第四十六話 神の裁きと帝の免罪符

《前回までのあらすじ》


鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。

当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。

しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。

さらに、今の頼朝はこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝に寄り添っていた出雲阿国の正体が、古代の巫女・卑弥呼であった事、時を超える力を持つのは彼女自身であったことなど、衝撃的な事実を聞かされ、頼朝はその場で意識を失ってしまう。

目覚めた頼朝は、決意を新たに京の二条城へと入り、友軍や徳川への対応、朝廷工作に奔走する。その矢先、心労が祟ったのか、再び頼朝は吐血して倒れてしまうのであった。頼朝はこれ以上時の流れを別の時代から来たものが創り出すのではなく、"本来の時"に生きる者たちへ戻すべく、徳川家康に軍団を引き継がせることを模索し始める。そして、そのために頼朝が選んだ道とは、意外にも、まず家康に攻めかかることであった。

内大臣叙任後、帝に謁見できた頼朝は、帝の深き悲しみにも触れ、病身ながらも天下静謐への決意を新たにするのであった。


《主な登場人物》


源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城にて病床に伏す。

源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。那加城にて東国の守りを固める。徳川討伐軍大将。

武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。徳川討伐軍に参加。

源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。徳川討伐軍に参加。

トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。

出雲阿国: 正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として京に滞在。

北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。

羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。

羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。頼朝の看病にあたる。

赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。

源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。

源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。

太田牛一: 少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。

お市: 織田信長の妹。頼朝軍に加わり、京に滞在中。

源宝: 一色義満の娘。頼朝の養女。砲術に長け、義経隊の副将として徳川討伐軍に参加。

太田道灌: 室町時代の名将。文武両道。突撃隊を率いる。徳川討伐軍に参加。


[第四十六話 神の裁きと帝の免罪符]


頼朝は、帝との謁見を終え、再び輿(こし)に乗り、二条城へと帰還した。

病状は、一時的に回復しているように見えたとはいえ、帝との濃密な謁見は、頼朝の体力を奪っていた。


寝所では、いつもながら、妻の篠が、甲斐甲斐しく頼朝を介抱していた。

「…篠、すまぬが、明日、岐阜城へ立ちたいと思うておる。その準備をお願いできるか」

頼朝の言葉には力は無かった。


「殿、どうか、ご無理はされませぬように……。もう少し、お休みになられたからでも、よろしいかと存じますが……」

篠は、心配そうに頼朝の顔を覗き込む。


「そなたの心遣い、感謝する。だが……体が、まだ動くうちに、トモミクと、そして阿国殿と、どうしても話をしておきたいのじゃ」


「体力が、まだ動くうちに、などと……。そのような、あまりにも弱気なことを、仰せにならないでくださいませ……。

…分かりました。では、わたくしも、ご一緒いたします」

篠が、決然とした表情で言う。


「いや、篠。そなたには、わしがこの二条城で倒れてからというもの、片時も離れず、わしのために、心を尽くしてくれておる。たまには、わしのことから解放されて、ゆっくりと休むが良い。

それに、忘れたわけではあるまい。篠、そなたは、この二条城を守る狙撃隊の、大切な副将でもあるのだぞ。万が一にも、この京で有事が起これば、そなたに、部隊を率いてもらわねばならぬのだ……」


「殿……。この数ヶ月、わたくし、疲れたなどと思うたことなど、ただの一度たりとも、ございませぬ。どうぞ、これからも、殿のすぐおそばに置いてくださいませ。むしろ、殿がいらっしゃらない時の方が、心配で、心配で、夜も眠れませぬゆえ……」

篠の瞳には、涙が浮かんでいた。


「…案ずるな。わしには、まだ、為すべきことがある。みすみすここで死ぬわけにはいかぬ。医師も、そして薬師も、常に傍らに連れて参る。

篠。そなたは、お市殿とでも誘い合わせて、ようやく賑わいを取り戻し始めた、この京の街でも、楽しんでくるが良い。わしの看病で、ずっと、外にもろくに出ておるまい……」


「……分かりました。では、殿がお留守の間は、この篠、太田牛一殿と共に、この二条城を、しかとお守りいたします。どうぞ、京のことは、一切ご心配なさらないでくださいませ。

