資本主義、外から破る?内から破る? 労働者の疎外、克服する?徹底する? ――現代社会の「生産性という病」を解剖し、解毒剤を練り上げる、気鋭による連載の第7回は、世界の言論を横断しつつ、反出生主義から加速主義へ!
苦悩のサイクルを断ち切るには、生殖をやめるしかない
前回(「人類はなぜ絶滅しないのか 自らを騙し救う生存のためのプログラム」)、私たちはトーマス・リゴッティの著書The Conspiracy Against the Human Raceにおける反出生主義的な議論、とりわけリゴッティの中でも特権的な位置を占めるノルウェーの特異な哲学者、ピーター・ワッスル・ツァプファの思想に分け入った。
前回の復習を兼ねて再度確認しておくと、ツァプファによれば、人間は動物と比べ「過剰」に発達した意識を持ってしまった突然変異的生物である。その結果、死の不可避性や果てのない宇宙の根源的な「虚無」を否応なく意識し、苦悩を生み出す。
人間はこの苦悩に耐えるため、無意識的にいくつかの防衛機制を働かせている。当然ここに「悲劇としての人間存在」固有のパラドックスが生まれる。意識を通して世界を理解しようとしながらも、その無底の実相に直面しすぎないように自ら意識に制限を課すというパラドックスが。
このように、人間が本来的な苦悩から永久に逃れられない、有機的秩序から逸脱した「歪んだ肉細工」でしかない以上、結論は必然的にペシミスティックなものにならざるを得ない。すなわち、「生殖」の否定である。リゴッティはツァプファの思想を総括しながら、以下のように書きつける。
「この惑星の人間以外の住人たちは死を意識していない。しかし私たちは驚くべき、そして恐ろしい思考に陥りやすく、それらを紛らわすために何らかの壮大な幻想を必要としている。そうした私たちにとって、人生とは自分自身に仕掛ける「信用詐欺」のようなものであり、防衛機制を剥がされて黙々と見つめる虚無の前に無防備な姿で立たされるような悪ふざけを見破られないよう祈りながら、それを続けるほかないのだ。
この自己欺瞞を終わらせ、意識することとしないことを同時に強いられるという矛盾した命令から私たちの種を解放するためには、嘘の車輪の上で少しずつ背を折られるような状況を断ち切るためにも、繁殖をやめるしかない。」(1)
過剰な意識を抱え込んだ、いびつなパラドックスを体現する歪んだ繰り人形としての、だけど無にもなれずに地上を苦悩しながら這い回る悲劇としての人間存在。この、苦悩を果てなく生み出す永劫のサイクルを断ち切るためには、生殖=繁殖を、言い換えれば人類の再生産を停止させるしかない。リゴッティとツァプファが抉り出してみせた世界観はこのようなものだった。
(1) Ligotti, Thomas. The Conspiracy against the Human Race: A Contrivance of Horror (English Edition) (p.12). Penguin Publishing Group. Kindle版