人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊学№51 人類が神の存在を認識するには神の代位者たる人間が必要で、世に出たい神霊は自己の代理者を求めている

私は昭和【五十五】年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事から神霊世界の修業に飛び込みました。その修業の世話をして下さった方は豊受姫の【お代】をしている霊能者で隣市の稲荷神社の神主さんでした。次に自称国常立尊の現身(うつそみ)と称しておられた霊能者で【言霊】師の方を師匠として、神霊世界の手ほどきを受けて来ました。特に【言霊】のことは、宗教をいくら学んでも解らない世界と言えました。言うなれば完全な教科書が無いなのです。 

私は小学校2年生の頃から小学校を卒業する頃まで、旧約聖書の神と称する声を聞いておりましたので、霊的な声が聞こえるとか、霊的な事物を見たからと言って特段に恐いとか不思議だの概念は無く、冷静に霊的世界を見物することが出来ました。

そうした神仏や霊の存在を頭ごなしに否定する人達は、その人達には霊の声も神や霊の姿も見えないのだからと、そうした人達に神や霊の存在を信じる強制をする様なことはしませんでした。人は誰でも自分の目で見ないと信じられないがあるからです。逆に人類に神や霊が見えると、この地球は【魂の修行場】の機能を果たせなくなるです。

 

私が霊界修業で見て来た世界とは、今日迄の宗教家が語る様な宗教論理の世界ではありませんでした。また、四次元スピリチュアル等と言う低い霊界とのコンタクトでもありません。豊受姫のお代であった最初の師匠が【自分は神様は蛇や狐だと思います。】と言っていたように、優秀な霊能力者は神霊を【蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊】等と言います。また【龍神や天狗】です。神霊界にはそうした存在が多数見られるなのです。

が、私は最初の頃は蛇霊や狐霊は神霊として祭られているのに、この世を去った人達の霊はどうなっているのだと疑問だらけであったと言えます。最初の師匠が自分は神様は蛇や狐だと思いますと言った意味が解って来た時、今日迄の宗教はいったい何を説いていたのだ!。そうした驚きです。

スピリチュアルでは自分に天使長ミカエルが、大天使カブリエル等が出て来ると言われますが、では日本の天狗霊とどこがどう違うのだとなります。天狗霊は自分がそんな大天使等と言うような言葉は一切出しません。

 

私は自分の前に現れた仏教で説く【如来・菩薩、明王、神将】等も見て来ましたが、そうした【仏(ほとけ)】と呼ばれる存在が全ての世界でも無いと言うことです。そこに【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や天狗霊や龍神】等と呼ばれる存在も重なり合っているなのです。例えば観音菩薩として出て来る存在には、その正体として龍神とか蛇霊の姿が見られるです。そこには霊が別の姿に【身変える】現象があるなのです。それを語っているのは日本昔話の【狼がくれたまつげ】の話で、宗教の世界からの教えではないのです。

キリスト教やイスラム教やユダヤ教などは一神教で、そこで説かれている唯一の神が何もかも支配されているかとなった時、それを信じると逆に神霊世界を見誤ってしまうなのです。日本の神々がキリスト教の神、イスラム教の神を見た時、そこに絶対的な【唯一】神の存在を見ているではないのです。キリスト教のイエス一人を創造神の御子などと信じれば天国など、元からどこにも無いなのです。後世のキリスト教の牧師達が創り上げた創作話でしかないなのです。

私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【旧約聖書は我が書であるなれども内容は暗号化されており、それを読み解くには鍵が必要である。解読の鍵を持たずに読めば意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書ではない。私の教えは世界の宗教書にはなく、日本の昔話や民話の中に秘めてある。】と告げられたなのです。

 

霊界にあるのは霊的世界を支配する【法の原理原則】

 

人は霊が見えない、霊が見える者の言葉を受け取った

 

人に神や霊が見えるとは、お釈迦様やイエスやモーゼやマホメット。弘法大師や日蓮聖人。大本教の出口なお開祖に日本の最高予言者であった出口王仁三郞聖師や天理教の中山みき開祖等の宗教開祖の方達は、神や霊が見えることからその霊示を受け取って宗教を開かれたなのです。だが、そうした方が開かれた宗教も子孫や弟子の代になると、神も霊も見えない方が教祖となり宗教は【形骸化】するなのです。