また、お言葉に甘えさせていただきます。殿がおられぬ間、お市殿と、この京の街を、存分に満喫させていただきとうございます。

ただ……。ただ、もし、殿のお身体に、万が一のことがございましたら、その時は、必ずや、この篠、どこへでも駆けつけまする」

篠は、声を詰まらせながらも、気丈に答えた。


「うむ。それが良い。

篠が、心から楽しく過ごしておる、その姿を見るのは、わしにとっても何よりの喜びじゃ。いつも、いつも、そなたには、つらき思いばかりをさせておることも、まことに申し訳なく思うておるのだ……」


篠は、もはや言葉に詰まってしまい、何も返すことができなかった。ただ、主君であり夫である頼朝に、深々と頭を下げると、静かに寝所を退出していった。そして、すぐに関係者を招集し、太田牛一と共に、頼朝の、岐阜への一行の出立の段取りを、手際よく整えるための指示を出し始めた。


一人となった寝所で、頼朝は、先ほどの、帝との話を、ぼんやりと振り返っていた。


(…義経よ、許せ……)


(結局、この時代に来ても、この兄は、やはり『鬼』であったようじゃ。そして、あろうことか、その『鬼』の役目を、そなたにも、再び、負わせようとしておる……)


(だが……帝は、義経がわしの鬼の後を継ぎて更なる罪を犯しても、『免罪符』(惣無事令)を、お与えになる……)


(許せ、義経……)


頼朝は、そのまま、重い瞼(まぶた)が落ちるのに任せ、深い眠りへと、ついていった。


* * *


翌日。頼朝は、出雲阿国を伴い、麾下の狙撃隊の中から、選りすぐりの兵、およそ二千程を引き連れて、岐阜城へと向かった。


一行が、琵琶湖の南、大津に差し掛かったところで、安土城代である娘の源桜が、精鋭の騎馬隊五千余りを率いて、頼朝の護衛として合流した。

源桜は、行軍する頼朝の輿の横に馬を寄せ、父に、快活に挨拶をした。

「ご無沙汰しております、父上! 此度は、内大臣へのご叙任、まことにおめでとうございまする!」


頼朝の体調のことは、まだ桜には知らされていなかった。普段であれば、馬で行軍するはずの父・頼朝が、今日に限って、輿に乗っていることを、彼女は多少なりとも不思議には思ったものの、特に訝(いぶか)しく思うほどでもなかった。


輿の、小さな窓の隙間からは、娘・桜の、一段と立派になった姿が、見て取れた。その、自信に満ちた眼差しも、堂々とした馬の乗りこなしも、そして、凛とした、美しい背筋も、全てが、頼朝の目頭を熱くさせるものであった。


「父上、この後、まずは安土城、そして大垣城にて、それぞれごゆっくりとお休みいただきながら、岐阜城まで、この桜が無事にお届けいたしまするゆえ、どうぞ、ご安心くださいませ。では!」

そう言って、源桜は、再び隊列の先頭へと戻っていった。


安土城においても、そして大垣城においても、頼朝が乗る輿には、常に出雲阿国と、ほんの数人の供回りだけが付き添い、頼朝は、寝所の中まで、輿に乗ったまま運ばれ、他の家臣たちには、そのやつれた顔を、極力見せないようにしていた。


安土城には、北条早雲をはじめ、多くの有力な家臣団と、そして大勢の兵たちも駐屯しており、早雲は桜が頼朝に直接面会することを、許さなかった。


しかし、大垣城は、主だった家臣も兵も、徳川討伐のために出払っていた。そのため、頼朝の病状について、よからぬ噂が広まる危険性も少ない、と判断した北条早雲は、源桜を伴って、頼朝が休息を取る寝所を、訪ねたのであった。


