日本駆け込み寺・玄秀盛の後ろ盾は誰か―日本財団の研究
はじめに
今回の記事は、公益社団法人 日本駆け込み寺の事務局長がコカイン所持で逮捕された件について、彼らの後ろ盾となる人脈を解説したいと思います。
日本駆け込み寺は、客観的に見て、支援事業者としての適格性に疑念の余地が十分にある、と考える人もいるでしょう。しかし、メディアは彼らを積極的に賞賛してきましたし、東京都は若年女性支援事業者として採択したのです。その歪な構造には、どのような力が働いているのかを深掘りするのが、本記事の目的です。
おそらく、一部の人は私にこう言うでしょう。「Colaboを批判してきた人間に、日本駆け込み寺を批判する資格があるのか」と。
それにはあらかじめ反論しておきます。
これらの問題の本質はミソジニーではなく、公金スキームにおける東京都(および都民ファースト)の管理体制の杜撰さです。
都や政党・政治家に対して、適格性に乏しい組織にお墨付きを与えることができる非公式権力とはいかなるものか、それが私の研究対象です。
結論を先取りするならば、日本駆け込み寺の問題は、Colabo問題についての私の見解を、図らずしも補強するものです。単にColabo問題と構図が似ているだけではなく、まったく同じ人脈によって引き起こされた、同一の構造的問題の再現したのが、今回の事件だったのです。
今回は、問題の深刻さと公益性に鑑み、期間限定で全文無料公開いたします。
日本駆け込み寺のコカイン問題
日本駆け込み寺の事件の概要
2025年5月19日、日本駆け込み寺の事務局長がコカイン所持で逮捕されたというニュースが報道されました。
18日午後5時半ごろ、東京都新宿区大久保の路上で、小分けされた袋の中にコカインを所持した疑い。
同署は田中容疑者と一緒にいた20代の女も、コカイン使用容疑で逮捕した。女は日本駆け込み寺の相談者とみられ、同署は田中容疑者がコカインの使用を勧めたとみている。
そして、22日になって、日本駆け込み寺に家宅捜索が入りました。事件から4日が経過してからの家宅捜索に、あまりにも遅いと警察の対応をいぶかしむ声があります。
福祉事業の根幹にかかわる問題
今回の問題は、単に日本駆け込み寺のメンバーがコカインを所持していたという話ではありません。組織の中心人物である事務局長が、相談者に対してコカインを勧めていたという、支援の根幹に関わる問題だからです。
さらに詳しい状況が捜査関係者から明らかになっています。
田中は17日の土曜日の夜、『駆け込み寺』で仕事をした後、帰宅。女性と一晩過ごし、そこでコカインを吸引、翌日外食して帰宅する際、挙動がおかしいことから職質を受けた。一晩過ごした女性は相談者で、風俗店で働く女性でした
この情報は、日本駆け込み寺の創設者・代表理事である玄秀盛のFacebook投稿からも裏付けられます。
いわゆる田中は「玄さんとは救い方は違うが僕はODするぐらいやったら、コカイン治療の法が体にいい…と本人に勧めてた。17日(土)深夜本人と自分も吸引し多幸感があるから二人での5時間、田中部屋で過ごす44と23の男女。
それ以上のコトは想像もしたく無い。
この書きぶりからして、何を想定しているかは明らかだと思います。さらに次の文章は、事実なのか玄氏の推測なのかはわかりませんが、かなり踏み込んだことを書いています。
玄さんのやり方とは違うコカイン治療やから…。
何と恥ずべきことでしょう
何を悪質ホストから学んで来たんでしょうそれとも、そのマニュアルを学んで洗脳された20代の女性達を囲い込みハーレムを作り買ったんですか
悔しくてほんとな胸が張り裂けそうで呪いたくて…こんな無惨な仕打ちってあるんですか?それとも、悪質ホスト関係者からの指示(ハニートラップ)だとでも言うのですか?(強調は引用者)
もし玄氏の想像することが事実であろうとなかろうと、今回の問題は単に一つの福祉団体が不祥事を行ったというレベルの事件ではありません。むしろ、東京都はこんな実態の団体に若年被害女性等支援事業者というお墨付きを与えたわけで、東京都の福祉スキームそのものが根本から疑われる事態なのです。
日本駆け込み寺は、支援団体として適格なのか
先の引用の直後、玄秀盛は非常に興味深いことを書いています。
