです。一般的に【霊感】と呼ばれる物はその人が【感じた】であって、その人が持つ知識に左右されて神の言葉を直に受け取ったではありません。わいきょく(真実が曲がってしまう)するのです。

では、大本教の出口王仁三郎聖師は出口なお開祖と真逆じゃないかとなります。13歳にして自分が退学した小学校の「代用教員」となったほどの【逸材】です。そして大人となり審神(サニワ)学を学ばれたのです。

神の神示の代位者は【無知無学】が適しており、逆に【審神(サニワ)】者は霊よりも【博学】の知識が要求されるのです。それは神霊として出て来る霊の【虚言】に欺されない為です。そうでないと、蛇や狐や狸や猫霊と呼ばれている霊が化けた神霊が告げる言葉に自分が【欺されて】しまうことになるからです。

 

スピリチュアル界の大御所である【美輪明宏】さんは、霊能者として看板を上げている方で本物の霊能者と言える方は20人に1程度(5%)と言われておりますが、霊感スピリチュアルまで含めると千人に一人程度しか本物の霊能者は居ないとなるのです。

豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、霊が見えるとか霊の声が聞こえると言うスピリチュアル的な方が相談に訪れると、その霊力を封じていました。なまじ霊が見えたり聞こえたりすると、その人が将来不幸になるからです。そのまま行かせると死後は邪神達の餌食でその一生を終わってしまうなのです。

スピリチュアルと呼ばれているのは低級霊界との交信であり、神の世界とは無縁なことであり、為に魂とか霊の言葉だけが踊っているなのです。いくら神社に参拝してそこに鎮座されている神霊と会話が出来たとしても、そうした神社に鎮座している神霊が、私が書いているような事柄は何一つ教えも説明もしてくれないでしょう。

 

今回のコロナ騒動。神社に鎮座する神霊達が予告したでしょうか?。スピリチュアルで語る宇宙連合とか宇宙連盟とか○○司令官等が予告したでしょうか?。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は昭和23年に亡くなられましたので、その予言は東西冷戦で終わっています。だが、今も生存しておられたらその類いの予言はなされたでしょう。

 

ある新聞社の記者が、【心臓移植】に関して神の見解を知りたくて、大本教の三代教主を訪ねられたところ、三代教主は何も答えられなかったがあります。こうしたことは世襲で教祖になった宗教家では答えることなど出来ません。こうした事柄は大本教神諭や霊界物語を読んでも書いてはありません。また、聖書をいくら読んでも書いてはいないのです。実際に自分の目で霊世界を見て来ないと解らないのです。神霊界【修業】が必要なのです。

しかし神霊界修業とは筆舌に尽くしがたいがありまして、自分が自殺を図るほど追い込まれます。命を捨てる覚悟が要ります。だが、死なせて貰えないことからその道を行くなのです。邪神達は高い魂を持った人が出て来ると、まず自分達に取り込む為に【罠】を仕掛けます。よほど強靱な魂の持ち主で無いと潰されてしまうのです。そこに霊界における【オレオレ詐欺】等も発生してきます。

 

 

別にエホバの証人のように輸血を受けてはいけないと考える必要はないのです。何故ならば、人の胎内の血の寿命は「40日間」程度で常に更新されているからです。誰が書いたか解らぬような聖書の教えを信じて、輸血拒否で命を落とすよりも輸血を受けて命を保った方がいいのです。

 

聖書のマタイ伝には【新しい酒を古い革袋に入れる】がありますが、

魂は古い革袋で血は酒、魂と霊で一体となる

 

人の心臓は胎内の汚れた血を集めて浄化し、汚れていない血としてまた胎内に送り出しています。人の魂には汚れた霊を清める働きがあるのです。為に魂には肉体が必要で、人として、または動物などに成ってこの世に出るなのです。そこに魂の【輪廻転生】が起きるのです。この世に出て来るとは、古い革袋(魂)に新しい酒(霊)を入れるなのです。だが自分のこの世の行いが霊を汚す行い続きであれば、やかでその古い革袋たる魂も汚れからドス黒くなって来るのです。

 

しかしそうしたことは、大本教の出口王仁三郎聖師が【霊】の漢字に【チ】の呼び方を振られるまでは誰も理解には到らなかった言えます。試しに辞書を調べても【霊】の漢字に【チ】の呼び方はありません。大本教から霊は【チ】とされたことから理解が出来るのです。【チ】で解る【霊と血】です。

 

私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み。【旧約聖書は我が書であるなれども暗号化されたものであり。暗号を解く鍵を持たないと、その意味は解けぬ。】と告げられましたが、【汝、魂の血を食べることなかれ】は、その意味が違うのです。

他の人の魂(心)にある良心神や善意たる行い(霊)を食い物にしてはいけないなのです。自己中や自己本位の自分勝手な生き方、他の人の魂(心)たる良心神や善意(霊)を食い物にして生きているからです。もしそうした善良の人達が世の中に一人も居なくなれば、もう自分本位や自己勝手な者は存在者達は【獣】として他の血肉を食べるより道がなくなるのです。私が大本教神諭や霊界物語を日本版【旧約聖書】と言うのもそこにあります。

 

人の魂は自分の霊の汚れを集めて浄化している

 

魂を汚すのは、霊(血)が汚れる想念を持つから

 

スピリチュアルの何をしても自由なのだ!。自分だけが幸せでいいのだ!。こうした自己中、自己本位の物事の考え方は自分の霊(血)を汚し、やがてその魂(心臓)も汚して行くのです。

 

 

 

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