寝所では、頼朝が上体を起こし、出雲阿国と、そして侍医であろう薬師が、傍らより離れず頼朝の看病をしていた。

その、あまりにも変わり果てた父の姿を見た桜は、一瞬、何が起きたのか、全く理解することができずにいた。


桜は、つい何年か前に、あの岐阜城の麓の納屋にて、初めて父・頼朝と多くの言葉を交わすことができ、その胸の中で、あらん限りの思いを込めて、涙を流したことを、鮮明に覚えていた。その時の、父の、温かくも、そして頼もしく、たくましい胸板や、自分を優しく包み込んでくれた、あの立派な腕の感触を、片時も忘れられずにいた。その時から、桜は、意を決して、父のために己を鍛え、そして、父が目指す、新しい世のために、力の限りを尽くしてきたつもりであった。


ところが、今、目の前にいる頼朝は、見る影もなく痩せ細り、その眼差しこそ、以前と変わらぬ鋭さを保ってはいるものの、その衰弱ぶりは、誰の目にも明らかだった。


「父上……。父上……! いったい、何が……!?」

桜は、その場に、力なく座り込んでしまった。


北条早雲が、静かに頼朝に口を開いた。

「…わしの、勝手な判断で、桜殿をお連れ申し上げた。…頼朝殿、お許しくだされ」


頼朝は、苦笑いを浮かべながら、北条早雲に、言葉を返した。

「…早雲殿。そなたの話しぶりでは、まるで、わしがもうすぐ死ぬことが、前提であるかのようじゃな……。


桜。案ずるな、心配せずとも良い。これでも、以前よりは、随分と良くなってきておるのだ。わしは、まだ、そう簡単に死にとうはないわい。


だが……。何事にも万が一、ということもあるやもしれぬゆえな。こうして桜の顔を見れたことはまことに嬉しきことよ。会うたびに、おぬしが、将として、そして一人の女性として、立派に成長しておるのが、何よりこの父の励みじゃ」


「父上……。いったい、何があったのでございますか……。なぜ、そのような、お痛ましいお姿に……」

桜の声は、既に涙で震えていた。


「桜。そなたは、考えたことは、ないかな。なぜ、我らのような、異なる時代に生きたはずの者たちが、今のこの時代に、こうして集うてきておるのか。」


病状について、必死に問いただそうとする桜であったが、頼朝は、それには直接答えず、唐突に、まるで禅問答のような、難題を投げかけてきた。桜は、ただ困惑するばかりであった。

「いえ……。それが、今の父上のそのお身体と、何か関係が……」


「全ては、宿命なのじゃよ、桜。そして、それぞれが、その身に背負うべき、『業(ごう)』なのじゃ。


我らは皆、過去の世において、何らかの罪を背負うた者たち。であるからこそ、この時代へ呼ばれ、そして、それにふさわしき宿命を、再び与えられた。その宿命に、我らが抗(あらが)うことはできぬ。だが、その宿命を、最後まで果たし終えるまでは、死ぬこともまた、許されはしまい」


頼朝は、言葉を続けた。


「ただし、桜。

わしには、一つだけ、どうしても抗いたいことがある。


もし、そなたの、これからの良き人生の、その妨げとなるものが宿命なのだとすれば、わしは、たとえ相手が神であろうとも、戦いを挑む。


しかし……。今の、そなたの、その立派な姿を見ておれば、もはや十分に一人前じゃ。この父などが、余計な世話を焼かずとも、自らの力で、自らの進むべき道筋を、切り開いてゆけるであろう。


…そうであれば、わしは、心置きなく、自らがこの時代で成すべきことを、ただ、成せるというものよ」


「父上! 父上が、いったい何を、仰せられておられるのか、この桜には、さっぱり分かりませぬ!」

桜は、叫んだ。


「桜は、父上があってこその、桜なのでございます! もし、父上に、何か万が一のことがございましたら、わたくしは、いったい何のために、これまで……!」

桜は、もはや、言葉にならず、ただ、力なく泣き崩れていた。


「まあ、待つが良い、桜。まだ、わしが死ぬと、決まったわけではないのだ」


頼朝は、優しく諭した。

「ただ、何があっても、おかしくはない、この父の覚悟を、そなたに申したまで。


…わしの、本当の願いは、この日ノ本の真の安寧を、この目で見届け、その後は、そなたたち、かけがえのない家族と共に、遠き故郷、鎌倉の地にて、ただ安らかなる時を過ごすこと。ただそれだけじゃ。