これ以上、田中の件でお話しする事は、私自身も犯罪者になりかねません。
この文章を、私たちはどのように解釈すれば良いのでしょうか。田中氏について話せば、名誉毀損罪・侮辱罪になるという文脈だという解釈は不可能ではないかもしれませんが、かなり無理がありそうです。
もう一つ注目すべき点があります。それは、先の投稿や集英社の記事を見る限り、田中事務局長に対する怨嗟にもとづく発信が中心です。
少なくとも、これらの文章には自身の管理責任や任命責任を認め、支援者や相談者に謝罪する姿勢は非常に弱いと言わざるを得ません。
結局のところ、「返せ俺の人生」という言葉に象徴されるように、玄秀盛にとって、日本駆け込み寺は自己実現の手段でしかなかったのではないかと私には思われます。
また、共同代表の清水葵も、Facebookで以下のような投稿をしています。
私も必死で2年半一緒にやってきたことを踏みにじられました。
毎日、電話やメール、SNSのアカウントで誹謗中傷の嵐です。
個人の不祥事が、団体全てを悪く捉えられてしまう。
仕方ないとわかっていても、正直はらわたが煮えくり返る思いです。
団体全体の風評被害を受けて、全ての頑張りを世間から否定されているのが現状です。
全責任を事務局長に押しつけ、団体としての風評被害を訴えています。一方で、共同代表としての責任や、支援対象者に対する謝罪は見当たりません。
その意味において、私には、この文章からは被害者意識しか読み取ることができません。
代表理事および共同代表の事件後の対応をとっても、やはり日本駆け込み寺は、公金を注入する福祉事業者として適格性が欠落しているように、私には思われます。
玄秀盛はどのような人物か
玄秀盛のプロフィール
創設者の玄秀盛とはどのような人物なのでしょうか。彼の経歴を公式プロフィールからまとめました。
玄秀盛氏は、1956年に大阪市西成区の在日韓国・朝鮮人の家庭に生まれ、複雑な幼少期を過ごした。中学卒業後、28種以上の職を経験し、建設業や金融業など10社以上の会社を経営、ヤクザとの抗争も経験するなど波乱に満ちた青年期を送る。
1990年に天台宗で得度し、2000年に献血の際HTLV-Iウイルス感染が判明したことを機に人生が一変、社会貢献活動に身を投じる。
2002年にNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」(通称・新宿歌舞伎町駆け込み寺)を設立し、DV、虐待、金銭トラブルなど様々な困難を抱える人々の相談支援を開始。
2011年には日本財団の支援を受け「一般社団法人日本駆け込み寺」を設立、翌年公益社団法人化を果たす。2013年に日本国籍を取得。出所者支援にも力を入れ、「一般社団法人再チャレンジ支援機構」を設立し、出所者が働く居酒屋などもプロデュースした。
2023年、繁華街・歓楽街における青少年(概ね30歳)のための相談所・解決に特化した団体・青母連を設立。
その特異な人生はテレビドラマ化もされ、多数の著書がある。
(ソース Wikipedia 玄秀盛 ・note 公益社団法人日本駆け込み寺 代表プロフィール 玄秀盛について・nippon.com 崖っぷちの人を救う—「日本駆け込み寺」代表・玄秀盛さんなど)
玄秀盛とその犯罪・非行歴について
こうした公式プロフィールには書かれていないのですが、数多くの非行歴・犯罪歴があります。本人の著書「新宿歌舞伎町駆けこみ寺解決できへんもんはない」から書き出してみます。
まず、小・中学生のころは、傷害・カツアゲ・シンナー・万引き・窃盗で、5・6回は警察沙汰になっています。さらに強姦もしています。
思春期の私にとって、自慰をするのも、女を犯すのも同じだった。シンナーを吸う時に使うビニール袋を切って、コンドーム代わりにした。行為の後、 膣 の中に残ったビニールをほじくりかえした。そもそもビニールから精液がもれているのだから、避妊の効果など、あったものではない。セックスの後、コーラで膣を洗浄すれば避妊できると聞けば、稚拙にもそれを試した。 ある時は、中学生の女の子を男七人で回した。各自三回ずつ、無理やり犯した。
常識的には、これは「強姦」以外のなにものでもないはずですが、彼はそれを「強姦まがい」と書いています。