そうした神や霊が見えるは大宗教の開祖と成られた方達だけでなく、古来より【シャーマン】と呼ばれる人達や【行者】と呼ばれる方達も見て来たなのです。今は【スピリチュアル】と称して霊が見えると言う方が多数出て来ておられるとなります。

私は霊能者と言えるほどの霊能力者ではありませんが、それでも伊勢神宮に鎮座されている男の神とか大国主命様とか豊受姫等の神々。仏教の【仏(ほとけ)】達や天狗や龍神達の存在を見て来ました。私の場合はまだそうした存在が見えるから神や霊は存在すると断言しますが、霊が見えない人達にそんな物は存在していないといくら攻撃されても否定されても、可哀想な人達だ。気の毒な人達だとしか言えません。霊の存在が見えることから神仏の存在。魂の【輪廻転生】も説明も出来るなのです。

 

大宗教の開祖と、スピリチュアルではどう違うのか?

 

スピリチュアルと宗教家では、関わる霊界次元が違う

 

スピリチュアルでは通常四次元界スピリチュアルとは言いますが、四次元世界と関わっているでは世の立替論を言う霊達がどこにもいないなのです。

 

私は大本教神諭に【世の立替があることはどの神も御存知なれども、肝心要のことが解っていない。】とありますが、日本の神々に接してみて、少数ですが世の立替を言われる神もあれば、世の立替?。そりゃ何じゃ!。と言われる神達の存在の方が圧倒的に多いなのです。日本の神霊界では【世の立替】など、ほとんど解っていないのに等しいのです。

また日本の神々には創造神の存在が解らない状態と言えます。それは日本神話の【天照大御神】の神話が引き起こしたとも言えます。伊勢神宮に鎮座されている御神霊が誰か?。です。

 

私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から人類は【新天地(新地球)】に移ると告げられましたが、一部霊能者の方以外はそうしたことは何も言われない。そこには神霊世界で神霊と称しておられる霊達が何も知っておられないに遭遇して、ある意味愕然としたのです。私が旧約聖書の神と称する声から聞かされたことは【嘘?】なのだろうかです。

私に解って来たことは、大本教が告げた世の立替論は下級神霊界にはまったく届いていない。上級神霊界にしか行き渡っていないなのです。ではどうして上級神霊界はそうしたことを人々に説かないのかとなった時、人々が神からの神示や啓示を受ける場合。神の【代位者】の存在が必要だと言う事です。

 

人類が神の啓示を知るには、人たる代位者がいる

 

私が伏見稲荷山でお世話になっていた頃、豊受姫のお代であった師匠は私にある相談をされて来ました。それはある神霊が、支部講員のKさんを自分の【お代】として申し受けたいと師匠に言って来られた。どうしたものでしょうか。という相談です。

そこで私は反対したのです。Kさんは信仰熱心です。信仰態度としては申し分ないでしょう。Kさんには屋敷神たる稲荷さんも、不動明王も就いておられる。しかし、仮にも御神霊の【お代】たる職に就くのであれば、その人柄に【見識】が要求されます。ただ単に神霊の言葉をオーム返しに伝えるだけならば【巫女か神主】の役割にしか過ぎません。お代ならばその神に成りかわって、時には自己の意見を言うだけの度量が要ります。また神霊に対しても、自分の命を賭けて反対意見が言えるも必要です。Kさんはそんなお代が勤まるだけの度量が無い。見識が狭い。そんなKさんをお代にしたいという神霊はいったいどこの神霊ですと返したところ。

 

豊受姫のお代であった師匠は、伏見稲荷山の某瀧場に祭られている某龍神さんですと言います。そして、どの御神霊も世に出たいと言う願望をお持ちです。御神霊が世に出る為には自分の言葉を相談者に告げる【お代】が必要です。お代を持たずにして、どの神霊も世には出られません。為に神霊のお代が出来る様な人を世に出たい御神霊達は探しておられます。その御神霊の眼鏡に適ったのがKさんですと言います。