…だが、もし、わしが、それよりも早く、この世を去ることとなれば……。


残される、あの義経が、あまりにも不憫でならぬのだ……」


「ますます、父上の仰せられることが、分かりませぬ!」

桜は、混乱していた。


「ですが……! ですが、今はただ、父上のそのお病が、一日も早く平癒(へいゆ)されまするように、と、ただただ、お祈り申し上げるばかりでございます!」

桜は、まるで、全ての元凶であるかのように、傍らに控える薬師を、鋭く睨みつけた。


ここで、北条早雲が、静かに口を挟んだ。


「…頼朝殿。徳川の地にて戦い続けておられる、義経殿と、そして梓殿には、頼朝殿の、そのお覚悟のことは、わしの方から話をして参った。義経殿もまた、その全てを、受け止め、覚悟を決められたご様子であった。


頼朝殿。今は、ただ、ご自身のことを、案じられるが良い。そして、安心して、成すべきことを、ただ、なされよ、頼朝殿……」


「…かたじけない、早雲殿。そなたの、その心遣い、身に染みる」

頼朝は、頷いた。


「桜よ。ちょうど、良き機会じゃ。景虎殿とは仲睦まじくしておると、そう聞いておるが、まことか」


「はい、父上……。景虎様は、これまで、本当に多くの苦難を乗り越えられてこられました。今でも常に忍耐強く、誰に対してもお優しく、また、武芸にも大変秀でておいででございます。そのような立派な御方に、こうして嫁ぐことができました、この桜は、まことに幸せ者でございます」

桜は、少しだけ、頬を赤らめた。


「…ですが……。父上亡き、桜など……。そのようなこと、わたくしには、とても考えられませぬ!」


「まあ、待て、待て、桜。そう、何度も、わしを殺すでないわ」

頼朝は、苦笑した。


「そなたに対し、父親を名乗れるほどのことは、何一つとしてできてはおらぬが……。それでも、こうして、桜が、良き伴侶(はんりょ)に恵まれたということは、父として、何よりも嬉しく思うておる。


ただし……。やはり、しっかりと桜には話をしておこう」

頼朝は、真剣な表情に戻った。


「こうして、病の床に伏せるというのも、悪いことばかりではない。これまで見えておらなかった、多くのことが、不思議と見えてくるようにもなった。まことに、皮肉なことよのう……。


良いか、桜。我ら、こうして古(いにしえ)の世より、この時代へ参った武将というものは、大なり小なり、皆、何らかの『罪』を、その身に背負うておる。

わしの『前のわし』……つまり、皆が言う、あの『先代の頼朝』は、おそらくは、それぞれが生きていた、その時代において多くの罪を重ねながらも、すでに、この世には、何の未練も残してはおらぬ、そのような御仁たちを、この時代へ連れてきておったのであろう。つまり、この戦国の時代において、さらに大きな罪を重ねることになる、その覚悟のある者たちであったのだ、と、わしはようやく気が付いた。


…もちろん、桜や里は、また別の、父親勝手な理由からなのであろうがの」


「では、父上は……。早雲様も、道灌様も、頼光様も、そして叔父上である義経様も……。皆、罪びとであると、そう仰せなのでございますか?」

桜は、信じられない、といった表情で問い返した。


頼朝は、静かに、しかし、はっきりと頷いた。

「…そうじゃよ、桜。

古(いにしえ)の、名将と呼ばれる者たちは、皆、その栄光の陰で、数えきれぬほどの、多くの将兵たちの命を、犠牲にしておる。それは、とりもなおさず、『罪』以外の何物でもないのじゃ。


もちろん、そのおかげで、救われた人々の命が、どれだけ多かったことか。そして、それによって、多くの民たちが、平和と幸福を、享受(きょうじゅ)できたのかもしれぬ。


じゃが、それでもなお、罪は、罪なのじゃ。


そして……。今の、この罪びとたちの中で、最も重く、そして深い罪を、その身に背負うておる『鬼』が、他ならぬ、そなたの父、頼朝であるということなのじゃよ……。


この時代の安寧のため、そして、あのトモミクの『主』が、心から望む『未来』のためには、わしは、さらなる罪をおかさねばならぬのであろう。今まさに、何の罪もないはずの、あの徳川の討伐を、進めておるではないか。無論、それもまた、熟慮に熟慮を重ねた末に、そうせねばならぬ、という、やむにやまれぬ理由があるからこそ、そうしておる。


