無礼者には法律も味方しないーなぜ「不誠実な人」は裁判で負けるのか?
こんにちは。
最近、こんな経験はありませんか?
「なんであの人、あんなに偉そうなの?」「言い方ひどくない?」
そう。無礼な人っていますよね。
でも、驚くべきことに――
無礼なふるまいは、ただのマナー違反ではありません。
あなたの健康、集中力、仕事の成果すら奪う「有害行為」なんです。
アメリカで話題になった本『Think CIVILITY(シンク・シビリティ)』によれば、
無礼な人が職場にいるだけで、周囲の人は以下のような影響を受けます。
健康を害する
判断力や集中力が落ちる
攻撃的になる
経済的損失が出る
「仕事やる気なくすわ」・・・と感じたあなた、正常です。
無礼な人ほど群れる。誠実な人は孤独から始まる。
もう1冊、私のお気に入りの本を紹介します。
『経営者の手帳』には、こんな言葉があります。
悪は徒党を組むが、誠実な人は決して徒党を組まない。
無礼な人ほど、仲間と一緒に正しい人を攻撃する。
一方で、誠実な人は静かに、でも確かに信頼を築く。
やがて、誠実な人たちのネットワークが自然と広がっていく――。
実はこの「誠実であること」は、法律の世界でも大原則なんです。
民法も「信義誠実であれ」と命じている
民法1条2項には、こうあります。
権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
これが有名な「信義誠実の原則(信義則)」。
ビジネスの契約書にもよく出てくる、あのフレーズです。
でも、なぜこんな条文がわざわざ必要だったのでしょう?
その背景には、明治~昭和にかけての、日本人の商売における道徳の変化がありました。
渋沢栄一も嘆いた「約束を守らない日本人」
『論語と算盤』で知られる渋沢栄一は、
「金儲けだけではダメ。誠実さがなければ、信頼を失う」と何度も説きました。
日本人は約束を守らない。欧米の商人たちはそう批判している。
これは大きな損失であり、誠実さを忘れてはならない。
――これは、単なる道徳の話ではありません。
法律の現場でも、「信頼を裏切った無礼者」に、裁判所は容赦しませんでした。
判例に見る「無礼者への鉄槌」
たとえば1920年、大審院(今の最高裁)はこう述べています。
契約上、買い戻しに必要な費用が「2円8銭」足りなかったとしても、
相手が何度も費用を聞いてきたのに、答えなかったあなたに落ち度がある。
そんな人間に法律は味方しない。
つまり、法律は形式だけを見ていない。
信頼を裏切った人に対して、厳しく裁く力もあるんです。
現代でも有効:信義誠実を欠いた夫への返金命令
例えば、大阪地判平成元年4月20日では、一度他人に贈与した物は取り戻すことができないとする規定とは異なる解決をしています。
<民法550条>
書面によらない贈与は、各当事者が解除することができる。ただし、履行の終わった部分については、この限りでない。
ある父親が、「娘の旦那が歯科医師になれば娘を幸せにしてくれるはずだ」と期待して、758万円を娘の旦那に贈与しました。ところが、その旦那は歯科医師試験に合格するやいなや、不倫の事実を明らかにして離婚を申し出たのです。
この裏切りに対して、裁判所は「信義誠実の原則」を使い、
父親への返金を認めたのです。
ただし、信義誠実の「裏の顔」もある
ここまで聞くと、信義誠実の原則って最高じゃない?
……と思いたくなるのですが、実は落とし穴も。
戦後ドイツでは、信義誠実の原則がインフレ対応の裁判で活用され、
ナチス時代にはなんと、ユダヤ人の年金不支給の口実にまで使われました。
万能のルールは、ときに「都合よく解釈される」こともある。
だからこそ、私たちがこの原則をどう使うか、見守り、問い続けることが大事なのです。
法は、誠実な人の味方になる
信義誠実の原則とは、
「血も涙もない法律に、温かい人間味を吹き込む力」であり、
一方で「悪意がある人が使えば、法律を曲げるナイフにもなる」もの。
でも私は信じています。
信義誠実であろうとする人を、法は見捨てないと。
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