それに対して、私は御神霊達が世に出たいと願っておられるは解ります。そして今や、神霊のお代が勤まる様な方はほとんど居なくなったことも解ります。病気治しと現世御利益だけで働くのあればKさんにもお代は勤まるでしょう。だが、その信徒となった人達の行く先はどうなりますか?。Kさんには人を導くだけの能力が備わっていません。その龍神さんには諦めてくださいと言うべきです。と 返しました。

 

すると最初の師匠は、解りました。向こう様にはお断りをいれます。と言われます。その後、講では新参の私が支部の古参であり、責任役員を務めるKさんの瀧修行を指導していると、何時まで経ってもKさんは瀧場から出て来ません。そこで、どなたかKさんを瀧場から出して下さいと頼むと、Kさんが瀧受けを止めて出て来られます。そこで私はKさんが瀧受け中に何が起きたのですかと聞くと、蛇の目傘ほどの大きさの金色の目が自分をじっと見ていましたので、その金色の目を自分も見ていましたと私に言います。

それを聞いた私は、その某龍神の目ん玉を見ていたと解りましたが、Kさんの身請けを断った話は私と豊受姫のお代であった師匠との話であって、Kさんにはそのことを教えていなかったのです。

 

巷には自分が創造神だとか、救世主だと称する方が後を絶ちません。何故なのかとなると、そうした人の背後には自分が世に出たいと願っている神霊達が多数あるなのです。そうした神霊は自分の【代位者】となる者を探して、その者に自分の前世は釈尊であった。イエスであった。弘法大師であった。出口王仁三郎であった。自分は救世主だと名乗りをさせて、どこにも創造神と呼ばれる神の存在が見当たらないことから、そうした【代位者】に名乗らせるがあります。

そうした自称者を100人集めれば100人が100人とも、自分は正しい名乗りだが後の99人は蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に騙されている者だの非難合戦になります。中には欲張って、自分は釈尊とイエスとモーゼの三っの魂の本体だと名乗る人も出て来るなのです。それにしては著本に書いてある中味が正しくないとなります。だが【霊界の実相】を何も知らない人は、どこが間違っているのかが解らずに、闇雲にその人がそうした人だと信じて行くなのです。

 

お釈迦様でもイエスでもマホメットでも神の代位者と言えます。お釈迦様の祇園精舎の御守護神は【牛頭天王】として知られ、大本教から出された【牛虎金神】は牛頭天王と解って来ます。モーゼも頭に牛の角があったとされることから同じく【牛頭天王】だと解ります。

 

人類は何時から、神の存在を知ったのであろうか?

 

自分に霊能力がある方以外の方は通常は霊が見えませんから、宗教が説く神の【概念】に縛られてしまいます。キリスト教等ではイエス一人が神の御子で、イエス一人を神の御子と信じる者は天国で、異教徒は地獄に落ちるですが、そんな事実はどこにも存在していません。

また日本仏教では【南無妙法蓮華経】とか【南無阿弥陀仏】と称えれば極楽に往生出来るですが、そんな事実も存在していません。いくら【御題目】を称えても地獄に落ちる者は地獄に落ちるです。

 

私が霊的世界の見聞で知ったことは、

正負の原則(目には目を歯には歯を)。因果律と縁起

 

巷には自称救世主がゴロゴロしています。で、そうした人を救世主と仰いだら自分の過去世から積んで来た【カルマ】が消えるかと言うと消えません。あるのは宗教家が金で罪を売り買いする【贖罪】です。宗教家に莫大な金を渡して自分の罪を貰ってもらう。するとその宗教家がその人に代わって、地獄界に行ってくれるです。

世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師が【地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!】と残されたのは、その【贖罪】が関わっているなのです。

 

霊界では代替え弁済が許される。地獄の沙汰も金次第

 

私は自分のブログに何回かあることを書きました。人はこの世に生まれ出て来て、自分が過去世で如何なる罪を犯したのか記憶していません。ただそれらは【カルマ】として残っているなのです。そのカルマを消す方法として【信仰の道】はありますが、その道は皆さんが思っている以上に至難の道です。単に神仏を拝むのではなく仏教ならば僧として出家する。俗世と縁を切って神仏に仕えるです。神に対して自分の命を投げ出す覚悟が要ります。が、全ての人が自分の過去世を恥じて出家すればこの世は保ちません。