だが、それもまた、この軍団に与えられた、逃れようのない宿命、そして、背負い続けねばならぬ、重き罪なのじゃよ。


もし、わしに、何か万が一のことがあれば、その、罪深き『鬼』の役目は、弟の義経が、引き継ぐこととなる。


…ただ、一つだけ、救いがあるとすれば……。先日お会いした帝は、悲しき眼差しをもって、その全てを、見通されておいでであった、ということじゃ。


帝は、我らが、全ての武家を力で滅ぼさずとも、どこかの時点で、我ら『鬼の兄弟』に対し、『免罪符』(惣無事令)を、お与えくださることであろう。そして、その尊き免罪符を、帝より賜(たまわ)った、まさにその時にこそ、この軍団の全てを、今を生きる者たち、罪のより少なき者、そして、真にふさわしき者に、渡したいのじゃ。

我ら、古(いにしえ)の罪びとたちは、その道筋を開くためだけに、この時代におると心得よ。


これこそが、この頼朝軍団が存在する、唯一の意味であり、そして『神』とやらの、真の意志なのであろう。」


「いいえ! 父上は、決して鬼などではございませぬ!」

桜は、叫んだ。

「今の、この領民たち、そして家臣たちは皆、父上のことを、心から、誠に崇(あが)めておりまする! それは、父上の、そのお優しき、徳の高さゆえに、でございます!」


頼朝は、ゆっくりと、病床から起き上がった。そして、おぼつかない足取りで、泣きじゃくる娘・桜のもとへと、静かに近寄った。


頼朝は、そっと腰をかがめると、桜の、その震える手を、優しく取った。

「…桜。そなたは、まこと、このわしの、誇りぞ。


いずれ、帝より、この軍団への『免罪符』を賜(たまわ)った、その暁(あかつき)には……。そなたは、夫となった景虎殿や、あるいは早雲殿のような、心優しき者たち、そして、妹の里や、養女となった梢殿、宝殿たちと共に、ただ、安らかに、そして幸せに、過ごして欲しい。それが、この父の身勝手な願いじゃ。


…もしかしたら、このわしが背負うた罪の償いは、そなたたち、家族にまで、降りかかるやもしれぬ。じゃが、もし、そのようなことがあったとしても、その『罪の執行人』とやらは、きっと、あの早雲殿や、頼光殿、あるいは阿国殿といった、頼もしき者たちが、必ずや、退治してくれるであろう。


ただし……。ただ、これだけは……。この、罪深き『鬼』の、その後継だけは、決して、そなたには引き受けては欲しくないのだ。…それは、この父の身勝手な、ただの我が儘(まま)じゃがな」


頼朝は、桜の目を、じっと見つめた。

「桜が、幸せになること。それを、約束してはもらえないだろうか、この至らぬ父に……」


「…どうして……。どうして父上は、ご自分がいなくなることばかり、そうやって、お話なさるのでございますか……」

あれほどまでに、立派に成長したはずの、安土城代・源桜の姿は、もはや影も形もなく、ただ、何年も前に、父・頼朝の胸の中で、声を限りに泣きじゃくっていた、あの頃の、幼く、そしてか弱き、ただの小さな娘・桜が、そこにいるだけであった。


