「辞めます」
「駄目だ」
太刀筋が如く、迷いなき断言。封筒に包まれた自身の意志は、塵より細かく斬り捨てられた。これは正当な権利の侵害であり、許されることでは無い。命は憤慨した、必ずやこの腐心の身を唾棄し、名栄ある対ホロウ6課から不安定の種を取り除かなければならないと決意した。
「辞めます」
「駄目です」
出直しても過去の再演にしかならない。ならばと標的を変え、月城副課長に辞表を提出する。真の課長と言われる彼女であればと……そう思っていた俺はお笑いだったろう。規律を重んじるあの副課長ですら一瞥もせずに取り繕わない。彼女が職務怠慢の姿を見せるのはこれが初めてだった。
「辞めます」
「そういうの面白くないよ」
ならばならばと同僚の
「ミコト、どこか痛いの?」
「尊厳が痛い」
「ソンゲン?ってやつはわかんないけど、痛いなら蒼角が治してあげる!」
「今、心も痛くなった」
デスクに突っ伏する俺に蒼角の純粋無垢が傷に滲みる。自分の意思で辞めるのは労働者の権利のはずだ。人権はどうした人権は! 人じゃない俺に人権は不要っていうのか? もういっそのこと失踪でもしてしまおうか。郊外の誰も知らない場所でしっかりと死ねば誰にも迷惑はかからないだろう。
「薄乃隊員、馬鹿なこと考えてないで行きますよ」
「わかりました……」
渋々……と大刀を背負って皆について行く。どうしても勝手に切り捨てられない自分が嫌いだ。保身したがりのエセ自己犠牲感には目も当てられない。俺は紛れもない化け物だというのに……
抱き上げられている身体は中身の無いマネキンみたいに軽い。内臓が全部羽毛に変わってるようだ。呼吸も脈も確認した、しかしこの苦しそうに眠る同僚は生きていると力強く言える存在感を持たない。
「浅羽隊員、また遅刻です……か……」
あの副課長でさえ彼を見て言葉を失う。手に持っていた書類を落とし、鬼気迫る表情で走ってくる。
「呼吸、脈共に有ります。突然気絶しました。倒れる際に地面との激突は避けましたが、意識は完全に失ってます」
「っ! ……そうですか。浅羽隊員は倒れた原因に何か心当たりはありますか?」
彼と初めて出会ったのは課長が紹介した時のこと。対ホロウ6課立ち上げに集められた彼はまだ所々に包帯を巻いており、いつも疲れた目をしていた。持病があるとは聞いていないし、僕みたいに隠してる感じもない。あの時の彼はどちらかと言うと……精神面が不安定に見えた。
「何があった?」
タイミングが良いのか悪いのか、帰ってきた課長はソファに寝かされた命を見て血相を変えた。普段から絶対に手放さない刀を置き、命の呼吸と脈を確認してこちらに説明を求めた。
「
課長は眠る命の髪を優しく撫でる。白のメッシュが入った長い黒髪が手に沿って流れ、課長は悲痛の表情をする。
「……私が命と出会ったのは旧都陥落の日だった。そこで家族を失った命は星見家の養子となり、同じ学校を卒業してH.A.N.Dに入った。長く時を同じにしてきたが……彼は自分について多くを語らない。私が知るのは……彼の家族はあの日死に、頑なに素肌を他者に見せないことだけだ」
「素肌……」
そういえば、命はいつも篭手を着けている。課長のものと違い攻撃性の高いそれは爪先が鋭く、作業しづらいんじゃないかとずっと思っていた。
何かあるのか……? 芽生えた少しの好奇心に唆され、命の篭手に手をかけようとした時、横から課長に手を掴まれた。
「っ!」
「やめておけ」
「何か……あるんですね?」
「私も詳しくは知らない。だかそれは、我々が容易に暴いていいものでは無い。今、命がそれに苦しんでいようと、我々には踏み込む権利がない」
「なら!」
久しぶりに声を荒らげた気がする。でも、とても止められるものでは無かった。命の苦しみに寄り添えない現実に怒りが収まらない。
「なら、どうしろって言うんです?! 命が苦しむのを黙って見てろと? それとも見ないフリですか? そんなの御免です。同僚一人救えないで、対ホロウ6課なんて名乗れないです」