その後、彼は当時は違法であった「人夫出し」、いわゆる土建派遣業を立ち上げ、巨利を得たことも書いています。ただそのやり方が、本人が言うとおり、まさに「極悪非道」です。
約束通り十日間、働けば、契約は満期となり、給料は当然支払われる。ところが、なんらかの理由で人夫が満期である十日を前に仕事を放棄すれば、契約違反である。日払い制ではないので、たとえ九日間と二十三時間働いていても、契約不履行の扱いとなり、給料は一銭も支払われない。そういう内容の契約を人夫と交わした。
そして、8日目あたりから人夫をいびり、契約不履行になるとわかっていても逃げ出すように仕向け、報酬をまるまる自分のものにしていたと、悪びれもせず書いているのです。
仮に契約が満了しても、食費・衛生費が極めて高く、さらにご飯・味噌汁・たくわんと極めて質素なため、会社が用意した法外な値段の食材を購入せざるを得ず、労働者の手元に4万円しか残らない仕組みだったのです。
はっきり言えば「カイジ」の地下強制労働並のやり口ですが、彼の書きぶりからは、私には悔恨の感情は読み取れません。
玄秀盛の裏社会的な行動原理
その後、会社が破綻したことをきっかけに40代前半に上京し、探偵調査会社やオゾン関連の会社、弁当屋など複数の会社を経営します。その時期のことについて、彼は次のように語るのです。
危ない橋を渡ってきているだけに、備えにも気を使った。いつなんどき、警察の家宅捜査が入るか、わからない。そういうギリギリの商売をしていた。重要事項はすべて頭にインプットし、証拠書類はいっさい残さないのが私の流儀だった。交渉人の仕事に本腰を入れ始めてからはなおさらだった。 警察にも五、六回はお世話になった。任意の事情聴取を受け、留置場に送られたこともあった。最後が三年前の逮捕監禁致傷である。事務所に家宅捜査が入り、警察に連行されたが、証拠は何一つ出てこなかった。証拠は、私の頭の中である。(強調は引用者)
つまり、違法行為であったとしても、見つからなければ犯罪にならないというのが、玄秀盛の思考パターンなのです。そう考えると、あからさまな強姦をなぜ「強姦まがい」と書いたのかも推察が行き届きます。すなわち、「女を犯して」も、逮捕も有罪にもなっていないならそれは強姦とは言えない、という発想なのではないかということです。
ここで思い出してください。今回の事件について、玄秀盛がFacebookで、「これ以上、田中の件でお話しする事は、私自身も犯罪者になりかねません」と書いていました。
普通に読めば、玄秀盛自身が田中がやっていることを黙認してきたか、それとも自身が犯罪者になるようなことを、田中とともにやってきたという告白に読めます。(玄氏が、田中をやめさせない理由が関係しているかもしれません)。
逆に言えば「証拠がない限り、調子に乗って具体的に話しさえしなければ有罪にならないだろう」という思考回路だからこそ、逆にこういう仄めかしを表で書けるとも考えられます。ここには、裏社会を渡り歩いてきた玄秀盛の処世術が読み取れるように、私には思えるのです。
このように整理すると、基本的に玄秀盛という人物は、市民社会を営む上で当たり前の遵法意識がなく、むしろ裏社会に適合した生き方をする人物であると言わざるをえません。
行政が手を組んで福祉事業を行う相手として本当に適格であると言えるのか、結果論ではなく、彼自身の所業と行動原理について、読者の皆様が判断いただければと存じます。
玄秀盛・日本駆け込み寺の社会的ステータス
玄秀盛をいかにメディアが持ち上げてきたのか
玄秀盛という人物は過去に何度も大手メディアに、非常に肯定的に取り上げられています。
テレビ番組では、
2006年 『こちら新宿駆けこみ寺〜泣き笑い玄さん奮闘記〜』高橋克実主演 フジテレビ
2011年 『愛・命 〜新宿歌舞伎町駆け込み寺〜』 渡辺謙主演 テレビ朝日
2019年 ドキュメンタリー『信じる男 信じられた男〜新宿歌舞伎町・駆け込み寺〜』NHK
主要な新聞社(+東京新聞)を調べたところ、2010年以後、彼について肯定的に取り上げる報道が、少なくとも22件見つかりました。
日本駆け込み寺・青母連と政治の関係
玄秀盛が立ち上げた日本駆け込み寺・青母連と、政治との関連について見てみましょう。
令和6年の内閣府第3回 健康・医療・介護ワーキング・グループでは、今回逮捕された田中芳秀が資料を提出しています。