「…心配をかけて、すまぬな……」

頼朝は、とめどなく流れ落ちる桜の涙を、そっと拭いながら、自らの、その細くなった腕で、娘・桜の小さき頭を、優しく包み込んだ。


北条早雲もまた、その光景を、ただ黙って見つめていたが、やがて、悲痛な面持ちをしながらも、桜に、そっと声をかけた。

「…さて、桜殿。あまり、頼朝殿に、これ以上のご負担をおかけするわけにも、参りますまい。


では、頼朝殿。我らは、これにて、一旦、失礼つかまつる。岐阜への出発は、明後日、ということにしております。それまで、どうか、少しでも、ご養生くだされ」


早雲は、まだ足元の覚束(おぼつか)ない桜の体を、そっと支えながら、頼朝の寝所を退出していった。


* * *


頼朝は、二人が去った後、再び、ゆっくりと床へと戻り、静かに横たわった。

「…阿国殿。すまぬな……」

傍らに控える、出雲阿国に、頼朝は、力なく言った。


「頼朝様……。わたくしこそ……。わたくしも、もう、嫌なのでございます……」

阿国の声は、震えていた。

「それに……。頼朝様は、決して、鬼などでは、ございませぬ……」


「阿国殿の、あの『神』とやらが、何を考えておるの少しわかった気がするのじゃ……」

頼朝は、自嘲気味に言った。


「じゃが、阿国殿の、あの時の嬉しき言葉、わしは、決して忘れぬ。阿国殿が神との契(ちぎ)りを捨ててまで、わしのような者に仕えようとしてくれた、その気持ち。今の、このわしにとって、嬉しく、そして尊きものじゃと、そう思うておる。


しかし……。皆に、これ以上心配をかけまい、と、そして何とか今の様に動ける時もあるのじゃが……。じゃが、もう、わかるのじゃよ。このわしに、残されておる時が、そう長くはない……」


「頼朝様……!」


「阿国殿は、かつて、わしが、この時代に来たことには、必ずや、大きな意味があるのだ、と、そう申したな。それが、今のわしには、ようやく、分かったような気がするのじゃ。


阿国殿の、あの『神』とやらは、このわしという、これ以上に無い程に、血に塗(まみ)れた、業深き『鬼』を、あえて、この戦国の世に遣わし、真の『鬼』として完全に目覚めさせ、しかし、その『鬼』が、この世を滅ぼすほどの大いなる『鬼』となる、まさにその前に、このわしを、抹殺する……。それこそが、狙いであったのかもしれぬ。


そう考えたら、これまでの、全ての不可解であった出来事に、合点が参った。全て、不明であったことにも、ようやく説明がつくのじゃよ。そうであるならば、わしは、この与えられた『鬼』としての使命を、せいぜい、最後まで全うするとしようではないか」


この世で、もっとも強く、そして気丈であるはずの、この出雲阿国までもが、目の前で畳に突っ伏し、その体を、小刻みに震わせていた。

今日は、何と、立派な、そして気丈な女子(おなご)たちを、こうも立て続けに、泣かせてしまっていることであろうか。。。


「…阿国殿。わしは、もう大丈夫じゃ。今日は、もう下がって、ゆっくりと休まれよ……」


「頼朝様!」

その声は、もはや、普段の、あの冷静沈着な阿国のものとは、到底思えぬほどに、かき乱れ、そして、魂の奥底からの悲痛な叫びとなっていた。阿国は、そのか細い手を頼朝の袖に伸ばし、掴んだ。


「……一人に……。このわたくしを、どうか、一人には、しないでくださいませ……頼朝様……。


わたくしは……わたくしは、大いなる神を、恨みました……。もはや、神は、わたくしのことを、巫女としては、お認めくださってはおりませぬ……。その証拠に、わたくしには、かつてのような、ささやかなる力ももはや無くなり、もと来た古(いにしえ)の世へと、戻ることすらできませぬ……。


頼朝様のお側にお仕えするため、ただそれだけのために、わたくしは、神との、あの、永きにわたる契(ちぎ)りを、自ら破ってしまいました……。


それなのに……。


それなのに、もし、頼朝様に万一のことでもありましたら……。この、わたくしは、今のこの戦国の時に、一人、取り残されてしまうのです……!


頼朝様……。


頼朝様こそが、わたくしの、この、長きにわたる、孤独な旅路の、ただ一つの、生きる意味だったのでございますのに……!