この世を普通に生きている人であれば、この世の弱者である人達を救う為の【社会福祉に寄付】することが有効なのです。そうすると【地獄の沙汰も金次第】で変わるのです。閻魔大王が金を貰って地獄の沙汰を変えるのではないのです。言うなれば【贖罪】が働くのです。自分の過去の罪を赦して貰う【贖罪】です。

では、そんな金も無い者はどうすればいいのか?。そこに自分が社会の為、世の為にと肉体労働を持って奉仕で【贖罪】する【ボランティア活動】があるのです。それが【義】とも結びついて、天国の門を開けさせるなのです。

 

スピリチュアルの【神は愛だから何をしても赦されます】などは、どこを見ても存在しないのです。

スピリチュアルは金儲けが出来るで、多くの人がスピリチュアルに飛び込まれますが、どれだけ恐ろしいことか認識する必要があります。

 

中世のヨーロッパを支配したキリスト教会はイエスの様に神や霊が見える存在は【魔女】として【火炙り刑】に処して来ました。そうした過去世が魔女やシャーマンであった多くの女性が今はスピリチュアルで活動されていますが、単に霊が見える。霊と会話が出来るでは危ないのです。キリスト教では今日でも霊の事を言う牧師は異端の牧師として下位に置かれています。またイスラム教においてもそうしたことを言う司祭は登用はされません。それは正しい姿勢ではありませんが。

 

世界の宗教では【霊】の存在を語ることはタブー

 

日本の明治大正の時代。東大助教授であつた【福来友吉】博士は霊媒である【御船千鶴子】さんと【長尾育子】さんを使って、「透視とか念写」実験を重ねておられましたが東大を追放される目に遭われました。学者などは頭からそうしたことを信じないからです。福来友吉博士は高野山大学の教授に転出されましたが、霊媒を務めた御船千鶴子さんは自殺されています。その時期ならは何故に大本教の出口王仁三郎聖師を訪ねていろんな話を聞かなかったのか?。そこが悔やまれることなのです。

透視(千里眼)とか念写とかは【霊的世界】が存在するからであり、神仏の世界と関わるからです。それどころか【物質移動】もあります。イエス一人が神の御子だとか、アラーの神と称えていれば良いではないのです。

 

大本教から、【人は神の子・神の宮】が出されました

そのことは仏教で【人には仏性が宿る】と同じ事です。

 

それを知る事こそが本来の【信仰】であり、それを教えることが【宗教】なのです。誰かを拝めば天国等あり得ないのです。法華経にはお釈迦様が弟子達におまえは後に○○菩薩に成るなどがありますが、人は仏教で言えば【如来・菩薩】に上がれます。日本神道では【神】にも成れます。だが、それは他力信仰には非ず。自力の道なのです。

 

神はそれを解らせる為に、人を使って教えを説いた

 

ただ、霊界には【次元界】と呼ばれる層があり、高次元界の神霊の教えを受ける人間はその魂そのものが高次元界にないと、そうした高次元の神霊からの神示や霊示が受け取れないがあるのです。お釈迦様も自分達と同じで飯を喰らって糞をされた。自分とどこがどう違うのだと言われる方達がありますが、根本的に【魂】の次元格がまるで違うのです。

お釈迦様はこれまでの人類の歴史では最高位の次元の方であり。お釈迦様よりは下位の次元にはなりますが、イエスと大本教の出口王仁三郎聖師は次元格的には同格とされています。私は旧約聖書の神と称する声から、弘法大師とマホメットは同格と聞かされています。そうした宗教指導者たる存在の方は死後は【生まれ代わり】を起こしてはおられません。後世に自分がその生まれ代わりだと称すればニセ者とも言えます。

 

大本教の出口王仁三郎聖師は自分は【素戔嗚尊の魂】だと称されて、自分は【ニセ者】と発表をされましたが、これは自分は最高次元界の素戔嗚尊の魂では無いと告げられたなのです。出口王仁三郎聖師の素戔嗚尊がニセ者ではなく、もっと上の霊界に素戔嗚尊たる存在があるなのです。ですから、出口王仁三郎聖師自身が生まれ変わって世に出るではないのです。自分よりも高次元霊界に素戔嗚尊たる魂の存在があることの説明なのです。

 

 

 

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