その内容は、「市販薬濫用」いわゆるODについてです。この人物が実際には、相談者にコカインを勧めて、同じ部屋にこもって一緒に服用して何かをしていたのですから、有識者として話を聞いた内閣府としても凄まじい失態と言わざるをえません。
法務省矯正局は、玄秀盛を広島少年院に招いて講演をしてもらっています。
また、社民党の大椿ゆうこが次のようなツイートをしています。
ただ、私が調べる限りにおいては、立憲民主党の方が繋がりが強そうです。
たとえば、令和6年の第213回衆議院厚生労働委員会では、立憲民主党の山井和則が以下のような発言を行い、ぱっぷすと青母連を非常に肯定的に取り上げています。
何よりも、今日の配付資料にも入れさせていただきました、先日、武見大臣が本当に、悪質ホストの被害者の方々、配付資料十一ページにありますけれども、被害者の方々、またそのお母さんの方々、支援団体、青母連やぱっぷすの皆さん方と、大変お忙しい中、一時間も時間を取ってお話を聞いていただきまして、本当に幾ら御礼を申し上げても足りません。
また、同年、悪質ホストクラブ被害防止法案を立憲民主党が提出したとき、青母連・玄秀盛とは協力関係にあったようで、党に対して玄氏は次のようなコメントを寄せています。
「トー横」のある新宿で被害者支援を続ける「青母連」会長の玄秀盛さんは「被害は歌舞伎町だけでなく全国に広がり、暴力団の資金源にもなっている。少しずつでも対策を前進させ、問題を解決していきたい」と引き続き立法を促す考えを示しました。
また、日本駆け込み寺がやっている餃子屋(日本駆け込み餃子)には支援者の一覧が出ています。
その中で、政治家は
林芳正(自民党・現内閣官房長官)
長妻昭(立憲民主党)
田嶋要(立憲民主党)
岸本周平(国民民主党)
仙石由人(民主党)
他に目立つところでは
笹川陽平(日本財団会長)
木藤繁夫(元東京高等検察庁検事長)
菅原文太
あたりが目立ちます。
玄秀盛と日本財団・笹川陽平との関係
玄秀盛の後ろ盾は誰か
ここまで見てきたように、玄秀盛の過去の経歴や行動原理をつぶさに知れば、積極的に関わることをためらう人の方が、おそらくは多いのではないでしょうか。これは今回の事件を受けた結果論ではなく、フラットに考えてリスクが高い人物だという判断の方が自然だと思うのです。
にも関わらず、メディアはある種の偉人というストーリーを創り、行政や自治体や政治家や政党は重用してきました。
なぜでしょうか?
もちろん、ここには単なる「人を見る目のなさ」の問題はあります。しかしそれだけではなく、少し調べれば、絶大な非公式権力の後ろ盾があったことは明白です。
言うまでもなく、日本財団と会長・笹川陽平です。そもそも日本駆け込み寺は、日本財団にとって単なる一つの支援先ではありません、日本財団の協力によって作られた団体なのです。
日本駆け込み寺のロゴマークと、日本財団のロゴマークは、並べてみると非常に近いものがあるのは、決して偶然ではないのです。
笹川陽平と玄秀盛のただならぬ関係性について
笹川陽平は、自身のブログで「日本駆け込み寺」というタイトルの記事を書き、次のように書いています。
日本財団では、福田英夫を中心に、刑務所出所者の再犯防止の実践活動はどうあるべきかを研究する中で玄 秀盛さんに巡り合ったわけで、彼のNPO法人「新宿歌舞伎町駆け込み寺」の組織強化と財政支援のため、新たに一般社団法人「日本駆け込み寺」として発足することになった。日本財団からは瀧道子を派遣して玄 秀盛さんを盛りたてる。
ちなみに、日本財団から派遣された瀧道子なる人物は、少なくとも2011年時点では日本駆け込み寺事務局長であることが、笹川陽平の面会記録から明らかになっています。
また、笹川陽平は、日本駆け込み寺の公式Webサイトの応援メッセージで、次のように書いています。
玄さんと日本財団が結びつき、一体となることによって、より効率的、より効果的に、悩める人たちが新たな希望を見出せる道を作ることができる。
できれば、私自身も駆け込み寺の相談員の席に座り、人様の悩み相談を聞き、その方の心に寄り添いたい。
悩める人々を一人でも多く助けたい一念で、私と玄さんは心が一つになった。(引用者強調)