何のために私は……」


「…何ということを……。阿国殿……」


頼朝は、阿国のあまりにも細く、そして冷たくなった手を、思わず強く握り返してしまっていた。そして、そのか細い阿国の手を、さらに、自らの方へと強く引き寄せると、阿国は、まるで糸が切れた人形のように、頼朝のもとへと、はらりと倒れこんだ。

しかし、阿国は、もはや起き上がろうとはせず、その身を激しく震わせ、大粒の涙を、止めどなく流しながら、そのまま頼朝の胸に、全ての体を、委ねてきた。


「頼朝様……。」


涙ながらに阿国が発した、その言葉の意味することを、今の頼朝が、完全に理解できていたわけではなかった。だが、その阿国の言葉は、長く病床にあり、そして、この時代に来てから、その心の奥底で深い眠りについていたのかもしれぬ、頼朝の体の中を再び熱くするには、十分すぎるものであった。


頼朝は、さらに強く、腕の中の阿国を引き寄せた。そして、阿国もまた、もはや、何の抵抗もせず、ただ、その全ての身を、頼朝に委ねていた。


阿国の、はじめは、ただ嗚咽(おえつ)だけであった声は、時とともに、その身体の奥底から、堰(せき)を切ったように、こみ上げてくる深い哀しみと、そして、それと同じくらいの、悦(よろこ)びの声となり、彼女自身にも、抑えることができなくなっていた。


* * *


その頃、遠江国(とおとうみのくに)、駿府城(すんぷじょう)では、徳川家康が、先の戦で、幾度となく、まさに玉砕覚悟の退却戦を重ねてきた、筆頭家老の酒井忠次と、二人きりで、静かに酒を酌み交わしていた。


酒井忠次は、初戦の刈谷での敗戦で、すでに深手を負っていたにも関わらず、その後も、幾多の戦いにおいて、自ら「おとり」となり、あるいは寡兵で突撃を敢行するなど、無謀とも思える戦いを繰り返し、その身には、おびただしい数の、さらなる深手を負っていた。


家康は、そんな忠次に、自ら酌をしながら、言葉を投げかけた。

「…酒は、傷には、あまり良くないと聞くが……。いけるか、忠次……」


「是非もなし。殿から賜(たまわ)る、この酒を、この酒井忠次、生涯において、ただの一度たりとも、断ったことなど、ございませぬわ!」

忠次は、豪快に笑ってみせた。


「はっはっは。そうじゃったのう。それどころか、今までの数々の無茶な命令にも、そなたは一度も逆らわず、わしの未熟な采配のせいで、皆を窮地に陥れてしまった際にも、常にこのわしを助け、そして支えてくれた。…まこと、忠次には、頭が上がらぬわい」


「何を、殿らしくもないことを、仰せられますか。もしや、少し、弱気になられましたかな?」

忠次が、からかうように言う。


「はっはっは! 忠次、何を申すか。

このわしの弱気は、今に始まったことではない、昔からじゃ。わしが、生まれて初めて、珍しく強き心で、戦に、そして出撃に臨んだのは、あの三方ヶ原(みかたがはら)での、武田信玄との戦くらいのものであったかのう。はっはっは!」

家康は、自嘲気味に笑った。


「しかし、忠次。此度の戦は、あの三方ヶ原以上に、絶望的じゃのう。

もはや、城に籠り、空城(くうじょう)の計(けい)を弄(ろう)したとて、あの軍神・源義経殿には、通じないであろう。

かつて、武田信玄公が、陣中で亡くなられたように、もし、頼朝公に、何か万一のことがあったとしても、あの義経公は、決して軍を退いたりはしないであろう。


西国の織田軍も、もはや風前の灯火(ともしび)。さらに、かつて同盟を結んでいたはずの、西国の雄毛利輝元殿も、今や、頼朝軍と固き誼(よしみ)を結んだそうじゃ。もはや、四面楚歌(しめんそか)とは、このことよ」

家康は、深いため息をついた。


「たとえ、この駿府にて、我らが必死の抵抗を見せ、頼朝軍を一時的に追い払うことができたとて、その後、背後から、北条、あるいは武田に攻められたならば、今のわしらではひとたまりもあるまい。…悔しいが、万に一つも、我らに勝ち目は、ないのじゃ……」


「まことに、殿の仰せの通り。もはや、弱気、強気などという、そのような次元の問題では、ございませぬな。はっはっは!」

忠次もまた、乾いた笑いを漏らした。


「当初、頼朝軍は十二万あまりの大軍で三河へ出撃してきましたがの、我らが、全軍をもって、必死の抵抗を試みたにも関わらず、今なお、まだ十万近くもの兵が、健在であると聞き及びます。

また、捕虜とした者も、一切処断せずに、むしろ手厚く遇し、我らに対し、その圧倒的な余裕を見せつけておるところも、ある意味では、この上ない屈辱ですな!

