もうSNSもマスメディアも印象操作ばっかじゃんモウ...マヂムリ...(←お前も印象操作で草www)って話
草に草を生やすな
例えば殺人の容疑者などを
「黒いパーカーの『男』」
「刃物を持った『女』」
と若干、けなすニュアンスがなくもない呼称をしたり、
「BGMがやたら暗い」
「犯人の証言を寝起きぐらい暗い声で読み上げしている」
などして「演出」を入れていることになんだか、
私は「不快」というか「不服」に感じるのである。
とどめには、亡くなった人物の話をするときは、
「その人物が生前、生き生きと、眩しい笑顔をしていた時の写真など」を使って
こちらの同情を誘う。
うーん…..
何も、「犯罪者が『悪いことをしたこと』を報じるな!」
とか、「遺族?あ ほ く さ」
とか言いたいわけでは全くない。
ただ私は「殺人が起きて、人が死んだ」という、この世界を生きるほとんどの人間が、「悲しい」「痛ましい」などと思うことを、
素直にそのまま表現しろよと、
「誰がどう見ても大火事なのに、
ガソリンまいてわざわざ大炎上させるのかよ?」
と言いたい。
もちろん、なぜこんなことをするのかは、
私は痛烈に理解しているつもりである。
メディアは、閲覧、傍聴する者がいて、
初めて成り立つ。
これは、「ものすごく」重要である。
なぜなら、メディアの内容を知ってもらわなければ、
「人の意見に影響できない」し、「商品として扱われない」からだ。
自身らの意見に賛同してもらうか、収益を得るために、「メディア」として世界に発信している人がほとんどだ。
要は、「とにかく見てほしい」のだ。
みんなの!わんぱく!しつもんコーナー!
Q:みんなにぼくのいけんおみてもらうにわどうしたらいいですか?
A:偏向報道こんな返しする大人絶対嫌だ大衆が目を見張る、ぶっ飛んだ情景を描写すれば、皆が食いつく。見る人が増えれば、メディア側の利益が増える。
金稼ぎのために、人の思考を惑わせている。
んじゃあSNSはどうなのかというと、こっちのほうがひどい。
あなたも私も、恋人も友人も、とーちゃんかーちゃんも、大人も子どももオネーサンも
現代においては、まるでテレビのニュースのコメンテーターのように、簡単に意見を発することができる。
これのせいで、ぼっちちゃんみたいな(いやぼっちちゃんは悪じゃない)承認欲求の塊たちが、息をするように、
「死ね」だの「クソ」だの下劣な言葉や、何なら特定の考え方や国籍、障碍を嘲り、罵倒する表現を使って、自身の意見を読む人々を盛り上げ、同じように罵倒させることを愉しむ。
しかも最近は、自身の意見を収益化することも手軽になってきた。閲覧数を稼げば、高評価を稼げば、金が手に入るのだから、そりゃあ誰もが驚くワードチョイスをするに決まってる。だって、みんなに見てほしいから。
言葉は人を(間接的とはいえ)殺せる。
殺傷能力のある言葉を使い、使わせているのが、現代にて意見する人々の特徴である。
こんだけつらつら綴っておいて、結局は、
発信元がどこの誰であれ、言ってること鵜呑みにしないで、他と比べてよく噛み砕いておいしく食べてね情報を吸収しよう!!!!
発信者になる時は、情熱的になりすぎず、相手のことを考えてヴィーガンに笑顔で牛ステーキ出さないで自分の気持ちを表現しよう!!!!
ってことが言いたかった。でないと池〇彰に説教される
ってゆう感じで多分大丈夫、多分これ以上話続かないからもう終わり!
いやー
自分の意見を脚色するの楽しかったなぁッ!!
(闇堕ち)
えっと、俺も結構やばい表現使ったからね?気づいてるね?大丈夫ね?
事実なるものは存在しない。
あるのは解釈だけだ。
───フリードリヒ・ニーチェ


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