「浅羽隊員……」
「副課長だってわかってますよね? 命は何か隠している。いや、
嘘が下手くそな同僚が出したSOS。病のことを誤魔化してる自分だから、彼がどれだけ限界なのか理解できる。悠長に打ち明けてくれるのを待つ余裕なんてない。
「悠真、お前はそれが正しいと思っているのか?」
「……どういうことです、課長?」
「命は我々を信頼している、これは間違いない。ならば何故、我々を遠ざけようとしている?」
「……」
言葉に詰まる。彼の信頼を裏切れない……。だって彼は間違いなく僕たちの大切な人だから。
「この篭手は父上が用意したものだ。詳しい事情を知るのは父上だけだろう。だが、私は命以外の口からその事情を聞きたくない。もし命が対ホロウ6課を辞めると言っても、私は認めない。自殺や失踪など以ての外。全てを阻止していつまでも待つ所存だ」
「……課長は強いですね」
「いや、私も苦しむ命を見るのは辛い。私一人では彼を守ることは出来ないだろう。エーテリアスを斬ることしか出来ない私では……」
課長の命を撫でる手が止まる。命の顔色は依然悪いままだ。死人みたいに白くて薄い。もしかしたらもう死んでると錯覚してしまいそうになる。
課長の鋭くキレのある目付きがより細められ、怒りに滲む。
「私だけでは……駄目だったんだ……」
「あっ、あなたは対ホロウ6課の!」
「ん、おやおやこれは、独立調査チームの責任者さんじゃないですか」
任務終わり、疲れた体で六分街を歩いていると、見知った人と出会った。ハツラツな青髪の凄腕調査員、名前は……
「そんなに他人行儀に言わなくても……。リンって呼んで」
「これは癖みたいなもんです。リンはここで何を?」
「私たちが経営してるビデオショップがこの近くなの。寄ってく?」
彼女が指さした先には『Ramdom Play』の看板を携えた黄色の小店があった。
「これも何かの縁だ。お邪魔させてもらおうかな」
「へへっ、安くしとくよー」
プライベートの繋がりはてんでなかったが、ここで一つ心を落ち着かせる場所が欲しかった所だ。周りにはいない元気な女性の様子に少し楽しくなって軽い足で店内に入る。
モールに並ぶ店舗より狭い店内だが、無駄な隙間なく綺麗に並べられたビデオは思わず手に取りたくなる魅惑の力が宿っている。嘆息して店内を見渡していると、男性がスタッフルームから出てきた。
「おかえり、リン。それと、あなたは対ホロウ6課の……」
「リンのお兄さんでしたね。たまたま近くを通りかかったので寄ってみました。ビデオはレトロの部類だと思ってたんですが……まだまだ興味がそそられますね」
「あ、こちら会員カードになります」
リンは俺の手にカードを渡すと、ふふん、と胸を張ってドヤ顔を披露する。手が早い、営業上手な人だ。俺の感心を他所にリンはビデオを数個持ってくると、自信満々に語り始めた。
「命さんは何が好き? ド派手なアクション? それとも奇々怪々が迫るホラー? 意外とドキュメンタリーだったり?」
「こういうのはオススメにするのがいい。何がオススメかな?」
「じゃああの超大作ホラーの新作なんてどう? 話題沸騰の今が旬! ドキドキ、ハラハラ間違いなし!」
「じゃあそれを」
日頃から接する人物、雅や月城副課長とは全然違うタイプ。彼女と話すだけでも悩んでいたことが霧散していく。時間が空いた時にでも通ってみようかと考えて、袋に入れられたビデオを受け取る。
「そうだ。会員には高級なものもあったよね? 一番高いのにしといてくれ」
「え?」
「足繁く通うことになりそうだからね。営業上手な兄妹に会いにまた来るよ」
「ありがとうございました」
兄妹……か。仲が良くて何よりだ。生きてるうちは通うとしよう。二人だけで経営なんて、きっと大変だろうから。
「……ビデオデッキ買わないとな」
借りたビデオは思いの外迫力があった。……少しビックリして持っていたマグカップを割ってしまったのは、きっと偶然だ。