29年間で中3の正解率が2割も減った「数学者が異常を感じた設問」 背景にある教育の歪みの正体とは
危機感がもたらしたコンセプト
さて、2015年に刊行した拙著『新体系・高校数学の教科書(上・下)』は、数学I、II、III、A、B、Cという現行教科書のアラカルト方式でなく、1960年代以降の高校数学教科書で扱われたほとんどすべての項目を、大きな一本の体系として捉え、日常生活と結び付く“生きた題材”を多く取り入れて執筆したものである。現在でも、社会人、大学生、高校生など幅広い人達に読んでいただいている一方で、その本の演習書を期待する声がたまに届けられていた。 続編を執筆する運びとなったが、筆者としては当初、各章ごとに基礎的計算問題や「やり方」を真似て解くような平易な問題から始めて、だんだん難しい問題を並べていく従来の参考書タイプの手堅い構成を考えていた。しかし、上述の危機感が頭から離れなかった。そこで得た結論は、前出の拙著に沿って構成し、以下の3つのコンセプトをもつ書を執筆することである。 (1)基礎的計算問題や「やり方」を真似て解くような平易な問題は扱わずに、教科書の章末問題よりやや難しいレベルで、試行錯誤して考える楽しさを味わうような例題を、章ごとの内容をすべてカバーできるように幅広く揃える。 (2)各章の冒頭には、上記の拙著から用語の説明、定理や公式のリストをすべて抜粋して「まとめ」として記述する。それによって、読者にとって他書を一々参照する手間を省くばかりでなく、暗記を極力減らして例題を考えることに集中できるように配慮する。 (3)例題の解説においては、試行錯誤の精神を礎にして、プロセスの理解を重視した丁寧な説明を心掛ける。とくに、様々な「発見的問題解決法」の視点を意識できるようにする。
「試行錯誤」をどう評価するか
そのようにして完成した書が近著『いかにして解法を思いつくのか「高校数学」(上・下)』である。ここで、「試行錯誤」と「発見的問題解決法」について若干触れておこう。 世間ではよく「理数系」という言葉を用いて、数学、理科、そして医学などをまとめて表現することがある。しかし筆者は「試行錯誤」という観点から、その用語には違和感をもつ。数学以外の理科や医学の分野では、“失敗”も立派な論文になり得るからである。たとえば、「〜病を治す効果があると予想して、…という薬を試してみたが、効果は見られなかった」というデータも添えた結果は役に立つだろう。 一方、数学の研究で「自分は〜という定理が成り立つと思って証明を試みたが、残念ながらできなかった」という成功しなかった内容については、普通は論文として書くことはない。それは、「もう少し発展させれば証明は成功したかも知れない」ということもあるだろう。これは、生徒が受ける数学の試験でも似たことが言えるはずである。 要するに、数学以外の自然科学の分野では、失敗も含めて「試行錯誤」した内容を公表することは役立つことが多々あるが、数学に関しては、証明が完成したり、最後の答えを導いたりすることができたときに、それらの記述が役立つのだろう。したがって数学を教える側は、結果だけで生徒を評価するのではなく、問題を解決するために試行錯誤していろいろ考えている姿を励ますことが大切だ。