私は、日本財団および笹川陽平が支援する団体や人物について色々読んでいますが、「日本財団と一体となる」「心が一つになる」という表現で肩入れを明らかにしている文章は、一度も見たことがありません。それほどまでに、笹川陽平および日本財団から、前代未聞とさえいえる破格のバックアップがあったのです。
なお、先の玄秀盛の著書に面白いことが書いてあったので紹介します。それは、30代半ばで東京(赤坂)で飲み歩いていたときに、出会った人物の話です。
なかでも「日本で唯一、最後のフィクサー」として君臨していたA氏との出会いは衝撃的だった。彼は数々の大物政治家の後援者であり、政財界からヤクザの世界まで、絶大なる影響力を持つ人物だった。彼のひと声で「白が黒」となり、彼の前ではどんな有力者も逆らえなかった。 そのA氏がなぜか、私のことを気に入ってくれた。私は、A氏の唯一の「門下生」となった。 「俺の息子みたいなもん」 そう言って、次から次へと重要人物を紹介してくれた。(引用者強調)
A氏とはいったい誰なのか、この本では語られていないのでこれ以上の断定はできません。しかし、この記述が当てはまる人物は、広い日本といえども、片手で数えるほども存在しないはずです。
そのA氏との出会いとそこから開けた人脈が、玄秀盛の人生の転機になったことを考えあわせると、答えは自ずと絞られるのではないかと思うのですが、最終的には読者の判断にお任せします。
警察コネクションと日下公人
先に紹介した笹川陽平ブログには、日本駆け込み寺の創設当時の理事一覧が記されています。
<理事>
玄 秀盛(一般社団法人日本駆け込み寺 代表)
日下公人(評論家)
工藤美代子(作家)
さかもと未明(漫画家)
中村克夫(陽光株式会社取締役社長)
新田 勇(元大阪府警察本部長)
宮崎 正(元共同通信社)
矢田次男(弁護士、元特捜部検事)
ここに、元大阪府警本部長や、元特捜部検事などが入っているのは興味深いです。事件発覚後4日後に家宅捜索を行うという遅さの背景には、この警察とのコネクションがあったのではないかと疑う人たちもいます。
もう一つ、上のリストで注目すべきは日下公人です。
日下公人は、日本財団の下部組織である元東京財団会長・日本の右翼界の超大物です(単なるシアターチャンネルであったDHCテレビを買収させネトウヨ化し、日本のビジネス右翼界隈を作ったと言われています。ちなみに、なぜか幸福の科学との関係も深いです)。2011年2月時点では、同じく下部組織である社会貢献支援財団の会長でもありました。日本財団としても、最大級の手駒を日本駆け込み寺に送り込んだというわけです。
なお2007年、その日下公人が社会貢献支援財団会長であったころ、玄秀盛は同財団の社会貢献者表彰を受賞しています。
日本財団から日本駆け込み寺への助成金
最後に、決定的な証拠をお見せいたします。日本財団から、日本駆け込み寺に、創設した2011年から6年間で、2億9560万円もの助成金が出されています。日本財団が、様々な団体を支援する中でも、億を超える金額はやはり破格としか言いようがありません。
ちなみに、この間の事業費総額は2億9908万円。実に事業費の98.8%が日本財団からの助成金で賄われていたことになります。
このように、日本駆け込み寺は、笹川陽平会長の肝入り案件として、人脈的にも資金的にも、日本財団本体の事業と言って差し支えない状況だったのです。少なくとも、2016年までは確実にそのように言えます。
さらに、ここまでの助成金を受けて2017年に日本財団が行った評価では、Sランクと最高評価を受けています。
玄秀盛の日本国籍取得は、日本財団がバックアップした
玄秀盛は、2013年に日本国籍を取得しています。
一般論ですが、犯罪歴が多い人物が帰化申請を行っても、認められる可能性は低いと言われています。
しかし玄秀盛は、日本財団が後ろ盾となって帰化が認められたということが、直近の本人の証言から明らかになりました。
日本財団との関係について比較的詳細に語られているので、書き起こします(18分ごろ)。
ー ここの駆け込み寺って、(Xで)スクショで送られてきたやつとか、日本財団から2011年から16年までにわたって合計3億円ぐらいの助成金を
玄 もろたよ、当然、助成金。
ー それは日本財団とは、どんな繋がりなんですか?