そして、これもまた、殿が恐れておられた通り……。もはや、命を落とす心配はない、ということを城兵たちは実によく知っており、一度、頼朝軍に包囲されてしまえば、どの城も、あっという間に戦わずして開城いたす、という始末……」


「はっはっは! これでは、お互いに、ただ敵を褒めてばかりで、ちっとも、肝心の作戦の話ができぬではないか!」

家康は、声を上げて笑った。


「もはや、勝つための作戦など、ござりませぬよ、殿。ここまで来たらば、あとは、いかにして、この戦の『幕引き』を考えるか、ただそれだけでござりましょうぞ」

忠次は、静かに言った。


「たとえ、わが家臣たちが、頼朝軍の捕虜となったとしても、斬首されることは、ありますまい。ですが、その後、武田や北条といった、他家へと、こぞって逃げ込む者が、いったいどれだけおりましょうや。いや、それどころか……」

忠次は、声を潜めた。

「すでに、先の刈谷城、岡崎城、そして浜松城におきましては、もとの城兵たちは、全て、そのまま城に残ることを許され、頼朝軍は、悠々と次の目的地へと進軍しておる、とのことにございます。その後、誰一人として、頼朝軍の背中を、後ろから撃つような者はなく、ただ、固唾(かたず)を飲んで、その様子を見守っておるだけだ、とか……。まるで、皆、殿が命を奪われることなく、無事にお戻りになられることを、待っておるかのようにも、見えまする。

これもまた、何とも、屈辱的な話ではございませぬか。


…ですが、殿。今や、殿が頼朝軍に降(くだ)るか、あるいは、この駿府にて玉砕なさるか、この二つに、一つしか、道は残されておりませぬぞ」


「……忠次。相変わらず、頼朝軍からの、降伏の勧告は、来ておるのか」

家康が、静かに尋ねる。


「は!頼朝軍には、まことに素晴らしき文才(ぶんさい)を持つ、優れた参謀もいるらしく、まるで、美しい詩(うた)のごとき、丁重な言葉で綴(つづ)られた降伏勧告状が、毎日のように、何通も、何通も、こちらへ送り付けられておりまする」

忠次は、うんざりしたように答えた。


「はっはっは! どこまでも、憎らしきは、あの頼朝軍よ!」

家康は、声を上げて笑った。


「…忠次。わしはな、どうしても、このままでは、終わることはできぬのだ。もはや、理屈ではない。ただ、この、わしの意地じゃ」

家康は、忠次の目を、じっと見据えた。


「最後まで、戦わせては、もらえぬだろうか。そして、力の限りを尽くし、それでもなお、負けたというのであれば、その時は、潔く、軍門に降ろう。

だが……。

今、この、全てが頼朝軍の手の上で踊らされているかのような状況で、みすみす軍門に降るというのは、この徳川家康、どうしても耐えられぬ。…すまぬが、忠次。最後まで、このわしに、ついてきてはくれぬか……」


「殿から、こうして注がれた酒も、そして、殿からの、いかなるご命令も、この酒井忠次、生涯においてただの一度たりとも、決して、断りはしませぬぞ!」

忠次は、力強く答えた。


「おそらくは、半月もせぬうちに、古瀬戸(こせと)方面の山あいから、そして岡部(おかべ)方面の街道沿いから、頼朝軍が、怒涛の如くこの駿府へと攻め寄せて参りましょう。

…まあ、ですが、今宵は、そんなことはしばし忘れ、心ゆくまで、この酒に浸りましょうぞ!」


徳川家康と、古くからの、その股肱(ここう)の臣、酒井忠次は、その夜、いつまでも、いつまでも、互いに酌を持ち続け、語り明かしたのであった。

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源頼朝 戦国時代編 @Tempotampo

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