玄 日本財団は、俺が直接、笹川陽平会長にお会いして頼んだ。
ー それでいいですよって。
玄 そのときに色々あって、頼んで、うちがやってる活動に力を入れてくれて、日本財団で、公益(社団法人)を取る時も保証人みたいなんやし、日本国籍を取る時も日本財団が保証人という格好で日本国籍をとったんや。これは事実。良いも悪いも。ただ5年で助成金を打ち切って、うちも自主財源で頑張ろうと、うちに助成金もしだすんやったら、他の欲しい団体、助成金いただきたい人がたくさんいるやんか。 だから、あまりそこに甘んじることはないやろといって、離脱したんや。まあ、付き合いは今でもあるよ。でも俺はそこでよしとした。
ー 現在はどうやって、笹川陽平会長と仲良くなったんですか?
玄 いや、それは俺は探偵稼業やからなんぼでも調べるやん。まずは、一番は、うちくんのに、日本全国から来る人が、東北九州から来るのに、うち来た時は手遅れやから、せめて九州、四国、広島、中国地方、東北、北海道ぐらいに5つぐらいお寺、どこか、うちの受付みたいな協力してもらえないかっていうのがそもそも笹川会長にお願いしにいってん、それは。10分間だけ。
ー 十分会ってもらえたんですね。
玄 十分だけ言うてお会いしにいったんや。
― だって、言うたら日本の有数の権力者ですよね。
玄 そうそうそうそう。
― よく会ってくれましたね。
玄 それは俺が、会うために一生懸命、俺が本を持って行ったりしたんや、それは誰の紹介でもない。
― それは出待ちとか、いる場所に行ってみたとか。
玄 いや、10分だけ予約でお会いに行ったんや、堂々と。
― お手紙とか
玄 そうそうそうそう
(ちなみに、冒頭で言及されてる「スクショ」って私の万バズしたツイートのことっぽいです・・・。)
なお、ここでなぜ玄秀盛が笹川陽平に会い、仲良くなれたのか、納得がいく説明ができているようには思えません。私としては、笹川陽平との最初の出会いは、もっと以前にさかのぼると考えるほうが自然だと思います。
日本財団に言及しない人物に注目してみましょう
玄秀盛および日本駆け込み寺の最大の後ろ盾とはいったい何だったのか、もはや誰の目にも明らかでしょう。
人間や組織の本質は、何を語るかよりも、何を語らないかに表れるところがあります。
日本駆け込み寺と日本財団の関係について言及を避ける人、言及してもその事実の重要性を否認する人に、今後ぜひ着目してみてください。
おそらく、ここまであからさまな事実にもかかわらず、どの大手メディアも触れることができないでしょう。これまでも、日本財団と政治の関係について、大メディアはほとんど語ることがなかったからです。
これが私の予測通りだとして、それが何を意味しているのか、皆さんもぜひ考えてみてください。
ところで、一般社団法人Colaboの仁藤夢乃は、今回の件を受けて、日本駆け込み寺に対して激越な舌鋒を向けています。しかし、日本財団については一切言及していません。おそらく、今後も日本財団に対する批判は出来ないでしょう。仁藤およびColaboも、日本駆け込み寺と同様、日本財団(および警察)によって育成された存在だからです。
Colabo問題と日本駆け込み寺の問題は、単に東京都制が歪められ、その管理が甘くなったという構図が一致するだけではありません。さらに、まったく同じ人脈・絶大な非公式権力が引き起こしたという意味で、本質的に同一の問題の再現なのです。
日本駆け込み寺とColabo問題の関係、その人脈的な近さについては、あらためて記事を書きたいと思います。
Colabo問題の人脈解説を行ったnote記事と、それに加筆した本「一般社団法人Colabo問題、相関図と人脈解説」のリンクを張っておきますので、ご興味があるかたは是非読んでください。
「巨大権力とNPO経済圏の闇、その暴露の序章」というサブタイトルを付けた意味の一端が、今回の記事で汲み取っていただけたなら幸いです。
おわりに
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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